人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

近況など1・餃子編

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今日は気が乗らないので適当な作文を書いてお茶を濁すつもりだ。煙に巻くつもりはない。たぶん同じような意味の慣用表現は世界各国の言語にあり、日本語のこれなどは直訳しても意味は通じると思うが、1930年代のアメリカ映画を観ていたら日本語字幕「八百長するか?」が音声ではジャック・デンプシーズ・ウェイ?、別の映画では早朝の電話に起されて「電話なんかなきゃいいんだ」が音声ではドン・アメチズ・なんとか(ともに不確か)となっていた。ジャック・デンプシーは当時のチャンピオン・ボクサーだが八百長試合の代名詞だったのだろう。ドン・アメチは電話発明者ベル博士を演じた大ヒット映画の俳優で、70年代になっても電話が鳴るとアメチが呼んでるぞ、という台詞がアメリカ映画では普通に使われていた。

マルクス兄弟の後期作品でコメディ西部劇があり、電話はまだか、アメチはまだ生まれておらんよ、というジョークがあったのだが、アメチはいいとしてデンプシーはずいぶん不名誉なものだ。キートンの映画で警官隊に追われたキートンが(何かと追われる)スタジアムの入り口をチラッと開けて、ベイブ・ルースの打順だ!と叫んで警官隊に足止めを食らわす場面があり、時の流れを思わせ感慨深いギャグだったがこれなど50歳の筆者あたりがギリギリ下限だろうか。以上、まったく本題と関係ない前置き終り。

どこのラーメン屋でも、それぞれ単品でも注文はできるが、ラーメンと餃子またはチャーハンのセットというのが大概あると見受けられる。焼売とのセットは見かけたことがない。ラーメンに餃子とライスのセットというのもあるが、ラーメンや餃子というのが飯のおかずになるものかは大きな疑問がある。もともとは点心で、独立した献立であるはずで、しかもラーメンよりはるかに完全食に近いのではないか。

日本に初めて餃子が紹介人物のことを志賀直哉が書いていて、横浜の中華街の顔役的な人だが、志賀家とつきあいがあったのでこれから売り出そうと思っているんですよ、と食材持参で志賀邸を訪れ作ってくれた。焼売に似た物で、と志賀直哉は書いているから焼売はずっと早くから中華街名物だったのがわかる。全集で読んだのは確かだから随筆や書簡、日記をざっと見直したが見つからなかった。あれは生き生きとした名文で、餃子を描いた文章の最高のものだろう。そのうち見つけて引用したい。