人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年3月5日~7日/溝口健二(1898-1956)のトーキー作品(9)溝口映画のビッグバン

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 ついに泣く子も黙る溝口映画の傑作名作連発時代が今回の『西鶴一代女』から始まります。溝口は黒澤明の『羅生門』'50が公開翌年にイタリアのヴェネツィア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)、アメリカのアカデミー賞特別賞(外国映画賞)を受賞したのに奮起し、松竹専属契約満了時にシナリオ第1稿の完成稿まで出来ていながら映画化が流れていた、溝口自身による企画の本作をヴェネツィア国際映画祭出品を意識してようやく実現させました。溝口からの純粋な原案企画はトーキー化後に畢生の挽回作を期した'36年の2作『浪華悲歌』『祇園の姉妹』以来と言ってよく、それ以後では会社企画に注文をつけて強引に溝口好みに企画内容を改変した『残菊物語』'39、『元禄忠臣蔵』前後篇'41/'42、『夜の女たち』'48があった程度です。前記の作品群は溝口全力の力作でいずれも溝口のキャリアのメルクマールになっており、溝口はいつも本気でしたがやはり原案・企画から自分で立ち上げた作品ほど傑作名作になったのがよくわかります。『西鶴一代女』の国内評価はキネマ旬報年間ベストテン第9位でしたがヴェネツィア国際映画祭ではジョン・フォード(対象作は『静かなる男』'52)とともに監督賞を受賞、この実績を引っさげて大映の専属監督に役職待遇で就任し(取締役まで昇進しました)、次作の大映専属第1作『雨月物語』も溝口企画・原案でキネマ旬報ベストテン第3位、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作を受賞し、この年のヴェネツィアでは金獅子賞受賞作がなかったため実質的にグランプリ作品になり、同作は欧米では溝口の最高傑作とされ、小津安二郎と評価の逆転が起きるまで日本映画を代表する世界映画史上のベストテン級作品とされるほどの高い評価を受けます。次の現代もの『祇園囃子』もキネマ旬報ベストテン第9位に入り、『雨月物語』と同年のベストテンですからベストテン内に2作を送りこんだのは『浪華悲歌』『祇園の姉妹』以来のことです。翌'54年の作品は次回のご紹介ですが、『山椒大夫』はキネマ旬報ベストテン第9位、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作で史上初のヴェネツィア3年連続受賞監督となり、現代もの『噂の女』で少し箸休めして『近松物語』はベストテン第5位と国内評価では『山椒大夫』より高く、'53年度、'54年度と2年連続でベストテン内に2作を送りこむことになります。『西鶴一代女』から『近松物語』に至る3年間は世界的にも稀なほどの映画史上の大爆発と言ってよく、『噂の女』だけがやや落ちますが前後作があまりにすごいので割を食ったので、『噂の女』も溝口映画で最後の田中絹代主演作という意義は大きいものです。溝口映画は『西鶴一代女』『雨月物語』『祇園囃子』『山椒大夫』『近松物語』また遺作『赤線地帯』が最高峰で、次に『浪華悲歌』『祇園の姉妹』が必見で、さらに進むなら現存するサイレント2長編『瀧の白糸』『折鶴お千』も合わせて『愛怨峡』『残菊物語』『元禄忠臣蔵』『夜の女たち』が代表作に上げられる力作傑作名作でしょう。これだけ充実した作品が、時期的にはスランプ期を何度も挟みながら間歇的に集中的な創造力の高まりから生み出された例は巨匠とされる映画監督でも珍しく(巨匠格の映画監督の大多数は安定期に達した後は長く安定期を保ち、ゆるやかに下降していくものです)、溝口の場合はその足どりの危うさも飛躍への溜めになっていたようです。

●3月5日(月)
西鶴一代女』(児井プロダクション・新東宝/新東宝'52)*136min(オリジナル148分), B/W; 昭和27年4月17日公開 : https://youtu.be/acfjRKH5HFk : https://youtu.be/y6HbYqMc5gI

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○製作・児玉英生、原作・井原西鶴、監修・吉井勇、脚本・溝口健二/依田義賢、撮影・平野好美、音楽・斎藤一郎、美術・水谷浩、助監督・内川清一郎
○あらすじ お春(田中絹代)は御殿女中であった頃、彼女に想いを寄せる若党勝之(三船敏郎)と宿にいるところを役人に捕われ洛外追放となった。やがて松平家殿様のめかけとなって子供まで生みながら、彼女は奥方や女達の妬みにあって実家へ戻り、島原の廓で遊女となり田舎大尽に身請けされた。その後商家の女中をつとめ、実直な商人弥吉の妻となったが、彼は辻強盗に殺されてしまう。流転を重ねたお春は夜鷹に身を落しているところを松平家から迎えがきた。彼女の子が殿様になっていたのである。しかしかえって松平家の名を汚すと叱られ蟄居を申し渡された彼女は、我子を一目見て屋敷を逃げ出し、尼となって旅に出るのであった。封建時代の男性本位の社会の中でもてあそばれた女の一生を捉えた溝口健二の代表作の一つ。原作は井原西鶴の「好色一代女」。キネマ旬報ベストテン第9位。ヴェネチア国際映画祭で国際監督賞を受け溝口に大きな自信を与えた。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)

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 監督第80作。脚本を溝口健二/依田義賢としましたが、これは便宜上まとめたもので映画のタイトル字幕通りに書けば構成・監督溝口健二、脚本依田義賢というのが正確なクレジットです。西鶴の原作『好色一代女』はもっと入り組んだものでヒロインの運命をたどるというより意図は世相史の変遷の描出にあったのではないかと思われるもので、この溝口映画のように自然主義的な手法で歴史映画にするのは意図的な曲解と言えるものです。だからこその「構成・監督溝口健二」なので、西鶴の原作に材を取って改作再構成した責任は溝口自身が取るときっぱりと表明しています。ただし与謝野鉄幹・晶子主宰「明星」門出身の大家歌人吉井勇に監修の名義を借りたところが世間にも権威が通じると思っている溝口らしく、若い世代の批評家・観客には吉井勇監修のクレジットは名義だけなのはバレバレとは言えかえって逆効果だったのではないでしょうか。本作はまた製作にも大変な苦労があり、新東宝との提携なのは配給のためだけで製作は独立プロデューサー児玉英生の児玉プロダクションが一手に負うことになり、既成の映画会社がスタジオ貸し出しなどしてくれない時代ですからでかい倉庫を借りて仮設スタジオにしたものの、鉄道路線のすぐそばにあり電車が通るたび騒音が響いてくる。溝口はコンテを用意せずカメラマンと美術、照明が決めてきたポジションから現場で注文をつけてリハーサルを何度も行った上で撮影に入り、撮影順序もよほどの事情がない場合シナリオ通りの順撮り、録音も音楽以外は同時録音を固持して譲らない監督でした。そこでリハーサル時に1カット(溝口は長回しですから短くても1分半、長いと4分以上)の長さを計っておき、時刻表で調べておいた電車の通過しない隙に撮影しなければならず、しかも順撮りですから長いカットの番になるとなかなか電車の空き時間と合わせられない。「電車の都合に合わせて映画が撮れますか!」と溝口はスタッフに八つ当たりしたそうですが、こういう場合でもならばカットを割りましょうとならないのです。本作はオリジナルの尺数記録より現行版が12分短いのですが、これは日本公開の後ヴェネツィアに出品する際に溝口が依田氏と相談して冗長と思われる箇所をカットしたからだそうで、アントニオーニの『情事』'60がイタリア初公開版143分からカンヌ国際映画祭審査員賞を経て全欧各国公開、全米公開と公開を重ねるうち120分、100分と短縮されていったほど極端ではありませんが、『情事』が同じ手口を使ったように『西鶴一代女』はあえて冗長さを感じさせる長回しやくどいエピソードの累積で観客に長い長い時間経過を感じさせる手法をとっています。また溝口映画にはあまり使われなかった長いフェイドアウト、フェイドインが目立ち、例えばヒロイン田中絹代が熱烈に懸想されて初めての恋の相手になる三船敏郎の打ち首の場面は、末期にヒロインの名を絶叫する三船から処刑人の侍にカメラがパンして三船がフレーム・アウトし、処刑人が刀を振り下ろして腕を引くと刀が中央に横切る構図でフェイドアウトしますが、初見の時には息を呑み長く感じるこのカットは観直してみると案外短く、処刑人の侍が打ち首する時に腰を矯めていないし、拭った様子もないのに刀が綺麗なままなのも気になります。また回想形式の映画が大嫌いな川口松太郎大映ではないからか本作は夜鷹(街娼の遊女)に身を落とした50歳過ぎの田中絹代の遊女同士の会話から始まり、同じ場面に戻ってそれが結末ではなく夜鷹に身を落とすまでの1回の遊廓落ちを挟んだ5人の男から男への半生記が語られて冒頭の場面に戻り、それからまだまだヒロインお春の夜鷹生活が描かれてなかなか終わらない映画になっています。溝口の大映5大傑作を『雨月物語』『祇園囃子』『山椒大夫』『近松物語』『赤線地帯』と並べると本作は実は近松原作に西鶴の『好色五人女』の同じモデルを扱ったエピソードを組み合わせた『近松物語』と題材は近いのですが、映画構成の中の時間感覚の操作では戦国時代が背景の『雨月物語』や荘園制の王朝時代が背景の『山椒大夫』と並んで特殊な工夫があり、それは本作と『雨月物語』『山椒大夫』の三作とも異なる工夫ですが、『雨月物語』『山椒大夫』の2作がプロットから生まれた物語構成とストーリー展開なのに対して、本作ではあえて長編映画の構成としては原始的なことをやっているのが現代映画としてはかえって実験的な手法に見えるのです。
 映画シナリオ(小説でも劇作でもいいですが)の書き方ハウツー本などを読むとたいがいまず常識的に注意点とされているのが、エピソードの串団子(必ず団子が比喩にされます)ではなく起承転結の展開で構成すること、視点人物の一貫性、登場人物の性格の一貫性、それらを配慮して三一法(時間経過の一致、物語の一致、人物の一致)の統一を図ることが書いてありますが、そんなことはお約束であってことさらそれを教えるのは読者なり観客なりの知性を低く見積もっているので、創作のリアリティは創作それ自体の迫真性にあるのですからルールは後からついてくるものでしかありません。本作の場合、ハウツー本の比喩を使えば果てしのない串団子のエピソードの累積から出来ている映画です。それはヒロイン自身によって打開できる状況が何もない封建時代の女性の運命でもあり、唯一ヒロインが成功するのはわが子への執着をも断念させられた挙げ句の、最後の松平家座敷牢蟄居への寸前の脱出だけです。本作の開き直った串団子構成とひたすら流浪または断念を重ねていくヒロイン像ははっきりとジャック・リヴェットが自作の『修道女』への影響を語っており、リヴェットに先だってレネの『二十四時間の情事』、ゴダールの『女と男のいる舗道』にもドライヤーの古典『裁かるるジャンヌ』と並んでインスピレーションを与えているでしょう。本作のストーリーは展開も発展もなくただただ転がってゆくだけで、溝口自身にもこんな映画はなければサイレント時代の連続活劇だってエピソード単位が短編映画の体裁をなしていました。すでに『愛と殺意』'50で監督デビューし、本作が監督賞を受賞したまさに同年のヴェネツィア国際映画祭に第2作『敗北者たち』'52を出品していたアントニオーニが本作を観ていないわけはなく、溝口逝去と入れ替わるようにして第5作『さすらい』'57から串団子映画でヨーロッパ映画の異端児になるのは本作の衝撃力を物語ります。本作の原案が溝口自身だったのは溝口と専属脚本家の依田氏にとっても幸いしたと言えて、不特定多数の薄幸な女たちのエピソードが年齢順(若い女→中年女→老女)に並ぶ西鶴の『好色一代女』をこれがやりたいんだがね、と溝口が依田氏に託しても、本作通りのシナリオを依田氏がばっちり上げてきたら「こんな串団子のようなものが出来ますか!」と却下されてしまったでしょうし、実際次の『雨月物語』からの傑作『祇園囃子』『山椒大夫』『近松物語』『赤線地帯』はいずれも計算されたプロットから緊密な伏線のあるストーリーを組み立てたものになります。溝口は成瀬巳喜男の傑作『浮雲』'55の評判を聞いて観に行き、薦めてくれた人に「成瀬にはキンタマはあるのですか」とくさしたそうですが、他でもない自分が男性視点を一切排したキンタマなし映画『西鶴一代女』を作ったのは棚に上げていて、というか本作の場合、長回しでカメラがパンまたは移動ショットで人物を追い、別の人物までフレーム・インするとぴたっと決まる1カット内での構図の変化は、例えば勤め先から金をくすねてきた手代に迫られて駆け落ちする道中に茶屋で休んでいる所を男の素性がばれ引っ立てられて田中絹代が取り残される長い1シーン1カットがありますが、茶屋の前の街路に奥行き深く変化する縦の構図を取った鮮烈なもので、こうした映像技法が研ぎ澄まされた割には話法的実験には気づいていなかったというか、原作自体プロットといえるプロットがない作品だから当たり前にこうなったと思っていたか、現代映画の話法としては破格なものになったとは考えていなかったのでしょう。それだけに、当時ヨーロッパの観客にもショッキングだったでしょうしアメリカ軍の占領下から解放された昭和27年までは絶対撮影不可能だった三船敏郎の斬首シーンが、処刑人の侍が腰を矯めて刀を振り、斬首後の刀には汚れ、ときちんと撮り直されなかったのが残念な瑕瑾として残ります。フェイドアウトが早すぎるのを見てもおそらくすぐに電車が来るのでリテイクできなかったのでしょう。しかし本作と『雨月物語』『山椒大夫』3作の田中絹代の一世一代の名演は鬼気迫るというのがふさわしく、また『祇園囃子』では木暮実千代(と若尾文子)、『噂の女』では田中絹代久我美子の母娘のWヒロイン、『近松物語』では『山椒大夫』で田中絹代の生き別れの娘役だった香川京子と、女優のキャスティングの的確さが本作以降の溝口作品ではいずれも大成功しています。本作『西鶴一代女』が大映のスタジオと宮川一夫カメラマンを筆頭とする大映スタッフで撮られていたらと惜しまれる部分もありますが、独立プロの製作環境のもたらした切迫感がプラスに働いた面も大きいでしょう。大映専属後には唯一遺作『赤線地帯』だけがこの切迫感を引き継ぐ作品になるのです。

●3月6日(火)
雨月物語』(大映京都撮影所/大映'53)*97min, B/W; 昭和28年3月26日公開 : https://youtu.be/x4-RKTrsXNs

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○製作・永田雅一、原作・上田秋成、脚本・川口松太郎/依田義賢、撮影・宮川一夫、音楽・早坂文雄、美術・伊藤喜朔、助監督・田中徳三
○あらすじ 天正十一年琵琶湖のほとりに住む陶工の源十郎(森雅之)は、焼物を作って妻子と弟夫婦をつれ京へ上るが、途中妻(田中絹代)と子は戦火を恐れ村へ引き返す。義弟藤兵衛(小沢栄太郎)は女房をすて出世を夢みて羽紫軍勢の兵士となって去っていく。ある城下町で源十郎は美女に陶器の注文を受け彼女の住む朽木屋敷に届けに行くが、美女若狭(京マチ子)のもてなしと彼女の妖しい美しさにとりことなってしまう。藤兵衛は侍に出世したが宿場で遊女となっていた妻お浜(水戸光子)とめぐり合う。妻は己れの身を恥じて自害しようとしてやめる。若狭が織田信長に殺された朽木一族の死霊であることを知った源十郎は、茫然として我家へ戻ると戦禍に荒れ果てた家の中には、苦難に耐えずこの世を去った妻の亡霊が待っていた。上田秋成の「蛇性の婬」「浅茅ヶ宿」をアレンジした時代映画。キネマ旬報ベストテン第3位。ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)

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 監督第81作。欧米諸国では奴隷の人身売買による荘園制度下における王朝時代の悲劇と反乱を描いてアメリカ映画の古典史劇映画『ベン・ハー』や近年の『スパルタカス』に通じる『山椒大夫』と並んで、戦国時代の戦時景気で金に目のくらんだ陶工の主人公が都に行商に出てひと儲けするが、怨霊に取り憑かれて死に目に遭って田舎のわが家に帰ってきてみれば妻子が迎えてくれたが、一夜明ければ妻も戦乱の中で野武士崩れの夜盗に殺害された幽霊だった、という怪異譚の本作が永く、現在も日本を代表する溝口映画の最高傑作とされてきましたが、近年では『残菊物語』や『元禄忠臣蔵』が戦時作品という特殊性抜きに圧倒的な映像表現で再評価され、また『愛怨峡』や『歌麿をめぐる五人の女』『武蔵野夫人』が『浪華悲歌』『祇園の姉妹』から『夜の女たち』『祇園囃子』『近松物語』『赤線地帯』に至る逆境下のフェミニズム映画として、その頂点と言える『西鶴一代女』の裾野に広がる作品群としてこちらがやはり溝口の本領ではないかという見直しも浸透してきました。しかし元は中国由来の古典的怪異譚を下敷きにして江戸時代の漢文学者・上田秋成がアダプトした短編集をさらに再構成した『雨月物語』にせよ、民間伝承の架空の仏教説話を森鴎外が短編小説にまとめ直した原作をさらに改作しリアリズムの時代映画として描いた『山椒大夫』にせよ文字通りの史劇(エピック)映画として迫力と質感の重量はものすごく、テーマ、表現方法とも女性映画を筆頭に再評価された作品群より古色蒼然とした面が強いとしても人類史のDNAに刻みこまれた前近代的な抑圧の歴史感覚に直撃してくる根源的・核心的な衝迫力がある。映画は強制されて観るものではないのは当然ですが、小津の『麦秋』『東京物語』、成瀬の『浮雲』『流れる』と並んで『雨月物語』『山椒大夫』は10代、20代、30代で観てもまだわからない。40代から50代に観直してようやくそれまでわからなかった理由がわかり、映画の奥に広がる世界がつかめてくるような作品です。溝口、小津、成瀬からもう1本上げれば『西鶴一代女』『晩春』『めし』で、こちらは『雨月物語』『麦秋』『浮雲』などより発想の原点が直接前面に出ているので青年時代に観てもわかった気になりますが、真価が見えてくるのはやはりもっと後に観直してからのことでしょう。『雨月物語』はちょっと西洋映画で比較できる作品が思いつかず、サイレント時代までさかのぼってラングの『死滅の谷』、フェーデの『アトランティード』やレルビエの『エル・ドラドオ』のような幻想映画が浮かぶくらいですが、『山椒大夫』はサイレントからトーキーにいたるイタリア史劇からハリウッド史劇までのどんな作品よりも素晴らしい。こうした雄大なスケールの作品で傑作を作ったのが溝口を現代ものの市民映画に徹した小津や成瀬と分けていて、現代映画のセンスで時代映画を作っていた黒澤明とともに国際的な認知が早かった理由ですが、黒澤には古代から中世にいたる鎖国体制下の日本人の感覚はないので時代映画を作っても歴史映画の体裁をとった現代劇になるので、技巧的なフォロワーを多数生み出したもっとも影響力の強い日本の映画監督にはなっても溝口のように滅びたもの、小津や成瀬のように滅びゆくものをとらえる直感力とは別の種類の発想で映画を作っていたので『羅生門』から『乱』まで評価の変動は小さかったものの、根本からダイナミックな衝撃力を湛えた映画を作ろうとした時には『白痴』『生きものの記録』や『悪い奴ほどよく眠る』のような隔靴掻痒の観のある作品か、『蜘蛛巣城』や『どん底』『隠し砦の三悪人』のような様式性の強い作品になり、最上の欧米映画に匹敵する映画にはなっても『西鶴一代女』『雨月物語』や『山椒大夫』のように西洋文化の届かない想像力まで到達する作品にはなりませんでした。
 と、前置きだけで前半を使い果たしてしまいましたが、 それだけ途方もない映画が『雨月物語』で、前作『西鶴一代女』で掘り当てた鉱脈がここに来て確実に溝口の手の内に入ったことを知らしめる作品です。今回も原案は溝口自身で、専属脚本家の依田氏に上田秋成の『雨月物語』から「蛇性の婬」をベースに「菊花の約」を加えて、モーパッサンの「勲章」を足した話ができないか、と持ち出してきた。溝口の構想を聞いていると溝口が「菊花の約」と言っているのは『雨月物語』でも「浅茅ヶ宿」のことだとわかり、戦乱の中行商に出た男が帰ってくると妻子は死んでしまっている、そこに怨霊に取り憑かれたエピソードが入る。モーパッサンの「勲章」はサブプロットで、主人公の妹の夫の百姓が武士に加わり一旗上げるため主人公の行商に夫婦で着いてくる。百姓は妻と戦乱のどさくさに紛れて妻とはぐれてしまい、武士になって出世するが遊廓にくり出すと遊女に身を落とした妻と再会し、夫婦でこりごりして田舎百姓に戻る、という筋立てが出来上がりました。大映製作局長の川口松太郎が映画公開に先立って小説に書いて「オール読物」に載せよう、と提案し川口氏がノヴェライズ版を発表しましたが、依田氏は川口氏の小説化を待たずに一気にシナリオを書き上げたそうです。依田氏の『溝口健二の人と芸術』には本作は特に詳しく、脚本成立までに2章、製作裏話に1章、ヴェネツィア国際映画祭への出品のためのイタリア行脚に4章を割いています。溝口からのシナリオへの改訂指定の書簡がまとめて掲載されている貴重な文献です。主人公の妹で百姓の妻を演じる水戸光子が夫とはぐれて野武士たちに輪姦されるシーンでリハーサルが難航し、溝口が水戸光子に「あんたは輪姦されたことがないんですか!」と八つ当たりしたというのも本作のエピソードです。ヴェネツィアではウィリアム・ワイラーに紹介され、依田氏に「なかなかいいおやじだよ。ワイラーからは縦の芝居だけを学んだな」と感想を洩らし、依田氏が会場で小柄なフランス人の足を踏んでしまいマルセル・カルネとわかると溝口は「ジャック・フェーデの弟子の足を踏んだのは君くらいだろう」と、映画祭の溝口は快活で、ただし受賞が決まるまでは永田雅一から渡された日蓮上人像を懐に入れて熱心に願掛けしていたそうです。依田氏は永田氏の要望で子を生かし、亡き妻の田中絹代の語りかけの声を聞きながら再びろくろを回す森雅之のカットで一応のハッピーエンドらしい雰囲気を出したことを悔やんでいますが、依田氏が悔やむほど唐突なハッピーエンドには見えず妻と二人でろくろを回す冒頭の場面と照応していて、本作の場合は妹の百姓夫婦も野望に懲りて元の百姓に戻りますから父の老爺が無事だった子供を引き取っていて、寡夫になった主人公が亡き妻の声を聞きながら一介の田舎陶工に戻る結末は十分に無惨で美しい締めくくりに見えます。前作『西鶴一代女』よりも前評判が高かっただけにさらに一部の国文学者から原典からの改変を批判されたそうですが、本作もまた溝口の『雨月物語』であって原典とは独立した創作として際立っています。結局ちっとも感想文にはなりませんでしたが『雨月物語』ほどになるとまず観て、それから話が始まるのでご紹介めいた感想文など書きようがない感じがします。怨霊役の京マチ子能楽を手本にした摺り足の演技、カットを割るごとに段階的にメイクを直していったという怨霊ぶりをお楽しみください。なお本作製作中は溝口を囲んで鴨鍋を食べることが多かったそうですが、溝口は会食の場でも遠慮なくやかまし鍋奉行だったそうです。しかも食通ぶって毎回失敗しても懲りずに仕切って通したそうですから、本作製作中の意気揚々ぶりが彷彿とされるではないでしょうか。

●3月7日(水)
祇園囃子』(大映京都撮影所/大映'53)*81min(オリジナル95分), B/W; 昭和28年8月12日公開 : https://youtu.be/LsOHm3TivgQ (trailer)

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○製作・辻久一、原作・川口松太郎、脚本・依田義賢、撮影・宮川一夫、音楽・斎藤一郎、美術・小池一美
○あらすじ 祇園で名の売れた芸者美代春(木暮実千代)は、旧知の沢本(進藤英太郎)の二号の娘栄子(若尾文子)を舞妓として仕込むことになった。一年後栄子は披露目の費用を一流のお茶屋「よし君」から借りて売り出し、美貌と現代っ子らしい振舞いで人気を呼んだ。栄子に食指を動かした会社専務楠田(河津清三郎)は二人をつれて上京、得意先の神崎(小柴幹治)のもてなしを美代春に頼み、自分は栄子を誘惑しようとして彼女に騒がれ失敗する。この一件で美代春と栄子は「よし君」の女将(浪花千栄子)から叱られ出入り差し止めの処分を受けるのであった。小品ながら風俗描写の精緻さのみられた作品。キネマ旬報ベストテン第9位。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)

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 監督第82作。本作では一転して誰もがかつての名作『祇園の姉妹』'36を思い出させる祇園の舞妓の人間ドラマを描いた現代劇に取り組んでおり、『雨月物語』製作後すぐに本作を撮り上げて『雨月物語』を持ってイタリア行きを果たしたため依田氏の著書では本作の製作裏話はまったく出てきません。『近松物語』のキャスティングの際に溝口が香川京子を指名した記述のついでに、本作の木暮実千代も溝口の指名だったことが触れられる程度です。依田氏の著書には何度も出てきますが、溝口は一度組んだスタッフ、キャストからは絞れるだけ絞り取る姿勢があり、それで言えば木暮実千代は『雪夫人絵図』'50で田中絹代渡米時のピンチヒッターをこなした女優でしたが、もともと木暮は田中絹代が戦前に田中自身がスカウトしてきた後輩女優で、『雪夫人絵図』の性的なもろさのあるヒロインは大女優の田中絹代でも演じられたでしょうが、田中絹代が演じればその次作の『お遊さま』のような、さすがの大女優でも資質に合わない役では何となく据わりが悪くなってしまったように、木暮実千代のフェロモン全開の存在感が『雪夫人絵図』では成功の鍵でした。田中の側も『西鶴一代女』『雨月物語』と溝口の力作2作に連続して出演(その前の『お遊さま』『武蔵野夫人』を入れれば連続4作)してきましたからすでにイタリアからの帰国後すぐ製作開始予定だった次の『山椒大夫』出演が決まっていたことでもあり、溝口作品には1作休んでいい了解があったのでしょう。本作で新入り舞妓若尾文子の姐さん役でWヒロイン役を見事にこなした木暮実千代は、結果的に溝口の遺作となる群像劇仕立ての『赤線地帯』'56で京マチ子若尾文子に次ぐビリング3番目のヒロインを演じ、戦後溝口作品では数少ない東京の撮影所製作(『夜の女たち』『雪夫人絵図』『武蔵野夫人』『楊貴妃』に継ぐ)になる同作では吉原の所帯(結核持ちで失業中の夫と赤ん坊)持ちの通い娼婦という貧乏くさい異色の役柄を割烹着に眼鏡の所帯じみた衣装の鮮烈な印象を残す名演で同作の成功に貢献します。溝口映画のヒロインというとまず田中絹代、次に山田五十鈴が浮かびますが、'50年代作品では木暮実千代香川京子、次いで京マチ子久我美子若尾文子田中絹代だけではできなかったヒロインを演じてみせた魅力があります。若尾文子は本作撮影中溝口から名前で呼ばれず、ずっと「おい、子供」呼ばわりされていたそうですが、こういうところまで徹底して作中人物と同じ扱いをすることで役柄に同化させていたのでしょう。とすると『元禄忠臣蔵』で「本当に人殺しをさせないと嘘になりますから討入りは撮れません」と言い張って討入りシーンを入れなかったのは案外本気だったかもしれません。溝口映画にないのは信仰と希望と愛情ですが(溝口映画の愛は必ず破滅を招くことになっているので、本来的な生命欲としての愛情とは異なるものです)、金とコネだけはものを言う世界を描くと溝口映画にはリアリティが発生するので、そこらへんの溝口の割り切り方は身も蓋もありません。小津や成瀬、黒澤には精神的な高さの尊厳と尊敬がありましたが、『祇園の姉妹』の戦後版を意図しないではなかったはずの本作『祇園囃子』では映像的な美意識の充実が極まってからだけに描き出された人間ドラマの酷薄さはより際立っています。サイレント時代の溝口は都会的でモダンな映画も作っていたらしく、そうした作品は『東京行進曲』'29しか残っていない上に30分の短縮版、しかも京都の撮影所に移ってからの作品ですのでハリウッド映画で描かれるニューヨークのような虚構のものですが、社会人生活の少なく美術専門校卒からすぐ日活に潜りこんだ(当時映画は水商売、まあ現在もそうですが本当にやくざな商売だったので来る者拒まずだったそうです)溝口にはインテリやビジネスマンの世界は描けず、『武蔵野夫人』のフランス文学教授がリアリティを損ねるほど戯画化した描き方しかできなかったように(そうでないと成り立たない話だったのもありますが)、本作のビジネスマンも舞妓を使った枕営業に商売の成否をかけている人種(そのついでに自分もおいしい思いをする)としか描かれていません。つまり映画界のビジネス意識でしか社会を見ることができないので、小津や成瀬を上げずとも島津保次郎五所平之助清水宏木下恵介ら市民映画を社風としていた松竹の映画監督はきちんとサラリーマンや学校教師、工場労働者の世界を描いていましたし、日活の監督でも伊藤大輔内田吐夢田坂具隆稲垣浩らは現代劇でも時代劇でも人間の尊厳をきちんと描いていました。伊丹万作山中貞雄黒澤明なども言うまでもありませんし、黒澤などは理想主義の化身だった監督です。戦後、東宝今井正黒澤明の世直し映画が高く評価された時代、溝口映画がようやく復調してキネマ旬報ベストテン入りを果たし始めてもベストテン1位はおろか『夜の女たち』『雨月物語』3位、『近松物語』5位が最高で、『西鶴一代女』『祇園囃子』『山椒大夫』9位と、どこか留保を感じさせる評価だったのは敗戦後の思潮とは溝口がズレていたからです。かといって敗戦後の思潮に乗った『女性の勝利』『女優須磨子の恋』『わが恋は燃えぬ』などは板についていなかったので、『夜の女たち』こそ社会抗議的作品として高く評価されましたが同作と対をなす遺作『赤線地帯』はベストテンに上がらない。また『雨月物語』の戦国時代の都に行商する主人公は朝鮮戦争軍需景気に湧く日本人そのものでしょう。ニュースソースの獲得のため警視庁の天下り受け入れ先となっていた読売新聞が軍部ともパイプを持ち旧陸軍工場跡地を後楽園球場、現東京ドームにし読売巨人軍球団のホームグラウンドにしたように東映東宝も独自に旧軍部、現警視庁(映画のロケーション撮影に警察の許可と袖の下は不可欠です)とパイプを持ち、自衛隊翼賛映画の『七人の侍』と空襲の恐怖の記憶を水爆開発実験批判と重ねた『ゴジラ』が'54年という同年に同じ映画会社で作られどちらも空前のヒット作となったように戦後の日本映画状況はねじれており、『西鶴一代女』以降の作品は保守と革新両派のどちらからも古典的な日本映画らしい完成度は認められましたが、真に新しく優れた映画とは見られていなかった節があります。
 しかし本作『祇園囃子』の鮮やかさはどうでしょうか。かつての『瀧の白糸』がベストテン第2位、『浪華悲歌』3位、『祇園の姉妹』1位なら本作は悠に『祇園の姉妹』に肩を並べる作品です。'53年のキネマ旬報ベストテン第1位は今井正の『にごりえ』、第2位は小津の『東京物語』ですが第4位の五所平之助『煙突の見える場所』、第5位の成瀬巳喜男あにいもうと』、第6位の木下恵介の『日本の悲劇』、第7位の今井正ひめゆりの塔』、第8位の豊田四郎『雁』、第10位の新藤兼人『縮図』、第11位の成瀬巳喜男『妻』、第12位の家城巳代治の『雲流るる果てに』だって『にごりえ』や『東京物語』と負けず劣らずとも言え、賛否両論でしょうがカンヌ国際映画祭グランプリ・アカデミー賞名誉賞受賞作の衣笠貞之助『地獄門』もありました。この年の外国映画ベストテン1位~10位は『禁じられた遊び』『ライムライト』『探偵物語』『落ちた偶像』『終着駅』『静かなる男』『シェーン』『文化果つるところ』『忘れられた人々』『超音ジェット機』です。圧倒的な訳のわからなさでは日本映画・外国映画合わせても『雨月物語』は『禁じられた遊び』『忘れられた人々』すら抜いてぶっちぎりですし、切れ味で『祇園囃子』を抜く作品はないのではないでしょか。もちろん『ライムライト』や『東京物語』は名作中の名作ですがこうして昭和28年度日本公開映画の内外ベストテンを並べても『雨月物語』と『祇園囃子』は超時代的な異質さがあり、溝口自身は戦後の女性の意識が旧来の祇園のシステムの中では圧殺される様を、姉妹のような気持で結ばれた木暮実千代若尾文子の情愛(若尾のために負った借金と祇園を仕切る大女将によって仕事を干されて木暮は枕営業の役目を引き受け、若尾にはあんたは旦那を取らなくてもいい、今日からあたしがあんたの旦那や、と笑いかけます)を通じて描きますが、これは経済的困窮から親類縁者からも突き放され舞妓になった孤独な女同士の純粋に姉妹的な愛情で、溝口がこうした無償の愛を描いて成功する時の常で木暮実千代若尾文子の二人で営む部屋は性的にも経済的にも常に危険にさらされる覚悟で成り立っているのです。実際にこの祇園の舞妓文化は現代にあっては粋人の遊興施設ではなくビジネスのための性的接待の場として利用されている事情を明かしていて、その皮肉は反逆的な妹と従順な姉のどちらもが客に裏切られる『祇園の姉妹』よりはるかに強く祇園そのものと、祇園に頼らずには生活の手段のないヒロインたちの両方に向いているだけ痛烈です。溝口がテーマにしてきた自由の問題はすでに芸の才能で自立を勝ち取れば良しという領域を越えており、この祇園のシステムと舞妓たちの関係は国家と国家の前でむき出しになった個人の対立にまで踏みこんでいます。すでに社会改良思想にすら懐疑を抱いているので、先に進むとしたら無政府主義しかない場所まで本作は突き当たっており『禁じられた遊び』や『忘れられた人々』の笑うに笑えない絶望的子役コメディとは間一髪、疑似姉妹関係の切ない情愛で優しい仕上がりになっています。これは喜怒哀楽のはっきりした田中絹代の演技の質感では表現できないニュアンスで、『西鶴一代女』や『雨月物語』も含めてそれまでの溝口作品にはない微妙さに到達しています。次作『山椒大夫』が奴隷制度の荘園制王朝時代の家族解体と奴隷制度革命劇になったのは『雨月物語』と『山椒大夫』の間に本作があった必然を感じさせます。それを祇園の舞妓物語でやってのけたのが食えない職人かつ大手腕の芸術映画監督溝口の天性の勘がひらめいています。戦後民主主義思潮とも当時の最新輸入思想だった実存主義思想ともむしろ断絶して、溝口なりに根源的な人間の自由の問題と対決していたことを、トーキー以降の作品を追ってくるとはっきりわかるのが力作歴史劇の間のエアポケットのように作られた本作の企みで、この『祇園囃子』の本当のメッセージは誰もが気づかないふりをし通したいことでした。戦後日本への溝口のどす黒い悪意は次作『山椒大夫』で爆発し、さらに『近松物語』を含む数作の迂回を通って遺作『赤線地帯』の絶望一直線にいたるのです。