人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

2017年映画日記5月7日・8日/ フリッツ・ラング(1890-1976)のサイレント時代(3)

 フリッツ・ラングの大作と言えば、長編第3作で今日でも観ることができるフリッツ・ラングのもっとも初期の作品『蜘蛛 第1部・黄金の湖』1919も長編第5作『蜘蛛 第2部・ダイヤの船』1920と合わせて2時間50分の大作でしたが、あの作品では第1部と第2部に連続性はないので当初四部作として構想されていた伏線らしきものはほとんど生かされずに終わっていました。長編第8作『死滅の谷』1921でついにドイツ映画の第一線監督と認められるようになったラングは、当時話題作だった犯罪スリラー小説の映画化企画に登用されます。ラングのオリジナル脚本だった『蜘蛛』と違いしっかりした原作があり、ラング夫人で一流脚本家のテア・フォン・ハルボウとの共同脚本ですから2部構成の新作『ドクトル・マブゼ』は第1部と第2部の緊密な結びつきから展開する合計上映時間4時間半の大作になりました。その後ラングはサイレント時代の終わりまで短くても2時間半を越える大作を毎回製作することになります。同時代に大作で鳴らしたエリッヒ・フォン・シュトロハイムアベル・ガンス、マルセル・レルビエでさえもラングほど続けざまに大作を製作することはできず、さらにサイレント時代の作品を越える作品をトーキー時代以降には容易に製作できなくなったので、国際的に見ても『ドクトル・マブゼ』からサイレント作品最終作『月世界の女』1929までの5作(そのうち2作は第1部・第2部の二部作なので実質的には7本)の大作を集中的に残したラングは驚異的な存在で、それらはヨーロッパ諸国やアメリカ、日本でもヒット作となりました。『ドクトル・マブゼ』や『ニーベルンゲン』、『メトロポリス』はフリッツ・ラングという監督名を知らなくてもご存知の方が多いと思います。では現在それらを観るとどんなものでしょうか。

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●5月7日(日)
ドクトル・マブゼ 第1部-大賭博師・時代の肖像』Dr. Mabuse, der Spieler : Der grosse Spieler, ein Bild der zeit. (独デクラ・ビオスコープ=ウーコ'21/Re.'2000)*155mins, B/W, Silent with Music : https://youtu.be/K8jzGGazHEc
・ラングの映画は『蜘蛛』もアクション・シーンのアヴァンから始まっていたが、時系列であらすじを起こしてみると実際の映画では途中から始まってフラッシュバックで発端にさかのぼり、再び続きに戻る構成が多い。『死滅の谷』以前の作品では構成(話法)の複雑さに加え映像的な整理がうまくいっておらず、グリフィスやシュトロハイムのように簡潔に画面を切り取る力量やガンスのように冗長さに構わず力押しで迫るスタミナに及ばない観があった。『死滅の谷』でようやくラング流の映像感覚が安定し、本作では大作でそれを試したことで第2、第3の処女作とも言うべき瑞々しさがある。冒頭、いきなり男たちが疾走する汽車の連結器を外して追突事故に乗じて乗客紳士の薄いスーツケースを強奪する。実はドイツ語版英語スーパーつき輸入盤で観ていてカットも一瞬なのでよくわからないのだが、続く紳士の勤務先の緊急対応ぶりや強盗のボス、主人公のマブゼ博士(ルドルフ・クライン=ロッゲ)が株式暴落に呵々大笑し偽札の束に欣喜している様子を観ると株式市場の指示書か紙幣の原版を強奪してきたらしい(ここだけ観直して国際経済協定書?なのを確認した)。現在のユーロや戦後の紙幣はもっとコンパクトだろうし、戦前の映画でもドル紙幣やフラン紙幣はそれほどでもないが、マルク紙幣やリラ紙幣(これは戦後映画でもそう)はA5判やB5判くらいデカくて紙幣というより書類か何かに見える。ちなみにマブゼ博士の表の顔は精神科医(笑)で、秘書の男にコカインを与えて雇っている。『死滅の谷』のアラビアのイスラム僧役で起用されていたクライン=ロッゲは『マブゼ』以降サイレント時代ラング映画の常連主役級悪役になる怪優で、テア・フォン・ハルボウの前夫(ラング自身も再婚)という公私とも関わりが深かった人。宍戸錠ではないが頬に左右非対称に綿を含んで悪役を楽しんでいるのがわかる。とにかく偽札と株式操作(破産した株主たちが株主市場で株券を放り投げて株券が舞う。一方マブゼ博士は偽札と真札の札束をつかんで大儲け)を金儲け目的でやっているのかというと、次に博士が狙うのはギャンブル好きの富豪の青年御曹司の破滅なので、精神科医マブゼ博士は精神誘導の超能力(使えるのだ)を使って大負け寸前まで追い込むがそれでは(作者のラングが)つまらないので子飼いのエキゾ美女ショーダンサーのエロいショーに誘導した後誘惑させる。このエキゾ美女はマブゼ博士にとことん愛を誓う愛人でもあって、わざわざ愛人にえげつないことをやらせるのも含めてマブゼの犯行は金銭目的ではなく変態趣味だということがわかる。平行してマブゼ博士は社交界の名花の伯爵夫人を誘惑しにかかり、夫の伯爵の破滅を計画して御曹司を殺して冤罪を着せようとするがこれは失敗、ダンサーのエキゾ美女が逮捕されてしまう。警察は背後のマブゼ博士の存在に気づき伯爵夫人をエキゾ美女に面会させて聞き出させようとするが、伯爵夫人はエキゾ美女のマブゼ博士への愛に感動して(笑)結局無駄骨に終わる。そして今度こそはとマブゼ博士は超能力で伯爵にギャンブルでバレバレのいんちきをやらせ、大騒ぎの真っ最中に昏倒した伯爵夫人を誘拐して隠れ家に幽閉して勝ち誇る。第1部完、とこれだけで2時間35分あるのだが一気に観せて飽きさせない。マブゼ博士は極悪人の首領で犯罪行為に動機も目的も説明されないが当時のベルリンの猥雑さのムードが犯罪を説明不要にしている。金と色欲に説明は要らないとばかりに次々に犯行が進むのに爽快感があるのは、マブゼが狙うのはブルジョワと貴族ばかりで敵は警察、映画観客の庶民には関係ないどころかむしろ抑圧的な特権階級への反逆として英雄的に見えてくるからだろう。『蜘蛛』から『一人の女と四人の男』では勧善懲悪的図式も単純で映像的焦点も定まらなかったが、『一人の女と~』で描かれたドイツの頽廃社会に斬り込む主人公マブゼ博士の性格設定が決まると見せたいものも俄然はっきりしてきて、映画から犯罪と関わりない場面は一切ない潔さがある。シュトロハイムのスキャンダラスな上流階級犯罪映画『アルプス颪(盲目の夫)』1919、『愚なる妻』1922の世界に近づいてきた。偽札とギャンブルの世界なんていう道具立てまで共通している。シュトロハイムと運命を分けたのはトーキーへの移行と大恐慌アメリカでは同時に起きてシュトロハイムの企画する映画が映画会社を通らなくなったことだった。それはそれとして、マブゼ博士はサイレント時代のドイツ映画が誇るアンチ・ヒーローになった。

●5月8日(月)
ドクトル・マブゼ 第2部-犯罪地獄・現代人のゲーム』Dr. Mabuse, der Spieler : Inferno, ein Spiel von Menschen unserer Zeit. (独デクラ・ビオスコープ=ウーコ'22/Re.'2000)*115mins, B/W, Silent with Music : https://youtu.be/cVuQnpuSRSQ
・第1部よりは40分短いがサイレント映画としては十分大作。日本では第1部と第2部を一本に編集して2時間半の短縮版で公開されたらしい。シュトロハイムの『愚なる妻』も同じくらいの長さだが、『マブゼ博士』とシュトロハイム映画の違いはシュトロハイムの主人公(監督自身が嫌味たっぷりに演じる)は実はチンケな偽貴族でハッタリでウブな上流階級から詐欺を重ねており、金と女が動機かつ目的とはっきりしている。マブゼ博士はといえば性的な面はともかく、犯罪者としては怪人二十面相と大差ないこと、つまり大衆にもわかりすい子供向けの悪党止まりということだろう。第1部のエンディングも気絶した伯爵夫人をソファに寝かせてバンザイする場面(笑)で終わっていた。当時の倫理基準ではそこまでだったのだが、アメリカのシュトロハイム映画ではレイプを暗示する描写まで徹底していた。さて第2部、密度が高くスピーディーな展開は申し分ないのだが内容は第1部の伏線を回収しまくって進むので意外性には欠ける。エキゾ美女の愛人は獄中で服毒自殺し、第1部でギャンブルの罠にはまった伯爵はかかりつけ医の精神科医がマブゼ博士(笑)とも知らず自殺に誘導される。さらに側近の部下を証拠隠滅のために殺害したマブゼは事件担当の検察長官を催眠術ショーに招待してまたもや超能力で精神誘導し、帰りの車で暴走して断崖に突っ込むよう仕向けるが間一髪で事態を察した部下たちに疾走する車から救出される。車は断崖から墜落してどっかーん。後はいきなりマブゼの隠れ家を突き止めた警官隊とマブゼの部下たちの銃撃戦になり、マブゼは隠し扉から地下の偽札印刷所に逃げ込む。ところがこの隠し扉は内側からは開けられない(印刷工が逃げ出せないため)構造になっておりマブゼは閉じ込められてしまう。10人ほどいる印刷工たちが作業台で着席したまま茫然とマブゼを見ているのが面白く、みんな初老の痩せた男性ばかりだがきっと薬漬けで働かされているのだろう。マブゼは幻覚に襲われて印刷工たちがこれまで手にかけた死者たちに見え、偽物印刷所の内装が拷問具となって迫ってくる。検察長官たちが突き止めて入ってくると、マブゼ博士は偽札をばらまいて狂乱状態で大笑いしている。こうして第1部冒頭のエピソードのまき散らされる株券と映像的な対応を見せて第2部はマブゼ博士の発狂で終わる。日本初公開の短縮版(大正12年5月1日・電気館)の2時間半は実物を知らないが、第1部(2時間35分)から2時間、第2部(1時間55分)からは30分という比率だったのではないか。いろんな場面を全部ぶっ飛ばして第2部のラスト30分(検察長官が狙われるエピソードからマブゼ発狂まで)を結末にすれば、獄中のエキゾ美女や伯爵や証拠を握る手下の運命は観客が想像すれば済む。つまりマブゼ発狂で一件落着、事件は全部カタはつきました、で済むので前半3/4は第1部の伏線回収という印象はそこから出てくるのが弱みなのだが(そこらへんが全編緩みなくドラマがくり出されるグリフィスやシュトロハイムに及ばないのだが)、このくどさを主人公マブゼとともに乗り越えてエンディングまで観てこそ一見アホらしいラストにも感動がにじむ。ともあれマブゼ博士のキャラクターは本作で不動のものとなり、ラングはトーキー以後の1933年に『怪人マブゼ博士(原題・マブゼ博士の遺言)』、1960年に『怪人マブゼ博士(原題・マブゼ博士の千の眼)』を製作する。どちらも直接の続編ではなく独立した長編だがオリジナル『ドクトル・マブゼ』を観ている方が楽しめるのはいうまでもなく、1960年版マブゼなどこれがラングの最後の監督作品になったと思うとドイツ版『浪人街』みたいなものかな、と感慨ひとしおのものがある。
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