人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ビリー・ホリデイ/チャーリー・パーカー Billie Holiday / Charlie Parker - Lover Man (Decca, 1941 / Dial, 1946)

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ビリー・ホリデイ Billie Holiday with Toots Camarata and His Orchestra - Lover Man(Oh, Where Can You Be?) (Jimmy Davis, Jimmy Sherman, Roger "Ram" Ramirez) (rec.'44.10, from the album "Lover Man", Decca 9-250, 1951) : https://youtu.be/NqxWsXrLuso - 3:15
Recorded in New York City, October 4, 1944
[ Personnel ]
Billie Holiday - vocal
Toots Camarata - nonet and six strings arrengement and conduct

 ビリー・ホリデイの大手コロンビアから自由な制作を許されたインディーのコモドアを経て、コモドア主宰者ミルト・ゲイブラーの大手デッカのプロデューサー就任に伴い移籍したデッカ第1作の楽曲。ビリーのファンの新進作曲家ロジャー・ラムレスの提供曲をビリーが気に入って(歌詞がビリーの愛唱曲、ガーシュイン兄弟の「私の彼氏 (The Man I Love)」に似ています)、かねてから念願のストリングスを加えたバラード歌唱に挑んでヒットさせた会心の1曲ですが、ビリーの意図にはストリングス入りバラードの大家で同い年のシナトラへの挑戦があり、コアなファンからはコモドアでのアメリカ南部の黒人リンチを告発したビリー委託の衝撃的なオリジナル曲「奇妙な果実 (Strange Fruit)」'39発表時との同様な批判(ジャズらしくないという指摘)も招きました。しかし「Lover Man」はビリーのキャリア終生の看板バラード・レパートリーになります。
 作者のラムレスがその後徴兵され戦死した噂がすぐに広がったため「Lover Man」は不吉なラヴ・バラードというイメージがしばらくつきまといました。副題に「Oh, Where Can You Be?」とあるのも(歌詞からの引題ですが)輪をかけました。ビリーのステージ定番曲として長く歌い継がれたため作者ラムレスは再び新曲を発表するようになり、戦死の噂は根も葉もないジャズ界のデマだったのが判明しますが、何にせよビリーのキャリアの転機となった曲のひとつであることは変わりません。

 ビリーのレコード発売後すぐにチャーリー・パーカーとコンビを組んでいたビ・バップのリーダー的存在のディジー・ガレスピー(トランペット)もこの曲に目をつけ、パーカーと組んでいた自分のバンドで'45年5月にビリーの弟子格の新人女性歌手サラ・ヴォーンに歌わせてカヴァーします。同月サラは本格的にデビューを果たし、パーカーもディジーの協力を得ながら同年11月に19歳の新人トランペット奏者マイルス・デイヴィスを加えた自分のバンドでニューヨークのインディー・レーベル、サヴォイから一連のデビュー曲「Billie's Bounce」「Now's The Time」「Ko-Ko」を発表しました。パーカーとディジーは西海岸ツアーに出かけ、ディジーがニューヨークに戻った後もパーカーのバンドはロサンゼルスのレコード会社でパーカーの大ファンの音楽批評家、ロス・ラッセルの主宰するダイアル(サヴォイとは自由契約でした)の熱烈な要望で契約し、'46年5月に新曲「Ornithology」「Moose The Mooche」「Yardbird Suite」とディジー作曲の得意曲「チュニジアの夜 (Night In Tunisia)」のジャズ史上空前の神がかり的超高速無伴奏アルトサックス・ソロが閃く必殺ヴァージョンを録音します。上記の曲はすぐにジャズマンの間でビ・バップ・スタンダードになりました。
 ここまでは良かったのですが、新学期のためにまだ音大生のマイルスがニューヨークに帰ったので、やはり熱烈なディジーとパーカーの崇拝者でロサンゼルスで活動していたハワード・マギー(トランペット)のバンドをバックにしたダイアルでの2回目のレコーディングは散々なことになりました。明らかに何らかの禁断症状で憔悴した姿で現れたパーカーはシングル2枚、4曲の録音予定でしたが1曲目から絶不調、2曲目はバラードで軽く流そうとパーカー自身の提案で「Lover Man」が始まりましたが、ピアノがイントロを弾き終えてもパーカーが吹けない。仕方なくそのままピアノがメロディーに入るとやっと吹き始めるがやっぱりよれよれでサマにならない。何とかピアノ・ソロにリレーしてマギーの出番になりますが、パーカーがまともに吹けないのでアドリブではなく強引にエンド・テーマを吹き、パーカーも気づいてユニゾンしようとするがまるでマギーについていけない、とボロボロのテイクに始終してしまいます。なおもノルマの残り2曲を録音するも調子は悪化の一途をたどり立っているのもやっとのパーカーの様子に、マギーとラッセルは相談してパーカーを先に帰しマギーのバンドで代用曲を録音しました。一方ホテルに帰ったパーカーは贍妄状態に陥り部屋でボヤを出して裸でロビーをさまよい歩いているのを警察に通報されカマリロ精神病院に緊急搬送されて、パーカーのためにホテルを借りていたラッセルがそのまま保証人になって翌'47年1月までダイアル社の負担で入院することになりました。退院もラッセルが身元引受人になる代わりダイアル社との1年の契約延長が交わされ、2月の復帰セッションでは再び好調にもどって退院記念のオリジナル曲「Relaxin' At Camarillo」を録音、さらに契約期間中にニューヨークに戻ってしまったパーカーを追いかけてラッセルの住まいごとダイアル社はニューヨークに移転します。
Charlie Parker All Stars - Relaxin' At Camarillo (Charlie Parker) (rec.February 29, 1947) : https://youtu.be/Mvp6ZhE6wIg - 2:29

 パーカーの緊急入院は話題になり、ダイアル社の経済的負担も大きかったのでパーカー版「Lover Man」はパーカーの入院中にリリースされ話題作になりました。ロサンゼルスのジャズマンたちの間でも論議の的になりチャールズ・ミンガスのようにパーカー最高の名演と絶讃するパーカー崇拝者もいましたが、パーカー本人は当然没テイクだと思っていたので退院後に激怒し、ラッセルを恨みましたがダイアル社ほどパーカーに尽くしたレーベルはなかったので渋々事後承諾しました。ダイアル社はレコーディング・セッションでもレコード発売時にもジャズマンにギャラを払い、オリジナル曲の著作権登録もして楽曲印税も支払う当時珍しく黒人音楽を尊重したレコード会社でした(ニューヨークのサヴォイはゴスペルとR&Bのレコード会社でしたから黒人音楽に著作権は不要という考えで著作権登録もしないばかりか、契約は借用書扱いで前金の一部を払った後はセッションもレコード発売も借用書を盾にギャラを払わないレーベルでした。サヴォイのやり口は後のプレスティッジや大手のアトランティックさえも踏襲するくらいで、ダイアルはニューヨークの先輩インディー・レーベル、ブルー・ノートを見習っていたのです。ロサンゼルスのレーベルはパシフィック、ファンタジー、コンテンポラリーなどダイアル同様に白人黒人問わず公正な契約を結ぶ習慣があり、一方ニューヨークやシカゴのレーベルはリヴァーサイドやベツレヘムら少ない例外を除きジャズマンから搾取する会社ばかりでした)。
 ラッセルはパーカーを大手のクレフ/ヴァーヴに引き抜かれた後ダイアルの経営に疲れて批評家に戻り、パーカー没後に最初にまとめられたパーカーの伝記、ロバート・G・ライズナーの『Bird: The Legend of Charlie Parker (邦題『チャーリー・パーカーの伝説』晶文社)』'62の見解を大幅に修正する大著『Bird Lives (邦題『バードは生きている』草思社)』'73を刊行します。クリント・イーストウッド監督のパーカーの伝記映画『バード』'88はラッセルのパーカー伝に基づいたものでした。しかしパーカーが生涯の汚点と悔やんでいた'46年7月の「Lover Man」を発表してしまったのもダイアル社のラッセルです。そしてこの曲はビリーの名唱とパーカーの凄惨な演奏でジャズのバラード中のスタンダードとなったのです。

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Charlie Parker Quintet - Lover Man (rec.'46.7, from the album "Charlie Parker No.1", Dial Records 201, 1948) : https://youtu.be/WseMn0ykRvA - 3:20
Recorded at C. P. MacGregor Studios, Hollywood, LA, July 29, 1946
[ Charlie Parker Quintet ]
Charlie Parker - alto saxophone
Howard McGee - trumpet
Jimmy Bunn - piano
Bob Kesterson - bass
Roy Porter - drums