The Giuseppi Logan Quartet (ESP, 1965) : https://www.youtube.com/playlist?list=PL-8A6JyMZIrQmc_P1XW394LVqE0enISdR
Recorded at Bell Sound Studios, New York, 5 October, 1964
Released; ESP Disc ESP 1007, 1965
All Compositions by Giuseppi Logan
(Side A)
A1. Tabla Suite - 5:39
A2. Dance Of Satan - 5:16
A3. Dialogue - 7:15
(Side B)
B1. Taneous - 11:47
B2. Bleecker Partita - 15:24
[ Personnel ]
Giuseppi Logan - tenor and alto saxophones, pakistani oboe, bass clarinet, flute
Don Pullen - piano
Eddie Gomez - bass
Milford Graves - drums
(Original ESP "The Giuseppi Logan Quartet" LP Side A Label)
アメリカのインディーズ・レーベルは弁護士がサイド・ビジネスで運営している場合が多いが、契約国家アメリカでは法に強いのが投資に強い実例とも言える。ESPは60年代アメリカを代表するフリージャズ・レーベルで、ESPは超能力ではなくESPERANTOの略。1964年の創設から1975年の活動停止までに新作50枚、発掘盤30枚、アシッド・ロック作品30枚を世に送り出した。弁護士バーナート・ストールマンの個人経営レーベルだが、契約金は音楽家組合規定の最低額、しかもレコーディング費用で相殺の上権利はレーベルが所有し、ギャラを受け取ったアーティストはほとんどおらず、ロックのファッグスが好セールスを上げた時ですら印税は3%だったという。ESPは創設初期から世界各国の主要ジャズ・ジャーナリズムにサンプル盤を提供し、アメリカではほとんど売れないインディーズだがイギリスへの輸出、日本、フランス、ドイツ、イタリア、スカンジナビア諸国の各国メジャー・レーベルからの海外盤リリース、とむしろ最新のジャズを伝える輸出商品として10年あまりの新作制作をしていた。アルバムは各国でロング・セラーを続けていたが(日本盤はジャズのみだが、イタリア盤やドイツ盤はロック作品もアナログ再発が入手しやすかった)、1992年にはジャズ作品50枚一挙CD化(追ってロック作品もCD化)されるとともに、新作のリリースも開始されて、現在までに60作近い。新作といっても新録音ではなく、ESPが集めていたビリー・ホリデイやバド・パウエルの発掘録音(もちろんすごい価値がある)、サン・ラ始め当時未発表に終わったアルバムやライヴ盤の増補完全版などだが、ESPというマイナー・インディーズひとつとってもアメリカの音楽遺産の埋蔵量には畏れいる。
ESPはレーベル創設以来、所属アーティストのコンサートを主催しながら『Albert Ayler/Spiritual Unity』(1964年7月録音)、『Byron Allen Trio』(同年9月録音)、そしてこの『The Giuseppi Logan Quartet』(同年10月録音)を制作、この3枚は限定300枚の非売品としてすべてプロモーション用に使われた。当然、ギャラは出なかっただろう。アメリカ本国ではこの3枚は21世紀にアメリカ盤の再発CDが出るまでずっと廃盤、というか、そもそも非売品いらい市販プレスがされなかった。皮肉なことに先述の通り、日本を始めとする諸外国ではプロモーションが功を奏してメジャー・レーベルから正式発売され、60年代フリージャズの古典として売れ続けた。当然アーティストには印税はまったく渡らなかったと思われる。そしてこの3枚は、ESPのジャズ作品では屈指の名作・佳作・怪作になるものだった。(後期ESPはヨーロッパのジャズマンのアルバム発売も積極的で、日本の高柳昌行もアルバム『APRIL IS THE CRUELLEST MONTH』1975をNEW DIRECTION UNIT名義で録音したがタイミング悪くESPが活動停止して未発売になった。現在では日本のJinya Discから発売されている。日本ではESP作品は主流ジャズにも劣らない好セールスを上げていた)。
(Original ESP "More Giuseppi Logan" LP Front Cover)
ESPの第1回リリース作品はどれもサックス奏者のアルバムだが、圧倒されんばかりの独創性と完成度を誇るアルバート・アイラー(テナー/1936~1970)・トリオ、オーネット・コールマンの推薦による録音というのもわかる小型オーネット風のバイロン・アレン(アルト/1940~)・トリオに較べ、ジュセッピ・ローガン(1935~)・カルテットのアルバムはよくわからない度では群を抜いていた。フリージャズとはいえアイラーの吹奏コントロール力のすごさは明らかで、アレンもオーネットがお手本ながらしっかりテクニックは身につけている。ローガンはといえば、そもそもまともにサックスが吹けるのかも怪しい上に、アルトとテナー両方使うばかりか、フルート、バス・クラリネット、パキスタン・オーボエなんてものまで吹くが、楽器が全然鳴っていない。音程も不安定で、リズム感も怪しいから適切なイントネーションでフレーズを吹けず、ますます楽器の鳴りが悪い。サックス学習者はみんなこれを通ってくることだが、普通この段階ではまだアルバム制作にはならない。それをローガンの場合はやってしまった。翌年の第2作『More』も大差ない(というより、第1作より曲が型にはまったフリージャズになった分、後退してしまう)。
ただしカルテットのピアノ、ベース、ドラムスの腕前は確かなものなので、なんとかさまになっている。実際ドン・プーレンは70年代にはチャールズ・ミンガス晩年の最後のレギュラー・ピアニスト、ミンガス没後の80年代には元ミンガス・バンドの同僚ジョージ・アダムス(テナー)と組んでアダムス=プーレン・カルテットとして主流ジャズの筆頭グループになった。ベースのエディ・ゴメスはビル・エヴァンスのレギュラー・ベーシストになり、トップ・ベーシストとして貢献度は質・期間ともに故スコット・ラファロを超えた。ドラムスのミルフォード・グレイヴスはフリージャズ屈指のマスター・ドラマーとして今日に至る。リーダーのローガン以外は全員大成したのだが、ローガンは次作『More』1966以外にはラズウェル・ラッド(トロンボーン)の『Everywhere』1966、パティ・ウォータースの『Collage Tour』1966にいずれもフルートで参加にとどまり、ほとんどゲスト参加の存在感がない。プレイはしているようだがあまりに下手で、全然フルートが鳴っていないのだ。それきりローガンの消息は消える。ESPはローガンの第3作の予告をしていたが中止になり、同じレコード番号はファッグスの新作に当てられた。それから2008年に公園でサックス練習しているローガンをジャズ・マニアが発見、恐る恐る本人確認するまで、ローガンは薬物依存で精神疾患になり入院したとか、その後は入院とホームレス生活のくり返しをしながら路上で演奏しているらしいとか40年近く伝説化していたのだが、ぜんぶ事実だったということがわかった。ローガン発見翌年、ニューアルバムのプロモーション用に撮られた短いドキュメントPVがある。
("The Giuseppi Logan Quintet" Tompkins Square, 2009)
Giuseppi Logan in Tompkins Square Park, July 2009 : https://youtu.be/r-eLFPneaMg
トムキンス・スクエア・パークというのが現在ローガンが入居しながら軽作業に従業している公立養老院の最寄りの公園でローガンの練習場所、そしてトムキンス・スクエアという地名から取ってローガンのためのインディーズ・レーベルが作られたのだった。現在までに別レーベルから、
『The Giuseppi Logan Project』(Mad King Edmund, 2011)
『... And They Were Cool』(Improvising Beings, 2013)
がリリースされている情報があるが、どちらも日本への輸入業者がないらしい。『The Giuseppi Logan Quintet』は45年ぶりの第3作、74歳のニュー・アルバムとして期待を裏切らない作品で、デビュー作ほど奇怪ではないが『More』より良い。若手メンバーがタイトな演奏で盛り上げる中、相変わらずヘロヘロなローガンという芸風はまったく変わっていなかった。だいたいローガンは写真もなくジャケットからも白人か黒人かわからなかったが、入退院をくり返すような薬物依存による精神疾患をほぼ30年(らしい)も患い、しかも退院中はホームレス生活だったわけで、よく楽器も手放さず、何より70代後半(今年80歳になる)まで生きていたものだ。発見したマニアも、どうもジュセッピ・ローガンみたいな演奏をしている、と音で勘づいたという。実はローガンに続いて伝説のベーシスト、ヘンリー・グライムズ(引退して死亡していると思われていた)がホテルマンになっているのを旅行中のジャズ・ジャーナリストが発見した(名札をつけていたので気づいた)、というのもローガン発見のすぐ後にあった。グライムスはローガン以上に知名度も高く実績もあるので、たちまち10枚以上のアルバムを連発し、来日公演も実現している。
(Textured cover ; The front slick is folded around the back sleeve and covers this a little more than half.)
渡辺貞夫(1933~/アルト)の半生の自伝『ぼく自身のためのジャズ』1969では1962年からのアメリカ留学体験が詳しく語られているが、レコードではなくライヴ、それも対等にミュージシャンとしての競演して人間的印象も込みなものなので面白いのだが、留学そうそうジュセッピ・ローガンが歓迎してくれて部屋に招いてくれて練習を聴かせてくれた、フレーズは速いがただ速いだけという感じを受けた、とにべもない。エリック・ドルフィーは驚くくらいでかい生音で溢れるような演奏で人柄も良かった。ソニー・ロリンズがプリンス・ラシャと組んだのを聴いたがひどいアルトであれならすぐぼくを雇った方がいい、という調子だが、お聴きの通り『The Giuseppi Logan Quartet』は全然流暢でも何でもない。いわゆるドシャメシャの定型リズムのない無調のフリージャズはB1くらいしかなくて、あとはリズムパターンも調性もある(いんちき中近東ジャズのA1ですらある)。メンバーの腕前に助けられた面が大きいが、ローガンの作曲はかなりのもので、A2とB2はともにAA'BB'形式の作品だがこの2曲は名曲、A3はリズム・ブレイクを使ったABAB'形式の曲で、ややオーネット的だが佳曲だろう。A2とB2は甲乙つけがたいが、ローガン自身のカルテットがこのアレンジでなければ決まらない面も大きい。A2はローガンがフルートで参加したラズウェル・ラッドのアルバムでも取り上げられている。そちらも悪くないが、やはりローガンの下手糞なアルトがよれよれのテーマを吹くオリジナル・ヴァージョンにかなわない。
ローガンのオリジナル曲はメロディとコードが同時に動くようなテーマ作曲がされており、まるでトッド・ラングレンやスティーリー・ダンのようなティンパン・アレイ系ハイブリッド版ポップスのようだが、フリージャズでも特異なものだった。フリージャズ自体が特定のサウンド・スタイルを持たず、スタイル自体を目的化しないことがフリージャズの基本的姿勢でもあるのだが、個々のアーティストはお手本なしに自分自身のスタイルを打ち出さなければならない課題がある。このアルバムはいろいろな点で出来そこないなのは否定できず、演奏上の欠陥はすべてジュセッピ・ローガンから発しており(ローガンの演奏ミスを素早く他のメンバーが音楽的にフォローしている場面も多い)、あらゆる尺度でとても名盤とは呼べないものではあるのだが、このアルバムにしかない完全なムードがある。このアルバムは1965年にも変だったし、2015年にも変なままでいる。これはある意味、たいへんなことではないか。