人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ピーナッツ畑でつかまえて(64)

 ところで問題なのは、とヘムレンさんは後ろ手を組み、われわれは子ども向けのキャラクターだからうかつに酒盛りなど出来ない、ということだ。一堂驚愕。そうだったんですか、とスノーク。まあ一応、この場合の子どもとは0歳から150歳の子どもまで、と範囲は広くなるのだが、とヘムレンさん、この言い方は気持ち悪くはないかね?つまり子どもとは気の持ちようだとは、子どもの類型化と偽善的な性善説がプンプン臭うではないか。
 世の中には悪意に満ちて性根がねじくれ、卑しい品性の子どもも大勢います(とスノークは言いました)、自分がそういう子どもだったと認めないではいられない大人も相当数いるでしょう。明けても暮れても大殺界、これじゃ人生毎日日曜というろくでもない余生を生きているのは、結局生きていないのも同じだと感じる人も多いでしょう。ですが、だからこそ、ファンタジーとしてわれわれムーミン谷の住民は存在するのではないでしょうか?
 きみの存在は確かにファンタジーだろうさ、とムーミンパパはパイプに葉を詰めながらせせら笑いました。ムッとするスノーク。それは私もきみもだよ、とジャコウネズミ博士がとりなしました。まあファンタジーとは言えないのは、とヘムル署長もスティンキーの右手とつないだ左手首の手錠を指して、ムーミン谷にも法はある、ということかな、必ずしも正義とは言わないが。正義ですか、とムーミンパパ、そんな言葉も聞いたことはありますが、この目で見たことはありませんな。
 これが夢の世界の出来事なら、きっとライナスを上空に飛翔させているのはいつものあの安心毛布が夢想の中で変形したものなのでしょう。なぜなら、いま虹色の煙を霧状星雲のように衛星にまとったライナスは、どうも毛布を持っているようには見えなかったからであり、もしライナスから毛布を引けばリランと見分けがつかないはずなのです。なのに間違いなくライナス本人と見えるのは、毛布あってこその威厳があったからでした。
 そして嵐の吹く暗い夜でした。私たちは地下室から続く通路から脱出するしかなさそうでした。それは私たちが長い間をかけて掘り進めていたもので、もし少女が通路の途中で目覚めようものなら私たちは自らの手で少女を口封じしなければならなくなる性質のものでした。しかし今はためらっている時ではなく、眼前の危機から全力で逃れなければならないのもまた、明らかなことなのです。