人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年12月17日・18日/アルフレッド・ヒッチコック(1899-1980)のほぼ全作品(9)

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 前作『暗殺者の家』'34の国内外での大ヒットで、それまでイギリス国内でのヒットにとどまってきたヒッチコックは一躍海外市場での興行収入も見込める映画監督として認められ、犯罪サスペンス/スリラー路線で監督デビュー10年目、第18作にしてようやくヒッチコック自身の望む企画を実現できるようになりました。それがヒッチコックのもっとも好んだ作家でスパイ・サスペンス小説のパイオニアであるジョン・バカンの1925年の小説『13階段』を映画化した『三十九夜』で、かけ値なしの傑作といえる最初の作品です。『三十九夜』もヒット作になり次の『間諜最後の日』もスパイ・サスペンス映画になりましたが、もしブリティッシュ・ゴーモン移籍第2作の『暗殺者~』ではなく移籍第1作の『ウィンナー・ワルツ』が国内外でのヒット作になっていたら(実際は国内外問わずヒットしませんでしたが)ヒッチコックは歴史伝記ロマンス路線を求められる映画監督になってしまっていたかもしれないので、不得手なジャンルの映画で失敗したのも結果的には良かったことになります。ゲインズボロー映画社、ブリティッシュ・インターナショナル映画社でキャリアを積んできた時も会心作は犯罪サスペンス/スリラー路線の作品でしたが、メロドラマやコメディでも人気舞台劇の映画化作品のヒット作を出してきているし、イギリス映画は国外では当たらない、というのは今もそうですが当時はもっと厳しかった上にヒッチコックはまだ若かったので何でもやらされて器用貧乏があだになった観もあります。『ウィンナー・ワルツ』は題材からして国際市場を狙った会社企画でしたがイギリス人がウィーンの髷もの映画を作っても受けないとわざわざ証明してみせたような作品になり、『暗殺者の家』はドイツ映画の新進悪役スター俳優ピーター・ローレを迎えて犯罪サスペンス映画には国際的なヒット性があるのを映画会社にも気づかせるきっかけになりました。これはヒッチコックが監督キャリア10年の間につちかってきた腕前を存分に奮えた作品でもあり、監督自身の資質と力量によってつかみ取ったものでした。そして『三十九夜』こそが巨匠の風格を示す第1歩となり、77歳の第53作で遺作となった『ファミリー・プロット』'76までの37作におよぶ、余人の追従を許さない高峰がずらりと連なる真の個性の開花となったのです。なお、今回も『ヒッチコック/トリュフォー 映画術』(晶文社刊、山田宏一蓮實重彦訳)からの発言は例によって多少表現を変えて引用させていただきました。

●12月17日(日)『三十九夜』The 39 Steps (英ゴーモン・ブリティッシュ'35)*86min, B/W; 日本公開日本公開昭和11年(1935年)3月

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) 「巌窟王」のロバート・ドーナットと「世界は動く」「空襲と毒瓦欺」のマデリーン・キャロルが主演するもので、「暗殺者の家」のアルフレッド・ヒッチコックが監督に当たった探偵映画。製作はマイケル・バルコンで、アイヴァ・モンタギュが共同製作に当たっている。原作はカナダの総督で、冒険小説家のジョン・バッカンの小説で、チャールズ・ベネットが脚色している。撮影は「ユダヤ人ジュス」のバーナード・ノウルズの担当。助演俳優は「化石騎士」以来久々のルチー・マンハイム、ゴッドフリー・タール、ペギー・アシュクロフト等のイギリスの中堅俳優が顔を揃えている。
○あらすじ(同上) ロンドンのイーストエンドの或る寄席に、最近カナダから帰ったハネー(ロバート・ドーナット)は入った。舞台にミスタ・メモリー(ウィリー・ワトソン)と称する記憶の達人が客から出され凡ゆる質問に答えて居た。其の時突如一発の銃声が起こった。観客は舞台を後へに出口へ殺到した。ハンネーは自分の身体にぴたりとついて来るドイツ女(ルチー・マンハイム)に助けを乞われ、自分のアパートへ取りあえず同行した。女は灯をつけるな、と頼む。そして女が言う通り、街角には怪しい男が二人立っている。女は自ら国際スパイであると語った。イギリスの国防に関する秘密を某国に売ろうとしているスパイ団を追跡中、寄席まで跡をつけた処を敵に感づかれ、ピストルを発射して混雑に紛れて逃げたのである、という。此の事件の首謀者はスコットランド高原に居る、小指の無い男で、彼女は其処へ急行するのだ、ということである。ハネーが一寝入りした所へ女が倒れて来た。その背にはナイフが立っている。「私の代わりにスコットランドへ行って下さい。」と言うと女は絶命した。ハネーは女殺しの下手人と目されることは必然である。当のスパイを捕らえて身の潔白を証明する外はない。ハネーは未明のスコットランド行の急行列車に乗り込んだ。エジンバラ駅で見た新聞には、アパートの女殺し犯人ハネーの行方厳探中、とある。そして車中も捜索され始めた。ハネーは一女性(マデリーン・キャロル)に急場を救って貰おうとして却って警官に渡されようとしたが、橋梁に身を潜めて逮捕を免れた。死んだ女から聞いた宛名は有名な学者の家だった。そのジョーダン教授(ゴッドフリー・タール)こそ小指の無い男で、彼は自分をスパイの首領とは誰も信じないから君は自殺しろ、と勧めた。ハネーは教授邸を脱出して警察に斯くと訴え出ると却って捕縛された。諦め切れぬハネーは警官の手から逃れて、或る公会堂に跳び込んだ。そこで彼は列車中で遇った女性と邂逅した。彼を殺人犯と思っている彼女は折柄来た警官にハネーを引き渡すと、警官は彼女とハネーに一つの手錠をはめた。警官と思ったのは教授の部下だった。ハネーは手錠で繋がれたまま逃げて小さい宿屋に泊まった。其の夜ハネーが眠っている間に手錠を抜いた彼女――パメラは逃げようとして、昼間のスパイの部下が電話を借りに来ての話を聞いた。初めてハネーが殺人者でない事を知ったパメラはハネーに電話の件を話した。其の夜ハネーはロンドンのパラディアム座に入った。舞台にはミスタ・メモリーが立っている。そして第一のボックスにはジョーダン教授が居る。ハネーは『39ステップス』とは何か、と訊ねた。それは或るスパイ団の名称で某国の秘密を……と答え出した時銃声と共にミスタ・メモリーは倒れた。発射した教授は警官隊に押さえられた。メモリー氏は虫の息で、教授から此の国の防空の秘密を暗記させられ、今夜国外へ連れて行かれる筈だった、と語った。

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 ここからヒッチコック映画37作(または前作『暗殺者の家』からの38作)は2本の例外、ハリウッド進出決定後の渡米までの準備期間に大御所俳優チャールズ・ロートンに依頼されて監督したイギリス時代最後の作品『巌窟の野獣』'39と、ハリウッドでの第3作でスクリューボール・コメディの女王と呼ばれたスター女優キャロル・ロンバードとの親交から監督を引き受けたコメディ『スミス夫妻』'43の2作を例外にサスペンス/スリラー/ミステリー映画ばかりになります。そうしたジャンルの映画はまず意外性を味わうのが初めて観る時の醍醐味ですし、観返す時は仕組みを確かめながら映画により深く分け入るのが楽しみになります。ヒッチコックのハリウッド進出後の作品は家庭用映像ソフト普及以前にはもっともよくテレビ放映される映画でしたし、映画の特集番組や一般雑誌での紹介も多く、観ていなくても何となく知っていて初めて観るのにスチール写真や抜粋映像、紹介文で設定も筋立ても名場面や結末も知っている、それほどポピュラーな人気がヒッチコックの諸作にはありました。しかし最近、このヒッチコック連続視聴に取りかかる前に20代半ばの人と雑談していたら、ヒッチコックを全部観ようと思って持っていないDVDを揃えてるんだ、と洩らしたところヒッチコックって聞いたことはある(だけれどヒッチコックは何かは知らない、人名くらいにしか知らない)、と返答されて、そういう時代になったものかと思いました。『サイコ』『レベッカ』『鳥』と作品を上げても知らないので、逆にまっさらな状態でヒッチコック映画を観ることのできる観客が増えてきたとも言えます(観る気になれればですが)。そうなるとなおさらヒッチコック全盛期のミステリー映画には他人の感想文など読まずに接した方が良いことにもなります。
 なのでどう書いたらいいのやら困ってもいますが、ヒッチコックによると本作は脚本家のチャールズ・ベネットと台詞は後づけにして面白い場面ばかりのアイディアを並べ立てて構想したそうで、例えばスミスともアナベラとも名乗るドイツ人女性スパイが殺されて早くも犯人が通報したらしく警官がアパート前に張り込んでいる、主人公は牛乳配達員に自分の部屋で女スパイが何者かに殺されたが自分は無罪なので牛乳配達の服と道具を貸してほしいと頼んで何言ってんだあんた、という顔をされ、実は人妻の部屋に忍び込んでいたら夫が帰ってきたんだ、とうそぶいて「最初から言えばいいのに(笑)。困った時はお互い様だね」と快く制服と牛乳瓶ラックを貸してもらって警官を巻く。またトリュフォーが絶賛し詳細にヒッチコックの演出の妙を讃えているシークエンスですが(『映画術』)、キネマ旬報のあらすじではまるごと抜けている部分です。スコットランドに着いた主人公は最初に農夫のクロフター夫婦の家に泊めてもらいます。年長の夫(ジョン・ローリー)は主人公への警戒を隠さず、食事前に重々しい祈祷をする。テーブルの上に主人公への手配の記事の載った新聞が置いてあり、気づいた主人公と農夫の妻(ペギー・アシュクロフト)が目で無言の会話をする。先に食べ終えた夫は外に出て窓の外から妻と主人公が会話している様子を見る。やがて警官が訪ねてきて農夫が応対していると「懸賞金のことを訊いているわ」と妻が夫のコートを着せて主人公を逃がす。それから地図にあった教授の家に行き、首謀者は左手の小指の第一関節の欠けた男だそうです、と切り出すと「右手じゃなかったかね?」と教授が小指の欠けた右手を上げて主人公を撃つ。すぐにカットが変わって「讃美歌集に救われるとはね(笑)」と主人公が着ていた農夫のコートの内ポケットに入っていた讃美歌集に食い込んだ弾丸を教授が取り出して笑う。トリュフォーはこれを聖書と記憶違いしていますが、労働中に見る本ですから実際の映画通り讃美歌集の方が自然です。この「内ポケットの本のおかげで助かる」のはフリッツ・ラングのスパイ映画『スピオーネ』'28の記憶の反映ではないか、とエリック・ロメールは指摘しており(『ヒッチコック』'57)、ラングのは確か普通の手帳だったので讃美歌集に変えた皮肉はよく効いています。疑い深く嫉妬深い夫の農夫、クロフターの信心が偶然主人公を助けたわけです。
 女スパイを殺す時にも、この讃美歌集から弾丸を取り出す時でも、主人公を冤罪犯に仕立てるよりさっさと確実に殺してしまった方がスパイ団「39階段」(教授のアジトの階段の段数より。邦題が「三十九夜」なのは「39階段」ではムードを欠くからでしょう)にとってはてっとり早かったはずで、現に列車で知り合ったマデリーン・キャロルに講演会場でバレてからは偽警官に扮した教授の部下に再び拉致されて今度は二人で逃げることになり、嫌々手錠で結ばれた男女がギャグ混じりに逃げ回るようになってからはようやく本格的に命を狙われている感じになりますが、これもヒロインの方は当初主人公を女性殺しの犯人と信じて通報したわけで手錠でつながれしつこく狙われるようになってようやく主人公の言い分を信じるようになったわけですから、勢い任せとまだ生かしてピンチに合わせた方が面白い、という理由以外に辻褄があわない面が基本的にあります。結末にしても公衆の面前でミスター・メモリーがべらべらと「39階段」とは何か解説し、「39階段」の握ったイギリスの軍事機密を自白するのは「ミスター・メモリーの職業意識からだ」とヒッチコックは言いますが(『映画術』)、自分の命が脅かされる(実際狙撃されてしまう)ようなことにまで職業意識も何もないでしょうが、ヒッチコックがぬけぬけとそれで通し観客もそれを納得するのはその方が面白いから、の一点に尽きます。映画はそれでいいのだ、と堂々とうそぶいて辻褄合わせは観客の想像力に委ねる、映画のリアリティはそれで十分という割り切りがはっきり表れたのが前作『暗殺者の家』から本作への飛躍であって、これが本作以前と以後の作品の性格を分けており、本作こそがヒッチコックの最初の真の傑作になったゆえんでしょう。ハリウッド進出後さらに円熟し、豪華になった名作群と較べても本作の価値が揺らがないのはそうした姿勢の確立がもっとも瑞々しく作品を貫いているからで、ヒッチコックの映画を観たことのない人が初めて観るにも、ヒッチコックならほとんど観たという人がくり返し楽しむにも、あるいはたまたま本作を観ていない映画好きの方にも、本作は未見の方どなたにもお勧めできる快作です。後の名作『北北西に進路を取れ』'59の原型でもあり、強いインパクトを与える傑作『裏窓』'54、『めまい』'58、『サイコ』'60、『鳥』'63などより好みを選ばず爽やかに観られる作品ではないでしょうか。

●12月18日(月)『間諜最後の日』The Secret Agent (英ゴーモン・ブリティッシュ'36)*86min, B/W; 日本公開昭和12年(1937年)3月、平成8年(1996年)5月

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) 「三十九夜」「恋のみちくさ」のマデリーン・キャロル、「暗殺者の家」「罪と罰」のペーター・ローレ、イギリス劇壇に名高いジョン・ギールグッド及び「君と踊れば」「巴里で逢った男」のロバート・ヤングが共演する映画で、製作はマイケル・バルコンとアイヴァ・モンタギュ。「三十九夜」「暗殺者の家」のアルフレッド・ヒッチコックが監督に「三十九夜」「武器なき戦ひ」のバーナード・ノウルズが撮影にそれぞれ当たった。W・サマセット・モーム作の小説に取材したキャンベル・ディクスン作の舞台劇を「三十九夜」のチャールズ・ベネットが脚色し、アルマ・レヴィルが台本を執筆したもの。助演者はサイレント時代スターだったパーシー・マーモント、「戦う民族」のリリー・パルマー、チャールズ・カーソン等である。
○あらすじ(同上) 一九一六年の春、イギリスの小説家で陸軍大尉のブロディー(ジョン・ギールグッド)は、情報部長R(チャールズ・カーソン)に召喚された。彼はリチャード・アシェンデンという新しい名を貰い、スイスへ派遣された。スイスのジュネーヴにはドイツの間諜が暗躍しているので、その男の正体を突止めて抹殺せよ、というのがアシェンデンに下された使命だ。彼がスイスに着くと、アシェンデン夫人という名儀で女間諜エルサ(マデリーン・キャロル)が先着していた。またアシェンデンの助手の「将軍」(ピーター・ローレ)とあだ名の有るスパイも加わった。エルサはマーヴィン(ロバート・ヤング)と名乗る若いアメリカ人と知り合い、マーヴィンはしきりに彼女に求愛した。アシェンデン等はランゲンタル村の教会のオルガン奏手がイギリス諜報部の手先となった事を知らされていたので訪れたが、一足先にドイツ間諜の為に扼殺されてしまっていた。唯一の手がかりは、殺された男が握っていた胡栗の殻の形をしたボタン一個だった。そのボタンと同じボタンの着いた服を着ている男はケイパー(パーシー・マーモント)と名乗るイギリス人紳士であった。アシェンデンと将軍とは巧みに事を構えてケイパーをランゲン山登攀に誘って、将軍は断崖からケイパーを突落として殺した。スイスの警察はケイパーの死を単なる遭難と認めた。エルサとアンシェンデンは互いに一目惚れをしたのであるが、彼女はケイパーが好人物であり、その妻のケイパー夫人(フィオレンス・カーン)もドイツ人ではあるが優しい婦人であることを知ると、ケイパーを殺したことを非難した。しかもケイパーは全然スパイではない事がRからの返電で判明すると、エルサはアシェンデンに人殺し稼業に等しいスパイ仕事をやめてくれと懇願した。アシェンデンが辞表を認めた時、将軍が新しい手掛かりを得たと誘いに来たので一緒にチョコレート製造場へ赴き、彼等が目指すドイツ間諜はマーヴィンであることを知った。二人が引き返すと既にマーヴィンはコンスタンチノーブル行列車に乗っていた。アシェンデンは将軍及びエルサと共に同じ列車に乗った。其の列車がスイスを離れてオーストリア領に入った時、イギリス空軍の空爆で列車は粉砕されマーヴィンも将軍も最期を遂げた。幸運にもアシェンデンとエルサは命を完うし、マーヴィンとトルコ軍との連絡を断って大功を樹てた。そして二人は改めて結婚式を挙げて、名実共にアシェンデン夫妻となった。

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 本作もイギリスのスパイ小説の古典で、実際に第一次世界大戦でスパイに従事した経験のある作家サマーセット・モームの連作短編集『アシェンデン』'28からの舞台劇に同短編集からのエピソードを足して、常連脚本家ベネットとヒッチコックが前作『三十九夜』と同様にアイディアを出しあって構成したものだそうで、前作ほどではないにしろ世評の高い、とても面白い作品です。ところが『映画術』ではトリュフォーもあまり本作への質問に気乗りしない様子で、ヒッチコック自身も「失敗作だった」と言い切っています。トリュフォーは記憶違いでヒッチコックに「結末がすっきりしないからでしょうか」と話し、注記でこの記憶違いを正して、ヒッチコックが訂正しなかったのは本人も記憶が曖昧だったからだろうとしていますが、そうではなく訊き手の記憶違いを正すのをヒッチコックが面倒くさがった(「失敗作」ですし)だけではないでしょうか。会話が少し弾むのは、ヒッチコックは美術校出身だからスイスが舞台なので雪の断崖やチョコレート工場から場面を発想したと言うのにトリュフォーがしきりに感心している箇所くらいで、「一度観たきりで記憶がはっきりしないのですが」とトリュフォーは前置きしていますが、主人公の死で終わる、と記憶違いしているくらいなので好きな映画ではなかったのでしょう(『バルカン超特急』'38の話では「上映していたら週に二回観るくらい好き」と言っています)。雪の断崖は自称「将軍」のメキシコ人スパイ役のピーター・ローレが事故を装って全然無関係(とすぐに判明する)の気の毒な気のいいイギリス人老紳士ケイパーを突き落とす場面、チョコレート工場は首謀者と判明したアメリカ人実業家青年がアジトの隠蔽工作のため経営しており、将軍が突き止め主人公と乗りこんだのでドイツのスパイだったその青年、マーヴィン(ロバート・ヤング)のクライマックスの逃走劇につながる重要な場面です。視覚的発想よりも的確に起伏に富んだドラマの背景に収めた優れた演出の判断こそ賞賛すべきで、そこまで話題がおよばないのはトリュフォーはよほど本作を楽しめなかった、ということになりそうです。
 訊き手がそれではサーヴィス精神あふれるヒッチコックも乗らないわけで(『映画術』ではヒッチコックの饒舌はトリュフォーのおだてが大きくものをいっています)、監督自身の否定的評価もインタヴュワーの乗り気のなさに釣られた様子がなくもなりません。マデリーン・キャロルは『三十九夜』に続いて魅力的なヒロインですし、主人公アシェンデン役のジョン・ギールグッドは舞台畑の人気俳優らしく後年シェイクスピア劇の映画化作品に出演しているのがどちらかというと本領だったようで、ヒッチコック映画の主人公らしい快活なタイプではありませんが本作は冷酷非情なスパイの任務をためらう悩み多い二枚目役なので役柄にはまっています。ピーター・ローレの自称「将軍」のメキシコ人スパイは主人公アシェンデンの相棒役なのがちょっと中途半端ですが、主人公のためらいを押しのけて暗殺してしまった老紳士がスパイと全然無関係と判って豪快に笑い飛ばすあたりは面目躍如ですし、ちょび髭が不似合いないんちきメキシコ人ですがローレはヒッチコックが「ユニークで強烈なユーモア」感覚と賞賛するようにうさんくさい役ほど燃えるタイプの面白い俳優で、童顔小太りの上に本作はちょび髭でちょこまか動くシーンも多く、原作離れしてもいいからさらに実は悪党という展開がほしかったように思います。またエリック・ロメールクロード・シャブロルの指摘(『ヒッチコック』)通りロバート・ヤングは健康明朗そうな好青年ほど実は犯罪者というハリウッド進出後のヒッチコック映画の配役を予告していて、アガサ・クリスティーの探偵小説でも容疑者に好青年がいればたいがいそいつが真犯人ですが、意外性よりも映画の観客(また推理小説の読者)は案外一見好青年という存在を「こんな奴犯人ならいいのに」と思っているのを反映しているのではないか、と思います。人物像以外でも、老紳士殺害を主人公が遠くから望遠鏡で目撃する凝ったカット構成に、さらにカット・バックで老紳士の愛犬がその夫人とマデリーン・キャロルが歓談する家の中でドアをしきりに引っ掻いて出ようとし、老紳士の死とともに鳴き声をあげてぐったりする様子が交錯する、という凝りようで、これほど手の込んだ作品をヒッチコックが主人公の死で終わるなど記憶違いしようもないのは明らかです。
 もっともヒッチコックが失敗作という理由も筋が通っていて、主人公とヒロインは最初積極的にスパイの任務に従事し楽しんでいるようにすら見えますし、それでこそ生まれてくるロマンスなのですが、早まった老紳士の暗殺からもし本当に相手が敵国のスパイであっても暗殺を伴う任務などご免こうむりたい、と辞任を出し、その後は後任者の到着まで嫌々最低限の責務をこなし、主人公が目的を達成するために奮闘する過程に観客を引きこむ、という映画の基本的な原則から外れてしまっている。これは奮闘した挙げ句失敗するのでも一応構わないので、少なくとも主人公は能動的であれ受動的であれ積極的でなければならない、そうでなければ観客もどうでもいいやという気になってしまう、そうしたエモーションの喚起力の問題になってくる。ヒッチコックは観客を映画に引きこみたい、そうなっていない映画は出来がよくない、ということに監督デビュー10年間、18作かけてたどり着いたのです。その原則で言えば本作で目的まっしぐらで迷いがないのは頭のおかしなメキシコ人の自称「将軍」ピーター・ローレと最後に正体を露わす敵役のロバート・ヤングです。特にヤングなどはマデリーン・キャロルがイギリスの女スパイと早くから気づいて軽薄なアメリカ人青年を装いながらずっとつきまとっていたのに誰も気がつかなかった、敵ながら本作で誰よりも優秀なスパイだったと判明します。しかも一応の主人公であるアシェンデンのギールグッドと偽装結婚のマデリーン・キャロルはまったく手を汚さないまま勝手に事件は解決する。というか、気を利かせたというか主人公たちに任せておけなくなった本部が実行部隊を送りこんで解決してくれる。たぶん脚本段階でそうした映画原則に照らした骨格の弱さにはヒッチコックは気づいていたでしょう。しかし本作の観光映画的側面を合わせ(とはいえあくまで観光映画的で、撮影はイギリス国内ですが)、細部で起伏に富む展開にすればそれなりに格好はつくと勝算はあった。映画監督視点では弱さが目につこうと一般の観客には本作なりの面白さを提供できると思っていなければもっと明快なスパイ映画にできたはずです。巻きこまれ型の明快なやつは前作『三十九夜』でやった、今回はずばりスパイを主人公にちょっと屈折したものでもいいのではないか。そうした経緯で本作は会心作にはなりようがない性格の作品でしょうが、こうした作りの映画ならではの面白さがあるのも確かです。それにこれまでも、ヒッチコックが最低とか失敗作と切り捨てた作品だってたいがいは十分に面白かったのですから(まあ『ジュノーと孔雀』『ウィンナー・ワルツ』などは正真正銘の失敗作ですが)。