人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

新☆戦場のミッフィーちゃんと仲間たち(52)

 しかし精神年齢面ではるかにパインクレスト・キッズより成熟したスヌーピーから見ると、まず連中には貴婦人というものがいない。庶民のガキどもですから仕方のないことですが、素質としてはかろうじてマーシー(スヌーピーはつきあいの良いマーシーについては点が甘いのです)くらいのもので、貴婦人としてのルーシーなどを想像するとへそが茶を沸かします。ですがサドル泥棒とは特定の女性の婦人用自転車サドルを狙うのではないのですから、痴漢や覗き見のような色情狂的行為と見做す方が自然でしょう。ならば彼らのうちに色気に満ちた女の子がいなければサドル泥棒が発生しない、とは言い切れません。
 ですがスヌーピーから見ると、チャーリーたちには永遠に第二次性徴期などやってこないのではないかと思われてならないのでした。なるほどルーシーはシュローダーにぞっこんですし、チャーリーやライナスもシーズンの行事ごとにロマンスが芽生えそうになってはしくじっています。ですがあれは、ついこないだ知りあったばかりの日本人の幼稚園児たちがやっているようなリアルおままごとなのではないか。そうした環境からは、理解はできないが全世界的に普遍的な現象らしい婦人用自転車のサドル窃盗という現実を認識すらできないのではないか。つまり死という概念のない世界では誰も他人の死を認識できず、自分の死を想像することもできませんが、それと同じなのではないか。
 スヌーピーは愚鈍について考えをめぐらしました。愚鈍、それは知性や理解力、理性や機転、または判断力の欠如を指すものでしょう。それは先天的だったり、擬態であったり、状況に反応して起こったりするものだったりします。そしてそれは、悲しみや精神的外傷などの状況に対する反応として自分を防御するものでもあるのです。この場合、愚鈍は無垢(イノセンティ)と呼び替えることもできそうです。それがパインクレスト小学校の子どもたちにとっての無垢に他ならないでしょう。
 その頃パインクレスト町のブラウン理髪店では、チャーリーのお父さんがお客さんのひげを剃っていました。お父さんの名前もチャーリーでしたから(つまりチャーリーはジュニアで、お父さんはシニアです)、お客さんにはチャーリー・ザ・バーバーと呼ばれるチャーリー・シニアは、入念にボウルに泡立てたしゃぼんをお客さんの顔面に塗ると、よく研いだ剃刀を手慣れた手つきで斜めに当てました。