人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

偽ムーミン谷のレストラン・改(2)

 寒いな、と地下の穴蔵のなかで全身を拘束されたムーミンは思いました。拘束とは通常たいへんなストレスをもたらすものですが、一般的な意味での生物を超越したムーミントロールの種族でさえ寒い、暗い、動けないの三拍子揃うとそれなりにストレスはありました。ムーミントロール族の例に洩れず、ムーミンも決して記憶力の良い個体ではありませんでしたが、頭では憶えてはいなくても慣れというものはあります。前にもこんなことあったなあ、と漠然とした思いがあればこそ、それでも以前どうにかなったからには今回だってどうにかなるさ、とムーミンにはどうしても今自分が陥っている事態がそれほど大したことには思えませんでした。慣れとはそういうものなのです。
 以前?そう、ムーミンはいつもおいしい目に遭いそうな機会ごとに、偽ムーミンに入れ替わりを強要されてきたのです。それは七五三の時も小学校の入学式の時も誕生会という誕生会にも、はたまたお食い初めや初めての誕生写真まで、ありとあらゆる記念写真に写っているのが偽ムーミンであるほど徹底したものでした。それだけ目立てば悪目立ちして見破る人もいそうなものですが、そもそもムーミン谷の住人は便宜上住人と呼ばれているだけで人ではなくエルフやコボルトドワーフトロールなどなどもともと知覚にゆがみがある上、個体の差異や同一性も元来あやしいものでした。偽ムーミンのような一種の悪性チェンジリングがバレずにとけ込んでいられるのも、悪いのは見逃している世間の方さ、と開き直られれば仕方ないほどそれは以前から続いていました。
 以前にも?それっていつが最後の以前なのか、あまりに頻繁だったのでムーミンはずっと前から穴蔵に閉じこめられたままのような気持にすらなるのでした。そうでなくても節目節目のほとんどすべてを偽ムーミンに奪われて育ってきたのがムーミンですから、ムーミン谷の人びとにとってムーミンとは偽ムーミンのことだと言っても過言ではなく、ひょっとしたらムーミンパパやムーミンママにすらそういうことになっているのかもしれないのです。
 生まれて以来ずっとそうなら、ぼくとムーミン谷の関係とはいったいどういうものなのだろう、とムーミンはぼんやり考えました。ムーミンムーミンであるのはムーミン谷が偽ムーミン谷ではないという命名上の都合だけかもしれないかとすら思えてきて、ムーミンは少しの間だけ悲しくなりました。