人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

坂口安吾『桜の森の満開の下』

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坂口安吾(1906-1955)は新潟生れ東京育ち。太宰治石川淳檀一雄高見順らと共に戦時下に苦汁を舐めた「無頼派」の作家として知られる。三島由紀夫が最大の尊敬を捧げた強靭な思弁性はむしろエッセイに結実した。短編小説『桜の森の満開の下』は梶井基次郎桜の樹の下には』から着想を得たもの。書き出しと結末を抄出する。

桜の森の満開の下

桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子を食べて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。(…)

そこは桜の森のちょうど真ん中の辺りでした。四方の涯は花に隠れて奧が見えませんでした。日頃のような怖れや不安は消えていました。花の涯から吹きよせる冷たい風もありません。ただひっそりと、そしてひそひそと花びらが散り続けているばかりでした。彼は初めて桜の森の満開の下に坐っていました。いつまでもそこに坐っていることができます。彼にはもう帰るところがないのですから。
桜の森の満開の秘密は誰にも今も分りません。あるいは「孤独」というものだったかも知れません。なぜなら男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でもありました。
彼は初めて四方を見廻しました。頭上に花がありました。その下にひっそりと、無限の虚空が満ちていました。ひそひそと花が降ります。それだけのことです。外には何の秘密もないのでした。
ほど経て彼はただ一つのなま温かな何物かを感じました。そしてそれが彼自身の胸の悲しみであることに気がつきました。花と虚空の冴えた冷たさに包まれて、ほの温かい脹らみが、少しずつ分りかけてくるのでした。
彼は死んだ女の顔から花びらをとってやろうとしました。彼の手が女の顔に届こうとした時、何か変ったことが起ったように思われました。すると彼の手の下には降り積った花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も身体も延した時にはもはや消えていました。あとに花びらと、冷たい虚空がはりつめているばかりでした。
(昭和22年6月「肉体」創刊号発表)