人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(8); 近藤東『抒情詩娘』(ii)

近藤東(1904.6.24.-1988.10.23.)/創元社『全詩集大成?現代日本詩人全集15』(昭和30年=1955年10月刊)著者近影より

イメージ 3

 この詩集は全28編すべてが無題で「★」印で区分されていますが、前回ご紹介した詩集冒頭8編のうち、8編目の「★」が昭和4年(1929年)春に行われた総合誌(当時「文藝春秋」中央公論」と肩を並べた大雑誌)改造社の「改造」の創刊100号記念懸賞詩で応募総数2,500編から第1等に選出され、賞金100円(物価指数で現在の150~180万円相当)を獲得した「レエニンの月夜」になります。「★」ではなく、単独で再掲載してみましょう。

 レエニンの月夜  近藤東

橋カラノ下リ勾配。黄包車(ワンポツオ)ハ西瓜ノ種ダ。西瓜ノ種ハコムニストデハナイ。

黄浦江ノ靄ハ拳銃ヲ亂射シタ。ソヴイエエト領事館ノ窓ガ無數二散ツテ光ツタ。空色ノ軍艦ガ水兵ヲ吐瀉シタ。陸戰隊。透明ナ哨兵ハ一着ノ黄合羽(エロウスリツカア)デアル。

ボクハ月夜ヲ感ジタ。月夜ヲ。レエニンノ月夜ヲ。寝台(ベツド)ノ中デ。女ハ白系ロシアノ食用薔薇。女ハ機関車ノヤウニオシカカツテ來タ。ボクハ轢死スル。

 この作品を典型として、近藤東の詩は日本の当時のアジア植民地を舞台にして、多国籍化した文化状況に架空の一人称主人公「ボク」の視界のとらえた一触即発の政治(軍事)情勢とさまざまな国籍の私娼たちとの交渉を描いたもので、二つの世界大戦に挟まれた時代に北半球の世界各国で猖獗をきわめたモダニズム文化、その反映であるモダニズム文学の典型的なスタイルです。人間の実存を「性(または人間関係)」と「政治(または経済活動)」に二分する図式は市民文化の繁栄した19世紀末に暗示され、20世紀に常套化した発想ですが、1920年代にはそれはまだ新しい発見でした。性と政治に分裂した人間像は日本の詩では石川啄木高村光太郎に先駆が見られます。反政治的に性に耽溺する発想は小説では永井荷風谷崎潤一郎が確立したと言えますが、夏目漱石、また自然主義小説の作家たちも社会に対する反逆的性格では同様の着想にたどり着いていたと見られます。

 日本でモダニズム文学が意識されるようになったのは元藩士の家系で外交官家に生まれ、大学教授時代の永井荷風に学んだ堀口大學(1892-1981)が外遊中に刊行したフランスのモダニズム作家ポール・モランの連作短編集『夜ひらく』の翻訳刊行(大正12年=1923年)でしょう。先に詩集『抒情詩娘』の特徴として上げた内容を、日本でなくフランスと置き換えればそのまま堀口大學訳のポール・モランになり、人工的で奇矯な比喩表現の多用や人物や行動の即物的な無目的性など、現在では過去の流行作家という評価しかないモランがもたらした影響は大きいのです。大正12年萩原朔太郎『青猫』、金子光晴『こがね虫』、高橋新吉の『ダダイスト新吉の詩』の年でもあり、菊池寛による「文藝春秋」創刊で新人作家として横光利一川端康成が大プッシュされてデビューした年です。日本語の文体意識そのものが大きく変わる変わり目になった年とするなら、文語脈が払底されたことでは現代日本語はこの時期に始まった、とも言えるでしょう。横光、川端ともに『夜ひらく』からの影響を公言して日本のモダニズム小説を代表する作家になりますし、『海に生くる人々』『蟹工船』『太陽のない街』『武装せる市街』など昭和初期のプロレタリア文学モダニズム文学の文体なしには書かれなかったものです。また第二次世界大戦敗戦前までの日本文学では、詩は小説、批評、演劇、美術と交流の盛んなものでした。

 この詩集『抒情詩娘』がそれほど大きな位置を日本の詩に占めていないとしても--例えば昭和5年には小林秀雄訳のランボオ『地獄の季節』と三好達治『測量船』、昭和6年には草野心平『明日は天氣だ』、『抒情詩娘』と同年の昭和7年には乾直恵『肋骨と蝶』と丸山薫『帆・ランプ・鴎』、昭和8年には西脇順三郎『Ambarvalia』、昭和9年には萩原朔太郎氷島』と中原中也『山羊の歌』、昭和10年には伊東静雄『わがひとに與ふる哀歌』と、これらの詩集の前では『抒情詩娘』は落書きみたいな重みしかないかもしれません。では『抒情詩娘』に匹敵する軽薄さ、多国籍というより無国籍とすべき無責任な内容は詩による詩のパロディですらあり、パロディとは批評的な客観的自意識なしには成立しないものです。個別の詩にタイトルをつけず断片の羅列のように並べる例は『ダダイスト新吉の詩』の後半「一九二一年集」66編にあり、昭和3年(1928年)の『高橋新吉詩集』全101編も無題・通し番号のみの詩集ですが、『ダダイスト~』は辻潤編、『高橋新吉~』は佐藤春夫編ですから最初から無題だった断片をまとめて収録するダダ的に投げやりな効果を狙ったたものでしょう。近藤の場合は発表誌ではタイトルがついていたもの、とりわけ詩集の目玉である「レエニンの月夜」すら収録作品全編を「★」にしてしまったわけで、個別の詩編ではなく詩集全体が緩い括りの連作長編詩と見ることもできます。『抒情詩娘』はそれ単独ではあまり意味をなさない詩集かもしれませんが、同時代の優れた詩集と並べると奇妙な存在感を放って見える作品集でもあります。見かけに反して、これはなかなか喰えない詩集です。

『詩集?抒情詩娘』昭和7年=1932年11月1日・ボン書房刊(袖珍判本文24頁・限定200部・定価20錢)

イメージ 1

近藤東自筆原稿「レエニンノ月夜」

イメージ 2



 

彼女ノ系圖ハ椅子ノ上ノコンビネイシヨンニアル體温ノ殘ル脱ガレタコンビネイシヨン

ボクハ彼女ノ腓膊(フクラハギ)ニヨツテ彼女ノ年齢ヲ測量スル年齢ヲ測量サレタ彼女ハレモネイドヲ含ンダ唇ヲボクニ與ヘルノデアル。假死ニマデ。

假死ノ彼女ハタブンバルチツクノ湾ニ沈ムノデアラウ。夥シイ満月ガ彼女ノ二ノ腕カラ泡ノヤウニ消エテユク。

ボクハ彼女ノ肌ノ汚染(シミ)デアルボクノ皮膚ヲ恥ヂタ彼女ノ肌ノ汚染デアル東洋人ノ皮膚ヲ恥ヂタ。

(詩集初出・再録なし)

 

市街戰。娼婦ト電車ト小學校ノ貧困。艦隊ト領事館ノ白イ結婚。空ハ Tobacco ノ廣告板。

ボクハコノ支那賭博ヲニクム。ボクハ化粧シタ騎馬路ヲ走ツタ。月光。

居留地デ、ボクハ唇ヲフタツ盗マレタ。ヲンナハ上瞼ヲ銀色ニ磨イテヰタ。プレゲエ機ノ翼ノヤウニ。

(原題「盗まれた唇」昭和4年=1929年6月「詩と詩論」)

 

日本兵ト竝ンダドイツ巡査ノ頭ヲハジイテ、女ハボクノ國籍ニ媚ビテ見セタ。泥人形ガ首ヲ振ツタ。ヘルメツト帽ノ首ヲ。シカシボクハ祖國ト抒情詩ヲ持タナイノダ。

ソノ
ムチリ!
トシタ肢體ノ潤澤ナ沼地デ
ボクハ思ハズ栗ノ花ヲ散ラセタノミデアル。
栗ノ花ヲ。

ボクハ愛國心ヲ取リ戻サウトシテ、白人女ノ舌ヲ吸ツテヰタ。

(原題「愛國心」昭和5年=1930年9月「詩と詩論」)

 

  少女ハ南方カラ來ル少
  女ハ白イ垢ノヤウニ南
  方カラ來ル國際港ハ少
  女ニ罎デアツタ透明固
  體ノ内ノ棲息蹴リ上ゲ
  タスリツパガ空ニ當ツ
  テ落チテ來タ悲シムナ
  少女ヨ悲シムナ少女ヨ

(原題「國際港の雨天」昭和5年=1930年6月「詩と詩論」)

 

湾ハ青イ薔薇ヲ發(ヒラ)イテヰタ。イタリア船ガ花瓣ヲ卸ヘテ來タ。

少女ガ死面ヲ國旗ニ包ンデヰタ。

ボクハ彼女ヘノ文學ヲ持タナイ。ボクハカナシイ無電技師(マルコニイ)デアル。

(原題「湾」昭和4年=1929年6月「詩と詩論」)

 

ヲンナハ五本ノ指ヲ白ク解(ホグ)シテ合圖スル。
ソレハボクニ熱イ花ノ氣ガスル。

故意ニボクハ鏡ノ中へ視線ヲ外ラセル。
鏡ニハ一輪ノグラヂオラスガボクヲ招ンデヰタ。
窓ノ方へ發(ヒラ)イテ。

海ノアル窓。濡レタ日章旗
港デハ一隻ノ MARU-SHIP ガユツクリトグレインヲ移動サセテヰタ。
西班牙扇子ヲ使フヤウニ。

グラヂオラスガ烈シク匂ツタカト思フト
ボクハ頬ノアタリニ一點ノ柔カイ壓力ガ加ハルノヲ感ジタ。
ソシテボクノ決心。

(原題「鼻唄」前半のみ昭和7年=1932年9月「文藝汎論」)

 

オ前ノ口説(クゼツ)
ユニオン・ジヤツクノ匂ガスル。

港ノ女ヨ--

(詩集初出・再録詩集改題「港ノ女」)

 

青イ戰捷碑。柵。スロオプ。見エナイ帆船ガ解纜スル。コロムブスハタブンイスパニアへ歸ルデアラウ。

--満月!
--アア、朝ノ満月。
--ボクラノ丘。蔓草。明ルイ Mons?Pubis……
--Mons?Pubis? オバカサン。

コロムブスハ一通ノ手紙ヲ忘レタ。ヲンナノケイプニハ郵便切手ガ貼ツテアル。

(原題「丘」昭和4年=1929年9月「詩と詩論」)