人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ピーナッツ畑でつかまえて(34)

 ライナスは弟の質問を聞き流しながら、ルーシーとの永年の確執がなんとなく押し流されて行くのを感じていました。姉とライナスはともに1952年生まれの6か月違いの姉弟でしたが、ライナスは母から生まれたのではなくルーシーがいるからこの世に召喚されてきたようなもので、それはリランが彼らの弟として現れた時に否定のしようもなく突きつけられたこの世界の成り立ちでした。実際、リランの登場によってライナスはずいぶん楽な気持になったものです。こうも自分とうり二つの容貌の弟がいると、ライナスは指しゃぶりの癖も愛着尽くしがたい毛布もこれまでならなくてもいい場面まで公然とさらけ出せるようになりました。そうでもしないと、ライナスがライナスたるアイデンティティが稀薄になってしまうからです。
 その点では、ぼくはこいつに感謝してもいいわけだ、とライナスは着替えののろいリランを寛大なまなざしで眺めながら思いました。おまえが出てきてから、ぼくはずっと肩が軽くなった。そう内心で話しかけながら、しかしリランにとってルーシーやぼくの弟であることは決して面白いことではないだろうな、と思いました。彼が生まれたのは1973年とライナスたちよりだいぶ遅く、ルーシーとライナスがとげていた精神的成長に生まれながらに釣りあう設定年齢と精神年齢に生まれついたのです。それは楽なことではないはずでした。ルーシーとライナスはうまれてから10年をかけてキャラクターに磨きをかけてきて、いわばそれが彼らの幼年期だったのに、リランには姉や兄のような幼年期は与えられなかったのです。
 ぼくがいかにもこしらえものめいた、ともすれば機械人形的キャラクターと自分でも感じるのは、たぶんそのせいだ、とリランはライナスが思いめぐらしている続きを引き継ぎました。彼らは普段はもっと簡潔なフォーマットで生活しているので、自分以外の人物の心の中などお見通しが前提でボケ・ツッコミを分担したり滑ってみせたりしているのです。ただし彼らの中にもひとりだけ例外がいました。それはムーミン谷におけるムーミンと同じで、世界の中心にある虚無であり、虚無であることでそれぞれの世界全体のショック・オブザーヴァーの役目を果たしているのに、本人たちには自分がその自覚がないことまで一緒でした。
 チャーリー・ブラウン、とリランは呟きました。彼を失っても、ぼくたちは存在し得るのだろうか?