人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(16); 萩原朔太郎詩集『氷島』(iv)

萩原朔太郎(1886-1942)、詩集『氷島』刊行1年前、個人出版誌「生理」(昭和8年6月~昭和10年2月、全5号)創刊の頃、47歳。

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萩原朔太郎詩集『氷島昭和9年(1934年)6月1日・第一書房刊(外函)

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 詩集『氷島』本体表紙

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 詩集『氷島』については文体だけが問題で、その文体の変化が従来の萩原の詩の軽やかさ、自由な感覚を圧迫して露骨に自伝的な内容を呼び込んでしまった、というのがこれまでのまとめです。たったこれだけのことに8回も読書感想文を重ねたのは忸怩たるものがありますが、世の中には必要な無駄というものがあるのです。寄り道・まわり道をしなければ見えてこないものも時にはあります。『氷島』のような食えない詩集の場合はなおのことです。結局、萩原の文語自由詩系列は大正2年(1911年)~大正3年の「愛憐詩篇」18編(大正14年=1925年8月刊『純情小曲集』に収録)と大正12年(1923年)~大正14年の「郷土望景詩」10編(『純情小曲集』に収録、のち昭和3年=1928年3月刊『萩原朔太郎詩集』で大正15年の1編追加)を、昭和2年(1927年)~昭和8年創作の『氷島』収録の新作詩編20編と併せて見るのが早道で、前回は「愛憐詩篇」全18編をご紹介しました。次に見るべきは「郷土望景詩」です。
 この「郷土望景詩」は全詩集『萩原朔太郎詩集』(昭和3年=1928年3月刊)では『純情小曲集』刊行翌年発表で「郷土望景詩・追加詩篇」と付記された「監獄裏の林」(大正15年=1926年4月「日本詩人」)と合わせて全11編になりましたが、詩集『氷島』(昭和9年=1934年6月刊)には「波宜亭」「小出街道」「中學の校庭」「廣瀬川」「監獄裏の林」の順で『氷島』初収録の新作20編に混じって5編が再録されています。今回は作品自体の紹介に止めて、『氷島』についても一旦切り上げ、次回からは「愛憐詩篇」と「郷土望景詩」からなる『純情小曲集』を見ていきたいと思います。

萩原朔太郎詩集『純情小曲集』大正14年(1925年)8月12日・新潮社刊(カヴァー装)

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 郷 土 望 景 詩


  中 學 の 校 庭

われの中學にありたる日は
艶(なま)めく情熱になやみたり
いかりて書物をなげすて
ひとり校庭の草に寢ころび居しが
なにものの哀傷ぞ
はるかに青きを飛びさり
天日(てんじつ)直射して熱く帽子に照りぬ。
 (大正12年=1923年1月「薔薇」)


  波 宜 亭

少年の日は物に感ぜしや
われは波宜亭(はぎてい)の二階によりて
かなしき情歡の思ひにしづめり。
その亭の庭にも草木(さうもく)茂み
風ふき渡りてばうばうたれども
かのふるき待たれびとありやなしや。
いにしへの日には鉛筆もて
欄干(おばしま)にさへ記せし名なり。
 (発表誌未詳)


  二 子 山 附 近

われの悔恨は酢えたり
さびしく蒲公英(たんぽぽ)の莖を噛まんや。
ひとり畝道をあるき
つかれて野中の丘に坐すれば
なにごとの眺望かゆいて消えざるなし。
たちまち遠景を汽車のはしりて
われの心境は動擾せり。
 (初出誌未詳・大正15年=1926年5月『日本詩集・一九二六年版』)


  才川町
        ――十二月下旬――

空に光つた山脈(やまなみ)
それに白く雪風
このごろは道も惡く
道も雪解けにぬかつてゐる。
わたしの暗い故郷の都會
ならべる町家の家竝のうへに
かの火見櫓をのぞめるごとく
はや松飾りせる軒をこえて
才川町こえて赤城をみる。
この北に向へる場末の窓窓
そは黒く煤にとざせよ
日はや霜にくれて
荷車巷路に多く通る。
 (発表誌未詳)


  小出新道

ここに道路の新開せるは
直(ちよく)として市街に通ずるならん。
われこの新道の交路に立てど
さびしき四方(よも)の地平をきはめず
暗鬱なる日かな
天日家竝の軒に低くして
林の雜木まばらに伐られたり。
いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。
 (大正14年=1925年6月「日本詩人」)


  新 前 橋 驛

野に新しき停車場は建てられたり
便所の扉(とびら)風にふかれ
ペンキの匂ひ草いきれの中に強しや。
烈烈たる日かな
われこの停車場に來りて口の渇きにたへず
いづこに氷を喰(は)まむとして賣る店を見ず
ばうばうたる麥の遠きに連なりながれたり。
いかなればわれの望めるものはあらざるか
憂愁の暦は酢え
心はげしき苦痛にたへずして旅に出でんとす。
ああこの古びたる鞄をさげてよろめけども
われは瘠犬のごとくして憫れむ人もあらじや。
いま日は構外の野景に高く
農夫らの鋤に蒲公英の莖は刈られ倒されたり。
われひとり寂しき歩廊(ほうむ)の上に立てば
ああはるかなる所よりして
かの海のごとく轟ろき 感情の軋きしりつつ來るを知れり。
 (大正14年6月「日本詩人」)


  大 渡 橋

ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直(ちよく)として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自轉車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故郷にありてゆかず
鹽のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤獨の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干らんかんにすがりて齒を噛めども
せんかたなしや 涙のごときもの溢れ出で
頬(ほ)につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋なり。
往(ゆ)くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。
 (大正14年6月「日本詩人」)


  廣 瀬 川

廣瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川邊に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ひさき魚は眼めにもとまらず。
 (発表誌未詳)


  利 根 の 松 原

日曜日の晝
わが愉快なる諧謔(かいぎやく)は草にあふれたり。
芽はまだ萌えざれども
少年の情緒は赤く木の間を焚やき
友等みな異性のあたたかき腕をおもへるなり。
ああこの追憶の古き林にきて
ひとり蒼天の高きに眺め入らんとす
いづこぞ憂愁ににたるものきて
ひそかにわれの背中を觸れゆく日かな。
いま風景は秋晩(おそ)くすでに枯れたり
われは燒石を口にあてて
しきりにこの熱する 唾(つばき)のごときものをのまんとす。
 (発表誌未詳)


  公 園 の 椅 子

人氣なき公園の椅子にもたれて
われの思ふことはけふもまた烈しきなり。
いかなれば故郷(こきやう)のひとのわれに辛(つら)く
かなしき「すもも」の核(たね)を噛まむとするぞ。
遠き越後の山に雪の光りて
麥もまたひとの怒りにふるへをののくか。
われを嘲けりわらふ聲は野山にみち
苦しみの叫びは心臟を破裂せり。
かくばかり
つれなきものへの執着をされ。
ああ生れたる故郷の土(つち)を蹈み去れよ。
われは指にするどく研(と)げるナイフをもち
葉櫻のころ
さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり。
 (大正13年1924年1月「上州新報」)


 郷 土 望 景 詩 の 後 に

  I. 前橋公園
 前橋公園は、早く室生犀星の詩によりて世に知らる。利根川の河原に望みて、堤防に櫻を多く植ゑたり、常には散策する人もなく、さびしき芝生の日だまりに、紙屑など散らばり居るのみ。所所に悲しげなるベンチを据ゑたり。我れ故郷にある時、ふところ手して此所に來り、いつも人氣なき椅子にもたれて、鴉の如く坐り居るを常とせり。

  II. 大渡橋
 大渡橋(おほわたりばし)は前橋の北部、利根川の上流に架したり。鐵橋にして長さ半哩にもわたるべし。前橋より橋を渡りて、群馬郡のさびしき村落に出づ。目をやればその盡くる果を知らず。冬の日空に輝やきて、無限にかなしき橋なり。

  III. 新前橋驛
 朝、東京を出でて澁川に行く人は、晝の十二時頃、新前橋の驛を過ぐべし。畠の中に建ちて、そのシグナルも風に吹かれ、荒寥たる田舍の小驛なり。

  IV. 小出松林
 小出の林は前橋の北部、赤城山の遠き麓にあり。我れ少年の時より、學校を厭ひて林を好み、常に一人行きて瞑想に耽りたる所なりしが、今その林皆伐られ、楢、樫、ブナの類、むざんに白日の下に倒されたり。新しき道路ここに敷かれ、直として利根川の岸に通ずる如きも、我れその遠き行方を知らず。

  V. 波宜亭
 波宜亭、萩亭ともいふ。先年まで前橋公園前にありき。庭に秋草茂り、軒傾きて古雅に床しき旗亭なりしが、今はいづこへ行きしか、跡方さへもなし。

  VI. 前橋中學

 利根川の岸邊に建ちて、その教室の窓窓より、淺間の遠き噴煙を望むべし。昔は校庭に夏草茂り、四つ葉(くろばあ)のいちめんに生えたれども、今は野球の練習はげしく、庭みな白く固みて炎天に輝やけり。われの如き怠惰の生徒ら、今も猶そこにありやなしや。



  監 獄 裏 の 林

監獄裏の林に入れば
囀鳥高きにしば鳴けり。
いかんぞ我れの思ふこと
ひとり叛きて歩める道を
寂しき友にも告げざらんや。
河原に冬の枯草もえ
重たき石を運ぶ囚人等
みな憎さげに我れを見て過ぎ行けり。
暗鬱なる思想かな
われの破れたる服を裂きすて
獸類(けもの)のごとくに悲しまむ。
ああ季節に遲く
上州の空の烈風に寒きは何ぞや。
まばらに殘る林の中に
看守の居て
劍柄(づか)の低く鳴るを聽けり。

       ――郷土望景詩・追加詩篇――
 (大正15年=1926年4月「日本詩人」)


(引用詩の用字、かな遣いは初版詩集複製本に従い、明らかな誤植は訂正しました。)