しかしキートンの麗名は少なくとも本邦では高く、萩原朔太郎の数少ない詩集未収録詩編でアンソロジーに昭和3年('28年)5月発表された三部構成の散文詩「三人の俳優」はキートン、チャップリン、ロイド(この順)を賛美したものでした。三大王や四天王といった発想の称揚は多くは日本独自の現象だそうですが、少なくとも現在英語版ウィキペディアなどではロイドとキートンをチャップリンと並べてサイレント喜劇の三大自作自演俳優として名実ともに拮抗しあう存在と評価を下しています。現在アメリカ国立フィルム登録簿に選出されているキートン作品は「キートンのマイホーム」'20と「キートンの警官騒動」'22(以上短編)、『キートンの探偵学入門』'24と『キートンの大列車追跡』'27、『キートンのカメラマン』'28(以上長編)の5作で、ロイドが代表作中の代表作『ロイドの要心無用』'23と『ロイドの人気者』'25の2作きりしか選出されていないのと対照をなしており、さすがにチャップリンは短編「チャップリンの移民」'17と長編は『キッド』'21、『黄金狂時代』'25、『街の灯』'31、『モダン・タイムス』'36、『独裁者』'40が軒並み選ばれていますがチャップリン作品は何が選ばれてもおかしくないので、今後「犬の生活」'18、「担え銃」'18、『偽牧師』'23、『巴里の女性』'24、『サーカス』'28、『殺人狂時代』'47、『ライムライト』'52と増えていく(『ニューヨークの王様』'57はイギリス映画扱いで選外?)と増えて行くのでしょう。最上の代表作にエッセンスが詰まっているロイドやキートン(マルクス兄弟も『吾輩はカモである』'33と『オペラは踊る』'35の2作のみです)と較べて、作品歴が大河のように連なるチャップリンのスケールの大きさがこういう選出からは痛感されますが、決定的な代表作があるロイド(あと1作挙げれば『猛進ロイド』'24でしょう)に較べてもキートン作品は良くも悪くもムラがあって趣向が多彩なので、『探偵学入門』『大列車追跡』『カメラマン』も良いですが観る人ごとに愛着の1作はずいぶん異なってくると思います。'70年代にはキートンの傑作は『荒武者キートン』'23か『海底王キートン』'24に『大列車追跡』と『キートンの蒸気船』'28、80年代にはキートンの3大傑作は『探偵学入門』『セブン・チャンス』『大列車追跡』が定評だったと思います。淀川長治氏はずっと『恋愛三代記』と『探偵学入門』を名作とされていました。キートン評伝の著者トム・ダーディスは『キートンのゴー・ウェスト』'25、『キートンのラスト・ラウンド』'26を『荒武者キートン』『海底王キートン』『キートンの大列車追跡』『キートンの蒸気船』に並ぶ名作に挙げています。要は実際にご覧になって、お好みの作品が見つかればいいと思います。筆者などはバスター・キートン・プロダクション解散後のMGM作品『カメラマン』はワースト・ワンと思っているほどなのです。
『キートンの探偵学入門(忍術キートン)』Sherlock, Jr. (共同監督ロスコー・アーバックル<ノンクレジット>、バスター・キートン・プロダクション=メトロ'24)*44min, B/W, Sillent; 本国公開本国公開1924年4月21日; https://youtu.be/pGrZnpcENYQ
本作最大のギャグは夢の中、つまり作中作の形式とはいえ生身の人間が映画のスクリーンに入ってしまうことで、キートンがスクリーンに入った途端に次々と庭園、街中、絶壁、草原、海辺、雪原とカットが変わり慌てふためき、再び庭園に戻ってひと安心と樹にもたれた途端に樹も消えてしまって転倒する、という天才的なギャグですが、このギャグにしても貨車の屋根から出て蒸気機関車の給水塔(蒸気機関車は蒸気タービンで動きますから、停車場には給水塔があるのです)のポンプを伝って降りるとポンプから一斉に水を浴びてしまい、通りかかった車がながされそうになるギャグ(この撮影の時にキートンは水圧で首の骨を骨折し、治った頃に別の怪我の検査で骨折の自然治癒後が判明したそうです)といい、真珠のネックレスを悪漢から取り返して逃げ出し塀を突っ切ると塀の穴に仕掛けてあった服で一瞬にして老婆に変装して外の通りを歩いているギャグといい、ご紹介するのに困ってしまうのはあまりに視覚的な面白さなので、こうしてたどたどしく言葉で説明しても伝えることができない種類のギャグにキートン映画の真髄があることです。爆弾の仕掛けてある玉だけに当たらないビリヤードもそうですし、運転手が落ちたのに気づかずキートンが後ろ向きに乗ったまま疾走するオートバイなどもそうで、キートンの映画はよく悪夢に喩えられますが後付けして考えると脈絡がないのに、現実では起こり得そうでまず起こり得ないことが連続して起こるので、首尾一貫性など考えている余地がないようなことがキートンの映画では当たり前のように起こります。『恋愛三代記』の平行話法も『荒武者キートン』の地理的条件を無視した飛躍もそうして起こっていたので、本作は現実の濡れ衣事件が夢の中で変形拡大変換されて大冒険の末に解決すれば、現実でもヒロインが濡れ衣が晴れた謝罪を伝えに訪ねてくる、というメタ映画のかたちを採ってキートン映画の夢の話法の絵解きになっている映画でもあります。この映画では現実の事件の方が夢の世界を描くための方便になっているので、キートンが手みやげの菓子包みに見栄を張って1ドルを4ドルに書き換えたのが恋敵にポケットに入れられた「懐中時計4ドル」の質札と符合してしまうなど導入に凝った割には知らないうちに誤解が解けていて経緯の説明(おそらく懐中時計を受けだしに行ったヒロインの父が懐中時計を質入れしたのがキートンの恋敵の方だと気づいたのでしょう)がないのは、現実の方はこの映画では本質ではないからです。夢想がそのまま短編の中身、すなわち夢オチや夢語りなのはチャップリンやロイドにも短編にはありますし、チャップリンの『黄金狂時代』のロールパンのダンスのシーンがそうですし、見方によっては『モダン・タイムズ』や『独裁者』ではチャップリンはもっと過激なことをやっているとも言えますが、『黄金狂時代』の夢の場面が放浪者のペーソスのためで『モダン・タイムズ』では工業化社会批判、『独裁者』では人類規模の反戦メッセージとチャップリンの映画が意識的に夢に近づくのは情動的な訴求力を求める時なのと違い、キートンの夢はもっと(本来夢がそうであるように)理屈も動機もなくあっけなく、本作では子供っぽい探偵ごっこがそのまま夢になっています。夢そのもののようにとりとめもなければ夢そのものまで子供っぽい。このわかりやすさが、かえってキートンの映画をどこかとらえ難く、好き嫌いを分けるようなものに見せているとも言えます。
●7月5日(木)
『海底王キートン』The Navigator (共同監督ドナルド・クリスプ、バスター・キートン・プロダクション=メトロ=ゴールドウィン'24)*59min, B/W, Sillent; 本国公開本国公開1924年10月13日; https://youtu.be/2BCLJbdeqvc
キートンとヒロインだけのだだっ広い巡洋艦での漂流喜劇という着想もキートンらしく、よく長編まで広げたなと思うくらいアイディア満載なのですが、本作でもキートンの発想は短編喜劇の拡張版ではないかとも思えますし、キートンの悪夢的アイディアは規模は長編でも発想は短編の延長にならざるを得ない観もあります。本作の水中撮影は厳密には映画史上初ではないかもしれませんが短いショットならともかくかなり長いシークエンスがまるごと水中撮影なのは確かに前例が即座に思いつかず、スチール写真で水中撮影が成功したのすら1890年代後半ですし、映画ではフランスの夭逝監督ジャン・ヴィゴ(1905-1933)のドキュメンタリー短編「競泳選手ジャン・タリス」'31とヴィゴ唯一の長編劇映画『アタラント号』'34が画期的な水中撮影とされています。'30年代後半からはハリケーンや洪水などのスペクタクル場面を含む映画で部分的な水中撮影が増えていきますが、海底ドキュメンタリー映画『沈黙の世界』がカンヌ国際映画祭のグランプリを獲得したのですら'56年ですから、技術的にも極端に困難(光の屈折率が異なるためカメラやレンズ、フィルムも異なり、水圧・水流に耐える防水仕様と撮影技術に入念な準備が必要)な水中撮影をただギャグのためだけに敢行したキートンとスタッフには頭が下がります。しかも海中でバケツに水を汲んで手を洗うギャグ、カジキマグロとフェンシングするギャグとわざわざ水中撮影までしてするギャグが腰の砕けるようなもので、クライマックスの人食い人種の島近くに漂着してしまい戦いになるギャグは、本作がサイレント喜劇の傑作と認められている現在でもアメリカ国立フィルム登録簿選出作品にはちょっと選べないような種類の人種偏見時代のギャグでもあります。本作は出回っているキートンのサイレント時代の作品では良い画質のプリントが残っているようで、筆者は学生時代から各種の上映会でいくつも異なるプリントでキートン作品を観てきて、現行DVDも本作は3種類を観ましたが(長さやヴァージョンは3種類とも同一で、英語版ウィキペディアの記載でめ59分が完全版のようです)、『恋愛三代記』や『荒武者キートン』より格段に良好な状態のプリントが残っているのも本作の価値を高めているだけにクライマックスが人食い人種との戦いギャグなのが評価の足を引っ張っているとしたら残念です。野蛮国ギャグは『ロイドの水兵』'21の東洋のいんちきイスラム国、『ロイドの巨人征服』'23の南米パラディソ国などロイドも使っていましたが、アメリカ人には野蛮でもそれなりに文明国として描いていてギャグとしてはスマートでした。またロイドは興行収入が150万ドルを超えた『要心無用』'23でも製作費12万ドル、次の『巨人征服』'23でも製作費22万ドル、次のハロルド・ロイド・プロダクション第1作『猛進ロイド』'24はハル・ローチ・プロから独立した分製作費もこれまで最高の40万ドルにかさみましたが(ローチ・プロからスタッフを借り出したため)興行収入155万ドルの特大ヒット作となっているので、キートン・プロダクション作品最高の興行収入68万ドルの大ヒット作の本作が製作費38万ドルかかっているのはロイドに較べて商売下手で、チャップリンも長期間撮影で巨額の製作費をかけるプロデューサー兼主演俳優兼監督でしたが、チャップリンの場合100万ドル近い製作費をかけても興行収入200万ドル以上を稼いでいる(さらにほぼ100年後の現在では天文学的収益になっている)からやりたいような映画を貫けたのです。キートン・プロダクションは19本の短編に次いで'23年~'28年に10作の長編を製作して解散しますが、その10作がキートンの金字塔なのにビジネス的には行き詰まってしまったのは同時代にはキートンはチャップリンやロイドのようには安定した観客をつかめなかったからで、当時奇矯で奇抜すぎたキートン作品がそのエキセントリックな作風からかえって後世には大きく再評価された(しかしやっぱり映画マニアの間での人気にとどまる)のも皮肉な気がします。
『キートンのセブン・チャンス(キートンの栃麺棒)』Seven Chances (バスター・キートン・プロダクション=メトロ=ゴールドウィン'25)*56min, B/W, Sillent; 本国公開1925年3月16日; https://youtu.be/aLWePtEoFRY
キートンが頼りきっていたマネジメント兼プロデューサーのジョセフ・M・スケンクはロシア系ユダヤ人移民の1世でユダヤ人コミュニティーの薬局店主から映画界に進出した相場師型の人物で、ジゴロだったルドルフ・ヴァレンティノを発掘してサイレント時代最大のスターにし、マリリン・モンローの映画界入りまで世話を見たという伝説的人物で、ロスコー・アーバックルの喜劇短編の助演俳優だったキートンをバスター・キートン・プロダクションを設立して独立させキートンのマネジメントとともに同プロダクションのプロデューサーを勤め、キートン・プロに将来性がないと見るやキートンを大会社MGMに売りつけて去ったシビアなビジネスマンでもあります。本作はたぶんキートン自身が原作だったこれまでの諸作、ことに『海底王キートン』が行くまで行った、しかもヒットしたとはいえ収益率は1.7倍強と儲かったとは言えない作品だっただけに、というよりおそらく巡洋艦まで購入した時点で次回作はもっと手堅く行こうと決めたのでしょう。スケンクが2万5,000ドルで映画化権を買ってきたロイ・クーパー・メグルーの舞台劇『Seven Chances』が上意下達でキートンに命じられたので、キートンは渋々本作を引き受けたそうです。しかし本作はキートン作品ではもっとも親しみやすいチャーミングな傑作となり、製作費は発表されていないものの興行収入としては『海底王キートン』より下回る60万ドル弱で純益は『海底王』よりずっと高いヒット作になったそうですから、おそらく『海底王』より半分以下の製作費で製作されたのでしょう。キートンより商売上手だったロイドの第1長編『ロイドの水兵』は8万ドル弱、第2長編『豪勇ロイド』は9万ドル強で製作されてそれぞれ50万ドル弱、110万ドルの特大ヒットになっていますし、第4長編『要心無用』'23は製作費12万ドルに対して興行収入150万ドルです。キートンは第1長編『恋愛三代記』でも石器時代編、古代ローマ時代編や、第2長編『荒武者キートン』でも1830年の蒸気機関車の再現、滝の大セット、第3長編『探偵学入門』でも映画の中にキートンが入るオプティカル合成とチャップリンやロイドならもっと日常的なシチュエーションと頭脳的ギャグで済ませる仕掛けにやたらお金をかけた映画作りをしますし、『海底王』では本物の中古巡洋艦を買い水中撮影までして収益率2倍にも達しないので、今回スケンクの立てた企画は(キートンは不満でも)適切だったと言えます。27歳の午後7時までに結婚しているのが相続の条件、しかもそれが今日とは奇抜なシチュエーションですが日常的な舞台の中で展開されるからギャグもいつものメカニカルな仕掛けを必要としないでストーリーが進むので、キートンの長編としてはキートン・プロダクション以前のメトロ作品の出演作『キートンの馬鹿息子』以来、キートン・プロダクションでの長編では初めて長編らしい長編映画になっている。それは『馬鹿息子』同様本作も舞台劇の映画化作品だからですが、舞台劇を離れて自由に場面を展開していくことで『馬鹿息子』よりずっとギャグの連続をストーリーに生かすことができるようになっていて、これにはおそらく恋愛ドラマとコメディを上手く融合させて空前のヒット(翌年『黄金狂時代』と『ロイドの人気者』が更新しますが)になった『猛進ロイド』'24がクライド・ブルックマンを筆頭とした脚本スタッフに手本になったと思われます。小ギャグを連続させていきなめらかにストーリーを運ぶ手法はチャップリンでも及ばないほどロイドが突出していましたが、キートン自身のセンスでは大小のギャグの爆発で流れが止まってしまう(チャップリンはこの流れを作るセンスに長けていました)のを、今回はとにかく結婚を急ぐ男、しかも今日中と明確なプロットがあるためギャグが集中したものになっている上に「とにかく結婚したい男」のキャラクターが『海底王』と連続していて、性急なのに間が抜けている、間が抜けているのに性急なキャラクターがキートンに合っています。かねてから恋していたヒロインに求婚するも「とにかく今日中に誰でもいいから結婚しなくちゃならなくて」と洩らしてしまって機嫌を損ね、共同経営者との負債のため仕方なく社交クラブ中の女性に求婚して断られ笑い物になり、新聞広告で集まった花嫁の大群(キートンが最前列で疲れて眠っている間に1人、また1人と花嫁が増えて教会が花嫁だらけになるシーンは、ヒッチコックの『鳥』'63でジャングルジムが鳥だらけになるシーンの先駆をなしています)、牧師に追い出された後で怒り狂った花嫁の大群に追いかけられるのは短編の傑作「キートンの警官騒動」'22の発展で、岩山に逃げるシーンに取りかかって落石があったことからキートンは無数の落石が転がり落ちてくるのを思いついたそうですが、花嫁たちも落石で逃げ出すのとキートンが次々と落ちてくる大小の落石をぬってヒロインの家に急ぐ、という一石二鳥かつ舞台劇そのままの映画化にはとどまらないキートン映画らしいダイナミックなアクションに結びついています。間に合わなかったと一旦落胆して教会の時計塔に気づくのも感じの良いどんでん返しですし、犬で始まった映画が犬のオチで終わるのもチャーミングです。本作はキートンのエキセントリックなキャラクターやとんでもないアクションを含みながらチャップリン作品やロイド作品に匹敵する親しみやすさを備えており、本作をキートンの最高の作品とはしなくても最初に観るキートン長編としてはもっとも入りやすく、またキートン作品をひと通り観ても観直したくなる回数のもっとも多い、飽きのこない楽しさをそなえた作品です。本作をもってしてもチャップリンやロイド級の特大ヒット作とまではならなかったのは不思議な気がしますが、キートンの喜劇はドタバタばかりで情感に欠けるというイメージがよほどつきまとっていたとしか思えません。