最近何時に寝ても朝5時には目が醒めて、自宅療養生活をしている人間にはあまり早起きしてもすることがないわけです。洗濯機を回したり掃除機かけたりするのは早朝の安賃貸でははばかられるし、お店もコンビニくらいしか開いていない。CD流しながら読書するか作文するか、料理の仕込みでもするしかない(サンドイッチ、酢飯や五目ご飯、とん漬けや味つけ肉の下ごしらえやマリネ、漬け物一般、煮物、小鉢ものは自作してます)。いちばん手頃な時間つぶしがブログ用の作文で、計画的に1日1本載せる分はほぼ1か月先まで書き貯めていますが、これはたまに数日間1つの作文で行き詰まってしまうこともあるので、1日2本ペースで快調に書いている時もあれば1本に数日かかることもある。遅い=スランプではないとしても、数日で1本ペースが続くと先1か月分のストックではすぐ毎日の更新に追いついてしまいます。ですから書けるうちに書いておく。
しかし訪問看護の小池さんが言うには、このブログは用意周到に書きためて掲載している作文より思いつきで当日書いて載せている昼間の気楽な身辺雑記の方が面白いらしい。最近は全然ですが、以前はこのブログもそこそこちゃんとしたコメントが寄せられて、それもやはり気楽な遊びの作文の方を楽しんでいる、という感想が多かったのです。現在このブログでレギュラー記事にしているのはポピュラー音楽と創作おとぎ話ですが、そっちはそれなりに手間がかかり頭も使うとはいえ課題作文だから作業自体の労力しかない。でも身辺雑記的な遊びの作文だと毎回テーマ自体を探さなければならない。週に1回くらいしかできないのはそういうことです。もっとも、思い出話のシリーズなら本になるくらい続けられますが、かなりの話題をこの5年間のブログ、主に始めたばかりの頃に書いてきたから重複しますし。だいたいどういう背景があったかは文末にまとめました。
高校生の頃「ゴリオ爺さん」1835という、たがいに無関係なグループの登場人物が50人近く出てきて、全体では当時のフランス社会の多様な階層をトータルに描いて統一感もあるすごい小説でしたが、視点人物といえる18歳の学生が徹夜で試験勉強する決意をするけど眠ってしまう。すかさず作者が地の文で「せめて20代にならないと徹夜は無理である」と述べていて、そういうものかと思いました。確かに10代では徹夜は無理で、20代半ばにもなると無理がきくのは19世紀前半(作者バルザックは1799-1850)のフランス青年でも20世紀末の日本青年でも変わらなかったようです。
それにしても最新号の表紙は美麗で、特色で蛍光ピンクとシルヴァーを入れた6色製版だと思いますが、サイト画像ではこの色あいは再現不可能でしょう。キャラクター原案の蒼樹うめさんの描き下ろしイラストですからアニメの絵柄とはかなり違うし、アニメ本編の禍々しさがまったくない。これもキャラクター原案者だからこその自由な発想でしょう。
ちなみに新房監督・谷口総作画監督の対談も後半では、キャラクターデザインは基本設定からどれだけ崩して構わないものなのか、効果的なら思い切って離れたデフォルメも許されるのではないかという真面目なアニメ論になり、谷口作画監督の描いた会心の版権イラストが角川書店「月刊ニュータイプ」2012年10月号の表紙のいわゆる「アルティメットまどか」で、頭身は本来の設定よりだいぶ高いし、アルティメットまどかの髪は設定上「永遠に長い」(!)ということになっているけどアニメではどうしても表現が難しかったのがイラストでうまくできたとお気に入りだそうです。
永遠に長い髪!宇宙ですら有限なのに永遠の長さを誇る髪とはどうしたら表現可能か。なるほど、谷口作画監督の描き下ろし表紙イラストは見事で、この「まどか」の髪の長さを特定できる人はいないでしょう。
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前振りで触れた思い出話となると、ざっと経歴を振り返ってみるとわかりやすいのではないかと思います。たとえば雑誌ライター時代の思い出話を一時期連載しましたが、寄せられたコメントからすると世間のイメージと実際ではどうしてこんな、というくらい差がありました。単なる成り行きで学生時代のアルバイトから編集者として社員になり、ライターとして独立したので筆者の場合は先入観はまったくなかった。だからやっていけたのだとも思います。それは、現在に至るまでの履歴すべてについて言えることでもある気がします。
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・雑誌編集部アルバイトを経て編集者になり、雑誌フリーライター (主に青年誌)として独立(1990年・25歳~)。
・離婚歴1回。娘2人。離婚後1度も面会なし。娘2人の親権も一切別れた妻に託す。
・離婚時の妻の告訴により入獄経験あり(2007年5月~9月)。
・離職、家事育児専念ストレスにより鬱症状を発症(2005年頃)。やがて躁転し奇行が頻発(2006年後半~)。妻の希望で離婚を受諾(2007年5月)、以後独身。
・執行猶予判決によって出獄後(2007年9月)、就活ことごとく不採用。経済的困窮。生活保護申請するも3か月間保留・未決定。
・自律神経系の不調の自覚から心療内科を受診。即座に重度の鬱症状の診断、療養必須状態につき勤労困難とされ生保認定(2007年12月)。
・治療開始から約1年経過後に突然意識昏迷状態から緊急入院(2008年12月~2009年1月・初入院。1か月)。退院後リハビリのためにデイケアに通うが水に合わず躁転、デイケア通院中断するも重鬱に転換して絶食不眠になり、脱水症状と低血糖症状で寝たきりの危篤寸前で緊急入院、一命をとりとめる(2009年6月~9月・3か月入院)。漱石全集、カミュ全集2読3読。
・退院後クリスチャンに戻ろうと教会通いに30年ぶりに復帰、また近所の画廊で地元の芸術サークルと交流し、市内の精神疾患闘病者患者会にもしばしば通う。ところが教会での内紛に接して激しく幻滅し、爆発的に一時酒量が増える。正直に報告したところアルコール依存症の治療専門病院に3か月コースで学習入院するはめになる(2010年3月~5月)。デフォー「ロビンソン・クルーソー」、スウィフト「ガリヴァー旅行記」、マルカム・ラウリーのアル中小説「火山の下で」2読3読。
・退院後に入院中親しくなった7歳年下・高校の後輩にあたる2女の母の既婚女性が毎日訪ねてくるようになり、間もなく不倫恋愛の関係になる。断続的な関係ながら2010年5月~2011年4月の1年間続き、アルコール依存症も克服したが女性の方は退院後すぐ再発しており、不倫恋愛の苦痛からこれまでで最悪の、幻覚や妄想、異常感覚の伴う重症の躁鬱混交の統合失調様態を兼ねる事態となり、室内でボヤを起こして焼死か一酸化炭素中毒死の危険にあう。4か月入院(2010年12月~2011年3月)。大杉栄全集、花田清輝全集2読3読。
・2011年3月の退院後は患者会、芸術サークル、教会などすべての集団的交流を避ける生活。2011年5月からブログを始める。それ以来このブログを続けている。2年半(30か月)の間に10か月入院していたのが、そろそろ満5年入院に至るほどの問題もなくメンタルの安定を保っているのは、ブログで作文趣味を満たしているからでもあるだろう。
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……といったところはこれまでも断片的、または連続して詳述してきましたが、タイムラインに沿って並べるとよくまあ切り抜けてきたなとも思いますし、たかだかこんなものかという気もするのです。昨日の自分は半分は自分でも半分は自分ではないような。
リクエストいただければ改めて、以前書いた時よりももっと距離を置いてお話することができると思います。ひとりの人間は有限ですけれど、記憶の累積はほとんど永遠に近づけることができる。そうでなければ作文することに何の意味があるでしょうか。