人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アル中病棟入院記その後(3・完)

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ようやく彼女との関係を終らせたのは交際再開からほぼ一か月後、四月の上旬になってからだった。早くせねばとは思っていたが精神的な安定を保つ自信が持てなかった。退院後にメールの往復はしていたが、ようやく彼女が女友達との外食を口実に朝から夕方まで訪ねてきて、送り出してから別れる決意を固めた。その晩に彼女から性的充足感とこれからも密通を望むメールが来たが、中一日をおいて、もう二度と会うつもりはない、と返信した。メールのやりとりや密会を続けることが終日の飲酒や飲酒運転の原因、というのが口実でないなら、これでお酒は止められるだろう?

彼女からは混乱と八つ当たりの返信が来た。彼女がアルコール依存症になったのも現在のこの関係も家庭生活の抑圧からというが、それに気づいていながら現在の生活にも執着している。きみ自身が問題を根源から解決する気持がない。もうこれ以上振り回されるのは真っ平だ。きみの逃避や性依存の相手はしない。もうきみとは何もない。相談相手くらいならなるが。
偽善者!とメールが来た。それで彼女とは終った。

『その後』をエピローグとして書いたのも、彼女とはアルコール依存症治療退院後の問題を端的に体験したと思えるからだ。アルコール依存症は多くの場合、抑鬱ストレスから進行するので、ストレス環境から療養入院し療養期間を酒害の認識と断酒の学習に当てるのだが、退院後には結局ストレス環境のある元の生活に戻っていく。再び鬱ストレスが生じ、今度は飲酒に逃避もできないからストレスはますます鬱積していく。一人暮しの自分ですら退院後の突然の孤独感には潰れそうになったが、彼女の方はもっと酷かった。

彼女は家庭で抑圧されていたが、女で主婦なのだから当然と思おうとしていた。彼女には離婚は敗北だからその選択肢もなかった。彼女は抑圧された性経験しか知らず、充足感を得たこともなかった。
退院後の彼女は孤独を埋める相手がほしかったのだ。通院以外は自宅療養、一人暮しと入院中に話していたし、自宅まで送ってくれたのは要するに自宅を知るためだ。訪ねてくるだけ少しでも飲まずに済んだが密会を重ねれば逆に家庭へのストレスは高まり、会えなくなるとそれも自宅で絶え間なく飲む契機になった。
関係を断った反動で鬱も来たが、このブログはその鬱の回復途中から始めた。三年前、2011年5月になる。