人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

続・鍋焼きうどん

イメージ 1

 この冬は鍋焼きうどんで行く、あと数回は書くと宣言してからこれで何度目の作文になるのだろうか。2回目でないのは確かだ、また鍋焼きうどんについて書く、と書いた覚えはあるから。だが最近はついこの間のことほど忘れやすく、忘れてしまって差し支えない昔の記憶は鮮明という典型的な老化現象を呈している。呈している。来している。起こしている。この通り、標準的な日本語表現ひとつ取っても判断が揺らぐ。まるでボケ老人のようであるが、別にこれには侮蔑的な意味はないとお断りしておきたい。犬猫などもそうだが、幼いうちはよくわからず、育つにつれ好奇心旺盛で活発になるが、やがて峠を過ぎ徐々に興味の範囲も狭くなり、活動も少なくなり、ついにほとんど積極的な興味を失ってその頃には晩年になっている。それが自然現象としての人生の自然なあり方でもある。青年時代には、特にクリエイター系職志望者は一生やっていきます、などと真面目に口にしがちだが、本当はそれは自己欺瞞であって、大病をしたり仕事に不満がつのったりすれば一生やらなくていいのだ。ボケ始めたらボケとも折り合いをつければいいので、それが病的な痴呆症でなければ気にすることはない。

 そういえば、こういう呼び方も何だが、ボケ老人の文体、というのが日本語には確かにあって、たぶん戦後の実存主義文学からそれは日本文学に入ってきたように思える。戦前にももちろんあって、辻潤を中心とした萩原朔太郎尾形亀之助ニヒリズムの詩人たちには反知性主義としてのボケはあったがそれはイロニーであり、かつまた詩人という特殊条件がボケを正当化していた。戦後の実存主義小説では実存の限界による認識の不可能性、という論理的バックボーンがあるものになっている。武田泰淳の『蝮のすえ』で三角関係の男が相手二人と酩酊して路上で脱糞してしまい、始末に困って手ですくう場面など忘れられない。武田泰淳と並ぶボケ老人(これはあくまで形容で、ボケ老人を描くというのとは違う)文体の大家は小島信夫深沢七郎だろう。小島信夫は考えすぎてわけがわからなくなるタイプのボケであり、深沢七郎は極端に即物的な感受性から来るボケになる。武田泰淳小島信夫深沢七郎といった人たちももう生誕100周年か、と思うと図書館の書庫まで訪ねて『風流夢譚』を読んだ学生時代が懐かしい。スッテンコロコロ。とにかく文学青年だった頃は、こうした小説家はなんて不思議な文体なんだろう、ときつねにつつまれたものだ。またはたぬきに化かされた、というか。

 ようやくきつねとたぬきが出てきたが、それは画像をご覧になれば予想がおつきだったろうと思う。鍋焼き化かし合いうどんとでもいうようなものでございます。わかめうどんでもあり、月見鍋焼きうどんでもある。だが別にこれは鍋焼きうどんについての作文ではなくて、鍋焼きうどんにかこつけて何か書いているだけの代物でもある。今日は明け方は曇って冷え込んでいたが、小学生の登校時間あたりにはようやく陽差しも上がり始めた。自慢ではないが持病の躁鬱病のうつ相で最近は早朝覚醒が続いており、これまでは長年一般的な早朝うつより日没うつだったのだが、最近は早朝うつになって、日没うつもつらいが早朝うつも楽ではない。だいたい4時半頃目が醒めてしまうが6時すぎまでは何もする気にならず寝たまま耐えている。入院経験が多いのでなんとかそれも耐えられる、という感じだ。日没うつでどーんと虚無感に落ち込むよりはまだしもかもしれない。
 ただし早朝覚醒は睡眠時間が短いので昼前はすごく眠い。夕方近くには昼寝をしないと睡眠が足りない。起きるとお腹が空いているが、米飯を食べる気力がない。そこで麺類になるわけだ。こう書いているといかにも病人食めいていて、ほとんど毎日うどん、たまにラーメン、スパゲッティという麺類ばかりの偏食は、病気の具合を表しているのかもしれない、と思うと情けない感じもする。