人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Simon Finn - Pass the Distance (Mushroom, 1971)

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Simon Finn - Pass the Distance (Mushroom, 1971) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PLF-92rCh83Ep2RK6dsJhXrHdeNnU4Y76B
Recorded 1970
Released Mushroom 100 MR 2, 1st April 1971
Reissued Durtro/Jnana records 1970CD, Canada, 2004
All Songs written by Simon Finn.
(Side A)
A1. Very Close Friend 1:19
A2. The Courtyard 5:43
A3. What a Day 3:16
A4. Fades (Pass the Distance) 3:39
A5. Jerusalem 6:44
(Side B)
B1. Where's Your Master Gone 3:13
B2. Laughing 'Til Tomorrow 2:54
B3. Hiawatha 4:58
B4. Patrice 2:49
B5. Big White Car 5:48
(Bonus Tracks)
01. Children's Eyes - 4:36
02. Good Morning - 3:00
03. Butterfly - 3:27
04. Colonel Bleep - 3:04
[ Personnel ]
Simon Finn - vocals, guitar, percussion, writer
David Toop - lead guitar, steel guitar, mandolin, electric bass, flute, piano, harmonium, violin, percussion, cover art
Paul Burwell - drums, tabla, percussion, dulcimer
Vic Keary - producer, engineer
Marie Yates - photography
Kenny Elliott - organ
Rob Bucklin - recorder
 
 恐ろしい裏ジャケット(後掲)もご覧の上で、1曲目だけでもぜひ聴いていただきたい。一応曲らしく始まるが、1分30秒でモニャモニャと終わってしまう。何と大胆な、しかも意味不明な。これが発売から30年あまり超幻の廃盤アルバムのオープナー(巻頭曲)なのだ。
 ヴァシュティ・バニヤン(1945~)のデビュー作、かつ唯一のアルバムだった『ジャスト・アナザー・パーフェクト・デイ』1970も80年代にはすでに幻の名盤とされていたにもかかわらず再発売は2000年になった。バニヤンは2005年に35年ぶりの第2作を発表し、今年も来日公演を行うが、サイモン・フィン(1951~)の唯一作だった『パス・ザ・ディスタンス』1971も80年代末にはアナログ・ブート(盤起こし音源・ジャケット複写)でレプリカLPが売買されていた。マイナー・レーベルのマッシュルームなので正規のライセンスを取得した正式再発盤がリリースされる可能性があるのかさえもわからない。ヴァシュティ・バニヤンにせよサイモン・フィンにせよ、リスナーの需要がまだ熟していなかったのが最大の原因だった。
 バニヤンのデビュー作が30年を経て再発されるやすぐに古典的名作と再評価が定まったのと同様、サイモン・フィンのアルバムは2004年にようやく正式再発され、これもたちまちそれまでマニアの間で語り継がれてきた以上の好評を博し、フィン自身もバニヤン同様現役ミュージシャンに返り咲いた。というより、バニヤンもフィンもかつてはプロ・デビューに失敗した人だったから30年あまり音楽活動から離れていたのだが、1970年には成功できなかった同じアルバムが2000年代のリスナーには時代を超えた名作と認められた、ということになる。以降35年ぶりの新作アルバムを皮切りに、再び活発な音楽活動を行って好評を得ている。

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 (Original "Pass the Distance" LP Liner Cover)
 このデビュー作を出した新興インディーズのマッシュルームではサイモン・フィンのこのアルバムはカタログNo.では2番で、他にマッシュルームで今でも聴かれているアーティストには、女性ヴォーカルのインド音楽風フォーク・バンドのマジック・カーペット、強烈な変態プログレッシヴ・ロックのセカンド・ハンド(第2作『Death May be Your Santa Clause』は同時代のバンドでも群を抜いた実験性で有名)が知られるが、フリーランスのプロデューサー二人がアシッド・フォークとロックのレーベルとして立ち上げただけにマスターテープの保管はきちんとしていたから、80年代に再評価されるとマジック・カーペットやセカンド・ハンドはすぐに正式再発された。だがサイモン・フィンは70年代初頭にはニューヨークに移住してカラテ教室を開講してカラテ中心生活をしており、その後はカナダ各地を転々としてモントリオールに落ち着いていたという。そこにデイヴィッド・トゥープがようやく人づてにフィンの所在地を知って、手紙を送ってきた。
 と、再発盤CDのブックレットにフィン自身が寄稿している。ちなみにフィンがロンドンのフォーク界で活動を始めたのは1967年(16歳)、初ステージはすでにアンダーグラウンドのスターだったアル・スチュワートの前座だったという。サイモン・フィンがアル・スチュワートの前座など、本人の証言がないと想像もつかない。とにかく1970年になってマッシュルーム・レーベルが設立されることになり、実態は自主制作盤規模のレーベルであり低コストの自社制作の分、廉価盤に近い価格でアルバムをリリースするのが売りだったという。真っ先にサイモン・フィンに話が持ち込まれた。

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 (Original "Pass the Distance" LP Side A Label)
 ここまではサイモン・フィン自身の寄稿分で、次はアルバムの実質的音楽プロデュースを勤めたデイヴィッド・トゥープによるエッセイがあり、さらにマッシュルーム・レーベル主宰者のヴィック・ケアリーの回想があり、サイモン・フィン(とデイヴィッド・トゥープ)から影響を受けたミュージシャン代表としてデイヴィッド・ティベット(カレント93)による批評で締めくくられる。ブックレット巻頭には収録曲の全歌詞がフィン自身の監修で掲載されている。ボーナス・トラック1、2は未発売に終わったシングル曲AB面、3、4はアルバム未収録曲ときれいにまとめられており、CD再発の鑑と言える丁寧な復刻になっている。
 デイヴィッド・トゥープがサイモン・フィンに手紙を送って来たのはもちろん『パス・ザ・ディスタンス』の正式CD再発の打診だが、Durtro/Jnana recordsはカナダのレーベル、しかもCD番号が1970CDとなると、わざわざ『パス・ザ・ディスタンス』再発のために設立したレーベルなのではないかと思われる。フィン自身だけではなく多数の人の出資を仰いだらしく、フィン寄稿のエッセイの後半は延々支援者への感謝が述べられている。1970年にも2004年にも変わりないインディーズ精神が一貫しているのには、軽々しく「サブカル」と言われるようなものとは次元の違う文化の厚みを感じる。それが30年以上を超えてフィンとトゥープ、ケアリーを再会させ、一回り世代の若いティベットにも受け継がれているということだろう。

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 (Original "Pass the Distance" LP Side B Label)
 デイヴィッド・トゥープは後にフライング・リザーズの中心人物にもなり、ブライアン・イーノとの親交でも知られ、「音響派」の最重要ミュージシャンとされる人だが、音楽活動の初期にはアシッド・フォークのサイモン・フィンの相棒だった、という意外性がある。『パス・ザ・ディスタンス』の影の主役はシンガー・ソングライターのフィンではなく、明らかに尋常ではないサウンドを凝りに凝って作り込んだトゥープであり、楽器やサウンド・エフェクトの遠近法からしても絶対に普通の音楽では終わらせない強烈な意志がある。表ジャケットと裏ジャケットを交互に見ると病気が感染りそうなアートワークもデイヴィッド・トゥープによるオリジナル・イラストレーションで、トゥープにとってはフィンの作品なのはもちろんだが、自分の作品という自負もあるだろう。
 トゥープのエッセイは、このアルバムが発売された時に「椅子に縛りつけられでもしなければ2度とは聴くまい」と書いた批評家がいたが、そんな『時計じかけのオレンジ』みたいなことをするつもりはないけれど自分の初期の音楽キャリアでこのアルバムの制作は特別なものだった、と詳細に回想し、自己分析している。だがトゥープ自身は非常に方法的で自意識的なミュージシャンであって、たとえばオーネット・コールマンの手法を意識してアレンジしたりしたけれど、それがサイモン・フィンという方法論を意識しないシンガー・ソングライターと上手くかみ合ったのがこのアルバムで、その面白さはやはり発売当時には理解されるには難しかったのではないか、と回顧している。マッシュルーム・レーベル主宰者ヴィック・ケアリーの回想も、マッシュルームというレーベルの特殊な運営形態もあって、やはり即座に商業的成功をおさめたアーティストはなく、しかしほとんどのアルバムが現在でもCD再発されて聴かれており、サイモン・フィンのアルバムもようやくCD再発にこぎ着けた事情を語る。デイヴィッド・ティベットはこのCD再発がされる前、1995年頃からのフィンとの交友とフィンの音楽活動再開を報告している。

 この『パス・ザ・ディスタンス』1971が属するような音楽は広義のサイケデリック・ロックでも「アシッド・フォーク」「サイコ・フォーク」と呼ばれるような分野で、イギリスで代表的なアルバムというとシド・バレット(元ピンク・フロイド)の『帽子が笑う…不気味に』1969、ニック・ドレイクの『ファイヴ・リーヴス・レフト』1969が双璧になる。だがやはり始まりはアメリカの方が早く、1967年にはパールズ・ビフォー・スワイン『ワン・ネーション・アンダーグラウンド』やティム・バックリィ『グッドバイ・アンド・ハロー』、1968年にはアレクサンダー・スペンス『Oar』やカレイドスコープ『ビーコン・フロム・マーズ』、フェイン・ジェイド『イントロスペクション』、1969年にはメイヨ・トンプソン『コーキーズ・デビュー・トゥ・ヒズ・ファーザー』やマッド・リヴァー『パラダイス・バー・アンド・グリル』などがあり、どれもアーティスト(バンド)ごとに異なる個性はあるが、ことさら影響関係があるでもなくサイモン・フィンは同じ時代の空気を吸っていた、ということだろう。上記アルバムから必殺のカルト・アルバム2枚を選ぶならアレクサンダー・スペンスとメイヨ・トンプソンという定評があり、『Oar』などはアルバム全曲をオムニバス・カヴァーしたトリビュート・アルバムまであるが(ロバート・プラント参加!)、『パス・ザ・ディスタンス』がシド・バレットニック・ドレイク、アレクサンダー・スペンスやメイヨ・トンプソンの怪作に劣るとも思えない。
 多少気になるのは、あまりに稀少なオリジナル盤は当然聴いていないので、盤起こしのアナログ・ブート再発と比較して再発盤CDは音が良すぎる。常識的に考えてオリジナル・アナログ盤はもっと柔らかい音だったのではないかと思えるのだ。現代的に分離がくっきりした、硬質で鋭角的な音にリマスタリングしているように聴こえて、聴きごたえはあるが聴き疲れもする音になっている。それでも何だかよくわからないイントロから平歌に移り、半コーラス16小節、1分半で終わってしまうA1などを聴くと、何を考えて作ったアルバムなのか虚を突かれる、そんなサウンドに満ちたアルバムで、椅子に縛りつけられでもしなければ2度と聴けないような音楽だからこそ、このアルバムは聴かれ続けていくのだろう。