人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

はっぴいえんど - はっぴいえんど (URC, 1970)

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はっぴいえんど - はっぴいえんど (URC, 1970) Full Album : http://youtu.be/Zk2jPDdWPjY
Recorded at Aoi Studio in April 9 to 12, 1970
Released by URC (あんぐら・れこーど・くらぶ) URL-1015, August 5, 1970
(Side A)
A1. 春よ来い (作詞;松本隆/作曲;大瀧詠一) - 4:18
A2. かくれんぼ (作詞;松本隆/作曲;大瀧詠一) - 4:32
A3. しんしんしん (作詞;松本隆/作曲;細野晴臣) - 3:07
A4. 飛べない空 (作詞;細野晴臣/作曲;細野晴臣) - 2:46
A5. 敵タナトスを想起せよ! (作詞;松本隆/作曲;細野晴臣) - 3:10
(Side B)
B1. あやか市の動物園 (作詞;松本隆/作曲;細野晴臣) - 2:57
B2. 12月の雨の日 (作詞;松本隆/作曲;大瀧詠一) - 3:26
B3. いらいら (作詞;大瀧詠一/作曲;大瀧詠一) - 2:36
B4. 朝 (作詞;松本隆/作曲;大瀧詠一) - 2:43
B5. はっぴいえんど (作詞;松本隆/作曲;細野晴臣) - 3:37
B6. 続はっぴ-いいえ-んど (作詞;松本隆/作曲;細野晴臣) - 2:22
[ はっぴいえんど ]
鈴木茂 - lead guitar, celesta
大瀧詠一 - 12st.guitar, 6st.guitar & vocal
細野晴臣 - electric bass, keyboards, 6st.guitar & vocal
松本隆 - drums & percussions

 前回ご紹介したエイプリル・フール(細野晴臣松本隆在籍)の唯一のアルバムは1969年9月発売でしたから、はっぴいえんどのデビュー・アルバムである本作はその半年後の録音で、日本のフォーク/ロックのインディー・レーベルの先駆けになったURC(あんぐら・れこーど・くらぶ)からの発売まで1年も経っていません。エイプリル・フールのアルバムが方向性の定まらない試作段階だったのに対して、はっぴいえんどは中心メンバー2人は共通しながらエイプリル・フールとはまるで異なるコンセプトを打ち出し、デビュー・アルバムにして確かな手応えのあるオリジナルな日本語のロックを作り出しました。はっぴいえんどURCレーベル周辺の多くのフォーク・シンガーのバックバンドも勤めていたことからフォーク系グループと見られることもありましたが、事態は逆でURC関連のフォーク・シンガーの大半はボブ・ディラン影響下の、ロック指向の強い反体制的アーティストだったのです。
 アメリカの国際的総合音楽データベースサイトdiscogs.comではエイプリル・フールはブルース・ロック/サイケデリック・ロックはっぴいえんどサイケデリック・ロックに分類されていますが、エイプリル・フールが1969年当時のロックの標準的スタイルをなんとか消化しようとしたもの(スタイルとしては初期のプログレッシヴ・ロック)にとどまったのに較べて、はっぴいえんどの音楽はアメリカの傍流サイケデリック・ロックだったバッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレイプからサウンドを引用しつつも日本のロックで最先端とされていたハード・ロックとは異質な前衛性を備えていました。デビュー作ですでに既成の日本のロック・バンドにはないスタイルを持っていた点で、エイプリル・フールのアルバムより格段に意欲的で実験的な印象を受け、しかもこの実験は成功しています。ただ、はっぴいえんどは音楽誌「ニューミュージック・マガジン」に派閥的なプッシュをされ、またバンド自身も英語詞ハード・ロックの流派に批判的であったことから洋楽志向の強いロック・ミュージシャンから不毛な敵視を買っていました。70年代ロックの始まりにフラワー・トラヴェリン・バンドとはっぴいえんどのどちらを重視するか、という日本のロック史観はいまだに続いています。
(Original URC < はっぴいえんど > LP Liner Cover & Side A/Side B Label)

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 はっぴいえんどのデビュー・アルバムを聴くと、現在では違和感が少なくなっていますが、発表後10年を経た1980年には大瀧詠一細野晴臣の平坦なヴォーカル・スタイルと松本隆の散文的な歌詞はまだ異様で、鈴木茂のリード・ギターもロックのギター・スタイルとしては英米のコンテンポラリー・ロックのリスナーにはとりとめのない演奏に聴こえました。実際には鈴木茂はっぴいえんど時代、親友の竹田和夫ブラック・サバスなどを聴いていたわけですが、バンド全体のサウンドの中ではまったくブリティッシュハード・ロック的には響かなかったのは音楽の面白さです。アルバムは大瀧と細野が自作曲のリード・ヴォーカルを半々ずつ受け持っていますが、冒頭の「春よ来い」「かくれんぼ」の2連発の印象が強く、またシングル・ヴァージョンも発売された「12月の雨の日」もあって大瀧詠一のヴォーカル曲にアルバムのカラーが左右されています。フォーク・ロック的な大瀧曲に対して細野曲はA4、A5やB5のようにこのデビュー・アルバムではブリティッシュサイケデリック・ポップ的で、早い話後期ビートルズ的な曲想はこの時期ならではと言えて、セカンド・アルバム『風街ろまん』では細野は意識的に作風を変化させます。元はっぴいえんどの4人が日本のポップ・ミュージック界の重鎮と公認されるようになった80年代を通してようやくはっぴいえんどは日本のロックのスタンダードになりましたが、本来メンバー各自には別々な音楽的嗜好があり、おそらく松本隆の歌詞以外は「はっぴいえんど」というバンド・コンセプトに合わせて作為的に音楽性を調整したものです。
 はっぴいえんどの実験性とはそうしたバンドの性格にあり、はっぴいえんど的な虚構性が一般化する過程がそのまま安定した評価を国内で高めた一方、近年欧米での評価が意外なほど高まったのが宿敵フラワー・トラヴェリン・バンドを筆頭としたハード・ロック派でした。フラワーなどはレッド・ツェッペリン以上、ブラック・サバス級のヘヴィ・ロック・レジェンド視されて一時的再結成を成功させています。フラワー・トラヴェリン・バンドと並んで世界的にカルト的人気が波及したのが90年代に自主制作CD3作をリリースするまで単独アルバムを1作も持たずにアンダーグラウンド・シーンで活動していた裸のラリーズ(1968年結成)で、フラワーもラリーズハード・ロックというよりヘヴィ・ロック、アシッド・ロックとしての邪悪なカウンター・カルチャー性が国際的な水準で際立ったものと注目を集め、評価されたのです。その観点からは同じサイケデリック・ロックでもはっぴいえんどはヘヴィ・ロックでもなく、サイケデリック文化を反映したサウンドのバンドなのにアシッド性はまったくなく、カウンター・カルチャー的とも言えないのです。はっぴいえんどよりフラワー・トラヴェリン・バンドを上位に置くジャーナリズム評価は今後も現れそうにありませんが、はっぴいえんどの優れたアルバムの美点が優雅な抒情と覚めた審美性にあるなら、フラワー・トラヴェリン・バンドや裸のラリーズに横溢する陶酔感や反逆性とは相容れないとしても仕方ありません。