人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年9月16日・17日/ レオ・マッケリー(Leo McCarey, 1898-1969)のコメディ映画(1)

イメージ 1

 これまでこの映画日記は感想文の前に作品の詳しいストーリー紹介を書いてきましたが、今後は作品によりけりにしようと思います。サイレント時代の映画や全作品紹介をしてきた映画監督たち(フリッツ・ラングイングマール・ベルイマンスタンリー・キューブリックミケランジェロ・アントニオーニ等)の場合は資料的な意味から特に詳細な内容を載せてきましたが、一般に映画を観るにはDVDのパッケージに短くまとめられている紹介文程度で予備知識は十分でしょう。アート系映画と娯楽映画にジャンル自体の優劣はありませんが、紹介の上では作品への興味を損なわない度合いが違ってきます。今回からご紹介するレオ・マッケリーの映画は野暮な前知識不要の徹底したハリウッド娯楽映画ですから、内容はあっさり設定と導入部について触れる程度で参考程度に感想文を載せ、面白そうだったらご覧ください、という書き方にするつもりです。
 ヘンリー・ハサウェイ(1898年生まれ)の作品をご紹介した時触れましたが、ハリウッド映画の黄金時代と呼ばれる1930年代~1950年代初頭にもっとも活躍したのは当時30代~50代の壮年世代だった1890年代生まれの映画監督たちでした。クラレンス・ブラウン、マーヴィン・ルロイ(1890年生まれ)、フランク・ボーゼイジ(1893年生まれ)、ジョン・フォードジョセフ・フォン・スタンバーグキング・ヴィダー、デヴィッド・バトラー(1894年生まれ)、ルイス・マイルストン(1895年生まれ)、ハワード・ホークスウィリアム・A・ウェルマン(1896年生まれ)、フランク・キャプラ(1897年生まれ)ヘンリー・ハサウェイ(1898年生まれ)、アルフレッド・ヒッチコック(1899年生まれ)らがアカデミー賞作品を持つ主要な1890年代生まれの映画監督たちですが、レオ・マッケリーも上記監督たちと匹敵する人気と業績を上げた映画人です。1918年ユニヴァーサル映画社に入社しトッド・ブラウニング(グリフィス門下生、後『魔人ドラキュラ』『フリークス』など)の助監督に就いたのがキャリアの第一歩で、1923年にはハロルド・ロイド映画で'20年代に全盛を極めたコメディ映画のハル・ローチ(1892-1992)・プロダクションに移籍し、ローレル&ハーディ作品などで初期の成功をおさめたマッケリーは生涯104本の監督作品がありますが、大半はこれらサイレント時代~'30年代初頭のコメディ短編です。映画のトーキー化と歩調を合わせて'30年代初頭から長編映画の監督になっていったマッケリーは1937年の『新婚道中記』(キネマ旬報8位)はアカデミー賞6部門ノミネートで監督賞受賞、アメリカ国立フィルム登録簿には1996年度に登録され、1944年の『我が道を往く』はアカデミー賞9部門ノミネートで作品賞、主演男優賞、助演男優賞、監督賞、脚色賞、原案賞、歌曲賞の7部門受賞。またニューヨーク批評家協会賞では作品賞、男優賞、監督賞を受賞、ゴールデングローヴ賞でも作品賞と助演男優賞受賞と同年を代表する作品になり、アメリカ国立フィルム登録簿にも2004年度に登録されました。30年代後半からのマッケリーは自分のレオ・マッケリー・プロダクション製作作品からメジャー配給作品を送り出し、製作・オリジナル原案・脚本もマッケリー自身が手がけたため収益率が非常に高く、全米長者番付第1位にすらなっています(長者番付は納税額ですから純益ではありませんが)。「アメリカ映画の父」D・W・グリフィス(1875年生まれ)はもちろんヴィダーやホークス、ウィリアム・ワイラー(1902年生まれ)らも早くから自分のプロダクションを立ち上げておりマッケリー以上のヒット作を持っているはずですが、全米長者番付第1位というのは映画人では後にも先にもないはずです。マッケリーは基本的にはコメディとロマンスと人情劇の映画監督で、キャプラとホークスとジョージ・キューカーを足して割って独自に洗練させたような作風に向かって行きました。しかし年代順にご紹介していくとマルクス兄弟ハロルド・ロイドの傑作を監督しており、特にマルクス兄弟作品はとんでもない代物です。この2作は全米公開直後に日本公開されており、戦前の「キネマ旬報」近着外国映画紹介欄にも案内があります。著作権法も切れている上いかにも戦前の日本語らしい文体で面白いので(しかもまるで紹介になっていない)、今回の2作の紹介は「キネマ旬報」から現代かなづかいに直して引用することにします。

●9月16日(土)
『我輩はカモである』Duck Soup (パラマウント'33)*68min, B/W

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

(「キネマ旬報」近着外国映画紹介より)
パラマウント映画配給
日本公開昭和9年1月・コメディ
[ 解説 ] 「御冗談でしョ」に次ぐマルクス4兄弟主演笑劇で、「けだもの組合」「御冗談でしョ」を共同で原作脚色し、なお後者を作詞作曲したバート・カルマーとハリー・ルビーがやはり共同で原作脚色作詞作曲にあたり、「カンターの闘牛師」「恋愛即興詩」のレオ・マッケリーが監督に任じ、「ビール万歳」「競馬天国」のヘンリィ・シャープが撮影した。助演は「ココナッツ」「けだもの組合」のマーガレット・デュモン、「南海の白影」「海魔」のラクェル・トレス、「夜ごと来る女」のルイス・カルハーンエドガー・ケネディ等である。
[ あらすじ ] フリードニア共和国は財政難に陥りティズデイル夫人(マーガレット・デュモン)に2000万ドルの調達を依頼したが夫人はルーファス・ティーファイアフライ(グルーチョ・マルクス)が独裁者に任命されなくては貸すことができぬと断った。かくしてファイアフライが宰相に任命された。隣国シルヴェニアの大使トレンティノ(ルイス・カルハーン)はフリードニアを自国の手中に収めようと計画し、踊り子のヴィーラ(ラクウェル・トレス)にファイアフライの誘惑を頼むが、ファイアフライティーズデイル夫人に思い召しあるので、誘惑に応じない。トレンティノはチコリニ(チコ・マルクス)とピンキイ(ハーポ・マルクス)の2人をスパイにしてファイアフライの行動を監視させていたが、チコリニはファイアフライから陸軍大臣に任命されてしまった。トレンティノは自分がティーズデイル夫人と結婚して、フリードニアの実権を握ろうとしたが、ファイアフライは彼を侮辱して戦争を誘発する。彼は戦争の計画書をティーズディル夫人に預ける。これを知ったヴィーラはチコリニとピンキイにそれを盗ませようと計る。2人はファイアフライに変装して夫人の邸に忍び込んだが、ビンキイが金庫と思ってラジオのダイアルを回したので、まんまと失敗した。ついに宣戦が布告された。ファイアフライは国民を激励して出征したが、夫人、チコリニ、ピンキイと共に敵軍に囲まれた。しかし彼らは巧みに敵将トレンティノを凹ませ、大勝利を得ることができた。

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

 レオ・マッケリー監督作品紹介の最初にこれを持ってくるのはあまり適切ではないかもしれません。実物をご覧になるとあ然としますが、実はこのあらすじはほとんど意味をなしておらず、映画全編がストーリーともプロットとも関わりないマルクス兄弟のギャグの器になっているだけ、という大胆不敵も極まりない作品になっています。マルクス兄弟は1929年にパラマウントから『ココナッツ』でデビューし、年1作で『けだもの組合』『いんちき商売』『御冗談でショ』とヒット作が続き本作は5作目ですが(監督は毎作交替)、今回ばかりはあまりに破壊的な内容に興行的に失敗作となりパラマウントとの契約も打ち切られ、次作はMGMに移籍し1年おいたサム・ウッド監督の『オペラ座は踊る』になりました。1967年、オタワ映画保存協会(カナダ)による世界40か国の批評家アンケート投票の<映画史コメディ映画ベストテン>では1位『黄金狂時代』'25、2位『キートン将軍』'26、3位『オペラは踊る』'35、4位『ぼくの伯父さんの休暇』'52、5位(同点2作)『我輩はカモである』'33・『モダン・タイムス』'36、7位(同点2作)『ル・ミリオン』'31・『マダムと泥棒』'55、9位『イタリア麦の帽子』'27、10位『ロイドの要心無用』'23とマルクス兄弟作品では『我輩は~』『オペラは~』の2作の評価が群を抜いて高いものの作風は対照的で、サム・ウッドらしく整然として大味な『オペラ』に対して『カモ』は映画としてはほとんど破綻しており、ローレル&ハーディの破壊芸(マッケリー監督作ではありませんが、アカデミー賞短編コメディ賞受賞作『極楽ピアノ騒動』'32が代表的)が物理的破壊を見せる映画ならパラマウント時代のマルクス兄弟は映画そのものを破壊しているような映画でした。MGM移籍後のマルクス兄弟映画は窮地に陥った善男善女の主人公カップルをマルクス兄弟が助ける、という勧善懲悪コメディに路線変更させられますがMGM移籍後の5作と他社での単発契約作3作も人気が高く、テレビ普及後のアメリカでは深夜映画の定番だったそうで、マルクス兄弟映画の深夜放映がある晩はマルクス兄弟の大ファンのジョン・コルトレーンはクラブ出演を早めに切り上げてテレビを観るため帰宅した、というエピソードもあります。マルクス兄弟ユダヤ系移民のコメディアンでしたがユダヤ系の観客のみならず黒人、アイリッシュ、イタリアンなど少数民族系移民の観客に絶大な人気がありました。淀川長治氏は「あれは舞台劇」とマルクス兄弟映画を評価しませんでしたが舞台劇というのは的を射ていて、この兄弟チーム(実際の兄弟)は実はチャップリンやロイド、キートンたち'20年代のスターよりも年長で、チャップリンらが青年時代に舞台のコメディアンからサイレント期の映画外国に進出したのに対し、マルクス兄弟は舞台劇時代が長くトーキー化を迎えた映画界に40代になってデビューしたのです。最初の2作『ココナッツ』『けだもの組合』はマルクス兄弟の舞台劇のヒット作をそのまま映画セットで撮影したものでした。内容はありふれた社交界コメディにヒゲとメガネで皮肉な舌先三寸の詐欺師グルーチョ、陽気で間抜けな偽イタリア人ペテン師でピアノの名手チコ、何でも取り出せるコートを着た年齢不詳の唖者で敵味方の区別なく破壊の限りを尽くす予測不可能で好色なハープ名人の道化師ハーポ、端役で二枚目なだけのゼッポの4兄弟が、ゼッポ以外の3人の得意想妙なチームワークでドラマを滅茶苦茶にして終わるミュージカルとコメディとバーレスク(見世物)のごった煮です。第3作からは映画オリジナル脚本になり『いんちき商売』は豪華客船もの、『御冗談でショ』はフットボールもの(!)のマルクス兄弟流ぶち壊し映画でしたが、本作ではついに同年成立したばかりのナチス政権にヒントを得ていち早く架空のヨーロッパの独裁軍事国家をマルクス兄弟が茶化しまくる、『最後の億萬長者』'34(ルネ・クレール)、『チャップリンの独裁者』'40、『生きるべきか死ぬべきか』'42(エルンスト・ルビッチ)より早くてやばいファシズム喜劇の先鋒になりました。「キネマ旬報」の作品紹介は一応ストーリーはこの通りですが、見所はストーリーと全然関係なく乱れ撃ちされるグルーチョとチコとハーポの得意芸のギャグの連発にあります。グルーチョが独裁者でチコとハーポが何も考えていない二重スパイ、など冗談でもよくこんな企画が通ったな、と呆気にとられるしかなく、マルクス兄弟映画の常連上流階級マダム役マーガレット・デュモン、敵国大使役ルイス・カルハーン、街頭の屋台のピーナッツ売りを副業とするチコとハーポの宿敵のソーダ売り屋台のエドガー・ケネディなどキャストも最小限にして充実(フリードニア国の士官ゼッポは全然存在感なし。ゼッポは本作を最後に引退します)。そして(チャップリンの初期短編に先例はありますが)グルーチョに化けたチコとハーポがグルーチョと対決する寝室の鏡のシークエンス!『オペラは踊る』にも船の客室の一室に次々と人がすし詰めになる有名なシークエンスがありますが、アイディアは同等でも演出のセンスでマッケリーとウッドの腕前の差がはっきりとわかります。本作のような怪物的傑作はマッケリーにとっても空前絶後だったようで、興行的失敗もその一因だったでしょうがマルクス兄弟映画でも本作はパラマウント時代の秀作群からも隔絶していると言ってよく、こういう作品はマッケリーにとってもマルクス兄弟にとっても一期一会の奇跡だったということになりそうです。現行版68分(オリジナルからミュージカル・メドレーの黒人差別的なパートを2分カット)、たった68分に詰め込まれたギャグの密度だけでもほぼ同じ長さのチャップリンの『黄金狂時代』に匹敵し、見方によっては越え、サイレント喜劇の頂点が『黄金狂時代』ならトーキーでは『我輩はカモである』以外にはないでしょう。ほとんどマルクス兄弟とマッケリーの実力以上の傑作になっているとすら言えそうな作品です。

●9月17日(日)
ロイドの牛乳屋』The Milky Way (パラマウント'36)*88min, B/W

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

(「キネマ旬報」近着外国映画紹介より)
パラマウント映画配給
日本公開不詳・コメディ
[ 解説 ] 「ロイドの活動狂」「ロイドの大勝利」に次ぐハロルド・ロイド主演映画。リンルートとハリー・クローク合作の舞台劇を、「ベンガルの槍騎兵」のグローヴァー・ジョーンズ、「お嬢様お耳拝借」のフランク・バトラー及びロイド会社専属のリチャード・コネルが共同脚色し、「人生は42から」「カンターの闘牛師」のレオ・マッケリーが監督に当たり、「南瓜サラリーマン」「録鼠流線型」のアルフレッド・ギルクスが撮影した。助演者は「ゴールド・ディガース36年」のアドルフ・マンジュウ、「愛の岐路」のヴェリー・ティーズデール、「生命の雑踏」のヘレン・マック、「恐怖の四人」のウィリアム・ガーガン、「ロイドの大勝利」のジョージ・バービア、「ホワイト・パレード」のドロシー・ウイルスン、ライオネル・スタンダー等である。
[ あらすじ ] 牛乳配達夫バーリイ・サリヴァン(ハロルド・ロイド)はある夜妹メイ(ヘレン・マック)をからかっている酔漢2名と争った。弱虫の彼は殴られるのを避けるのがうまいのでその時も酔漢の同志打ちとなり、殴り倒されたのが中量拳闘チャンピオンだったので大評判となった。翌朝チャンピオン、スピード・マクファーランド(ウィリアム・ガーガン)の支配人ギャツビィ・スローン(アドルフ・マンジュウ)が事情の説明を求めているところへ、バーリイが来訪し、殴ったのはトレイナーのスパイダー(ライオネル・スタンダー)だと説明するうち、スパイダーは再び誤ってスピードを殴り倒した。偶然、その場に新聞記者や写真班が入ってきたので、「牛乳配達夫再びチャンピオンを倒す」という記事が出た。腐ったギャツビィは、バーリイを拳闘家に仕立てて儲けようと計画した。バーリイは愛馬アグネスの曳く車で牛乳配達中、アグネスが倒れたので電話を借りて会社へ報告したが、電話を借りた床屋勤めの爪磨き娘ポリイ(ドロシー・ウィルソン)と恋仲になった。アグネスは妊娠したのであるが、会社バーリイの成績不良を楯に入院費を払って呉れないので、バーリイは配達夫を止めて、ギャツビィと契約し、拳闘家になった。敵の打撃を避けるのがうまいのと、相手方に旨を含めての八百長試合だったので、バーリイは連戦連勝だった。牛乳会社社長オースチン(ジョージ・バービア)は、会社の宣伝にバーリイの契約をスローンから買い取った。そしてスピードと選手権争奪試合を行う事となった。スピードはバーリイの妹メイと婚約の仲となっていたので、兄弟殴り合うのは止めると、バーリイが言い出したが結局試合は行われた。所が試合の晩に、バーリイが連れてきたアグネスの仔馬に蹴られてスピードが気絶したのを、顧問のスパイダーが気付け薬と睡眠薬を間違えて飲ませてしまった。このためスピードは最初からフラフラで、バーリイはわけなく選手権を奪い取った。そして牛乳会社の共同経営者となり、ポリイと結婚したのである。

イメージ 11

イメージ 12

 初の長編『ロイドの水兵』'21からサイレント長編11作、トーキー長編4作を経てパラマウントで製作されたハロルド・ロイド映画の最後のパラマウント製作長編(トーキー5作目)。次作『ロイドのエジプト博士』'37をハロルド・ロイド・プロダクション製作、パラマウント配給で発表してロイドは引退してしまうので、偶然ですがマッケリーはマルクス兄弟に続いてロイドのパラマウント最終作にも起用されたことになりました。マッケリー作品はすでに全盛期のスクリューボール・コメディとロマンス、人情劇の作風に移りつつあり、ロイド作品はサイレント時代からチャップリンの重い社会的ドラマ性、キートンの奇想天外なシチュエーションのアクション中心のスラップスティックとは持ち味が違う都会的な洗練された青春ラヴ・ロマンス的コメディだったので(人気とヒット実績もキートンより遥かに上で、チャップリンよりも高かった)大衆的作風にシフトしたマッケリーとの相性はマルクス兄弟の時よりも良かったでしょう。ただし『カモ』はマッケリーの才気とマルクス兄弟の強い個性の一騎打ちからこそ生まれた作品だったので、指向性をほぼ同じくするロイドとの作品では演出に飛躍と意外性が乏しいきらいがあります。華奢な身体つきのロイドはキートンにも劣らないタフな体技(チャップリンマルクス兄弟の体技はタフというよりは俊敏で繊細)が実は武器で、高層ビルの壁登りをやってのける『ロイドの要心無用』はもちろんスポーツものなら『黄金狂時代』と同時期公開でチャップリンより大ヒットした『ロイドの人気者』ではフットボールで大活躍していますし、ボクシングものならキートンに傑作『拳闘屋キートン』'26があったので題材にも新味に欠ける弱みがあります。愛馬アグネス(1930年代にアメリカではけっこうな都会でも馬車で牛乳配達していたとは見物ですが)との愛情は『キートンの西部成金』'25(こちらは雌牛ですが)からの頂きでしょう。ただし都会の日常的な市井風俗の細やかな描写は、自分の作風に合わせてエキセントリックな世界を作り上げるチャップリンキートンマルクス兄弟にはないロイド映画ならではの情感で好ましく、この等身大のキャラクター(喜怒哀楽の表情が自然なのも他の喜劇人にはない魅力です)がロイドを喜劇映画のトップスターにしたのがわかります。本作はロイド自身のロマンスと妹のロマンス(ライヴァル・ボクサーとの恋愛)が平行して進む構成も巧みで伏線の張り方や生かし方もうまく、クライマックスの試合までのロイドの試合は家族や友人たちが聞くラジオ中継なのを手抜きと評する意見もありますが、ファイト・シーンそのものの映像はクライマックスまで取っておいたのはこの場合正解でしょう。それまでの試合に次ぐ試合を映像で観せていたらくどすぎて最後の妹の恋人との試合までに食傷してしまうのは明らかです。ただしその分中盤の展開が経済的ではあるけれど印象が弱いのは否めず、ロイド演じるサリヴァン(アイリッシュ名前なのに注意)の実力が本物か探りに妹メイに近づいたスピードが本当にメイと恋仲になってしまう、サリヴァン行き着けの床屋で爪磨き嬢のポリーとの再会のギャグシーン、嬉しいことにスピードの興行師ギャツビイ役が出てくるだけで華があるアドルフ・マンジュー(『巴里の女性』'23、『結婚哲学』'24、『モロッコ』'30、『突撃』'57)、頭の弱いボディガード役の徒名がスパイダー、ギャツビイの命名したサリヴァンのリングネームがタイガーとくすぐり所は満載ですがクライマックスまではどうも弱い。ただしクライマックスにかけてのたたみかけは素晴らしく、スピードとの試合に向かうサリヴァンをアグネスの生んだ子馬が追いかけてきてしまい、タクシーにこっそり子馬を同乗させ、何度も馬のいななきでバレそうになりながら自分もいなないてごまかし通すギャグなど映画全般のラジオや電話の使い方、台詞の間合いも含めてトーキー技法の利用とこなれ方では同じサイレント出身者でもチャップリンキートンを抜いており、独裁的な映画作りのチャップリン、トーキー時代には移籍後の映画会社によってサイレント時代のスタッフとブレインから切り離されてしまったキートンと違い、ハル・ローチ・プロダクション時代からの優秀なスタッフとブレインとサイレント~トーキー時代を通して緊密な関係で映画を作ることのできたロイドの人徳がパラマウント最終作でも生かすことができたのはさすがです。マッケリーも前'35年『人生は四十二から』で市井の哀歓を湛えたヒューマニスティックなドラマに乗り出し、本作を挟んで1937年にはアカデミー賞監督賞受賞作のスクリューボール・コメディの傑作『新婚道中記』、小津安二郎東京物語』'58の雛型になった『明日は来らず』を手がけます。ロイドとしても初期短編で人気が定着後に初長編から本作まで15年間に16作ものあいだ第一線で活動を続けたのはサイレント時代からの喜劇人では稀で(チャップリンは5年に1作、キートンはメジャー契約を失いヨーロッパで単発長編に数作出演した後帰国しましたが添え物短編で細々と活動していました)、自社プロダクションからの次作できっぱり引退したのも見事でした。『牛乳屋』はロイド作品では水準作ですが、40代前半になったロイド(1893年生まれ)はほぼやり尽くした感があったでしょう。マッケリーにとっても純粋スラップスティック・コメディは『カモ』と『牛乳屋』でやり尽くしたからこそ作風の転換を図れたように思われます。