毎年桜の花を載せているのだから今年も載せようと思いますが、毎年同じ近所の桜を見て思うことはその年ごとに変わったりもします。今年は何となく大好きな詩人、伊東静雄(1906-1953)の最晩年、全詩集では年代順で終わりから3番目の「寛恕の季節」という詩を思い出しました。短い詩だから引用します。
寛 恕 の 季 節 伊 東 静 雄
まず病人と貧者のために春をよろこぶ
下着のぼろの一枚をぬぐよろこびは
貧しい者のこころにしみ
もつとものぞみのない病人も
再び窓の光に坐る望みにはげまされる
国立病院の殺風景な広い前庭には
朝を待ち兼ねて
ベンチの陽にうずくまる人を見る
金輪をまわし際限もなきめぐる童子
金輪は忘我の恍惚にひかつて
行きすぎる群衆の或る者を
ふとやさしい微笑に誘う
汚れた鴎が飛ぶ のろく橋をくぐつて
街の運河のくさい芥の間に餌を求め
やがて一ところに来て浮ぶ四羽五羽
水に張り出したバラックの手摺から
そつちに向けて二人の若者が
トランペットの練習をしている
不揃いの金属音の響きは繰り返し
この寛恕の気のなかを人々は行き交う
そして遠く山間や平野の隅々に
まだ無力に住み残つた疎開者たちは
またも「模様」を見に
もとの都会にもう一度出かけてみようと思う
(昭和24年3月10日「毎日新聞」)
この詩を発表して3か月後に大阪の中学教師・伊東静雄は肺結核を発症して休職、同年10月には国立病院に入院して43歳の誕生日を迎え、入院4年目の昭和28年3月に夫人と一男一女を残して数え年47歳で亡くなります。有効な抗生剤はまだ開発途中の時代の肺結核発症でした。「寛恕の季節」以降の4年間には病床で書かれた10行にも満たない詩が2編あり、それも切ない佳作ですが、最後の名作はこの「寛恕の季節」で、結核発症直前の作品ながら健康不安を予期して書かれた詩編でしょう。「まず病人と貧者のために春をよろこぶ」という一行目から名作になるのは決まったようなものです。しかし伊東がこの詩を書いた春、桜が開花した頃には肺結核の発症は確定していました。そしてそれが入院前に見ることのできた最後の桜でもあったでしょう。そういう目で桜を見る時が誰にでもいずれは訪れます。そしてもちろん、桜の樹も歳をとっていくのです。