人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ピーナッツ畑でつかまえて(31)

 第四章。リラン・ヴァン=ペルト。
・リラン! 
 無理に呼び起された不快から、反抗的に、ちょっとの間目を見開いて睨むように兄の顔を見あげたが、すぐまたぐたりとして、ズキンズキンと痛むこめかみを枕へあてた。私は、腹が立ってならなかったのだ。
 ライナスはしかし、急き立てて私の名を呼び続けようとはしなかった。もう私が目を醒したのだと知ると、熟睡のあとの無感覚な頭の状態から、ハッキリした意識をとり戻し得るだけの余裕を、十分私に与えてやるという風にしばらく黙っていた。
・起きろよ
 突然にまた兄の鋭い声がした。脅かされたように、私は枕から顔を放して、兄の顔を見守った。二言三言眠り足らない自分を言い訳しようとでもする言葉が、ハッキリした形にならないまま鈍い頭の中で渦を巻いていた。
・いま……何時なの?
 が、しかし、兄はそれには答えなかつた。私はちょっと照れて机の上の置時計を見た。
 二時間位しか、眠りやしない……。私は半分寝床から体を這い出しながら、口を尖らせながら、呟くように言った。そういう私を、兄は非難しようとさえしなかった。
 ともかく起きろ。起きて、着替えてキチンとしろ、大変なことになったんだ。
 こう、妙に沈んだ声で言うのだった。私はかすかな不安を覚えながら、節々の痛む体を無理に起して寝床から放れた。……ランドセルのまま、毛布も持ったままの、学校へ行きがけらしい兄の姿をもう一度よく見守って、何か言おうとしていると、
・ルーシーが悪いんだ
 と、兄は怒ってでもいるような恐い顔をして、押っ被せるような強い口調で言った。姉さんが?姉さんには昨日会ったんだけれども……。昨夜ひと晩で急にヒドく悪くなったんだ。肺炎だというんだが、もう駄目らしい。今日午前中持つかどうか……。
 キッパリと、あまり強い調子で言うのでちょっとの間私は、兄の言葉に反問することが出来ずにいた。
・そんなことはありはしない。そんなことってありはしない……
 しばらくして、私は兄を責めでもするように、ワクワクしながら呟いた。
・医者が、もう駄目だと言うの?
 ああ、そう言うんだ、と兄は力のない声で、おれは、これから電報を打ちに行くんだ。それから、もう一度医者に酸素吸入を頼んでくるつもりでいるが、お前にも頼みがあるんだ。
 私は返事をしなかつた。着物を着替えたらすぐ駆けつけてみようと思っていたのだ。
 ……広小路へ行ってね、イボタの虫ってものを買って来てもらいたいんだ。
・イボタの虫って……
 俺もよく知らないんだがね、と、兄は言いにくそうな調子で、売薬だがね、好く効く薬なんだそうだ。母さんがぜひ買って来いと言うんだから、買って行けよ。