人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ピーナッツ畑でつかまえて(72)

 ライナスはどうやら姉の臨終に間にあい、安堵すべきか悲しむべきか、はざまに挟まれたような宙ぶらりんな気分になりました。悲しみ、悲しみ、悲しみ自体はわかりやすいことで、肉親を亡くすほど悲しくつらいことはないといいます。みんながそう言う、本にも書いてある、そういう映画を観たことがある。だけれどぼくは、このぼくはいったいどうだろうか。つらい、つらい、だけどそのつらさは姉を失うことより、姉を失った後の世界に対する物怖じのようなものではないだろうか。
 彼女には不幸を紡ぐ黒いクモの糸をあやつる能力があり、世界中から夢や希望を奪い去り、莫大な不幸エネルギーを吸収することで、誰をも凌ぐ力を手に入れて、全世界を手中に収めようと暗躍していたのでした。彼女は精神攻撃に長けており、狙った相手を「すべての不幸」と貶め、「人間がいるかぎり不幸はなくならない」という持論を持っていました。キャラクターとしては「圧倒的な悪いヤツ」であり、「親しみやすさゼロ」「こころおきなくブン殴れる相手」とも言えました。
 その最終形態は巨大な翼形の暗黒色のエネルギー体のような姿形になり、その中央には妖しい光が灯るのでした。そうなるととてつもなく強力な不幸の力を持っており、巨大な光線を放つことさえできるのです。
 それがぼくに何の責任があるだろうか、とライナスは呟きました。単に家族というだけ、姉弟というだけでぼくの責任になるのだろうか。姉はライナスの大切な毛布を隠し、汚し、破り、捨ててしまうことすらこれまでに何度となくありました。末弟のリランが成長してからはよほど怒りに任せた時以外は毛布に関する嫌がらせをしなくなったように思える。それは毛布を持っているのがライナス、オーヴァーオールを着ているのがリランで、毛布を持たないライナスはオーヴァーオールを着ていない時のリランと見分けがつかないからです。
 しかしルーシーにはルーシーなりの言い分があるでしょう。ライナスは姉の死の床にまでこんな確執が心から晴れない自分を恥じましたが、彼女のような姉を持った少年が穏やかにに姉の臨終を迎えられる訳はなく、ルーシーの弟であることはライナスにとって生まれながらの呪いのようなものだったのです。
 ですがその存在はあまりに大きなものだったので、姉亡き世界がライナスにとってどう変貌するかは想像もつかないことでした。まったく、想像もつかないことでした。