人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

米々のなげき

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 仰々しいタイトルをつけてみたが今日も食品、いや食材についての深刻な話題をしようと思う。それも食材も食材、われらヤポネシア民族にとっては主食どころかヤキソバやお好み焼きをおかずにしてもいける(らしい。筆者はやったことがないが)、むしろあらゆるおかずの頂点に立つとさえいえる(まぎらわしいが)「ごはん」についてなのだ。
 筆者はお米屋やスーパーで買うより安価にお米を売っている、精米の自動販売機で毎月のお米を買っている。だいたい10kg袋を買って5週間で食べきりだろうか。筆者が数年来食べていたのがこの銘柄なのだが、今年初夏に2380円に値下がりして、秋から今はまったく同じものが10kg入り1980円で売られている。これは値下がり前の貴重写真というわけ。
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 記事にするのは遅かったが、先月同じ自販機に行ったら品揃えが少し違っていた。もちろん「味じまん」10kg入り1980円さえ買えればいいのだが、これはわざと並べているのではないか、と眼を疑った。そうですよ、私が買っているのは左のやつですよ。しかし小学生の算数の問題には向かない。「5kg入りで2000円のお米があります。では10kg入りではいくらになるでしょうか?」
 十分美味しく食べているんですけどね、学生時代に標準価格米なんてあったけどあれはまずかった、比較にならないくらい今は安いお米でもおいしいです。案外数年前まで刑務所入ったりしょっちゅう精神病院入院してたのもあるかもしれませんが、と主治医に話すと(こういう生活状態の報告も治療の一環なのだ)、「それだよ、ぼくも病院勤めだった頃は病院食はまずかったもの。黄色っぽかったし、何か混ぜてあるのかもね」「そうですか?ぼくは刑務所食も入院食もおいしく食べてましたが……」もっとも主治医はY.屋の牛丼を三つ星レストランの味という人だし、食べ物の味は気の持ちようだとも思う。筆者はおいしい時には素直においしく食べるが、刑務所でも精神病院でも「お前そんなのがうまいのかよ?」と絡んでくるやつが必ずいた。おいしいですよ、と受け流すと、たいがいは「普段何食ってんだ」と嘲ってくるが、どう考えたってそいつもここの食事よりマシな食生活をしていたとは思えない。
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 ここから下が今日行ってきた写真になる。はずだったが画像ファイルがみつからない。「味じまん」10kg入り1980円はそのままあったが、結構品揃えに変更があった。たとえば画像掲載するつもりだった2台並び。10kg2980円と5kg1200円など、いったい何を決め手にして選べというのだろう。筆者の選んでいるのは分量・価格比で断トツ(だん、と打ったら壇蜜が変換候補に出た)に安い上に癖もないから、個人営業の食堂などは案外業務用に買い付けに来ているのではないかとおもう。領収書が添付されて出てくる。
 さらに追い討ちをかけるのがこれで、ごらんください。筆者は自分が買っている白い袋にくまちゃん(というか、保育園の壁紙みたいな正体不明の空想生物だが)だけが「味じまん」ブランドだと思っていたのだが、なんと5kg2000円仕様の「味じまん」もあったのだ。よく見れば前回の2台並びもそうだが、くまちゃんじゃないので気づかなかった。

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 だが間に別の銘柄を一つ置いて、こんなのもあった。5kg1000円なら10kg1980円の「味じまん」と変わらない。こういうの、海原雄山ならなんと言うのだろうか。

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 倍額まで違うと生米の段階で訊き指くらいできる人もいるかもしれない。訊き指とは、つまり触ってみただけでお米を当てられる、というワザですね。この指だけがあの女のことを憶えている、と主人公がつぶやくのが川端康成の『雪国』。数日前に読んだ小説には「女陰のように」柔らかい、という陳腐な比喩が出てきておそれいったが(おそれいらなくてもいいが)、たとえ指で違いがわかるほどの安米でも、おいしくいだだけるのならかまわないではないか。少なくとも標準価格米の流通時代に仕方なく標準価格米を食べた経験のある人なら(すごく少なそうだが。あれは丼物やカレーライス、チャーハンやおじや、酢飯や混ぜご飯などにして直接ご飯に味つけしないと、白米のままではきつかった)ひょっとしたら標準価格米当時の古米より「味じまん」の方が上かもしれない。今どき「昔、標準価格米というのがあってね……」と話題にする人もいないだろうが(話しても通じる相手はいないし)、たかだか四半世紀の近過去にも米にまつわる歴史の闇があるのだった。以上。横位置になってしまってお見苦しい画像がありましたらご容赦ください。