人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

2017年映画日記3月16日~20日/ヘンリー・キング(1886-1982)の後期監督作品

 ハリウッド映画の黄金時代を担った映画監督を生年から見ると、1875年生まれの「アメリカ映画の父」D・W・グリフィスから1915年生まれのオーソン・ウェルズの間の40年間に分布しており、1870年代生まれの世代、1880年代生まれの世代、1890年代生まれの世代、1900年~1915年生まれの世代、と大まかに分けることができます。「喜劇映画の父」マック・セネット(1880年生まれ)や「西部劇の父」ウィリアム・H・インス(1882年生まれ)、「ハリウッドの怪物」エリッヒ・フォン・シュトロハイム(1885年生まれ)らはサイレント期にその業績を終えていますから1870年代世代に寄せてもいいでしょう。また1890年代生まれのジョン・フォードハワード・ホークスウィリアム・A・ウェルマンフランク・キャプラアルフレッド・ヒッチコックらはサイレント後期にデビューしてトーキー以後に大家になったもっとも才能豊かな世代であり、1900年以降に生まれた監督はサイレント後期をかすめた程度か最初からトーキー時代になって監督デビューした世代になります。微妙なのはセシル・B・デミルラオール・ウォルシュ、ジョン・クロムウェルチャールズ・チャップリン1880年代生まれの監督たちです(早熟だったエルンスト・ルビッチキング・ヴィダーらも1880年代世代にくり上げてもいいかもしれません)。1880年代生まれの監督たちはグリフィスやセネット、インスらがハリウッドの撮影所システムを確立した後にデビューしたので、当初からスタッフやキャストに恵まれ映画産業の発達とともに大家となり、トーキー化やカラー/ワイド化もこなして映画制作を続け、歿年にもよりますが1950年代~60年代まで第一線で活躍しました。サイレント期にすでにヒット実績を上げて代表作を残し(クロムウェルはトーキー以後の監督デビュー、チャップリンはサイレント期の業績に比重が高いですが)、半世紀近いキャリアを誇った監督を輩出したのは映画史上ではこの世代からになります。1880年代世代で最大の成功を収めたのはデミルとチャップリンに尽きるでしょうが、ウォルシュと並んでヘンリー・キングアメリカ映画の精髄とも言える人で、60代を迎えても意欲的な力作を送り出していた監督でした。戦前では『乗合馬車』『ステラ・ダラス』(以上サイレント)、『オーバー・ゼ・ヒル』(トーキー)の監督として知られたそうですが、『夜は返ってこない』'62で引退後のキングは50年代の『キリマンジャロの雪』『慕情』の監督というイメージが強いのではないでしょうか。

3月16日(木)
『聖処女』(20th C. フォックス'43)*156mins, B/W
アカデミー賞主演女優賞他3部門受賞作。ジェニファー・ジョーンズが聖女ベルナデッタに扮したルルドの泉の秘蹟を描く実話映画、しかも2時間36分の大作とは観る前から気が重くなろうというもの。だがこれが抜群に面白いから映画は観ないとわからない。ジャンルとしてはいわゆる宗教映画だろうが18世紀フランス中葉のルイ・ナポレオン帝政下の田舎町を舞台にした社会劇でもあり、ほとんど文盲の貧困家庭の少女が遭遇してしまった奇蹟をめぐって田舎町のあらゆる階級の人びとに波乱が起こり、やがて国家的・国際的な騒ぎに拡大するまでを描く手際は2時間半をまるで飽きさせない。キング作品の常連アルフレッド・ニューマンの音楽はもとより美術、撮影の充実も素晴らしく、大人たちと対峙する少女の場面で多用される抑圧的な仰角のロー・アングルなど技術を技術と感じさせないうまさが全編でバシバシと決まる辺りは技巧で見せるタイプの監督たちとは違う渋い職人芸があり、一方熱演に傾きやすく観客の好みを分けやすいジョーンズを個性の強い名バイプレイヤーのリー・J・コッブ、ジュディス・アンダーソンらと対比し可憐に見せて、親しみやすく十分に華もあるのは当たり前のようでいて大ヴェテランならではのさじ加減が光る。アメリカ映画であればこそのこういう作品にきちんと賞を与えているアカデミー賞も昔は健全に機能していた。1943年度アカデミー賞12部門候補、4部門受賞は作品賞・監督賞受賞作『カサブランカ』の8部門候補、3部門受賞をノミネート数では上回り、実質的に同年度は『カサブランカ』と『聖処女』が同率タイ記録だったことを示す。題材的に現代日本の観客の関心からもっとも遠いが、これは超傑作。宗教の原点と始まりを見るような感動がある。

3月17日(金)
『アダノの鐘』(20th C. フォックス'45)*100mins, B/W
・キングの戦争映画は第二次世界大戦のドイツ空爆作戦を描いたリアリズム映画『頭上の敵機』'49(グレゴリー・ペック主演)が大傑作として知られるが、大戦終結の年'45年にジョン・ハーシーの同名ベストセラー小説を素早く映画化した本作も地味な夭逝俳優ジョン・ホディアクを主演に起用して心に沁みる小品になっている。ドイツ、日本に先んじて敗戦国となったイタリアの地方都市に進駐してきた、イタリア系移民の隊長率いるアメリカ軍小隊が懸命に市民のために治安回復と物資調達に奔走する戦後処理映画で、戦争を描かず戦争の災禍を描いたこれまた渋い題材で、日本では劇場公開されず(まあそうだろう)後にテレビ放映、ビデオリリースされた。ジーン・ティアニーが恋人の帰還を待つイタリア女性役でヒロインをつとめるが、ホディアクとの淡いロマンスがある程度でドラマとしてはとことん地味。だがイタリアの現地プロデューサーとの合作脚本も良いのだろうが、地方都市のさまざまな人間模様や慣れない外国での行政管理に四苦八苦する進駐小隊(イタリア進駐軍を描いた小説には他にもジョン・H・バーンズの『画廊』という佳作があるが、イタリア進駐軍は日本以上に現地人のしたたかさに苦労したらしい)が細やかで印象的に描かれており、『聖処女』同様キングは群集ドラマがさりげなくうまい。主要人物だけでも20人近いのに全員キャラが立っている。町の住民すべてが復興を望む町のシンボルの大鐘(戦時中に徴収されてしまった)は隊長の任期中に果たして復興できるのか、というのが一応本筋のストーリーで、実はこちらもさりげなくうまくできている。日本で言うと井伏鱒二原作映画のような味がある。いい映画観たなあ、と誰もがしみじみ思える大人の作品ではないだろうか。

3月18日(土)
『拳銃王』(20th C. フォックス'50)*84mins, B/W
・キングの西部劇は代表作にタイロン・パワーヘンリー・フォンダジョン・キャラダイン主演のジェシー・ジェームズ映画の決定版『地獄への道』'39があり、『俺たちに明日はない』も『明日に向かって撃て!』も『イージー・ライダー』も『地獄への道』なしには生まれなかったと思うと改めてキングすごいぞと痛感するが、大傑作『頭上の敵機』の翌年の小品西部劇の本作もグレゴリー・ペックにヒゲをつけて、なまじ西部一の早撃ちガンマンと生きた伝説になってしまったために決闘を挑まれ続ける男の悲哀を描いたアンチ・ヒーロー西部劇の金字塔を作り上げてしまった。これはフォードにもホークスにも撮れないネガティヴな任侠映画のようなヒーロー像で、この設定を突き詰めれば『殺しの烙印』になる先駆性がある。カタルシスが求められる西部劇にあって「映画全編でひたすら耐え続ける主人公」「ガン・ファイトは2回だけ、それも売られたケンカ、しかも2回とも一瞬で終わる」「卑劣なバッドエンド」と原題『The Gunfighter』は邦題『拳銃王』ともども痛烈な皮肉なのがわかる。デミルと同世代どころか戦後世代の監督の映画、いっそサム・ペキンパーらと同世代かと思えてくるクールな哀愁がある。三隅研次の『斬る』にも似ている。キングは何かかったるそうだしなあ、と敬遠される向きには『地獄への道』や本作、特に西部劇というより日本の一匹狼映画のような本作をお勧めしたい。むしろキング必見の一作は『地獄への道』『聖処女』『頭上の敵機』より本作(だけ、とは言わないが)かもしれない。

3月19日(日)
『愛欲の十字路』(20th C. フォックス'51)*116mins, Technicolor
・日本人には馴染みのない聖書物映画、しかも旧約聖書の「サムエル記」からとデミルでもやりそうな歴史映画の上に、ダビデ王(グレゴリー・ペック)が部下の妻バッシバ(スーザン・ヘイワード)に懸想して部下を死地に追いやる話だからますます日本人の関心から遠い。2年後に『ローマの休日』を控えたペックは現代の新聞記者よりダビデ王の方が美男ぶりが映えるのが面白い。『拳銃王』、本作、次の『キリマンジャロの雪』と20世紀フォックス社はキングとペックの組み合わせを大いに買っていた様子で、だからというのではないがペックの好演に較べてヘイワードのキャラクターがいまいちで、一方的なダビデ王の恋慕なのか人妻の方もよろめいているのか、このタイプのヒロインを描くとキングもあまり得意ではないのかな、という気がしてくる。古代イスラエルを再現した背景や美術はカラー撮影もあって豪華だが、なるべくセットを写したいからか演技をロングの構図で撮った場面がほとんどでやや舞台劇的な演出になっている。とはいえこれは全部贅沢な不満なので、品のある程度に歴史的な不倫ドラマを華麗に描いて、キリスト教圏の観客向け(原題は『David and Bathsheba』とそっけない)のメロドラマのエンタテインメント作品としてはデミルの同系統の作品の上質なものに匹敵する。案外アメリカ大衆の夫婦向けデート映画の本流はこうした作品のようにも思える。またキングがフォード、ホークス、ヒッチコックらよりは作家性が稀薄なのはどこまで突き抜けるか解らないスリルとテンションの弱さにあるとも見え、本作や次作『キリマンジャロの雪』はその弱点が露わになってしまった観もある。

3月20日(月)
キリマンジャロの雪』(20th C. フォックス'52)*117mins, Technicolor
・翌年が『ローマの休日』だからペック絶頂期、代表作は軒並み映画化されてきたヘミングウェイも短編小説まで映画化されるようになった。原作ではキリマンジャロは病床で瀕死の主人公の夢の中で現れ、主人公の過去は看護中の妻との会話で断片的に暗示されるだけだが、映画では主人公はキリマンジャロのふもとで病床に臥しており、看護中の妻(スーザン・ヘイワード)以外に過去の恋人たち('20年代にパリで絵画モデルのエヴァ・ガードナーと、'30年代に内戦中のスペインで伯爵夫人のヒルデガルド・ネフと)の思い出がフラッシュ・バックで描かれる。3人も主演格のヒロインがいる豪華キャストで、容貌は似ているのにどこか蓮っ葉なガードナーと従順そうなヘイワードの対比、アメリカ人女優とは全然違うネフが期待させておいてチョイ役なのも不思議な配役だが、場面ごとではなかなか良く、1本のマッチで煙草の火を分け合うシーンが反復されたり'20年代パリの酒場シーンでベニー・カーターがアルトでレスター・ヤング風の演奏をしていたり(時代考証的には完全に間違っているが)、スペイン内戦のシーンが無茶苦茶だったりと映画ならではの嘘八百が楽しめるものの、瀕死の怪我人の病床の回想として描いたはいいがあまりに煩雑なフラッシュ・バックでシーンのつながりに切れ味がなく、明らかに構成がまずい。病床の設定は冒頭だけにしておいて'20年代パリ、'30年代スペインと時系列順に語り、戦後アフリカは後半に一本化すべきだった。中途半端にアフリカ編を小間切れにしてパリ編、スペイン編を挟みこんだから締まりのない構成になったのだが、ヒロインとしてはガードナーの見せ場が突出しているのでヘイワードとの絡みを細かく見せた結果、かえってヘイワードとのシーンを弱めてしまっている。キングはシナリオは手がけず改変もしないタイプの監督なのでこうなったのだが、フラッシュ・バックといってもごくシンプルなもの(『聖処女』程度)ならともかく映画全体の構成に関わると明らかに向いていない。太い線で押していくか全体を少しずつ進めていくか、何にしろ直進的な時制でけれん味なく描いていくからこそ映画の嘘を真に変えてきた人でもある。本作もスペイン編はちょっと何だがパリ編、アフリカ編はそれだけ取れば充実した映像で、いさぎよく3部構成の直進的構成で各エピソードがもっと緊密ならばなあ、と惜しまれる。ただし本作は興行収入12,500,000ドルを記録し'50年代前半のアメリカ映画屈指の大ヒット作になっており、初めて観たヘンリー・キング作品はテレビの吹き替え版の本作か『慕情』だったはずだから悪口は言えない。本作などは吹き替え版で2時間枠用、実質1時間40分程度に短縮再編集されたテレビ放映用ヴァージョンの方が良くなっている可能性だってある。