人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

偽ムーミン谷のレストラン(40)

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われわれにはついに解明できなかったが、最終的に下した判断の正当性は間違いはなかったと信じている。あれは、言うなれば一種の汚染のようなものだった。しかもわれわれはうかつにも外側からではなく、内側から蝕まれていたということに気づくのが遅かった。あまりに酷い有様だったのでわれわれは長い間、それは単にわれわれの目にする現実にすぎないと思いこんでいたのだが、それこそわれわれの自惚れや油断から来る錯覚だったのだ。われわれはあまりにお人好しすぎた。
もちろんわれわれはおたがいを責めあう必要はない。残されているどんな記録よりもあれは古い歴史を持っていた。記録という習慣が芽生えるよりもさらに昔からあれは存在していたに違いない。またはわれわれの願望があれをいつしか呼び寄せたとも考えられる。だとすればわれわれは汚染されるのを望んでいたのだ。どのように望んでいたかが具体的なかたちであのように現れたのだとすれば、あのような脅威をわれわれが霧消させるにはまったく手を汚さないわけにはいかなかった。
・そして手を汚した
われわれはそれを実行し、それまでさらされていた誘惑や危機から離れることができたはずだった。平安が退屈だとしても腐敗に浸るよりはいい。
だが一度はその存在を抹消したはずの不吉、放置しておけばまたわれわれを貪欲と不満が循環する負のスパイラルへと巻き込むあの悪習が今また姿を微妙に変えてわれわれのもとに現れたとなると、これはしばらくは様子を観察しないではわれわれは意見の一致を見ないだろう。
以前われわれは法の力を借りて危機を遠ざけることができた。それ以外のやり方でわれわれの法より先に存在していたものを排除できないから法に新たな追加をしたのだ。だが追加された条令自体が危機から逃れたわれわれにとっては違憲である、というパラドックスが生じてこの追加条令は廃止された。
われわれのような国家形体では廃止した条令を再び施行するのは困難で、事実上不可能と言ってよい。そこに今回のような事態が生じる隙があった。だからわれわれはこれがかつてのような脅威の再来ではないことを願うしかない。われわれは学習ということを知らないから、同じ条件であれば同じ過ちをいとも簡単に反復してしまうのだ。
…そこでスナフキンはハッと目醒めました。ああ、この悪夢は以前にも見たぞ。
第四章完。