人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ピーナッツ畑でつかまえて(12)

 そうした風変わりな趣味で他人を驚かせていたのも、すでに消え去った昔の夢でした。今のスヌーピーにとっては、過去の自分の行状さえも軽蔑の的であり、それはライラに手離されて再び子犬園に運命を託されていた数日間の深い絶望をくぐってきたからかもしれません。そこは偶然の手によって救い出されない限りは、ガス室送りの順番待ちの待機室であり、強制収容所同様に希望のない無情な拘置所でした。
 スヌーピーには危機的状況を経験した者によくあるややナルシシスティックな自意識、あの時自分は落命したので今は死後の世界にいるのかもしれないというような呑気さは持ち合わせていませんでした。なにしろ子犬園は保護頭数が定員をオーヴァーすれば手頃な犬種を残して月並みな雑種から始末しますし、犬のような高貴な種は本来性的にはストイックですから出生時期や乳離れも世代ごとに一斉に繰り返されます。スヌーピーはライラという少女に飼われ、彼女の転居の都合で子犬園に託されたので、ちょうど年に二回巡ってくる大虐殺の合間に、すっぽりはまり込んだ格好になったのでした。
 人間でいえば彼は半端に留年、または飛び級したようなものでした。たかだかそれだけの偶然が僥倖となり、スヌーピーは過酷な生存競争から生き延びたのです。チャーリーが友達を作るのには内気だとブラウン夫妻が考えた時、またチャーリーが当時数少なかった友達のライナスに飼い犬の相談をした時、誰もが思い浮かべたのが活発な猟犬種ながら小柄で愛玩種足りうるビーグル犬の子犬であり、それこそがチャーリーに欠けているものを埋め合わせてくれるはずでした。そして子犬園にはその時、スヌーピー以外のビーグル犬はいなかったのです。
 スヌーピーを得てチャーリーの生活はみるみるうちに活発で楽しいものになり、友達も自然に彼の周りに集まってきました。ですがそれはチャーリーが快活で愛嬌ある少年に成長したというよりも、不器用なチャーリーがマイペースなビーグル犬に振り回されている様子を面白がってパインクレスト小学校の名物生徒になってしまっただけで、チャーリー本人は公園の砂場で知らない子供に砂をかけられて泣いていた頃のチャーリーから大差はなかったのです。小学生たちにも、それに気づかない者はいませんでした。ましてやチャーリー本人もはや。