人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Miles Davis Live In Tokyo 1973

イメージ 1


Miles Davis Live In Tokyo 1973 (incomplete) : http://youtu.be/QiArn_8RA4Y
Recorded live in Tokyo, Japan,June 20, 1973 from NHK-TV Broadcast
1. TURNAROUNDPHRASE
2. TUNE IN 5
3. RIGHT OFF
[Personnel]
Miles Davis: Trumpet
Dave Liebman: Soprano, Tenor Sax
Pete Cosey: Guitar
Reggie Lucas: Guitar
Michael Henderson: Electric Bass
Al Foster: Drums
James Mtume: Percussion

 まず掲載画像との不一致をお詫びしたい。掲載画像のCDはリンク動画とは別音源で、6月19日の公演を収録したFMラジオ用マスターによる名高い『Unreachable Station』というアルバムで、リンクを貼った動画は翌20日の公演をNHKが収録したもの(原盤は残存せず)で、コンサートの冒頭3曲のみが放映された。なんてもったいないことを、全曲収録してきちんとマスターを保管していれば今では世界中で放映され、ソフト化されて売れたのに。
 さて問題作『オン・ザ・コーナー』1972発表後、マイルスは新しいラインナップのバンドを結成する。同アルバムの参加メンバーは第一線豪華ジャズマンの大集合で、元々マイルス・バンド出身だが独立してそれぞれ普段は自分のバンドを率いているからライヴ活動には呼べない。そこでアルバム参加メンバーからはレジー・ルーカス(リズムギター)とマイケル・ヘンダーソン(ベース)、アル・フォスター(ドラムス)、ムトゥーメ(パーカッション)が採用され、カルロス・ガーネット(サックス)、セドリック・ローソン(キーボード)、カラル・バリクリシュナ(エレクトリック・シタール)、バダル・ロイ(タブラ)というまるでジャズのバンドとは思えないような編成になる。ヘンダーソンとムトゥーメは70年秋からのメンバーで、ルーカスとフォスターも75年のマイルス一時引退年までバンドに在籍することになる。
 で、このごちゃごちゃした編成は72年限りで見切りをつけ、73年にはついに専任キーボード奏者なし(たまにマイルス自身が弾く)になり、ルーカス、ヘンダーソン、フォスター、ムトゥーメにデイヴ・リーブマン(ソプラノ&テナーサックス)、ピート・コージー(リード・ギター)が加入する。これは鼻血の出るようなメンツで、リーブマンはコルトレーン系白人サックス奏者で、コルトレーンのドラマーだったエルヴィン・ジョーンズのバンド出身だが歴代マイルス・バンドでもテクと殺気はコルトレーンすらしのぐものがあり、世代的にもコンテンポラリーなロック・ファンク感覚を身につけていた。ちなみにリーブマンの後任でマイルス・バンドのサックス奏者になるのはコルトレーンのピアニストだったマッコイ・タイナーのバンド出身のソニー・フォーチュンになる。ピート・コージーファンカデリックから引き抜かれてきたギタリストで、もろジミヘン系ブラック・ロックのリード・ギタリストだった。つまりマイルスにとってやはりサックス奏者ならコルトレーン、ギタリストならジミ・ヘンドリクスが理想だった、ということになるだろう。

イメージ 2


 73年バンドはツアーに明け暮れていて、この年後半のライヴ映像もまたご紹介するつもりだが、6月の段階ではまだマイルスとリーブマンの力量が突出していてWギターの絡みにまだ発展の余地がある。また、『オン・ザ・コーナー』以降のマイルスは70年以降の未発表録音を集めた2枚組『ゲット・アップ・ウィズ・イット』1974しか新作アルバムの制作がなく、純粋に73年~75年のレギュラー・バンドのみによる新作アルバムは作られなかった。この時期のライヴ・レパートリー『ターンアラウンド・フレーズ』『チューン・イン・ファイヴ』『プレリュード』『フォー・デイヴ』などはスタジオ録音が存在せず、ライヴ盤でも長らく2枚組LPだったらABCD面がパート1、パート2、パート3、パート4と表記してあるだけで曲目表記がなかったのだ(現行のリマスターCDでようやく曲目表記されるようになった)。
 そういうこともあって名作『オン・ザ・コーナー』はマイルスの人気凋落への転機となったのだが、明らかにマイルス自身がリスナーを挑発し、突き放しているからでもあった。突き放すのと挑発するのは違うのだが、当時のマイルスにはそれを混同しているようなところがあった。80年代にカムバックしたマイルスからはそのような韜晦した姿勢はなくなるのだが、70年代マイルスのようなとんでもない発想も80年代には薄れている。難しいものだと思う。