人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

麻婆豆腐リヴェンジ、または…

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多少賞味期限切れの豆腐を食べてもお腹をこわすことはないが、腐敗はしていなくても酸化は進む。続けざまに麻婆豆腐というのはいかにも芸がないが、これは丼物にして食べられる手軽さがある。湯豆腐や肉すき炒め豆腐となると別盛りのおかずだし、一丁使うと二食分になるから湯豆腐は土鍋に残せばいいが、炒め物をフライパンに残すとテフロン加工でも細かい傷から鍋を傷めかねない。そこでアルミ鍋に麻婆豆腐、が調理も保存も手軽ということになる。

風味の劣化という点では湯豆腐を優先すべきだし、調理の手軽さからも土鍋は実はレンジ調理が利く、という裏技もあるのだが、それすら面倒くさいのは箸で食べるのが億劫だからだ。自慢ではないが家にはレンゲどころかおたますらない。麻婆丼だってスプーンですくって丼飯に盛っている。家庭ならともかく単身者がレンゲだのおたまだの使う機会はそうないし(味噌汁も一食ごとに作っている)…まあ、麻婆豆腐についてはそういうことだ。

中年男性の鬱病に食欲不振~絶食が多いのは(対照的に女性は過食が多い)、鬱→休職→食事という消費への自責感、という心因があると言われている。生活保護受給で単身療養生活している筆者などまさにそれに該当するかもしれない。絶食から危篤寸前になり入院したことが二度ある。
働かざる者食うべかず、という言葉が一人歩きしている。世の中には他人から搾取するのが職務という職業だってある。休職中の人が他人に責められ、自責を思い詰めるキーワードがこの言葉だが、これはエンゲルスが労働者主体の共産主義社会の条件として著作に引用した警句が本来の文脈を無視して広まったものだ。資本主義社会では労働量と所得は均衡するものではない。所得が所得を生むようにできている。

さらに共産主義主義は宗教否定だがこれは新約聖書パウロ書簡からの引用であること。パウロは地方伝道へ赴いた弟子たちへの訓戒としてこの一節を書き送っている。そこは貧しい開墾農村地方だった。共に農民たちと働かないと伝道は実らない、という忠告であって、病気や事情で働けない人、働きたくても職がない人に向けられた言葉ではない。さらにエンゲルスの意図とも離れて、これは今や社会的強者が弱者を脅迫する抑圧にもなっている。
今日も貧しく豆腐料理の工夫なとしているとこんなこともつらつら思い浮かぶものだ。