人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年5月11日~13日/ウィリアム・A・ウェルマン (1896-1975)監督作品(1)

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 ハリウッド映画の黄金時代と言える'20年代後半~'50年代前半の担い手になったのは1880年代~20世紀初頭生まれの監督たちですが、特に1890年代生まれの監督たちはサイレント時代とトーキー以後をまたいで長いキャリアを送った監督が多く、1896年2月29日マサチューセッツ生まれのウィリアム・A・ウェルマンもそのひとりです。シカゴあたりならばともかく東部でも古都のマサチューセッツ出身ならやはり空軍に従事した同年生まれのハワード・ホークスのようにボンボンかと思えば(ホークスは会社社長御曹司でインディアナ出身パサディナ育ちニューヨーク工科大学卒で、フォックス社から入り自己のプロダクションを立ち上げる、反骨精神に富む、空軍経験者の飛行機好きと共通点も多いですが)ウェルマンは名うての不良少年上がりの映画人だったそうで、第一次大戦中にはフランス外人部隊の担架兵やラファイエット飛行隊の志願兵パイロットとして活躍し、被弾して頭に負傷して前線を外れ、終戦後は飛行機スタントマンとして生計を立てていました。ウェルマン作品に戦争ものに限らず航空映画が多いのもパイロット経験を見込まれた企画を多く依頼されたからです。ダグラス・フェアバンクス邸の敷地内に不時着しそうになったのが映画界に入るきっかけになったという明らかにホラ話の伝説もあります。1919年に俳優として映画界に入り、最初の監督作品は早くも'20年にありますが、長編劇映画の監督専業になるにはフォックス社で3年の下積み期間がありました。'27年の第一次世界大戦のヨーロッパ戦線を描いた空軍映画『つばさ』で第1回アカデミー賞作品賞受賞。サイレント時代屈指の特大ヒット作であるキング・ヴィダーの『ビッグ・パレード』'25の空戦版を意図したのは明らかですが、長編劇映画で初めて本格的な航空撮影を主眼にしたものとして世界的な大ヒット作となります。トーキー以後では社会派ギャング映画最大の話題作のひとつとなった『民衆の敵』'31がマーヴィン・ルロイの『犯罪王リコ』'30、ハワード・ホークスの『暗黒街の顔役』'32(製作'30)とともに'30年代初頭のギャング映画3大傑作(ないしルーベン・マムーリアンの『市街』'31を合わせ4天王)として知られ、メロドラマ、文芸もの、歴史映画、犯罪映画、西部劇、戦争映画、SFと当時のジャンル映画をミュージカル以外はほとんど手がけ、サイレント時代の監督作の多くは散佚作品になっているようですが、生涯監督本数は初期短編を含めて82作に上るそうです。筋の通った硬派の作品も多く'89年施行の文化財保存法であるアメリカ国立フィルム登録簿には現在までに4作、『つばさ』'27、『民衆の敵』'31、『牛泥棒』'43、『G・I・ジョー』'45が登録されており、今後も新規登録の可能性の高い名作がまだまだあるので20世紀アメリカの代表的映画監督のひとりとほぼ認められていると言えます。
 外国出身監督も含めて1890年代生まれのハリウッド映画黄金時代の監督を上げると、クラレンス・ブラウン、マーヴィン・ルロイ、フリッツ・ラング(1890年生まれ)、エルンスト・ルビッチ(1892年生まれ)、ウィリアム・ディターレフランク・ボーゼイジ(1893年生まれ)、ジョン・フォードジョセフ・フォン・スタンバーグキング・ヴィダー、テイ・ガーネット(1894年生まれ)、バスター・キートンルイス・マイルストン(1895年生まれ)、ハワード・ホークスウィリアム・A・ウェルマン、スチュワート・ヘイスラー(1896年生まれ)、フランク・キャプラルーベン・マムーリアン(1897年生まれ)、レオ・マッケリープレストン・スタージェスヘンリー・ハサウェイ(1898年生まれ)、ジョージ・キューカーアルフレッド・ヒッチコック(1899年生まれ)と、これに西部劇専門監督や戦時中やフィルム・ノワール期に監督転向した技術スタッフ出身監督を加えるときりがないでしょう。1890年は正確には1880年代最後の年ですし(ヴィクター・フレミングが1889年生まれ)、クラレンス・ブラウンやマーヴィン・ルロイはラオール・ウォルシュヘンリー・キングアラン・ドワンサム・ウッド1880年代生まれの監督に近い感じもしますが、マッケリー、ハサウェイ、ヒッチコックらとなるともう20世紀生まれの監督、ウィリアム・ワイラー('03年生まれ)やジョージ・スティーヴンス('04年生まれ)と変わりない感じもしますし、昇進の遅かったハサウェイなどはワイラーより遅くトーキー以後の監督デビューです。ウェルマンはウォルシュ→フォード、ホークスの系列に入るようでウォルシュ→ヴィダー、ハサウェイの系列とも見えますし、ウォルシュというよりもヘンリー・キングアラン・ドワンから出てマイルストンに近い感じも受け、するとドワンやマイルストン、ハサウェイよりは上だろうと思うとドワンやマイルストン、ハサウェイらにもウェルマンには作れないような佳作があるので、結局個々の監督を見るとハリウッド映画黄金時代の標準的な作風の代表監督など簡単に決められない感じがします。昨年はラオール・ウォルシュ作品を全138作中24作、ハワード・ホークス作品を全46作中27作観直してウォルシュは巷間世評芳しくない作品でも感銘深くたっぷりと楽しめ、ホークスも晩年は少々落ちるにせよ観直してより楽しめた作品が多かったのですが、ウェルマンは今回手持ちの映像ソフト18本を観直している最中ですが初見時とはかなり印象が変わった作品もありました。またウェルマン作品の大半はメジャー配給なのでほぼアメリカ本国公開時(大戦中作品は戦後間もなく)日本劇場公開されており、「キネマ旬報映画データベース」にも公開当時の「近着外国映画紹介」の文がそのまま転載(表記は略字・新かなに改めて)されています。これも歴史的文献として貴重かつ興味深いものですので明らかな間違いは訂正し、訂正箇所については本文で触れて紹介させていただきました。明らかに現行ヴァージョンと異なる『民衆の敵』のような例はキネマ旬報紹介文は生かし、これも本文で異同箇所について触れることにしました。

●5月11日(金)
『つばさ』Wings (パラマウント'27)*138min, B/W, Silent; 日本公開昭和3年(1928年)3月30日・アカデミー賞作品賞/技術効果賞受賞・キネマ旬報ベストテン5位・アメリカ国立フィルム登録簿新規登録作品(1997年度); Trailer, Extract : https://youtu.be/pENc1iXCRL8 : https://youtu.be/SFh4eZXIvOg

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) 長距離飛行の流行、航空熱の旺盛なるに鑑みて製作された空中戦映画でアメリ陸軍省の後援を得てパラマウント社が完成した特作品である。ジョン・モンク・ソーンダース氏作の物語をホープ・ロアリング女史とルイス・D・ライトン氏が脚色し、「女心を誰か知る」「猫の寝巻」と同じくウィリアム・A・ウェルマン氏が監督したもの。主演俳優は「フラ」「あれ」「人罠」等出演のクララ・ボウ嬢、「青春の喜び」「デパート娘大学」等出演のチャールズ・バディー・ロジャース氏、「ブラッド・シップ」「オール持つ手に」出演のリチャード・アーレン氏及び「飛脚カンター」「田吾作ロイド一番槍」等出演のジョビナ・ラルストン嬢で、エル・ブレンデル氏、アルレット・マルシャル嬢、ゲイリー・クーパー氏、ヘンリー・B・ウォルソール氏等が助演している。因みに本映画の原作者並びに監督者は共に欧州大戦に飛行士として従軍した勇士である。1927-28年度(第1回)アカデミー作品賞、昭和3年キネマ旬報ベスト・テン外国映画第5位。(13巻)
○あらすじ(同上) アメリカのある小さい町に生れたジャック・ポウエル(チャールズ・バディー・ロジャース)は性来飛行機が好きで飛行家になることを夢みていた。彼の家の隣りに住むメリー・プレストン(クララ・ボウ)というお転婆娘は深くジャックを愛していたが、彼はそれに気付かず都から来たシルヴィア・ルウィス(ジョビナ・ラルストン)という娘に想いを寄せていた。ところがシルヴィアはまたジャックを愛せずこの町の素封家(ヘンリー・B・ウォルソール、ジュリア・スウェイン・ゴードン)の息子デイヴィッド・アームストロング(リチャード・アーレン)と恋し合っていたのである。かくて1917年アメリカが欧洲大戦に参加するに及びジャックとデイヴィッドは共に飛行士たるべく志願した。故郷を去るに望み2人共シルヴィアに訣別に行ったがジャックは彼女がデイヴィッドに与うべく用意した寫真入れを自分が貰えるものと感違いして一人決めで貰って了つた。2人は飛行士たるに必要な巌格な訓練を受けた。そして見習飛行士となる頃には恋仇の2人は無二の親友となっていた。やがて2人は一人前の飛行士となりフランス戦地へ出征した。2人は初陣の早朝偵察飛行に敵と空中戦を演じて以来早くも敵の心膽を寒からしむる空の勇者となった。ある時は敵の爆撃機ゴータをジャックが屠り、デイヴィッドはゴータ護衛の敵の戦闘機2台を索制し一機を射落してジャックに思う侭の活動をさせた。この功に依って2人はフランス政府から勲章を授けられ休暇を貰ってパリに遊んだ。聯合軍の總攻撃の準備は成り賜暇中の飛行将校は戦線へ召還された。ジャックとデイヴィッドは総攻撃に先立って敵の偵察用気球2個を撃ち落す命を受けた。2人は翼を並べて出発したが、ジャックは出発直前シルヴィアの写真のことでデイヴィッドを誤解し甚だしく昴奮していたため途中で敵の戦闘機4台に襲台に襲撃されたことすら気付かなかった。デイヴィッドは止むなく単機敵の4台に当って2機を射落したが不幸敵弾のため操縦の自由を失い河中に墜落した。ジャックはこの激戦を夢にも知らず一路邁進して2個の敵気球を射落した後ようやくデイヴィッドの機影のないのに気付いた。彼は寝もやらず戦友の帰着を持ったが敵地に墜落したデイヴィッドは帰らなかった。翌朝總攻撃の開始と共にジャックは復讐の念に燃えて敵地を阿修羅の如く荒し廻った。敵は聯合軍の總攻撃を受けて混乱した。片腕を負傷したのみのデイヴィッドは敵地を潜み歩いていたが偶然敵の飛行場を発見し、大膽にも敵機を盗んで味方の陣地へ帰ろうとした。そしてジャックと空中に遭遇したため彼は戦友に迫撃され大破して瀕死の重傷を蒙った。ジャックは死んでゆく親友を抱いて断腸の悲通を味った。故郷へ凱旋の日親友の両親を訪ねたジャックの髪には白髪が著しかった。人の世の悩みを知ったジャックはメリーの恋を知って彼女と相抱いた。 <批評>誰でも2ドル払って喜んで見るべき映画戦慓に次ぐに戦慓、逐に見るものは社経に疲労を覚える位、技術的に見てこの映画は未会有の成功を改めている。物語の扱い方には多少の難がないでもないが、壮決極まりなき空中の大活劇は、心ずや興行的に大成績を挙げるであろう(ウォールド誌イープス・サージェント氏)

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 サイレント時代の映画はおおむね短く80分未満のものが大半の中、2時間20分とは相当覚悟がいる感じがしますがこれも第一次大戦ヨーロッパ戦線を描いてサイレント時代の映画トップ3に入る特大ヒット作になったキング・ヴィダーの『ビッグ・パレード』'25の2時間半の向こうを張ったのでしょう。アカデミー賞発足の第1回は'27年/'28年度作品を対象とし、翌第2回の'28年/'29年度作品賞はMGMのトーキー作品『ブロードウェイ・メロディー』'29が受賞しましたから候補作も純粋にサイレント作品だけだったのは第1回だけで、また第1回のみ作品賞と芸術作品賞の2本立てでしたが、第1回の作品賞はマイルストンの『暴力団』(パラマウント'28)、ボーゼイジの『第七天国』(フォックス'27、アカデミー賞監督賞、主演女優賞、脚色賞受賞、昭和2年キネマ旬報ベストテン1位)と競って本作『つばさ』が芸術作品賞受賞作のF・W・ムルナウサンライズ』(フォックス'27)と並んでサイレント時代ただ2本のアカデミー賞作品賞受賞作となりました。当時主演映画『あれ(It)』'27のヒットにちなんでイット・ガールと呼ばれたアイドル女優クララ・ボウの人気絶頂期の出演(クレジット上は主演)作品なのも華を添えており、クララ・ボウの映画はアイドル映画ですから『あれ』も含めサイレント映画マニア向けの限定版DVDしかなく手軽に手に入る作品は本作きりなのも点を稼いでいます。実質的な主役は庶民出の兵士ジャックを演じるチャールズ・バディー・ロジャースと名家出の兵士デイヴィッドを演じるリチャード・アーレンで、ヒロインとしても同じ町出身の二人が恋のさや当てをすることになる美女シルヴィア役のジョビナ・ラルストンの方がドラマ上では重要ですから、ジャックの幼なじみ役でジャックに恋しているが気づいてもらえず負傷兵輸送車の看護兼運転兵として戦場にまでついてくるクララ・ボウは息抜き場面のコメディエンヌ兼ハッピーエンド係といったところで、いわゆる「となりの女の子(Girl Next Door)」風の雰囲気のある可愛い女の子であれば誰でもいいような役ですが、それがアメリカが文化的にも経済的にもバブル景気をきわめた伝説的な'20年代末期のトップクラスのアイドル女優であることにイコンとしての文化財的価値があります。トーキーの到来とともにベティ・デイヴィスジョーン・クロフォードらアンチ・ヒロイン的な女優が脚光を浴び、グレタ・ガルボは悲劇女優として人気を新たにし、ドイツから来たマレーネ・ディートリッヒなどまったくサイレント時代からは時代の嗜好が変わり、トーキー以後は流行のサイクルこそあれ数種のモードが循環しているとも見られますが、サイレント時代の俳優のタイプは壮年以上の年輩でないと男性俳優、女性俳優とも断絶している面が強く、映画の主役は男女とも青年の場合が多いですからトーキー以後でも年長の性格俳優タイプの俳優はサイレント時代から残りましたが若い美男美女スターはたちまち時代遅れと見なされたのがあり、後に'20年代のレトロ・モダンなセンスを楽しむ趣味は生まれましたが現代にそれを模倣しても何ら創造性はありません。
 しかし本作が意外に古くさくなく観られるのは恋愛ロマンスと戦闘アクション映画のバランスのとれたもので、『ビッグ・パレード』やラオール・ウォルシュの『栄光』'26のように戦争の悲劇的側面を描いて反戦メッセージを含むまでにはいかず、戦争の政治的目的に目を向けてもいませんが、それを補っているのが「空前の技術で実現された戦闘機の航空撮影」と「戦闘機の空中戦を演技・実演(墜落大破含む)させてマルチ・カメラ撮影する」という、ノウハウが確立されていればともかくごく部分的にしか試された例がないものを映画の主眼にした大胆な新機軸の航空アクション映画の最初の成功作になったことで、そうした映画はさっそくウェルマン自身が『空行かば』'28、『若き翼』'30と作りましたし空軍経験者のハワード・ホークスのトーキー第1作『暁の偵察』'30は『つばさ』『空行かば』と同じパイロット出身作家ジョン・モンク・ソーンダース(ちなみに『キング・コング』'33のヒロイン、フェイ・レイを夫人にしていました)の原作ですが、人間ドラマの密度と描写の精密さ、自然な航空撮影と飛躍的な向上を遂げたもので、『つばさ』より優れた映画とは言えても『つばさ』にあるこれが初めてのイチかバチかのような試みから成功をつかみとったような綱渡りのスリルはないので、その外にもパリのナイトクラブで並んだテーブルの上を一直線に進んでいく映像という、アーチ型の大移動車からカメラを宙吊りにして撮ったとでも考えないと不可能な移動ショットがありますが、本作はプロローグとエピローグに主人公たちの郷里が描かれる以外は軍事教練過程も含めて常にカメラは被写体を追って移動していますし、空中戦を地上から撮ったショットも固定ショットで済むことはまずなく、組んず解れつする空中戦を併走する飛行機から撮ったショット、飛行中のパイロットを正面からとらえたショットなど航空撮影ショットはすべて飛行機自体がカメラと被写体の両方を乗せたトラベリング装置になっていて、3年後のホークスの『暁の偵察』では一定の法則性のある手法に早くも整理されるものが『つばさ』では初物だけに常に意表を突くショットの連続であるところに最大の魅力があります。ドラマの上では主人公ふたりの友情と確執は非常にシンプルな思いやりと誤解で明快ですし、敵軍から乗っ取った敵機で帰還してくるのも戦闘機だから目新しいので本作と同年の南北戦争映画『キートン将軍』'27にもあるように戦争ものではよくある手で、ただし本作の設定の第一次大戦では無電はモールス信号までしか発展していない上に、操縦のオートメーション化が進んだリンドバーグの大西洋横断飛行の成功も本作公開('27年8月)の直前の'27年5月と、平時の民間航空機の飛行ですら安全性は確実でなかった頃に前倒しで空軍爆撃機は強行実用化されていたので、通信手段もない状態で敵機を奪って帰還してきたのでは当然悲劇を生むことになります。戦争は終わり、主人公は郷里に帰ってしみじみと温かく映画は終わります。はっきり言ってサイレント塾爛期の'27年/'28年のアメリカ映画はグリフィスの『男女の戦』、シュトロハイムの『結婚行進曲』、ウォルシュの『港の女』、チャップリンの『サーカス』、キートンの『蒸気船』、フォードの『四人の息子』、ヴィダーの『群衆』、ホークスの『港々に女あり』、シェーストレムの『風』、スタンバーグの『紐育の波止場』など名作傑作目白押しでこれらは明らかに『つばさ』以上の高い内容と完成度を誇りますが、『つばさ』の大衆性と見世物に徹した度胸、さらに現代にまでいたる航空アクション映画の型を作った功績では上記の珠玉のような名作群を抜いた華があり、そもそもアカデミー賞とは業界の景気づけですから大本命の『サンライズ』は芸術作品賞に表彰しておいて『つばさ』が第1回の作品賞受賞作だったことには十分根拠があり、それだけの力作大作であり新鮮味もあったのがわかります。もともと都会的な作風で人情の機微に触れた作品で定評があったというウェルマンですが、そうした面も上手くそつなく生かされているように思えます。

●5月12日(土)
『人生の乞食』Beggars of Life (パラマウント'28)*81min, B/W, Silent; 日本公開昭和4年(1929年)1月31日・キネマ旬報ベストテン3位; Trailer, Slide Show, Full Movie : https://youtu.be/7w-jEIoeiaA : https://youtu.be/IariPaS9RzM : https://youtu.be/FUVZ6iz94Ns

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) 彼自身ホーポーだった米国小説家ジム・タリー氏の有名な小説を映画化したもので、「罪の街」「乙女よ純なれ」「第七天国」等と同じくベンジャミン・グレイザー氏が脚色し、「空行かば」「暗黒街の女」に次いでウィリアム・A・ウェルマン氏が勤め、「港々に女あり」「百貨店」出演のルイズ・ブルックス嬢、「暗黒街の女」「つばさ」出演のリチャード・アーレン氏が助演するほか、「野球王」のロスコー・カーンス氏、エドガー・ブルー・ワシントン氏、ロバート・ペリー氏等も出演している。
○あらすじ(同上) 寄辺ない乙女ナンシー(ルイズ・ブルックス)は冷酷な養父に育てられていたが或る日のこと養父と争い折檻か怖しさが夢中で彼を射殺してしまった。そこへ来合わせた若い浮浪者のジム(リチャード・アーレン)は此の有様を見てナンシーを男装させ一緒に逃げ去ることにした。先ず貨物列車に乗り込んだが車掌に見咎められて、浮浪者の仲間へ救いを求めて行った。彼等の仲間で勢力のあるオクラホマ・レッド(ウォーレス・ビアリー)とアーカンサンス・スネーク(ロバート・ペリー)はかねて反目し合っていたが、ナンシーが女であると見破ったスネークは彼女に挑んだのでジムは彼女をかばった。一同の浮浪者共はそれを仲間の規律を乱したものとしてジムとナンシーとの追放を命じたが、唯一人レッドだけはそれに反対した。その為レッドとスネークとは大争闘を惹起したが、折しもナンシーを逮捕に警官隊が雪崩込んだために浮浪者一同は逃れて貨物列車に乗った。そこで今度はレッドがナンシーに暴行を加えようとしたがジムは再び彼女を護った。若者達の真剣な愛を見て獰猛なレッドも暖かい情を知った。そして警官隊の襲撃をまたも受けて列車を逃れた二人の若者は或る破れ小屋に隠れた。そこへレッドが訪ねて来てジムとナンシーを安全なところへ逃げ延びさせ、病死した浮浪者にナンシーの衣服を着せ小屋に放火し、襲来した警官隊に応戦して対に死んでしまった。ナンシーとジムとはレッドの犠牲によって急場を逃れ、幸福を求めて加奈陀へ向かった。

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 ホーボーとは今日の言い方で言えばホームレスとなりますが、どちらかと言えばその日暮らしの放浪労働者のニュアンスが強く、現代日本では定住所に住民登録がない浮浪者というだけでも犯罪被疑者または予備軍として警察の逮捕対象になりますが、当時のアメリカは好景気の一方大量の非定住労働者を生み出していたのがプロレタリア文学や本作のような映画を見るとわかります。チャップリン喜劇やマルクス兄弟喜劇のような浮浪者は喜劇の対象でもありますが実際に存在していたので、喜劇ではなくシリアスなドラマとして描くとスタンバーグの『救ひを求むる人々』'25やウェルマン最後のサイレント作品(パート・トーキー版も作られたそうですがサイレント版しか現存せず)になり、翌年ドイツに渡ってG・W・パプストの『パンドラの箱』'29、『淪落の女の日記』'29の2大傑作に出演するルルことルイーズ・ブルックス(1906-1985)のアメリカ時代の代表作としてホークスの『港々に女あり』と並ぶものであり、サイレント~トーキー時代をまたいで活躍した名優ウォーレス・ビアリー(1885-1949)のサイレント時代最後期の代表作でもあります。初見の際にはビアリーとルル主演作品のホーボーもの、と言いますからすっかりビアリーがルルを連れて放浪する話かと先入観がありましたが、田舎の民家に「何か仕事ありますせんか。何でもやりますから」と入ってきたホーボーの青年が返答がないので近づいてみると家の主人が銃殺されて死んでいる。2階から男装のルルが下りてきて2年前に孤児院から引き取られてこき使われてきたが、2日前に暴行されそうになり抵抗するうち猟銃で射殺してしまった。これが懸命に語るルルの表情のアップにずっとオーヴァーラッブして回想内容がフラッシュバックで描かれます。この辺りがパート・トーキーでルイーズ・ブルックス自身の語りが入っていたのかもしれません。本作は日本公開時から評価が高かった名作ですが、本国でも映像ソフト化は遅れていてインディー・メーカーからルイーズ・ブルックス作品集のシリーズと、サイレント映画専門の復刻メーカーのグレイプヴァイン社からの2種類がマニア向けの限定プレスで発売されていましたが、パブリック・ドメインのともに劣化した民生用16mm上映プリントのストレートなDVD化で貴重ながらマスター、画質とも良好とは言えませんでした。ですが世界に正義はまだ存在する証拠で、昨2017年秋についに古典映画の復刻レーベルの権威、キーノー社(Kino Lober)からパラマウント社の正式なライセンスにより、フィルム・メーカーのイーストマン財団所有の現存する中で最上の状態の35mmプリントから精密にレストア作業されたデジタル・リマスター版がBlu-rayとDVDで初の正規ライセンス・リリースされ、なるほど従来シネクラブ上映されたりパブリック・ドメインのインディー・リリースされた版とは比較にならない画質です(長年丁寧にレストアされてきた『つばさ』にはおよびませんが)。これで本作の再評価も進むでしょう。アメリカ国立フィルム登録簿登録作品に選定されるのもそう遠い先ではないと思われます。
 実はビアリーが出てくるのはもっと先で、『つばさ』で二人の主人公のうち名家出身のデイヴィッド役だったリチャード・アーレンがルイーズ・ブルックスを連れて放浪するホーボー青年役で、初見の時は二人が合流したアーカンソー・スネイクのホーボー団に突如現れる喧嘩大将のオクラホマ・レッド役でビアリーが出てきてやっとそりゃそうだよな、ビアリーにしては若すぎるもんなと青年役はビアリーではないのに気づいたのですが、ホーボー団に合流する前にアーレンとブルックスが畑の積み藁で初めて夜を明かすシーンは情感溢れる良い演出で、スタンバーグの『救ひを求むる人々』でもそうですしロイドやキートン作品にもくり返し出てきますが、未婚の男女が初めて一夜を明かすシーンは映画ではハイライトなので、スタンバーグには一歩を譲りますが本作もサイレント作品ではいっそう際立つ良さが麦藁畑の一夜には出ています。本作が日本で非常に好評だったのはビアリーのキャラクターが任侠肌で、優男のアーレンに助太刀して好色なスネイクからルルを守り、殺人犯で指名手配されていて男装とアーレンの面も割れているルルのために婦人服を買ってきて、女物の服装で連れも自分なら検問に引っかからず逃走できるだろうと助けを持ちかけ、ルルがアーレンと一緒でなければ逃げない、アーレンもまたビアリーにルルを預けないと言い張るとあきれて「なるほど、愛ってやつか。愛……厄介だが仕方ないな」とビアリーがみずから囮になってアーレンとルルを逃がす段取りに取りかかる(ルルが着ていた男物の服を利用する)、アーレンは女物の服を着て初めて若い女らしい姿になったルルに目を見張り、ビアリーはことさらアーレンとルルに計画を言わないので逃走する二人はビアリーが囮になっているのを知らない、ビアリーは若い二人のために命がけで無償の手助けに尽くす、と泣ける展開が進んでいきます。この任侠的でもあれば寅さん的でもある展開は何も日本人に限った好みではなく、サイレント時代には『キートンの恋愛三代記』'23の恋敵役、『ロスト・ワールド』'25のチャレンジャー教授役で知られるビアリーのトーキー時代の代表作というとキング・ヴィダーの名作『チャンプ』'31の子連れボクサー役(アカデミー賞主演男優賞受賞)、'34年版『宝島』のフック船長、助監督ジャック・コンロイ名義のハワード・ホークスの傑作『奇傑パンチョ』'34のパンチョ・ヴィラ役(ヴェネツィア国際映画祭主演男優賞受賞)始め『グランド・ホテル』'32、『バワリイ』'33、『支那海』'35などが思い浮かびますが、豪放磊落な喧嘩大将のおっさんで時に好色で賭け好きの酒飲みながら心優しく義に篤いビアリーのキャラクターは広く愛されたので、本作のような古典的サイレント作品をご覧になる方にネタバレ伝々騒ぎ立てるようなことはないと思いますが、結末でカナダへの国境を越えたアーレンが「結局あいつも悪漢だったんだな」しかしルルは「いいえ、良い人だったのよ」、その頃ビアリーは警官隊に狙撃されて列車の屋根から岩山へ転げ落ちて仰向けになり「馬鹿だな、俺は」エンドマーク、と、これに感動しないで何に感動するのだという映画です。アニメーション効果などもふんだんに使い、題材そのものが派手で大がかりな『つばさ』より本作はいっそう心に沁みるもので、普通の人情大衆映画ですから日本盤が発売されるとして妙に芸術映画扱いで高価な版にならないといいですし(同じパラマウントの『紐育の波止場』のように1,500円の廉価版で普及してほしいものです)、こういう映画が普通に広く観られてこそと思う一方、キングやウォルシュ、フォードやヴィダー、ホークス、スタンバーグらと較べるとどこか食い足りないウェルマンのまろやかさというか、ほどほどなさじ加減も感じないではいられません。

●5月13日(日)
民衆の敵』The Public Enemy (ワーナー'31)*83min, B/W*トーキー作品; 日本公開昭和6年(1931年)11月・アカデミー賞脚本賞ノミネート・アメリカ国立フィルム登録簿新規登録作品(1998年度); Trailers, Extracts : http://www.youtube.com/playlist?list=PLHin-sXGPE5yA68_Uxl7kVDD-_MHEYn2F

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) キュベック・グラスモン及びジョン・ブライト合作のストーリーをハーヴェイ・シュウが脚色し、パ社から移ったウィリアム・A・ウェルマンが監督し「天下無敵」のデヴラクス・ジェニングスが撮影したもので、主なる主演者は「地獄の一丁目」「千万長者」のジェームズ・キャグニー、「地獄の天使」のジーン・ハーロウエドワード・ウッズ、ジョーン・ブロンデル、ベリル・マーサー、ドナルド・クック、R・E・オコンナー、レスリー・フェントンの面々。
○あらすじ(同上) シカゴの町に育ったトム(ジェームズ・キャグニー)とマット(エドワード・ウッズ)は少年時代から不良性を多分に持っていた。プティー・ノーズ(マレイ・キンネル)という悪党にそそのかされ万引きなど働いていたがトムの母親(ベリル・マーサー)はわが子のこうした悪癖に少しも気づかなかった。そのうち、2人は年とともに純然たる悪党となりノーズの指図で毛皮泥棒を企てるようになった。だがこれは警官の知るところとなり、失敗に終わった。この時、無情にも彼らを置き去りにして姿を消してしまったノーズの行為は2人をいたく憤らせた。間もなくトムとマットは運輸会社のトラック運転手となり貨物抜き取りの事件からパッディー(ロバート・エメット・オコナー)という大親分に匿われることとなった。世界大戦が勃発し、トムの兄で善良なマイク(ドナルド・クック)は出征し戦線において勲功をたてたが、トムは禁酒令の影響により酒が高くなったのをきっかけとし、マットと大々的に政府の倉庫に保管された酒を盗み出す仕事にとりかかった。悪党仲間は酒の密造に力を注ぎ始めた。トムとマットは親分バッディーと共々ネイルス・ネイザン(レスリー・フェントン)というギャング狩猟の手下となりやはり酒の密造、密売に手を染め出した。自然これは従前からの密売者バーンズの領域を冒す結果となり双方はにらみ合いの間柄となった。この仕事のため多額の収入を得たのでトムは情婦キティ(メイ・クラーク)をグウェン(ジーン・ハーロウ)に取り替え、マットは女房マミイ(ジョーン・ブロンデル)を迎えたりした。結婚式はキャバレーで行われた。この時おもいがけなくノーズにめぐり合ったので2人はノーズを追跡して殺害し恨みを晴らした。その後彼らの首領であるネイルスも奔馬のために不慮の死を遂げた。敵の首領の死を知るやバーンズ方はこの時とばかり攻勢に出てきた。ある日、トムは暇乞いがてら母を尋ねてみると兄のマイクは廃兵となって帰宅していた。真面目な兄は弟のやくざ渡世を攻めて2人は争った。その頃バーンズは機関銃を用いて暴れまわりマットをまず血祭りにあげた。トムは復讐のため単身敵陣へ乗り込んだが傷を負い、病院へかけこんだ。兄のマイクが見舞いに来て2人の中は直った。だが数時間後、トムの冷たくなった屍体は自宅に運ばれた。それは明らかにバーンズ方がトムを病院から拐して殺害したものと知れた。弟のこの惨死体を見たマイクの心はたちまちバーンズに対する憎悪に燃えた。やにわに手榴弾を手にした彼は決死の覚悟で敵の巣窟に向かった。

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 前書きの通り'30年代初頭の社会派ギャング映画ブームで最大の話題作のひとつとなり、マーヴィン・ルロイの『犯罪王リコ』'30、ハワード・ホークスの『暗黒街の顔役』'32(製作'30)とともに'30年代初頭のギャング映画3大傑作(ないしルーベン・マムーリアンの『市街』'31を合わせ4天王)と言われる名高い本作は、ジェームズ・キャグニー(1899-1986)の大出世作となったことでも特筆すべき映画ですし、航空アクション映画(『つばさ』)、ルンペン・プロレタリア映画(『人生の乞食』)、そしてギャング映画と時代のイノヴェイターになってきたウェルマンの里程標・金字塔的作品に上げられるものです。映画のタイトルがパブリック・エネミー、主人公の名前がトミー・ボーイと50年経っても反逆的イメージの源泉になってきたのは文化史的意義を象徴するものでもあるでしょう。『犯罪王リコ(Little Caesar)』が大ヒットした'30年だけでも50本以上の類似作が作られたというすごいブームだったのですが、映画がトーキー化してまず音楽映画にヒット作が生まれたが従来のドラマ映画はせっかくサウンドを得たのに生かしきれない。そんな時に音楽やギャンブルでにぎわう酒場や怒鳴りあいや大喧嘩、銃撃戦といったわかりやすい音響効果を即座に生かしやすいのがギャング映画のスタイルで、ゲイリー・クーパー主演の『市街』のように本体はメロドラマだったりもしますが、E・G・ロビンソン主演の『犯罪王リコ』、ポール・ムニ主演の『暗黒街の顔役』や本作は主人公の強烈なアウトロー性を一応市民道徳と治安啓蒙映画の体裁を採りながら、実際は欲望に満ちて破滅的なキャラクターの魅力をぎんぎんにアピールしたものでした。極めつけの『暗黒街の顔役』などはあまりに強烈すぎて2年間公開が延期され、結末を改変した版が作られてようやく一般上映されたもので、現行版DVDではラスト10分弱がオリジナルと改変版の2通りを収録してリリースされています。明らかにオリジナルの方が優れていますが、改変版の方もよくまあ啓蒙映画らしく辻褄を合わせたもので映画の結末処理の参考例として面白いものです。ギャング映画の流行はあまりに暴力・セックス描写が過激化したため、提唱者の映画関係者の名前から「ヘイズ・コード」と呼ばれる映画倫理自主基準が施行されることになりました。それが'34年で、アメリカ映画史研究者やマニアの間ではヘイズ・コード施行以前の映画を「Pre-Code Era」作品として重視する見方もあるほどです。こうした事情を述べてきたのは、日本公開当時のキネマ旬報の「近着外国映画紹介」と現行版DVDの『民衆の敵』に明らかな相違があるからです。学生時代に筆者が観た上映版も、細かい相違はあるかもしれませんが、ほぼ現行版DVDと同じヴァージョンでした。
 映画はキャストひとり一人をクレジット・タイトルで紹介した後、ワーナー・ブラザース社の「この映画は……」との断り書きのタイトルを前置きに、「1909」との年号からシカゴの街の情景と少年時代のトムとマットのこそ泥不良少年ぶりが描かれ、次いで「1915」に飛びます。犯罪組織に新入りしたトム(ジェームズ・キャグニー)とマット(エドワード・ウッズ)はここからが本人で、やはり不良少年仲間のラリーとともにさっそく初仕事に強盗を命じられますが、上役の逃亡でラリーが命を落とします。「1917」兄が出征し、「1920」表向き配達員の仕事を乱暴にこなすトムが酒の密売調達取引を依頼される場面になります。トムはみるみるうちにギャング組織の中で成り上がり、それがキャグニーの爆発的な演技で表現されて、以降のキャグニーは抑制していても発作的に爆発する危ない魅力のキャラクターを本作から踏襲して磨きをかけていくことになり、本作はプロットの周到さや映像の密度では『犯罪王リコ』や『市街』『暗黒街の顔役』にはやや及ばず、『暗黒街~』は言うまでもなくルロイの『犯罪王リコ』もロビンソンのキャラクターが強烈なのですが映画全体が押してくる力がロビンソンの重厚で食えない存在感からも備わっているのに対し、本作はキャグニーという俳優個人の魅力に頼って見える場面が多い。ジーン・ハーロウに乗り換えようと冷たくなったキャグニーが情婦のメイ・クラークになじられてテーブルの半切りオレンジをクラークの顔に押しつける名高いシーンがありますし(勘違いしている評者も多いですが、ハーロウにではありません)、ハーロウがうっとりとキャグニーに「普通の男は恋人になれば愛を与えてくれるのに、あなたは奪うことしか考えない男」とのろけるシーンなどキャグニーならではで、'50年代初頭のマーロン・ブランドのような官能的ショックがあったでしょう。ちなみにジーン・ハーロウが演じた役は当初ルイーズ・ブルックスがキャスティングされていたのがよりセクシーなハーロウに変更されたそうで、ルイーズ・ブルックスの伝記ではこれがブルックス引退のきっかけになったとされます。確かにブルックス降板、ハーロウ起用は大成功で、映画の世界は残酷なものです。さて問題のキネマ旬報記事と現行版DVDの相違ですが、キネマ旬報のトムとマイクの兄弟がマイクが弟になっているのは単純な取り違えですからマイクを兄に訂正しました。さて、最大の相違は、現行版DVDは「あらすじ」の「だが数時間後、トムの冷たくなった屍体は自宅に運ばれた」で終わっているのです。トム退院の電報を受けた老母と真面目で地味な姉とマイクは良かった、もう回復したのか、そろそろ帰宅するだろうかと喜んでいると、玄関のドアに物音がする。トミーだ、とマイクがドアを開ける(内側に開くドアです)と、担架に縛りつけられたキャグニーの死体がばったりと家の中に倒れる。「これは実話に基づいたフィクションである」と字幕タイトルが出て映画は終わります。衝撃的な良いエンディングですが、詳細な英語版ウィキペディアの解説を読んでもキネマ旬報記事にあるその後のマイクの逆襲についての記述はなく、キャグニーの死体が転がるのが映画のエンディングになっています。1941年に本作は3箇所カットされた再上映版が作られて現行版DVDとBlu-rayでは復原されていると解説かありますが、3箇所とも映画中盤のセクシーな箇所(具体的に上げてあります)で、エンディングに関して弟の死体が送りつけられた後に兄マイクが手榴弾を持って仇討ちに乗りこむ記述はありません。キネマ旬報で兄が弟に誤記されているのは単なる誤解で長男マイクの方が徴兵年齢に達して出征しているのは明らかなので訂正しましたが、結末についてはどう推定すべきか。日本公開、少なくとも試写会までは仇討ちの結末のあるヴァージョンだったのか、それとも記事はパラマウント社からの宣伝資料を訳したもので上映版完成前は仇討ちを含むシノプシスだったかのどちらかでしょう。その場合キネマ旬報映画データベースは実際のヴァージョンに即して訂正せず旧データを載せ続けていることになりますが、結果的には英語版ウィキペディアにもない、非常に貴重な情報文献となったわけです。以上、今回初めて気づいたことで、映画を観直すのも発見があるものです(ちなみにうちの玄関のドアは外開きです)。