人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

裸のラリーズ『Mizutani』

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 前二回でも言及したが、裸のラリーズは1967年から1997年(現在確認される最新ライヴ記録)までオムニバス二枚組LP『Oz Days Live』片面の4曲(73年8月)と、フル・アルバムはようやく91年8月に『'67-'69 Studio et Live』『Mizutani '70/Les Rallizes Denudes '73』『'77 Live』の三作が同時リリースされた。バンド公式音源はこれしかなく、すべて自主制作盤の限定発売でバンド自身はまったく再発売しないのに、公式CDはあちこちのインディーズ・レーベルから改装再発され、新たな発掘スタジオ録音、ライヴ音源がCD化され50種類以上に及ぶ。アメリカ版ウィキペディアにも裸のラリーズLes Rallizes Denudes)は載っているのだ。裸のラリーズはそれらの無許可リリースには寛大で、一部のレーベルにはバンド自身が音源提供や監修に関与している形跡がある。ただし公式CDは91年の三作を例外として一切発表しない、というのがラリーズのポリシーになっているのだ。

 前回は『‘77 Live』をご紹介した。ラリーズの音楽の典型例としてはサイケデリックな轟音ギター・ロックのあれだろう。
 公式アルバム三作のいずれも人気は高いが、『Mizutani~』はバンドというより水谷孝のソロ作品集の趣きがあり、パーソナルな内省性で人気が高い。M1~M5はアコースティック・ギターとパーカッションだけをバックに、ヴォーカルを前面に出したものだが、全然フォークにもポップスにもなっていないアシッド音楽。バンド演奏はM6とM7で、M6はM1~M5と同時期・同メンバーによる70年京都でのライヴだが、これを聴いてヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『シスター・レイ』を連想しないわけにはいかない。ここまでが『Mizutani '70』で、72年に水谷孝は東京でラリーズを再結成し、73年のライヴからがM7、つまり『Les Rallizes Denudes '73』になる。曲目はリンク先に表示がある。
Les Rallizes Denudes "Mizutani '70 / Les Rallizes Denudes '73"
https://www.youtube.com/watch?v=oSRcQ6eV10Q&feature=youtube_gdata_player

 67年に大学生バンドとしてスタートしたラリーズは、初期オリジナルはインストルメンタルだったのが公式CDの『'67-'69 Studio et Live』でわかる。それがヴォーカル曲に変化したのは、67年にはすでに各種コンテストでカリスマ・バンドとなり、翌68年3月にデビュー・シングル『からっぽの世界』、6月にセカンド・シングル『マリアンヌ』を発表した早川義夫率いるジャックスの感化によるものだろう。歌詞に影響が露わであるばかりか、ヴォーカル・スタイルまで似ている。
 ジャックスの前記二曲は68年9月のファースト・アルバム『ジャックスの世界』にも収録されている。アルバムの再録音ヴァージョンの方がシングル・ヴァージョンより衝撃度が高いので、そちらからご紹介する。
ジャックス『からっぽの世界』'68
https://www.youtube.com/watch?v=uK94hzAhcUM&feature=youtube_gdata_player
『マリアンヌ』'68
https://www.youtube.com/watch?v=bgQyW5bn4is&feature=youtube_gdata_player

 ジャックスは評価のみ高く、セールスはまったく振るわずに翌年解散した。後世への影響力は非常に強かった。ラリーズは徹底して非商業的な活動を貫き、活動20年以上を経て絶大な評価を得た。どちらも日本のロックの暗部を担ったバンドには違いない。