人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Can - Soest, 1970, Winter Mixed Media Show

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 (Original United Artists U.K. "Tago Mago" Front Cover)
Can - Soest, 1970, Winter Mixed Media Show : https://youtu.be/3aJnsV8F2oY
Can From the Rockpalast Archive, Mixed Media Show, Soest, Germany, 1970, Winter
All written and composed by Can.
(Track Listing)
0. Intro - 0:00:00
1. Sense All of Mine - 0:04:50
2. Oh Yeah - 0:23:20
3. I Feel Allright - 0:36:43
4. Mother Sky - 0:43:09
5. Deadlock - 0:48:17
6. Bring Me Coffee or Tea - 1:08:28
7. Don't Turn the Light On, Leave Me Alone - 1:13:35
8. Paperhouse - 1:24:30
[ Personnel ]
Holger Czukay - bass
Irmin Schmidt - keyboards
Michael Karoli - guitar
Jaki Liebezeit - drums
Kenji "Damo" Suzuki - vocals

 アルバム『Tago Mago』の制作が1970年11月~1971年2月だから、このテレビ番組「Rockpalast」収録のコンサートはまさにアルバム制作中に企画・撮影されたことになる。『Tago Mago』は1971年2月に完成されて同月発売されているが、他のバンドなら異例なことでもマスターテープやジャケット原版までバンドが完パケで制作していたカンなら(ひょっとしたら初回プレスのカッティングまでバンドが行ったかもしれない)、完成即発売というより、発売月まで手を入れていたということかもしれない。ここまでアーティスト側がアルバム制作を自主管理していた例は、もっと小さい規模で1980年代のポスト・パンク以降に散発的に行われたに過ぎなかった。7作目で英ヴァージンに移籍後は多少レーベルとの調整が入ったが、1979年の12作目『Can』を最後に解散するまで、また1981年の発掘盤『Delay 1968』や1作限りの再結成アルバム『Rite Time』1989まで、カンのアルバムはすべてバンドによる自主制作マスターが音源だった。中心メンバー3人がすでに30代のプロ・ミュージシャンだったとはいえ、原盤をバンドが自主制作することで音楽的自由と原盤権の保有、高い印税率を確保する、という発想は商業ロックやインディーズでも10年は先を行っていた。
 ユナイテッド・アーティスツ(リバティ)からアルバム発売されていた初期6作のカンは、友人の古城主の画家から無償でバンド専用スタジオを設置させてもらい、民生用機材でバンド自身によるエンジニアリングとエディティング、ミキシング、マスタリングを行っていた。テープ編集はシュトックハウゼン門下生のホルガーが専門家だった。『Soon Over Babaluma』まではすべて2トラックのオープンリール・デッキで録音されたというのも驚く。7作目『Landed』はイギリスのヴァージンに移籍することになり、バンドは世界市場を意識して16トラックのデッキに買い替えた。ヴァージンから3作(さらに6作目までの2LPアウトテイク集)、ハーヴェストから2作を発表してカンは解散する。だが解散から2年して、カンとメンバーの全アルバムをリリースするためにカンのマネジメント担当のイルミン夫人ヒルデガルドがスプーン・レーベルを設立、ユナイテッド・アーティスツ時代のアルバムはすぐにスプーン盤で再発売され、発掘盤『Delay 1968』も話題を呼ぶ。ヴァージン~ハーヴェストは原盤権をバンドとレーベルが共有していたようで、多少遅れたが現在はカンの全アルバムが容易に入手できる。また、『The Peel Sessions』(これだけはStrange Fruitから、1995) ,『Can Box』1999,『Can Live』1999,『Can DVD』2004,『Tago Mago 40th Anniversary Edition』2011,『The Lost Tapes』2012など未発表映像・発掘音源のリリースもあり、カン再評価の波に乗って発表のたびに話題を集めている。

 なんでこんな回りくどい書き方かというと、スプーン・レーベルから正式発売されていないレア音源や映像が内容も素晴らしいが最高音質・最高画質でまだまだ多く残されており、『Can Live』よりも良い内容の正規の放送用ライヴ録音が少なくとも9枚ある。『Can DVD』は伝説的な長編ドキュメンタリーを収録しているが(カラーだし)、ライヴとしてはこの『Soest, 1970, Winter Mixed Media Show』がB/Wながら画質・アングル・編集も良く、選曲・演奏ともに数等優れる。テレビ収録用のコンサートか普段のコンサートを収録したものかわからないが、『Tago Mago』制作真っ最中のバンドのクリエイティヴィティがライヴ・パフォーマンスにも反映している。20歳のダモ鈴木の存在感もすごい。日本ではカンはヴァージン時代から本格的に認知されたように記憶しているが、ダモ鈴木時代はなんだかカンの恥ずかしい過去、という風潮があった。鈴木慶一氏がホルガー・シューカイの『ペルシアン・ラヴ』をラジオでオン・エアした際に、「カンといえばダモ鈴木、イヤなヤツでしたね」と実感のこもった証言をしていたのを覚えているが、両者はほぼ同年輩だろう。ダモ鈴木が日本のロック・ミュージシャンに傲慢な態度で面識していたとしても、これだけのライヴ・パフォーマンスを映像で観せられては納得しないではいられない。
 それほど『Soest, 1970, Winter Mixed Media Show』のダモは強烈なロック・ヴォーカリストで、1970年といえば9月にジミ・ヘンドリックスが、10月にジャニス・ジョプリンが亡くなっている。ジム・モリソンの急死が71年7月なのを思い合わせても、カン、そしてダモ鈴木は彼らに一歩も譲らず、しかもさらにカン自体が創造力を高めている時期だった。ジミ、ジャニス、モリソンらを引き合いに出したのは実際彼らアメリカの60年代末のロックの尖鋭性を引き継いだのは英米の70年代ミュージシャンよりもKrautrock勢だと言える面があり、カンやアモン・デュールIIはある意味本場アメリカから登場する可能性はないアナクロニズムのバンドだった。ほとんど軌を一にしたアナクロニズムが同時代の日本のロックにもあったことが90年代以降再発見され、ジュリアン・コープの『Krautrock Sampler』『Japrock Sampler』などの独・日ロック研究も生まれている。カンのヴァージン移籍後のアルバムが現在評価が低いのは、6作目まであったアナクロニズムの強みからコンテンポラリーな工夫にバンドの姿勢が変化したからとも思える。

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 (Original United Artists U.K. "Tago Mago" Liner Cover)
 カンの発掘音源・映像への需要も再評価とともに高まったが、先に言及した『Can Box』に収録されたドキュメンタリー『Free Concert』1972はインディーズ・フィルムだったからスプーン・レーベルからのボックスへの収録も容易だったのだろう。英BBC放送用ライヴ『The Peel Sessions』1995(1CD)はBBC直営レーベル、Strange Fruitからのリリースで全曲未発表曲になり、73年2月(1曲)、74年1月(1曲)、74年10月(2曲)、75年5月(2曲)を収録しており、ダモ在籍時の録音は73年2月の1曲のみで、18分弱もあるのだからこの1曲で元はとれたとも言えるのだが、おそらくカンの『The Peel Sessions』は完全版はこの2~3倍になると思われる。ダモ参加曲もフェイドアウトに終わっているが、流出版では42分間のテイクがある。これはBBCが版権を押さえているからスプーンで完全版の発売ができないものと思われ、他にラジオ放送音源ではダモ在籍時の71年のコンサート収録1種(73分)、72年と73年のスタジオ・ライヴ1種(74分)、73年に別のスタジオ・ライヴ1種(36分)、コンサート収録2種(92分・68分)、ダモ脱退後の74年のスタジオ・ライヴ1種(22分)、不明専任ヴォーカリストを迎えての76年のコンサート収録1種(43分)、77年にロスコー・ジー加入後のコンサート収録1種(75分)、さらにリーバップ加入後のコンサート収録1種(90分)があり、市販されているラジオ放送音源はこのうち『The Peel Sessions』収録分(列挙したものとは重ならない)と、77年の音源から1曲が『Can Live』に収録されているにすぎない。
 あとは『Tago Mago 40th Anniversary』のボーナス・ディスクのライヴで、
1. Mushroom - 8:42
2. Spoon - 29:55
3. Halleluhwah - 9:12
 と48分ある72分の絶頂期のライヴで、音質も演奏もいいが(原曲は4分の「Spoon」に30分もかけている。もっとも中盤は「Vitamin C」の原型、ラスト8分は素晴らしい出来の「Bring Me Coffee or Tea」になる)、実は『Free Concert』と同じ音源で、ぐっとありがたみは下がる。ダモ在籍時のライヴは、在籍末期になるが1973年のコンサート収録2種(4曲92分・5曲68分)の方が凄まじい。『The Lost Tapes』で3曲72~73年のライヴが聴けて出来もいいが、小出しにしないでフルアルバムにしてもらいたいところだ。『Prehistoric Future June 1968』も、前記しなかった(ラジオ放送用音源ではないため)初期~後期のスタジオ・アウトテイク、リハーサル、ライヴもCD4枚におよぶレアトラック集として流出しており、『Tago Mago』アウトテイク1曲36分(フェイドアウト)、『Ege Bamyasi』アウトテイク1曲37分(フェイドアウト)というとんでもない代物もある。73年の92分ライヴは未発表曲37分、あとはアルバム収録曲で9分、32分、14分と続くが原曲とはまるでアレンジが違う。ダモ鈴木在籍最後のライヴになったという68分のラジオ放送音源はコンサート中盤からになるようだが、全5曲未発表で、カンの一連の素晴らしいアルバムは実際はとんでもない埋蔵量のアイディアから選び抜かれ、磨きぬかれたものとわかる。

 ロックパラストはドイツ国営放送の名物テレビ番組で、71年に番組「ビート・クラブ」で1曲「Paperhouse」のスタジオ・ライヴを披露したカラー映像は各種オムニバスで商品化され、『Can Box』『Can DVD』にも収録されているが、ロックパラストの版権はスプーンが買えない状態なのだろう。先に公式盤未CD化のラジオ放送音源を列挙したが、版権がラジオ局にあるものはアーティスト側が出したくても版権を借りるか、買い取るかしなければ出せない。映像をご覧になればわかるが、B/W映像とはいえ画質は鮮明で照明も適切な加減になっており、最小限のマルチ・カメラでバンドの動きをていねいに追っており、1970年にして大型クラブ規模の会場にスクリーンを張ってライヴ映像を拡大映写している(Mixed Media Showと名銘っているのは、このライヴ映像映写システムが当時最新だったのだろう)おかげで非常にライヴの全貌が観やすい。放映されたのはダモ鈴木在籍最後の年、1973年らしいが、イギリスとフランスでも絶大な反響を呼んだというダモ鈴木在籍時のライヴ映像が、ほぼフル・コンサート(テレビ収録が前提だったなら、通常とはやや構成を変えたと思われる)で観られるのはこれしかない。インディーズらしくドキュメンタリーながらアート・フィルム風な映像処理がかえって邪魔な『Free Concert』より、普通のコンサート・フィルムとしてオーソドックスに撮影・制作された『Soest, 1970, Winter Mixed Media Show』の方がカンの魅力を伝えてくれる映像作品として優れる。音楽をサウンドトラックだけで聴くなら『Free Concert』は『Tago Mago』発表後~『Ege Bamyasi』制作準備中の時期のカンのライヴの演奏内容を伝えてくれるが、『Soest, 1970, Winter Mixed Media Show』はまさに『Soundtracks』発表後、『Tago Mago』制作中というダモ鈴木参加最初の年のカンで、『Soundtracks』から「Deadlock」「Mother Sky」「Don't Turn the Light On, Leave Me Alone」をやっている上、『Tago Mago』発売に先行して「Oh Yeah」「Paperhouse」「Bring Me Coffee or Tea」をやっており、発売済みの『Soundtracks』収録曲がアルバムと同程度か、「Mother Sky」のように半分の長さになったのに較べ、『Tago Mago』収録予定曲は3曲ともアルバム収録ヴァージョンより2倍以上長かったことがわかる。ことに「Oh Yeah」はかなり構成が異なっており、アルバム・ヴァージョンではキーの異なるテイクと合成して仕上げた制作過程が類推できる。
 また、その後もアルバムに未収録になった曲が、全8曲中で4分50秒の「Sense All of Mine」と13分23秒の「I Feel Allright」の2曲ある。全8曲中3曲は『Soundtracks』で発表済みだから、この時点で観客が未発表の新曲として聴いたのは5曲で、そのうち『Tago Mago』にもそれ以降のアルバムにも入らず捨てられたのが2曲で、確かに『Tago Mago』に入った曲と較べると単調さを免れず、これにアイディアを投入して質を高めるよりは別の曲をアイディアの器に選んだ方が良い、と考えたのもわかる。それは前述した数多くのライヴ放送音源やレアトラック集にも言えて(またバンド自身が『Unlimited Edition』1976,『Delay 1968』1981,『The Lost Tapes』2012といったアウトテイク集を出している。先にリリースされた物ほど良い)、次々と作っては使えるものを精選してきたのがカンのやり方だった。マルコム・ムーニーやダモ鈴木の在籍時には楽曲に注ぎ込むアイディアは無尽蔵なほど出てきたが、ダモ脱退後の初のアルバム『Soon Over Babaluma』ではアイディアというよりもコンセプトが楽曲に先行するようになってきた。ヴァージン移籍後から最終作までのカンはアルバム毎にコンセプトを設けるようになるが、それがダモ在籍時のカンからはどれだけバンドの性格を変えてしまったか、この初期ライヴ映像を観るとつくづく惜しまれもするし、かといってダモ鈴木在籍のままヴァージン移籍をなしとげたカンも想像できない。カンは時代にうまく乗ったバンドなのか、時代に流されたバンドなのか、その善し悪しも含めどちらとも言えない面がある。