人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Moby Grape - Moby Grape (Columbia, 1967) その2

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Moby Grape - Moby Grape (Columbia, 1969) Track-by-Tracks Full Album: https://www.youtube.com/playlist?list=PL8a8cutYP7fojSii4F-ymNdTbmJBNylNu
Originally Recorded at CBS, Hollywood, CA; March 11 to April 25, 1967
Originally Released; Columbia CS9498, June 6, 1967
(Side 1)
1. Hey Grandma (Jerry Miller, Don Stevenson) - 2:43
2. Mr. Blues (Bob Mosley) - 1:58
3. Fall on You (Peter Lewis) - 1:53
4. 8:05 (Miller, Stevenson) - 2:17
5. Come in the Morning (B.Mosley) - 2:20
6. Omaha (Skip Spence) - 2:19
7. Naked, If I Want To (J.Miller) - 0:55
(Side 2)
1. Someday (Miller, Stevenson, Spence) - 2:41
2. Ain't No Use (Miller, Stevenson) - 1:37
3. Sitting by the Window (P.Lewis) - 2:44
4. Changes (Miller, Stevenson) - 3:21
5. Lazy Me (B.Mosley) - 1:45
6. Indifference (S.Spence) - 4:14
[ Personnel ]
Peter Lewis - rhythm guitar, vocals
Bob Mosley - bass, vocals
Jerry Miller - lead guitar, vocals
Skip Spence - rhythm guitar, vocals
Don Stevenson - drums, vocals

 オリジナル・モビー・グレイプの衰亡史は前回書いた。そもそもデビュー作『Moby Grape』からして1967年6月7日に鳴り物入りで発売され、かえってジャーナリズムからの反感を買うことになった。ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が6月2日にアメリカ発売され(イギリスでは1日)、ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンを一躍スターにしたロック初の大規模野外フェスティバル「Monterey International Pop Festival』の開催が6月16日~18日(モビー・グレイプも出演)だった。アメリカの1967年の夏は「Summer of Love」と呼ばれる音楽を旗印にした青年文化の革新があったのだが、モビー・グレイプは商業的な便乗と見做されたのだった。デビュー作と同日にはアルバムからのシングル・カットも発売されたのだが、これが度肝を抜くものだった。シングル・カット曲は次のようになる。
『Fall on You』c/w『Changes』
『Sitting By the Window』c/w『Indifference』 (2:46 edit)
『8:05』c/w『Mister Blues』
『Omaha』c/w『Someday』
『Hey Grandma』c/w『Come in the Morning』
 この5枚、AB面で10曲が一度にアルバム発売と同日発売された。アルバムは13曲入りだから『Naked, If I Want To』『Ain't No Use』『Lazy Me』の3曲以外は全部シングルにされたことになる。知った順序は逆になるが、エレクトリック・ライト・オーケストラが『ディスカヴァリー』1979発売時、全曲シングル・カット宣言していたのを連想させる。ただしELOは慎重に間を空けて全9曲中8曲のシングル・カットに成功したが、先行シングルでもなしに、デビュー作と5枚のシングル同日発売は無理が過ぎる。実際チャートインしたのはアルバムの白眉といえるロック・ナンバー 『Omaha』(88位)と『Hey Grandma』(100位圏外)の2曲だけだったが、これらの曲はすぐにイギリスの若手バンドがカヴァー・ヴァージョンを録音する(前者はロバート・プラント在籍のバンド・オブ・ジョイ、後者はELOの前身ムーヴなど)。モビー・グレイプのデビュー作はバッファロー・スプリングフィールド同様、むしろイギリスで好評だった。ザ・バーズ英米ともにビートルズストーンズボブ・ディランビーチ・ボーイズに次ぐトップ・バンドだったが、ラヴ、バッファロー、グレイプらはイギリスではバーズを継ぐ実力派とただちに評価されたのに、アメリカ本国ではバーズの亜流のように見做された。

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 (Original Columbia "Wow" LP Front Cover)
 しかもモビー・グレイプはデビュー早々スキャンダルに巻き込まれてしまう。アルバム発売日前夜祭が当時最先端のクラブ、アヴァロン・ボールルーム(のちのフィルモア・ウェスト)を借り切っておこなわれ、賓客全員にシングル5枚とバンドの宣伝資料一式、さらに700本の特製ラベルつきワインが配られた。ところがコルク抜きが用意されておらずオープニングの乾杯から大混乱になる。そしてグレイプのライヴがあり、翌朝に会場の近辺でギターの3人が未成年少女3人とつるんでいる現場を警察が未成年の非行加担容疑で逮捕し、さらに麻薬所持容疑まで加わった。これはとりあえず不起訴で終わったが、アルバム・プロモーションのための続く全国ツアーでも、バンドは各地で同様のスキャンダルを起こして回った。アルバム発売後になってから、ジャケット写真で洗濯板を持つスティーヴンソンの中指や、スペンスの背後に掲げられた星条旗がコロンビア社内で問題になって、中指はどうしようもなかったが星条旗はエアブラシ処理された。
 67年8月からバンドはセカンド・アルバムの制作に入り始め、アルバムの半数ほどの曲がオリジナル・アレンジ・ヴァージョンで『ヴィンテージ』に収められている。セカンド・アルバム『Wow』はインパクトのあるジャケットで(ダリの模倣だが)、モズリーの『Bitter Wind』はリー・マイケルズやスリー・ドッグ・ナイト、クリッシー・ハインドのカヴァーも生んだ名曲だが、オリジナル・アレンジでは簡素なアコースティック・ロックなのに『Wow』ではエレクトリック・ギターとストリングスがオーヴァーダビングされ、バラード曲へと印象を変えている。『Wow』の録音は67年8月~68年2月と長期に渡り、68年4月発売が決定されて急遽ボーナス・ディスク『グレイプ・ジャム』がカップリングされることになり、ニューヨークで68年1月~2月に録音されたが、ここでスペンスが幻覚と妄想からホテル備えつけの消防用の斧でミラーとスティーヴンソンの相部屋のドアを破壊する、という事件を起こした。スペンスはただちにロサンゼルスに帰され、カリフォルニア随一の精神科で薬物依存症治療で定評あるベルヴュー治療院に入院することになり、68年12月まで病院でソロ・アルバムのための曲作りをし、退院後すぐにレコーディングした。それが伝説的アルバム『Oar』1969で、スペンスがグレイプに復帰するのは71年の再結成以後になるが、五指に満たない散発的な再結成アルバムでオリジナル・メンバー5人が揃ったアルバムは1枚もない。スペンス抜きの4人まで揃ったアルバムは2枚あるが、スペンス参加作だと他の4人が揃わない。だがそれは、『Oar』をご紹介する時に詳しく述べる。

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 (Original Columbia "Moby Grape" LP Liner Cover)
 完成前に実質的にリーダーだった(普通の意味でのリーダーではなく、メンバー中もっとも妥協のない個性だった)スペンスが脱落したことで、バンドの集中力は一気に落ちた。そこで『Wow』はプロデューサーのデイヴィッド・ルービンソンがオーヴァーダビングや演奏の差し替えを行うことで何とか一貫性のあるアルバムになり、チャートもデビュー作の24位から20位に上がる健闘を見せたが、デビュー作はバンドがほとんどプロデューサーの手を借りず一気呵成に作り上げたものだった。ドアーズで言えばデビュー作(67年)と『ソフト・パレード』1969ほどの差がある。ドアーズは第4作だがモビー・グレイプは第2作で早くも分解しかけていた。逆に言えばそれほど脆いバンドだったにもかかわらず、デビュー作はロック史上最強のファースト・アルバムに上げられるもので、『Wow』以降のアルバムにも佳曲はあるにしても、『Moby Grape』ほど全曲が輝かしいアルバムはモビー・グレイプ自身にもなく、それこそビートルズのアルバム以外に比肩し得るものを思いつかない。プロモーション的には問題があったにせよ、全曲がシングル・カットに耐え得る。グレイプのベスト・アルバムはデビュー作の曲を外して『Wow』以降の代表曲を加えてあるわけだが、デビュー作からは1曲も落とす必要がないからベスト・アルバムよりデビュー作をまるごと聴いた方がいい。
 リード・ヴォーカルは主に曲の作者がとるが、作者名別に見るとピーター・ルイス(ギター)が『Fall on You』と『Sitting by the Window』、ボブ・モズリー(ベース)が『Mr.Blues』『Come in the Morning』『Lazy Me』、ジェリー・ミラー(リード・ギター)が単独で『Naked, If I Want To』、ドン・スティーヴンソン(ドラムス)がミラーと共作で『Hey Grandma』『8:05』『Ain't No Use』『Changes』、ミラーとスティーヴンソンにスキップ・スペンス(ギター)の3人共作で『Someday』、そしてスペンス単独で『Omaha』『Indifference』となる。ヴォーカル・ハーモニーは複雑で、1曲の中で何度もリード・ヴォーカルが交替する手法も使われており、まだ結成3か月後に制作に着手されたバンドとは思えないほどアレンジが練れている。しかもミラーとスティーヴンソンが同じバンド出身という以外は全員がばらばらで、仲間意識も信頼関係も団結心もまったくない(スペンス脱退後、サード・アルバム録音中にようやく固まったそうだが)、およそ良いアルバムなど作れるはずがない条件にあった速成バンドがこれだけの傑作を作り上げたのだ。

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 (Original Columbia "Moby Grape" LP Side 1 Label)
 楽曲を作者別に見てみると、どのメンバーも優れた曲を書いていることがわかる。スペンスの次にソロ・アルバムを出したのは71年の再結成グレイプには参加しなかったモズリーだが、曲といいリード・ヴォーカルといい一番ソロでも有望な才能だったのがわかる。ミラー&スティーヴンソン、ルイスも良い曲を書き、『Hey Grandma』などドゥービー・ブラザース、イーグルスら70年代ウェストコースト・ロックの夜明けみたいな曲だが(ドゥービーのデビューは実際グレイプの後押しがあった)、ソロ・アーティストではなくバンドマンの曲だな、という感じもして、グレイプはその実現には理想的なグループだった。ミラーはリード・ギターも光るし、ルイスとスペンスの2リズム・ギターの切れ味は当時にあっては卓越したものなのは他のバンドと聴き較べるほどにわかる。そして問題のアレクサンダー・"スキップ" スペンス(1946~1999)、当時20歳だがこの老け顔は本当に病人で、薬物依存症による発症だったらしいが再結成グレイプにも『20 Granite Creek』(Reprise, 1971)と『Live Grape』(Akarma, 1978)にしか参加していない。晩年20年間は入院とホームレス生活をくり返していたという。『Fine Wine』76にも『Moby Grape '84』『Legendary Grape』1989にも参加していない。
 スペンスの『Omaha』と『Indifference』はこのアルバムの真のクライマックスで、どちらも複数のギターと複雑なヴォーカル・コーラスが渦を巻くようなジェットコースター的ビート・ナンバーになっている。グレイプと同時代のロックはインストルメンタルを重視すると必然のように長尺化していったが、グレイプは2分20秒の『Omaha』、4分20秒の『Indifference』でLP片面分に匹敵する熱狂を作り上げた。ローリング・ストーン誌は2003年の特集号で『Moby Grape』を名盤500選の121位に選出したが、2008年の「偉大なギター・ロック曲ベスト100」では95位に『Omaha』を選出している。『Omaha』や『Indifference』は普通の楽曲形式を想定した作曲法では出てこないような曲だろう。スペンスはサウンドそのものが具体的に「見えた」状態でバンドに指示を出し、『Omaha』や『Indifference』を作り上げていったと思われる。これは総譜なりコード譜なりチャート譜(メタリカのドキュメンタリーで見た。メタリカのメンバーは譜面が読めないのでリフA×6、リフB×2という調子のチャートを書いた黒板を見ながらリハーサルする)からも出てこない。次回はサウンドが「見えて」しまう男、アレクサンダー・スペンス唯一のソロ・アルバム『Oar』をご紹介する。

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 (Original Columbia "Oar" LP Front Cover)