人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

新編☆戦場のミッフィーちゃんと仲間たち(25)

 ミッフィーちゃんのようにあからさまに冷戦下に咲いたアイドルとは違い、ハローキティは東西情勢の指標を経済学に置くようになったプレ超国際高度資本主義の生まれでしたから、その本格的ブレイクもキティちゃん自身が体現し、予告していた無国籍性が大衆的消費活動に自然に浸透するまでほぼ20年あまりの歳月を要することになりました。つまり彼女は、それだけの長い間、銭形警部に監視されながら駅から駅への日々を強いられていたのです。もちろんキティちゃんとは個別のキャラクターというよりもひとつのコンセプトであり、いくらでも再生産可能なものでした。ハローキティの圧倒的な強みと不特定性はそこにあり、それゆえ彼女は誰よりも軽んじられ、にもかかわらず恐れられていたのです。いかなる時にも決して真実性のある実在にはならないという点で、ハローキティミッフィーばかりか、ムーミンスヌーピーその他もろもろの先人たちをおびやかしていました。キティちゃんは誰ともかぶることができるとともに誰ともかぶらないのです。
 唯一彼女が踏み込めなかった領域にあの夢の国があり、そこはねずみによって支配されていました。ねことねずみでは最初から相性も最悪なばかりか、あのねずみはねずみでありながらねずみではない、そして実在する、という強引な前提で笑顔を貼りつけていました。笑顔が彼の無表情であり、それがあのねずみをひときわ不気味な自信で満たしていました。おそらくあの自信こそが、ウンコにハエがたかるように夢の国へと人びとを惹きつけているのです。
 しかし20年もの待ち時間と言ったら!監視されているキティちゃんだけが唯一のハローキティではありませんから、彼女はあちこちで文房具になり、枕かばーになり、ぬいぐるみになり、食玩グッズになってきました。そのうち自分はいったい何をやりたいのかわからなくなってきたほどです。幼児のころに彼女を愛した女の子たちが母親になり、自分の娘にキティちゃん柄のお洋服を着せるようになるほど、すでに彼女は気づくとそこにいる存在でした。たぶんそうなるまでの時間として20年もの間、キティちゃんは待たされ続けていたのです。
 そうでも考えないとつじつまがあわないほどに、もう彼女は自分の措かれた状態に飽きあきしていました。あまりに長い待機は人の心を放下に向かわせますが、キティちゃんの心はむしろ鬱積で内圧が高まるばかりだったのです。