人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

文学史知ったかぶり(2)

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さて、前回では「ミメーシス」の作者・作品選択に困惑された方もいらっしゃるかと思います。スタンダールバルザックフローベールを取り上げた第十八章以降なら、と具体的なご指摘もいただきました。
実はこの本、巻末に人名・作品目次はありますが各章には対象作品の見出しがない(目次を付けるなら翻訳書では作品見出しも付けてくれればいいのに)という不親切な作りで、各章の対象作者・作品を起すのに前回はひと苦労しました。ただしそれでいっそう痛感したこともあります。

つまり、いわゆる世界文学全集はご指摘の通り第十八章以降を対象として、例外的にホメーロスギリシャ悲劇、『神曲』、『ドン・キホーテ』、シェイクスピアの諸作、ゲーテとシラーやルソー、『ロビンソン・クルーソー』『ガリヴァー旅行記』辺りを「近代文学以前の古典」として編入しているにすぎません。小説とはヨーロッパ文学史ではごく近代の発祥にすぎないのが「ミメーシス」の文学史観からはわかります。そこで逆に、現代の読者からは小説中心ではなかった時代の文学概念を理解するのが困難になるでしょう。

少々横道に逸れますが、50年代のLP創成期のジャズのジャケット・デザインはレトロとモダンの配合が絶妙で良いものですね。ただ、今でこそオリジナルのデザインの良さが認められて、ジャケットも忠実に復刻されていますが、60年代~80年代の復刻ではほとんどが「古くさい」として現代風ジャケットに改悪されていた、という経緯がありました。CD化でも初期は復刻LPの改悪ジャケットを使っていたものが大半でしたが、アルバム紹介記事などでは当然オリジナル・ジャケットが掲載されるので、日本やヨーロッパ諸国主導でオリジナル・ジャケットの復刻CD化が始まり、今はアメリカ本国でも国際市場の需要を重んじてオリジナル・ジャケットの復刻が標準になっています。

アルバム・ジャケットとは広告ですが、同時に音楽内容の視覚的換置でもあります。これもまた、表象作用(ミメーシス)に他なりません。遠近法に見てジャズとそのアルバム・ジャケットとの位置づけは、アメリカ本国と諸外国では反転していました。
ヨーロッパ文学についてはどうか。アメリカ文学の発祥や日本へのヨーロッパ文学移入の時期は文学が小説主導時代に変化していました。次回では小説主導以前の文学観を大まかに展望してみましょう。