人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年5月23日~5月25日/フリッツ・ラング(1890-1976)のアメリカ映画(3)

 前作『マン・ハント』(米20世紀フォックス'41)の後フリッツ・ラングは監督デビュー前のサミュエル・フラー(1912-1997)原案のロンドン空襲戦争映画『Confirm or Deny』(日本未公開)には企画段階で降板、ジャン・ギャバンのハリウッド・デビュー作『夜霧の港』は製作半ばで降板し、この2作は『化石の森』'36、『マルクス捕物帖』'46などで知られるアーチー・メイヨ(1891-1968)が完成させることになります。企画段階までしか関わらなかった『Confirm or Deny』はともかく『夜霧の港』は実質的には共同監督作とされるもので、こうした例はシュトロハイムの監督で始まり途中で製作会社によって監督が交代させられ、後任者ルパート・ジュリアン単独名義の監督作になった『メリー・ゴー・ラウンド』'23の昔からハリウッドの製作システムではよくあることでした。サミュエル・フラー原案のフリッツ・ラング作品が実現しなかったのはつくづく惜しまれますが、アンソニー・マンの傑作『ウィンチェスター銃'73』'50も先にラングのもとに持ち込まれた企画だったそうで、ジョン・フォードへの企画『マン・ハント』がラングの作品になって良かったのと同様、『ウィンチェスター銃'73』もアンソニー・マン作品に落ち着いて良かったと言えるでしょう。『夜霧の港』は昨年末に日本初ソフト化された珍品(コスミック出版『ジャン・ギャバンの世界』10枚組DVD収録、定価2000円)、また今回ご紹介する『死刑執行人もまた死す』'43、『恐怖省』'44は戦時下に堂々製作されたラング得意のスパイ・サスペンスで、ことに『死刑執行人も~』はラングの最高傑作に上げる評者も多い力作です。

●5月23日(火)
『夜霧の港』Moontide (米20世紀フォックス'42)*95mins, B/W *アーチー・メイヨ名義、ノンクレジット

イメージ 1

・戦中作品だが戦争臭はないので日本でも戦後間もなく公開され、パッとしない出来のため長年忘れ去られていた作品。ジャン・ギャバンとヒロインのアイダ・ルピノの魅力だけで持っているような出来だが、脛に傷持つ流れ者を演じるギャバンと自殺未遂を助けられた貧しいウェイトレスのアイダ・ルピノの庶民的ラヴ・ロマンスが『望郷』『霧の波止場』、戦後作品だが『鉄格子の彼方』などのフランス映画のギャバンと変わらないキャラクターで憎めない。西海岸の港町サン・パブロが舞台なのもいつも港町の男ギャバンらしく、ラング演出らしい部分はギャバンの腐れ縁の男(クロード・レインズ)が脅迫者としてまとわりついてくるあたりか。ギャバンとルピノのロマンスに影がさすのはレインズの横槍のせいで、そこにフィルム・ノワールらしい不穏さが漂うがストーリーにはうまく絡んでいない。ギャバンが泥酔中に殺人を犯したのを目撃した、と脅迫してくるのだが脅迫に説得力がないし脅迫の動機もはっきりしない。ギャバンとルピノが同居生活を送る繋船キャビンの昼(まばゆい陽光)と夜(とことん真っ暗)の天と地ほどにも違う雰囲気はいいムードで、抜き撮りだろうからどこまでがラングでどこからがメイヨか断定できないが普通のプログラム・ピクチャーとして楽しめる。アメリカの観客にもギャバンのいつものキャラクターが浸透しており、それに合わせて作ったのが見えるのが興味深い。助けられた翌朝にルピノが目玉焼きを朝食に作る。ギャバンがパンをちぎりながら目玉焼きを「旨いな」と食べる。「焼いただけよ」「旨いよ」という調子でごくさりげない描き方なのだが、所帯くさいクレマンの『鉄格子の彼方』などはデュヴィヴィエやカルネ作品よりも本作のギャバンに近いのではないか。ギャバンのさばけた演技はラングの厳しい演出とは相性が良いとは思えず、監督降板の事情もそこにあるのかもしれない。仕上げはアーチー・メイヨの仕事とはいえ、もしラング監督作名義の作品だったら後世に名を残しただろうからフォックス社さんも惜しいことをした。こういうところが映画が水商売たるゆえんではある。

●5月24日(水)
死刑執行人もまた死す』Hangmen Also Die! (米ユナイト'43)*135mins, B/W

イメージ 2

・ハリウッド渡米以降に企画と脚本段階からラングが発案した作品は数少ないが、中でもベルトルト・ブレヒトに共同原案とシナリオ協力を仰いだ本作はドイツ時代の作品以来のワンマン体制の製作になった。同年のルノワール『自由への闘い』同様ドイツ軍によって占領された都市のレジスタンス活動を描いた話で、ルノワール作品は架空の小国だったが本作の舞台はプラハで、死刑執行人と徒名されたナチ総督が暗殺されレジスタンス狩りが行われる中で総督を暗殺したレジスタンスのリーダー(ブライアン・ドンレヴィ)の地下活動と偶然その正体を知ってしまった大学教授令嬢(アンナ・リー)へのゲシュタポの追求、暗殺者逮捕まで続けられる民間人処刑の尾を引くナチのスパイのレジスタンス組織への侵入と、万事がスパイへの冤罪証言に収斂して皮肉な結末を迎えるまでを濃密かつスリリングに描く。プロットの精妙で緻密な展開とラング作品でも屈指の演出の隙のなさはすごいものだが、ルネ・クレマンレジスタンスもの『鉄路の闘い』やメルヴィルの『影の軍隊』と似た非情な印象は否めない。ナチに対して徹底抗戦するレジスタンス組織の掟を突き詰めるとゲシュタポと大差ないほど、ともすればゲシュタポ以上に非人間的で大義のためには個人の犠牲も厭わない、という面をレジスタンスの条件であり理想として描いている。フリッツ・ラングの全作品で作中もっとも殺人シーンの多い映画が徹底した反ナチ映画の本作なのは皮肉で、これほど個人の命の軽い映画は冷血漢ラングといえども他にはない。ルノワールの『自由への闘い』はそんなことはなかった。本作のメッセージを額面通りに受け取れば、大義のあるテロは正当化される。ルノワールチャップリンの反ナチ映画『独裁者』と較べてもラングの急進性は危うく、戦時下の作品という政治的条件を飲んだ上でスパイ・サスペンス映画としての抜群の技巧を楽しむにとどめたい。ものすごく面白い映画だから譲歩できるがあまりに憎悪に満ちていて、プロパガンダ映画としての思想性にまで共感してはやばい作品。だがラングが本気で怒っているからこそこのテンションが生まれたと思うとプロパガンダ的側面の完全な否定もできないのがますますこわい。

●5月25日(木)
恐怖省』Ministry of Fear (米パラマウント'44)*86mins, B/W

イメージ 3

・前作がすさまじかっただけにグレアム・グリーン原作のスパイ・サスペンスをサラッと映画化した本作はホッとする。開戦前の『マン・ハント』と終戦も見えてきた頃の本作はエンタテインメントとトピックスのバランスが取れていて、出来や意気込み、感動は『マン・ハント』におよばないが感動どころか背筋も凍る『死刑執行人もまた死す』の後では軽快なヒッチコック型(始めたのはラングが早いが)一般人巻き込まれスリラーくらいがありがたい。グリーン原作の有名映画といえばキャロル・リードの『落ちた偶像』'48、『第三の男』'49があるがそれより5年前にラングがやっているのもなかなかで、軽い作風なのはパラマウントのカラーでもある。さて、訳ありな会話を主治医と交わして主人公(レイ・ミランド)が退院した病院は精神病院だった、という場面で始まる本作、ぶらりと慈善バザーに立ち寄って女占い師のお告げの通りにケーキの重さ当てクイズでケーキを当てたのをきっかけに追われるハメになり、自分からケーキに仕組まれた謎を追うと誰が味方で誰が敵かわからないナチのイギリス潜入スパイ組織の諜報活動に巻き込まれていた、という話。ケーキの中にはスパイものに不可欠なアレだしスーツケースは爆発するし、主人公の精神病院入院は難病末期の妻の自殺(服毒)幇助による実質的な服役だったりと、皮肉なセンスの光る原作を四角四面なドイツ人ラングが映画化しているのでラングには珍しいブラック・ユーモアが漂うあたりが楽しく、映像のスタイリッシュなかっこよさまでギャグと紙一重になっている面白さがある。ラストの危機一髪シーンなどキレが良すぎてほとんどコントに近い。全体的には軽いが緊張感が途切れないのと、前作『死刑執行人~』より50分も短いのに短さが映画を引き締めていて物足りなさを感じさせないのはさすがで、アクションに次ぐアクションなので小品以上の充実感がある。無名女優マージョリー・レイノルズのヒロインが『死刑執行人~』のアンナ・リーに輪をかけて没個性なマネキンなのが残念だがミランドの好演で釣りがくるのでこの程度の女優でいい。さてスパイ映画を3連発撮って(『夜霧の港』は除く)、次にラングが手がけた2作はとんでもないものになった。『死刑執行人~』もとんでもなかったが反ナチという大義名分がある。ところが次に来る2作はまったくつかみどころのない、観客(視聴者)を煙に巻くようなものだった。すごいのだ。