人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - 蜃気楼(ミラージュ) Mirage (Brain, 1977)

イメージ 1

クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - 蜃気楼(ミラージュ) Mirage (Brain, 1977) Full Album : https://youtu.be/XT6zVDwmzUg
Recorded and mixed at Studio Panne Paulsen, Frankfurt / Main in January 1977.
Released by Brain Records / Metronome Records GmbH Brain 60.040, April 1977
Produced & Composed by Klaus Schulze
(Side 1)
A1. ビロードの航海 Velvet Voyage - 28:20
A.a 1984 1984
A.b 飛翔体 Aeronef
A.c 日蝕 Eclipse
A.d 放射 Exvasion
A.e 清らかな星の空間 Lucid Interspace
A.f 旅路の果て Destination Void
(Side 2)
B1. 水晶の湖 Crystal Lake - 29:12
B.a 樹林の囁き Xylotones
B.b 蒼い水藻 Chromwave
B.c 暗柳の夢 Willowdreams
B.d 湖面の影 Liquid Mirrors
B.e 春の舞踊 Springdance
B.f 訣別 A Bientot
[ Personnel ]
Klaus Schulze - electronics

(Original Brain "Mirage" LP Liner Cover & Side 1 Label)

イメージ 2

イメージ 3

 本作はシュルツェには珍しく、AB面とも細かく6パートのタイトルがついていますが、組曲形式ではなくいつものシュルツェ節で、アルバム片面を費やした20分以上(本作では28分20秒、29分12秒と第5作『タイムウィンド』以降の片面30分近い、アナログLP収録時間の限界まで試みたもの)に渡って続く単一の楽曲が次第にムードを変化させていくもので、第3作・第4作の『ブラックダンス』『ピクチャー・ミュージック』ではシュルツェ自身がドラムス、パーカッションを叩き、『タイムウィンド』でパーカッション抜きのシンセサイザーサウンドを試した後に第6作・第7作の『ムーンドーン』『ボディ・ラブ(サウンドトラック)』ではハラルド・グロスコフのドラムスとのデュオでダイナミックなロック・サウンドを打ち出したシュルツェが、再び完全なソロ録音によるアンサンブルで、生演奏のパーカッションは抜きにして制作したアルバムになります。本作発表に続くライヴ・ツアー後の9月に『ボディ・ラブ(サウンドトラック)』制作時に未完成だった楽曲と新曲をグロスコフと録音して12月発売の『ボディ・ラヴVol.2』として発表し、そこでは『ボディ・ラブ(サウンドトラック)』の延長線上のコンセプトのサウンドが聴けますから、本作はダイナミックなエレクトロニクス・ロック路線とは平行してシュルツェが温めていた、ソロ録音ならではのコンセプトの作品ということになるでしょう。シュルツェは本作の見開きジャケット左面に英文のセルフ・ライナーノーツを載せ、右面には技術的データとしてアンプやマイク、ミキシング・コンソールを含む詳細な機材クレジットを掲載しています。セルフ・ライナーノーツは音楽とミュージシャン、リスナーの関係について述べたものですが、シュルツェはリスナーの積極的な感受性を得て初めて音楽は意義を持つとし、それは市場的な経済的価値とは別の尺度の精神的価値であることを照れ隠しの冗談混じりで述べ、「上手く言えなくて申し訳ないが、僕は詩人ではなくてミュージシャンだからね」と結んでいます。本作のシュルツェの青いシルエットのポートレイトのジャケットやこのライナーノーツからも、シュルツェが第8作になる本作にかけた意欲が伝わるようで、A面B面の各曲に6パートのサブタイトルをムードの暗示としてつけたのもなるべく広い層の、多くのリスナーにニュアンスを伝えたい意図からだったでしょう。
 本作は高い完成度を認められながら'70年代シュルツェの総決算とも異色作ともされる点で、やはり完全なソロ録音(初期2作『イルリヒト』『サイボーグ』は弦楽オーケストラのサウンドをベーシック・トラックにしていました)である『タイムウィンド』と並ぶ位置にあり、サウンド傾向としては『タイムウィンド』とは正反対の、かつてないほど色彩感に溢れて軽やかな音色を用い、楽曲内のヴァリエーションや展開も鮮やかで、重厚なシュルツェ作品の中では異色とされるのもそうした面からですが、本作をシュルツェにしては異例に耳ざわりの良い異色作とする評はいささかシュルツェの音楽を、シュルツェ自身が言及しているのも一因ですが、ドイツの後期ロマン派の系譜に置きすぎていて、本作はこれまでのシュルツェのアルバムとは逆にA面にメディテーショナルな曲想とアレンジ、B面にポリリズミックなオスティナート曲を配置していますが、『タイムウィンド』とはっきり分けるのは音色や曲想よりも『ムーンドーン』から導入されたシンセサイザー・シークエンサーによる細分化フレーズ反復のリズム楽曲としての使用です。それがA面のメディテーション・サイドでもテンポ・ルバートに流れない密度の高いアンサンブルを生み、ここまで思い切ったメロディアスなアプローチは確かにこれまでのシュルツェには見られなかったことです。さらにB面のポリリズム・サイドではきらびやかな音色から次々に音色変化による曲想の変化があり、特に21分過ぎからの短いバラード的展開を経て23分台からの鳴き交わす鳥の交響のようなシークエンス・パターンに乗せて主旋律と副旋律が交替しあいながら♬♪♩', ♬♪♩', というリズムの反復フレーズに収斂していくのは(日本人の耳には「何でやねん」と聞こえるのが何ですが)圧巻です。ドラムス、パーカッションこそ入っていませんがこれは『ムーンドーン』A面、『ボディ・ラブ(サウンドトラック)』B面からシュルツェがソロ録音のシークエンサー使用だけで試みたヴァリエーションであり、総決算・異色作とする見方も本作の特色に気づかせてくれるものですが、本作もまたシュルツェにとっては可能性の扉となった一作で、前後作と併せることでいっそう豊かな聴き方ができるアルバムです。また本作のメロディの過剰さは、ロック、しかもシュルツェのサウンド文脈の中では決して耳ざわりの良いサウンドとは言えないのではないでしょうか。