人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Eric Dolphy-"Iron Man"U.S.1963

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Eric Dolphy-"Iron Man"U.S.1963(Full Album)rec.1963.may-june
https://www.youtube.com/watch?v=FZQj6uBPK6c&feature=youtube_gdata_player
[Track listing]
(Side 1):
1."Iron Man" ? 9:07
2."Mandrake" ? 4:50
3."Come Sunday" (Ellington) ? 6:24
(Side 2):
4."Burning Spear" ? 11:49
5."Ode To Charlie Parker" (Byard) ? 8:05
All songs composed by Dolphy ex. as noted.
[Personnel]
Eric Dolphy ? bass clarinet, flute, alto saxophone
Richard Davis ? bass
Clifford Jordan ? soprano saxophone("Burning Spear")
Sonny Simmons ? alto saxophone("Burning Spear")
Prince Lasha ? flute("Burning Spear")
Woody Shaw ? trumpet("Iron Man","Mandrake","Burning Spear")
Bobby Hutcherson ? vibraphone("Iron Man","Mandrake","Burning Spear")
J.C. Moses ? drums("Iron Man","Mandrake","Burning Spear")
Eddie Khan ? bass ("Iron Man","Burning Spear")

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 前回に続いてフランク・ザッパの初期作品のご紹介をしようと思っていたが、ここのところロック・アルバムばかりなので肩の力を抜きたくなってきた。そこでザッパ&マザーズのアルバム『いたち野郎』に『エリック・ドルフィー・メモリアル・バーベキュー』という曲がある。『いたち野郎』はザッパ敬遠派の人でも天才ローウェル・ジョージ(ギター)の参加で知られるアルバムで、この曲自体はエリック・ドルフィーの音楽性とは全然関係ない。
 エリック・ドルフィー(1928~1964)は生涯に約120枚の参加アルバムがあり、そのうち半数が没後発表のジャズマンで、幸運なんだか悲運なんだかわからない人になる。生前は同じアルトサックス奏者で交友も深かったオーネット・コールマン(1930~)の亜流扱いされていて、オリジナリティに溢れたオーネットに較べれば器用貧乏みたいな評価をされ、オーネットの代役みたいな位置付けでセッション起用も多かったが、ドルフィー自身のアルバムは半数以上が没後発表になった。これは60年のデビュー作『アウトワード・バウンド』から64年の遺作『アウト・トゥ・ランチ』まで活動期間があまりに短かったため生前に発表しきれなかったのもあるが、急逝によって評価が高まるまでアルバム発売が見送られていた、というあんまりな事情もある。ドルフィーは単身でヨーロッパ楽旅中に客死したが、アメリカ本国で仕事がなくなったためのやむを得ない楽旅であり、糖尿病の悪化と治療の手遅れのための過労死といってよい急死だった。享年36歳。
 そこで未発表録音が次々に発売されたが、ブルー・ノート・レーベルからの『アウト・トゥ・ランチ』は64年2月録音で6月にドルフィーが急逝しなくても予定では夏~秋に発売予定していた唯一のアルバムだった。これは驚異的な傑作で、ドルフィーが生前に発売されていたらヨーロッパに長居しなくても済んだかもしれないし、没後発表でなかったら傑作なのに評判はさっぱりだったかもしれない。生前発表されたドルフィーのアルバムだって傑作ぞろいだったのに大して注目されなかったのだから。とにかく『アウト・トゥ・ランチ』の没後発表でドルフィーの株は大いに上がった。そこでぞろぞろ発表された未発表録音のひとつが、このアルバム『アイアン・マン』になる。このアルバムは別のマイナー・レーベルから発売された『メモリアル・アルバム(カンヴァセーション)』とは2枚で一組となるもので、63年の5月~6月に行われた同一メンバーでの9曲の録音から5曲を『アイアン・マン』、4曲を『メモリアル・アルバム』に振り分けたものになる。この二枚は『アウト・トゥ・ランチ』の試作とも、初期~中期(というにはあまりに短いが)の作風からのミッシング・リンクとも言えるものだった。

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 『アイアン・マン』はダグラス・インターナショナル、『メモリアル・アルバム(カンヴァセーション)』はヴィー・ジェイと、同じセッションからなのにバラ売りされて、しかも別会社から再発のたびにジャケットが変わる(画像参照)と粗雑な発売をされているのは、これは悪名高いアラン・ダグラスが著作権を持っているらしい。ダグラス自身がドルフィーに作らせたのか、ドルフィーが制作していたお蔵入り録音をダグラスが後から買い取ったのかはよくわからない。アラン・ダグラスの悪名はというと、アンドリュー・オールダムとの契約を切ってローリング・ストーンズ・レーベル設立までのストーンズの弁護士、チャス・チャンドラーから離れた以後のジミ・ヘンドリクスのマネージャーでジミ没後も未発表録音を『クライ・オブ・ラブ』から『ヴードゥー・スープ』まで発売権を持っていたプロデューサー、またミック・ジャガーの勧めでビートルズ解散前後からジョン・レノンが一時引退までマネジメントを任せていたビートルズ解散の影の立役者の一人でもあり、アラン・ダグラスが関わらなかったらロックの歴史が変わっていたかもしれない。ジミの未発表録音などは死人に口なしで、ジミの意図も時系列も場当たり的な発売で、遺族が権利を取り戻してジミの専属エンジニアが整理し直すまで滅茶苦茶なリリースが続いた。
 それを思えばドルフィーのアルバムはまだマシかもしれない。なぜ後にロック界に参入するダグラスがドルフィーのアルバムを、と思うが、元々音楽の版権専業の民間弁護士だったのかもしれない。少なくともダグラスがドルフィーの音楽を理解していたとは思えない。理解していたとしたら、こんな音楽は金にはならない、というくらいだろう。
 アルバムの内容について触れないアルバム紹介になってしまった。内容は、『メモリアル・アルバム(カンヴァセーション)』と併せて9曲の二枚組アルバムと考えれば、スタジオ録音ではドルフィー最大の規模で展開される大野心作で、もうお手上げなくらい圧倒的。完成度では『アウトワード・バウンド』や『アウト・トゥ・ランチ』になるけれど、もっと荒々しくドルフィーの音楽が躍動しているのは『アイアン・マン』でしょう。アイアン・マンはブラック・サバスだけではないのです。