人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年6月29日・30日/ スタンリー・キューブリック(1928-1999)監督作品全長編(5)

 今回でキューブリック全劇映画は最終回になります。前作『シャイニング』はその前の『バリー・リンドン』から5年ぶり、『バリー・リンドン』はその前の『時計じかけのオレンジ』から4年ぶり、『時計じかけ~』はその前の『2001年宇宙の旅』から3年ぶりと、1作ごとに製作ペースが開いてきたキューブリックですが、『フルメタル・ジャケット』は『シャイニング』から7年ぶり、遺作『アイズ ワイド シャット』は『フルメタル~』から12年ぶりの作品になりました。つまり晩年20年間には2本、『シャイニング』の公開から数えても3本しかないわけで、普通ならこれは不遇の境遇からの寡作になるところですがキューブリックの場合は『バリー・リンドン』すらスポンサーがついたほどですから本当に撮りたいものだけ撮った結果の寡作という感じがします。晩年2作の出来はどうあれ十分に力を尽くした印象が強いのは手抜き映画の佳作『シャイニング』の後だけになおさらで、健在ならばさらに新作が期待できた人ですが持てる力は晩年2作では作品ごとに使い切った燃焼感があります。特に『フルメタル~』ではなく『アイズ ワイド~』で幕を下ろしたのは有終の美で終わらせない、最後まで現役感を失わない面目を見せてくれた気がします。

●6月29日(木)
フルメタル・ジャケット』Full Metal Jacket (米ワーナー・ブラザース'87)*117min, Color, Widescreen (American Vista)

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・昭和63年(1988年)3月19日日本公開、配給・ワーナー・ブラザース。上映日数35日、観客動員数(推定)54万人、興行収入7億6,200円(ヒット)。コピー「“映画史上最高の戦争映画”と全世界の批評家が絶賛」。本作の原作小説も映画公開に伴い角川文庫から翻訳刊行されたが、良くも悪くも話題になったのは本作の製作発表から14か月後に製作発表され、本作公開より7か月前に全米公開されて大ヒットとなっていたヴェトナム戦争映画『プラトーン』との否応ない比較だった。かたや新人監督、かたや現役監督中最大の巨匠と目されるキューブリックで7年ぶりという過去最大のブランク、キューブリックとなれば期待値も当然最大限に高い。ジャーナリスティックにセンセーショナルな宣伝で売り出された『プラトーン』の反響に較べ、本作の方は悪くないが、キューブリックにしては淡々としているとまでは言わずとも意外なほどこぢんまりとしているじゃないか、というのが当時の大方の評だった。本作で有名になった原作者は公立図書館蔵書窃盗で逮捕され新聞種になった。さて舞台は南カロライナ州の合衆国海兵隊新兵訓練基地。ヴェトナム戦争真っ最中、8週間の地獄の特訓を受ける新兵たちが入隊する。ジョーカー(マシュー・モディン)、デブのパイル(ヴィンセント・ドノフリオ)、カウボーイ(アーリス・ハワード)らは早速頭を丸刈りされ整列させられて、鬼のような訓練教官ハートマン(リー・アーメイ)からウジ虫呼ばわりされ厳しい訓示を受ける。訓練は苛酷で厳しく訓練教官は容赦なく彼らをシゴく。特に何をやらせてもノロマで不器用なデブのパイルは目をつけられ、パイルのミスのとばっちりで他の訓練兵も懲罰にあい仲間からもリンチされる。そんなパイルをジョーカーは精一杯かばうがパイルは徐々に精神に異常をきたし目つきも変わる。遂に卒業前夜にトイレで狂気が爆発、ハートマンを撃ち殺し、自らも銃をくわえて絶命する。時が過ぎ、新兵たちも一人前の海兵隊員として各自の部隊に配属され、ヴェトナム戦線も終盤に近づいた1968年1月、ジョーカーはダナン基地で比較的のんびりとした報道隊員に就いていた。だが北ヴェトナム軍の激しいテト(旧正月)攻撃が始まり、ジョーカーは純真なカメラマンのラフターマン(ケヴィン・メジャー・ハワード)とともに最前線のフエ市へ向かう。そこではタッチダウン軍曹(エド・オーロス)の指揮のもと、殺人機械を自負するアニマル・マザー(アダム・ボールドウィン)や黒人兵エイトボール(ドリアン・ヘアウッド)、クレイジー・アール(キアソン・ジェキニス)らが集まっており、ジョーカーはカウボーイと感動の再会をする。それも束の間大激戦が始まる。前線偵察中、対面の廃ビルにひそむ凄腕の敵の狙撃兵にやられ、エイトボールやドク(ジョン・スタフォード)が撃たれ、カウボーイも撃ち殺される。決死の復讐を誓ったアニマル・マザーやジョーカーは廃ビルに侵入、狙撃兵を撃って瀕死の重傷を負わせるが敵はたった一人の少女兵と知り呆然とする。撃ってと嘆願する少女兵を狙い、ジョーカーは震える指先で銃の引き金を引き止めを差す。夕焼けの戦場、兵士たちはミッキーマウス・クラブの歌を唱和しながら前進を続け、俺はまだこのクソ地獄にいる。しかし生きている。除隊も近いだろう、とジョーカーのモノローグが重なりエンドクレジットにストーンズの「Paint It, Black」が流れて映画は終わる。『プラトーン』でジェファーソン・エアプレインの「White Rabbit」が使われていたのと暗合してしまったが(どちらもデイヴ・ハッシンガーのサウンド・プロデュース曲でもある)、はっきり言ってこの使い方はださい。本作に多用されているポップス曲はキューブリック令嬢の選曲らしいが映画で娘の機嫌を取ってどうする。評者のほとんどが指摘するように前半の地獄の演習50分と後半のヴェトナム実地戦がざっくり二つに割れている。教官を演じるリー・アーメイは本物の軍事教官で演技指導に雇われたそうだが俳優より本人に演らせた方が迫力あると出演が決まったそうで、前半は教官とデブのパイルの確執に手に汗握りぐいぐい引き込まれるが結局二人とも死んでしまうのでそれは納得としても後半との連続性がまったくない。後半は後半でここから出てくる兵士たちが中心だし、ジャングルではなく市街戦なのが目新しいとも言えるが戦争映画というよりギャング映画みたいで、イギリスで市街地のセットを作ったそうだから仕方ないが亜熱帯的ムードに欠ける。スナイパーとの銃撃戦もだいたい敵の正体の見当がついてしまうので盛り上がりがなくすんなり終わってしまう。ヴェトナム戦争の描き方に一切の大義を持ち込まない態度はアメリカ人にとっては苦いのかもしれないが日本のように万単位で民間人を殺傷された敗戦国では何を今さらな感じしかない。本作をスピーディーな快作にしているのは短いカット割りによるたたみかけるようなテンポでここまで徹底したのは『現金に体を張れ』以来と言ってよく、前作『シャイニング』では長回しと短いカットの折衷が成功していたから従来の長回しカットに気をとられていたが、本作は群衆劇としても『現金に~』以来の成功作になっていて、『突撃』から『シャイニング』までの9作では『博士の異常な愛情』以外は中心人物をめぐるドラマ以外は極小に抑えられているか平行エピソードとして割愛可能な装飾的機能に止まっていた。『博士の~』は物語上多元描写が必要だったがテーマをリレーしていく形式で場面転換していたので群衆劇とは呼べない。あえて仕上がりの散漫さが目立つにしても主役と言える人物がいない(個性の薄いモディーンは単なる狂言回しでしかない)群衆劇に取り組んで『現金~』とは正反対の行き当たりばったりの混乱状態を描いたのがキューブリックの意図なら十分に成功している。2時間を割る尺もこの作風でもう1部足して3時間の大作(原作には第3部もある)では持たない、と判断したからだろうし小ぶりにまとめたから破綻せずに済んだとも言えるが、'60年代~'70年代キューブリックなら2時間半~3時間の大作にした題材と思うと判断は良識的だがスタミナの減退を感じないでもない。そこは置いても内容的は善かれ悪しかれ失敗作ぎりぎりの線で勝負をかけた意欲は伝わってきて、前作ともども'60年代以来の作品中では最下位を争うものの喰えないじじいキューブリックは健在、と喜べる。並みの戦争映画企画ならこれだってカルトムーヴィーの傑作扱いされていたかもしれないのだ。

●6月30日(金)
アイズ ワイド シャット』Eyes Wide Shut (米ワーナー・ブラザース'99)*159min, Color, Widescreen (European Vista)

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・平成年(1999年)7月31日日本公開、配給・ワーナー・ブラザース。上映日数35日、観客動員数(推定)97万人、興行収入17億5,000万円(大ヒット)。コピー「見てはいけない、愛。」。キューブリックの遺作は過去最大のブランクを更新する12年ぶりの新作、完成試写会後5日後にキューブリックの急逝、主演は当時夫婦の大スター、トム・クルーズニコール・キッドマン、撮影期間400日を越えるギネス記録とあって公開即大ヒット作となった。原作はドイツ作家アルトゥール・シュニッツラー『夢小説』'26。シュニッツラーはどういう作家かというと、戦前ドイツの渡辺淳一みたいなものでございます。クリスマス前後のニューヨーク、結婚して9年目、7歳の娘ヘレナと最新式マンションに暮らす医師ビル(トム・クルーズ)とアリス(ニコール・キッドマン)はビルの知人の実業家ヴィクター(シドニー・ポラック)のパーティに出かけ、ビルはふたりのモデルに誘惑されている最中ヴィクターから呼び出され、へロイン中毒で倒れた売春婦マンディを治療する。その間アリスは自称ハンガリー貴族の中年紳士に誘惑されながらダンスを続けていた。帰宅後、寝室で酔ったアリスは夫に意外な告白をする。以前家族旅行先のホテルで、目が合った魅力的な海軍士官に抱かれる夢を見たという。妻の告白にビルは衝撃を受ける。老人の患者が急死して呼び出されたビルは妻が他の男に抱かれている妄想が頭から離れないまま深夜の街を彷徨よう。売春婦ドミノ(ヴィネッサ・ショー)の誘いで彼女のアパートに行くが、アリスの電話でお金だけ置いて立ち去る。ビルはパーティで再会した大学の同窓生でジャズ・ピアニストのナイチンゲールを訪ね、彼から秘密の仮装乱交パーティでの演奏依頼を聞き出す。黒装束に仮面をつけ郊外の館に乗り込んだビルに謎の女がすぐに立ち去るように忠告する。迷う間もなくビルは屈強な男に連行されて仮装した乱交中の人々の前でひとりだけ仮面を外し、裸になれと強制される。謎の女がビルの代わりになると申し出てビルは追い払われたが、翌日ナイチンゲールを訪ねるとピアニストはホテルを追い立てられていた。さらにビルには不審な尾行者がつきまとう。新聞には元ミスコン女王がドラッグ過剰摂取で急死した事件が出ており、自分の患者だと偽り安置所で死体を確認したが昨晩の館の女かはわからない。昨夜の売春婦ドミノのアパートに行くとシェアルームしている別の女がおり、彼女は帰ってこないと匂わされる。追及すると今朝エイズの陽性反応がわかり郷里に帰ったという。なおも半信半疑で館に行くと門番から「これ以上詮索するな」と脅迫状が渡される。直後にヴィクターに呼び出されたビルは事件の真相を聞かされる。館の女はパーティで彼が診たマンディだった。彼女はあの館に出入りする売春婦で、ヴィクターも会員の一員だった。しかし現に死者がと抗弁するビルにヴィクターはあくまで偶然の事故と主張し、無事でいたければ手を引けと念を押されて帰宅したビルは、眠るアリスの枕元にビルが使った仮面を見つけ、ついに妻に全てを告白する。娘へのプレゼントの買い物に出た夫婦は、絆をもう一度確かめあおうと語る。夫「どうすれば?」妻「ファックよ」。キューブリック最後の映画の最後の台詞が「Fuck」の一語になるとは本人も会心の一撃だったのではないか。しかもヒロインの台詞で、キューブリック映画はこれまでヒロイン映画は1本たりともなかった。例外は『シャイニング』くらいかもしれないがあれもたまたまヒロインだっただけで被害者ならばヒロインでなくてもよく、『恐怖と欲望』『非情の罠』『突撃』『スパルタカス』『博士の異常な愛情』『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』の7作は女優は一人しか出てこない。『2001年宇宙の旅』の女性月面ステーション乗組員は単なるスタッフだし『ロリータ』や『時計じかけ~』『バリー・リンドン』『シャイニング』でも女性は客体でしかない。倦怠期の夫婦の感情の相剋、といってもやはりキューブリック映画の常で夫の側の話ばかりだな、とまるっきりホラー映画的展開を苦笑しつつも観ていくと、エンディングでキューブリック映画史上初めてヒロイン視点にひっくり返る台詞が出た。本作のキャスティングは賛否両論で特にトム・クルーズのミスキャストを指摘する評者が多く、キューブリックも試写会後近親者に「クルーズとキッドマンは失敗だった」と漏らしたとも伝えられるが、何かというと医師会証明書を振りかざすクルーズのぼんくらキャラといい大した演技の披露の場もなくただ美人なだけのキッドマンといいキューブリックの思惑以上に理想的な空っぽの上層中産階級アメリカ人夫婦を映してはいないか。昔ながらのハリウッド映画同様平均的な観客にとっては手が届きそうで絶対届かない世界の住人だが、憧れは嫉妬と紙一重だからこの映画は「金持ちなんかロクなもんじゃないよ」という大衆がいちばん観たい実態(らしきもの)を観せてくれる。案外キューブリックも庶民派だったわけだが実業家ヴィクター(シドニー・ポラックを見直す好演!)のパーティーで観客を白けさせておいて深夜の大邸宅の大乱交パーティーでだめ押しをする明快な意地の悪さといい、クルーズのヘタレぶりをこれでもかと見せつける展開といい、キューブリック映画の主人公としてこれほど情けなかった野郎はなく、最後は女房の尻に敷かれる下げ(『現金に~』でさえ一矢報いたのに)になるのも唐突だが他にないよなあ、とこのぶっきらぼうなエンディングにすべてが流れ込む手口もキューブリック全力の下世話さがこんなに全開したのは70代を迎えた開き直りを感じて感動する。開き直りと言うと悪く聞こえるが俗にまみれる覚悟と言ってもいい。程度の差こそあれキューブリックは最後まで1作ごとに全力を尽くした。この遺作も長編劇映画全13作中上位に入る作品になっている。こんなエロ映画で2時間40分を持たせた根性(というか執念)には泣ける。キューブリック映画中有名作を数本は観てから観るべき遺作かもしれないが、最後まで面目躍如を保ち続けた。タイトルは慣用句のeyes wide openのもじりだそうだがニュアンスはblinded by that light (光に目がくらむ)ということだろう。キューブリック作品は最後に初めて男性主人公がヒロインに「見られる(逆光を浴びせられる)」立場になる映画になった。やり残していた課題にきっちりけりをつけてみせてくれた遺作になったと思う。