人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ピーナッツ畑でつかまえて(54)

 支度は終わったよライナス、と、リランが振り返ると、ベッドに腰かけていたはずの兄の姿はありませんでした。隠れているのだろうか、それとも待ちくたびれて出ていってしまったのか。どちらにしても、もしそうだったら、気配くらい感じてもおかしくないはずなのに、その気配もない。それともぼくが鈍かっただけなのだろうか。ボーッとしていてそのことに気づかなかっただけなのだろうか。
 外では風がうなり声をあげ、ガラス窓ごしでも気圧の変化が鼓膜に圧力をかけてくるようでした。やあねえ、とみさえは取り込んだ洗濯物をたたみ終えると、より分けてたんすにしまいながら、夫と息子に傘を持たせておいて良かった、と自分を安心させました。息子は幼稚園バスが家の前まで送ってくれますが、まれには工事中や通行止めで住宅街の通りの角になることもあるのです。ですから……
 心配なのはきみだけじゃない、とヘムレンさんはスノークムーミンパパに言いました。えっ、と二人は驚き、それから顔を見合わせましたが、この場合の「きみ」は二人称単数ではなく複数形の「きみ」だと了解するには、おたがいのまぬけ面に気がつくだけで十分でした。ヘムレンさんの言う通りだ、とムーミンパパとスノークは思いました。だがいったい私たちは、何が心配だと言うのだろう。
 領域主権とは、国家は独立を確保するために他国の介入を排除して、領土・領海・領空などの自国領域に関し各種の国家作用を行うことができるとする、主権の一部をなす権利を指します。国家とその領域をどのように関連付けるかについて、大きく分けて二つの学説が対立します。そのうちのひとつが「客体説」であり、これによると領域主権は領域に対する使用・処分といった行為のための対物的権利とされます。これに対し「空間説」は領域主権を統治の権利として捉える考え方です。
 チャーリー・ブラウンはまたひとりぼっちになった自分を感じました。空っぽになった水筒はただ重いだけでした。これから来た道を引き返さなければならないことを思うと、遠くまで来てしまったことが悔やまれてなりませんでした。地上には一滴の水もないのに、空には大きな虹がかかっていました。ここはもうチャーリーが住んでいたのとは別の国の国土かもしれませんが、たぶん虹はいくつもの国境を越えて空をまたいでいました。そして空にはダイヤモンドと一緒にルーシーが飛んでいました。