人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年7月10日・11日/バスター・キートン(1895-1966)の長編喜劇(4)

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 古いリストを見ていたので以前の回に「現在アメリカ国立フィルム登録簿に選出されているキートン作品は「キートンのマイホーム」'20と「キートンの警官騒動」'22(以上短編)、『キートンの探偵学入門』'24と『キートンの大列車追跡』'27、『キートンのカメラマン』'28(以上長編)の5作」と書いてしまいましたが、実は2016年度に新たに『キートンの蒸気船』'28が新規登録されて、チャップリンアメリカ国立フィルム登録簿登録作品6編、短編「チャップリンの移民」'17と長編『キッド』'21、『黄金狂時代』'25、『街の灯』'31、『モダン・タイムス』'36、『独裁者』'40に並んだわけです(これはロイドが代表作中の代表作『ロイドの要心無用』'23と『ロイドの人気者』'25の2作きりしか選出されていないのと対照をなしています)。このアメリカ国立フィルム登録簿 (National Film Registry) という文化財保存制度(法)は、合衆国・国立フィルム保存委員会 (United States National Film Preservation Board) によってアメリカ議会図書館に永久保存するフィルムを選択・保存するアメリカ合衆国の制度で1989年に25本が登録され、以後毎年1ダース~20本前後の作品が増補されており、たとえば初年度の25本などはそもそもこの法律が制定されるためのアメリカでは極めつけの古典映画ということですから(対象はアメリカ国籍の作品のみ)、'89年度~現在までの毎年の登録作品を追うだけでアメリカ国内の映画評価の指標史として文化研究の題目になるくらいでしょう。リストは公式サイトその他で簡単に調べられますしどなたもやっていないならブログのネタが尽きたら「アメリカ国内フィルム登録簿の歴史と登録作品」として本1冊分くらいの連載ができるくらいですが、6本登録されたキートン作品について登録(選定)年度順にすると、1989年度『キートンの大列車追跡』、1991年度『キートンの探偵学入門』、1997年度「キートンの警官騒動」、2005年度『キートンのカメラマン』、2008年度「キートンのマイホーム」、2016年度『キートンの蒸気船』となります。つまり『大列車追跡(キートン将軍)』はアメリカ映画の殿堂とも言えるこの登録簿に初年度'89年の25本に真っ先に選定されているので、ちなみにこの第1回登録簿選定作品には他には『イントレランス』『極北の怪異』『群衆』『サンライズ』『モダン・タイムス』『スミス都へ行く』『白雪姫』『オズの魔法使』『風と共に去りぬ』『マルタの鷹』『カサブランカ』『怒りの葡萄』『市民ケーン』『我等の生涯の最良の年』『サンセット大通り』『真昼の決闘』『雨に唄えば』『波止場』『捜索者』『お熱いのがお好き』『めまい』『博士の異常な愛情』『知恵の木』『スター・ウォーズ』(以上で『キートンの大列車追跡』を入れて25本)が選ばれています。監督・主演俳優がなるべくだぶらないように他のグリフィス、フラハティ、ヴィダー、チャップリン、フォード、カーティス、キャプラ、ヒッチコック、ワイラー、ワイルダー、ヒューストン、ジンネマン、カザン、キューブリック、ディズニー作品は翌年以降に追加されます。フォード作品、ワイルダー作品が2本なのは『怒りの葡萄』がヘンリー・フォンダ主演作品、『捜索者』がジョン・ウェイン主演作品の代表作なのと、『お熱いのがお好き』はワイルダー作品というよりマリリン・モンロー主演作品の代表作として、またハンフリー・ボガート主演作品2本『マルタの鷹』『カサブランカ』、ヴィクター・フレミングの2本『オズの魔法使』『風と共に去りぬ』は日本で言えば『二十四の瞳』『青い山脈』『七人の侍』といった国民的作品で落とせないというところでしょう。フラハティの『極北の怪異(ナヌーク)』'22は世界初の長編民族学ドキュメンタリーとして、ゴードン・パークスの『知恵の木』'69は純粋なアメリカ黒人によるアメリカ黒人映画として、またサイレント時代の劇映画としては『イントレランス』『群衆』『サンライズ』と並ぶものとして(キング・ヴィダーの『群衆』は小津安二郎の『生まれてはみたけれど』に相当するものでしょう)『キートンの大列車追跡』が選ばれている、というのは大変な評価です。サイレント時代の純粋アクション活劇映画としてのスラップスティック喜劇は日本では『雄呂血』『浪人街』『御誂治郎吉格子』といった剣戟時代劇映画と呼応していたものと思われ、ロイドやキートンの存在は日本では阪東妻三郎大河内伝次郎が担っていたと考えると喜劇がアクション映画としては発展せず、日本では喜劇は松竹の小市民映画の方へ流れアクションは日活やマキノの剣戟時代劇に流れた事情がすっきりします。アメリカ国立フィルム登録簿の第1回登録作品25本に戻ると、それぞれの映画が選りすぐりの第1回登録簿に選ばれた理由はだいたい想像できますが、アンチ西部劇的作品の『真昼の決闘』『捜索者』が入っているのに正統派西部劇がない、正統派西部劇の位置も『キートンの大列車追跡』が占めていることで、サイレント映画代表、スラップスティック喜劇代表とともに西部劇代表にもなっているという異常事態が起こっています。キートンのキャリア凋落の原因になった公開当時不評・不振の作品が60年以上を経てアメリカ映画史上最重要の25本のうちの1本になったのは大きな皮肉と言う他なく、また『大列車追跡』に続く『キートンのカレッジ・ライフ』と『キートンの蒸気船』、特に『キートンの蒸気船』はついにキートンの映画監督のキャリアを断ってしまう、致命的な大赤字作品になりました。24歳で映画監督になったキートンは32歳で監督キャリアを断たれたのです。それが90年近くを経て文化財指定されたのですから墓下のキートンも笑わない顔で苦々しく受けとめているでしょう。今回の2作でキートン主演作品の、キートン自身による監督時代は終わってしまいます。次回からのキートン主演作品ではキートンは単なる主演喜劇俳優としてキャリアを消耗させられていくことになるのです。

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●7月10日(火)
キートンのカレッジ・ライフ(キートンの大学生)』College (監督ジェイムズ・M・ホーン、バスター・キートン・プロダクション=ユナイテッド・アーティスツ'27)*65min, B/W, Sillent; 本国公開1927年9月10日; https://youtu.be/E5u_hfyRlSs

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○あらすじ(DVDジャケット解説より) 高校で首席だったロナルド(キートン)。 卒業式での代表演説で、運動を無価値なものだと訴え、 心を寄せていた女生徒メアリー(アン・コールウェル)の大反感を買ってしまう。 もう一度彼女に振り向いてもらうため、ロナルドはメアリーと同じ大学へ進学し 苦手な運動に懸命に挑んでいく。そんな彼をメアリーは影でずっと見守っていた……。 甘いロマンスを薫らせる、キートンのキャンパスライフコメディ。

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 本作はプロデューサーのジョセフ・M・スケンクの意向によって致命的な興業的失敗作だった前作『大列車追跡』を挽回しようと、意図的にハロルド・ロイドの最大ヒット作『ロイドの人気者』'25(製作費30万ドル・興業収入260万ドル)に似せて大学生活とスポーツが題材にした作品ですが、どちらかといえばスポーツ・クラブのパーティーで学生生活を謳歌するシーンが多かった(ラストはフットボール試合ですが)『ロイドの人気者』に較べ、キートンの本作はひたすらアクションで、しかも失敗するスポーツの数々がその場で鳶を切れるほどの抜群の運動神経の持ち主キートンが行いますから二重にアクションをひねったになっています。クライマックスでは映画前半でキートンが失敗した競技を次々とクリアして猪突猛進する、という趣向です。映画は「太陽とオレンジが出会う場所――カリフォルニア」と字幕タイトルがまず出ますが、つづく映像はどしゃ降りの日にお母さん(フローレンス・ターナー)のつきそいでキートンが到着した高校の卒業式から始まります。ヒロインのメアリー(アン・コールウェル)は「学園美人コンテストずっと1位」で今日もちやほやされています。閉じないコウモリ傘に四苦八苦した後、卒業生代表で優等生のキートンは新調のスーツを着ていますが雨で縮んでしまっており、スピーチの題目を「運動の弊害」とし、スポーツは勉学や勤労に百害あって一理なしとスピーチしてブーイングを浴び、憧れのメアリーにもそっぽを向かれてしまいます。キートンが右へ左へスピーチ中に体を傾けるたび背後の教師たちが右へ左へ首を傾げるのが生徒たちのブーイングと対照的なギャグになっています。キートンがスピーチを終えると生徒たちは全員退出してしまっています。キートンはメアリーを引き止めますが、スポーツへの考えを変えたら見る目を変えるわ、とそっぽを向かれてしまいます。何とかメアリーと相思相愛になりたいキートンはわざわざエリート校進学を止めてアルバイト先を決めて宿舎制の、スポーツで名高いクレイトン大学に入学します。学部長(スニッツ・エドワーズ)が優等生キートンの入学を、これでわが校も学問の舎に戻せると感激して歓迎しにきます。初の日曜キートンはアルバイト先のパーラーでやはり同じ大学に入学したスポーツマンの恋敵ジェフ(ハロルド・グッドウィン)を見つけ、ジェフを出し抜いてメアリーを振り向かせようとあらゆる運動部をかけ持ち、スポーツばかりの大学生活を始めますが失敗ばかりで、まず野球をしますがキャッチャーの格好で外野に出て笑われ、打順を知らずに何度もバッターボックスに立ち、自分の番ではベースに背を向けて構えて直され、とくどいほど競技の一挙手一投足にギャグが使われます。キートンは悪ふざけで皆に胴上げされますが、胴上げされて宙に上がると女子寮の窓の前で巨漢の女学生が着替え中で、女学生は覗きと怒って傘を投げてきて、キートンは傘をキャッチします。傘はパラシュートになりキートンは着地しますがキートンにつかみかかろうとしてきて落ちて来た巨漢の女学生の下敷きになります。次の日曜キートンは有色人種のウェイターだけを雇う店で黒人のふりをして働き、またジェフが今度はメアリーと来て、厨房でジェフに押しつけられたらホイップクリームを顔から拭ったキートンは白人とバレてしまいます。スポーツの方は相変わらずで、砲丸投げをすれば砲丸が重くて持てず投げるどころではなく、槍投げをして遠くを目がければ目の前に落ちるし、高飛びでは途方に暮れて助走をつけすぎて転倒し、障害物を走れば全部ハードルを倒して進み、最後だけ飛べたのが恥ずかしくてわざと倒してしまいます。ハンマー投げでは腕が千切れそうで球ごと飛んでいってしまい、棒高飛びでは何度やっても棒から落ちてしまいます。キートンは学部長に呼び出されスポーツ熱中の理由を問いただされますが、文武両道になりたいんですというキートンに感激した学部長は名門ボート部のボートレースにキートンの参加を推薦します。ボート部はキートンを排除しようとして試合前に睡眠薬入りコーヒーを飲ませようとしますが間違えてリーダー役の選手の方が睡眠薬入りコーヒーで眠ってしまいます。レース中に船尾の舵を流してしまったボートにキートンは船尾に回って尻を水に浸して舵取りし、レースは見事に優勝しますが、メンバーは全員恋人が待っているのにキートンはひとりぼっちです。その頃、メアリーはキートンの試合中ずっとジェフに部屋に閉じ込められていたのに危険を感じ、ボート部控え室にかかってきたメアリーの助けを呼ぶ電話を受けて、キートンは突っ走って障害物競走(生け垣を全部飛び越える)、砲丸投げ、野球(ジェフが窓から投げてくる物を百発百中で打ち返す)と、それまで駄目だった競技を全部くぐって最後は棒高飛びで見事ジェフに襲われていた2階のメアリーを救い出してジェフを槍投げで追い払い、教会へまっしぐら。エンディングは若夫婦のキートンたち、中年夫婦のキートンたち、老人夫婦のキートンたち、そして隣あった夫婦のお墓(キートンの方はトレードマークの帽子)と一気に短いカットがたたみかけて、エンドマーク。このエンドマークはキートンキートン・プロダクション作品の短編諸作でよく使った手です(突然キートンの墓の映像でエンドマーク)。
 エンドマークのみならずキートン・プロダクション作品の配給がそれまでのメトロ(MGM)からユナイテッド・アーティスツに移った前作『大列車追跡』は単純なシチュエーションでメカニカルなアクション・ギャグを同一反復的にたたみかける点で、短編時代('20年~'23年)のキートン・プロダクションの諸作の作風を長編に応用したような面が目立ちました。初の長編『恋愛三代記』はあまりに複数の短編をそのまま長編に再構成したような強引さが目立ち、キートンの評伝著者トム・ダーディスも過渡的な作品と見なしていますが、キートンの長編のキートンらしい作品は『荒武者キートン』『探偵学入門』『海底王キートン』『ゴー・ウェスト!』『大列車追跡』と短編の作風をうまく長編に生かした作品の系譜にあると言えて、これらは事実上キートンの原作・脚本で単独監督に近い作品群です。他方舞台劇を原作にした長編は『セブン・チャンス』と『ラスト・ラウンド』で、キートン・プロダクション作品最大のヒット作になったのが『ラスト・ラウンド』(興業収入75万ドル)であり、次いで『海底王キートン』が2位(興業収入68万ドル)ですが、『海底王キートン』は『ゴー・ウェスト!』に並んで製作費が高くついた作品であり、興業収入では『海底王』より低い『セブン・チャンス』の方が収益率は高く、キートン作品中最大の製作費で製作された『大列車追跡』は製作費を少し上回る興業収入しか上げなかった、つまり上映期間が長引けば長引くほど赤字になる大赤字作品でした。『ロイドの人気者』風に大学生活とスポーツをテーマにした新作を求められたキートンは本作でも実際の原作・脚本・監督を担当したにもかかわらず、はっきりとキートンの原作・脚本・監督を打ち出して大赤字作品になった『大列車追跡』の印象を払底するため(それまでのヒット作もキートン自身の監督で達成してきた実績があるのに)、スケンクの方針でユナイテッド・アーティスツ社の助監督や文芸部員を監督・脚本のクレジットにされてしまいます。本作の製作費は明らかにされていませんが興業収入42万ドルと『大列車追跡』からさらに5万ドル下がる興業収入でこれまでのキートン作品中最低だったものの、製作費自体が42万ドル近かった『大列車追跡』に較べるとずっと低い、長編初期と同等の予算(20~25万ドル)で製作されたため一応の収益を上げました。ダーディスは本作を『恋愛三代記』以来の散漫な出来と見なしていますが、それは短編時代の作風への回帰が露骨に見えるのと、そうしたキートンの作風がロイド作品風の舞台設定とテーマと乖離して見えるからでしょう。キートン作品の主人公はヒロインへの恋心のために張り切るのですが、ロイドがヒロインにレギュラー女優を起用しヒロインの魅力に説得力があるのに対して、キートン作品の多くは本作のヒロインにしても驕慢な美人という設定で、舞台劇原作の『セブン・チャンス』『ラスト・ラウンド』はさすがにヒロインの性格設定で分があり、また真のヒロインが雌牛の『ゴー・ウェスト!』が成功している他はヒロインをキートンと同じドタバタの役割を分担させた『荒武者』『海底王』『大列車追跡』以外はなるべくドラマに絡ませないほど成功しているので、本作のヒロインなどはキートンが命がけになるほどの魅力があるかというと、描き方に失敗している例になるでしょう。次作『キートンの蒸気船』では対立する両家同士のキートンとヒロインという『荒武者キートン』以来の設定になりヒロインの描き方も丁寧で成功しているので、キートンは決してヒロインを上手く描けないのではないのですが、芸人一家に生まれ育ったキートンは学校など通っていないので学生経験があるロイドのようには大学生活のムードは描けなかった不利があります。しかし本作はキートン作品をまだあまり観ていないうちに観れば十分楽しめるギャグとアクションがふんだんに詰め込まれた作品ですし、ドラマ構成にロイド作品に匹敵する巧妙さを見せた分ギャグは適度に抑制した(それが功を奏して大ヒットをもたらした)『ラスト・ラウンド』より上、と見る方も多いかもしれません。ギャグ作品として明快でそれがプロットの単調さを救っているので本作はキートン・プロダクションの長編10作中では良くも悪くも中位の出来で、最上のキートン作品のような悪夢的迫力は稀薄です。しかしその辺りのほど良い口当たりがキートンの長編中でも本作を親しみやすい作品にしているとも言えそうです。

●7月11日(水)
キートンの蒸気船(キートンの船長)』Steamboat Bill, Jr. (監督チャールズ・F・ライスナー、バスター・キートン・プロダクション=ユナイテッド・アーティスツ'28)*69min, B/W, Sillent; 本国公開1928年5月12日; https://youtu.be/YPwVktn3DFs

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○あらすじ(DVDジャケット解説より) 学校を卒業したウィリー(キートン)が、父・ビルのいるミシシッピへ帰ってくることになった。 赤ん坊の頃以来会っていないウィリーに、期待を膨らますビル。 しかし現れた息子は、軟弱極まる人物だった。落胆する父の元で、「船乗り」の仕事を始めるウィリー。 しかしミシシッピには、新型汽船キング号が現れ、ビルの船は廃業の危機に。 しかもライバル会社の令嬢は、ウィリーの恋人だった……。嵐のような生活が幕を開ける。 ダイナミックで、スピード感溢れる展開に目が離せない、バスター・キートン・プロダクションの集大成コメディ!

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 映画は「濁った川」と字幕が出て雄大ミシシッピ川の風景が映り、「最新式大型観光船キング号」キング社長(トム・マクガイア)が自慢気に進水式をアピールし、キング・ホテルの客を乗せるのを、老朽小型観光船「蒸気船ビル」号の船長(アーネスト・トレンス)が苦々しげに見ています。おそらく舞台はニューオリンズあたりで、そしてこの老朽小型蒸気船と、銀行やホテルをグループ会社に持つ最新式の大型蒸気船のそれぞれの後継者がニューヨークから上京してきます。大型蒸気船の会社の方は令嬢キティ(マリオン・バイロン)で、老朽船の方はもちろんキートンです。幼い頃から蒸気船船長の父と生き別れになってボストンで育ったキートンはニューヨークの大学卒業を期に父の観光船を継ぎに来ますが、母の日で大勢の青年がカーネーションを着けており目印に着けてきたカーネーションが役に立たず、しかも隣のホームに降りていたためおたがい現在の顔を知らない父となかなか気づきあえません。やっと対面した大柄でがっしりした「蒸気船ビル」号船長で名高い父は息子が洒落者風のちょびひげをはやし、ウクレレを弾いて野鳥に歌いかけている軽薄で小男の優男なのでがっかりします。キートンは美容室に連れて行かれひげを剃り落とされ、そこで後ろの席にいた同じ大学の恋人キティと出会っておたがい実家を訪ねに帰郷したと知ります。船員らしい帽子を買い与えられ、桟橋でキティと出会ったキートンは、キティともどもおたがいの父の不仲に困惑します。キートンは父の蒸気船で助手の仕事を始めることになり、キティの見立ての洒落た船員服で現れますが父は脱がせて川に放り込んでしまいます。キートンは拾い上げてまた父に隠れて着こみ、仕事の合間合間にキティとキートンは会おうとしますが、キートンは父に、キング観光船会社令嬢キティはやはり父のキング社長の監視があってなかなかデートできません。キング社長の命令でキートンを追い払いに出てきた船員とキートンは喧嘩腰になり、父ビルはキートンにキングの船員はのしちまえとキートンの手を取って船員を川へのし、キートンに操縦を教えようとして船が衝突したため沈没させる気かとキートンを叱りますが、キングが甲板から川に落ちたのを見て快哉を叫んで息子を褒めます。キートンはキティと夜にサロンでデートの約束をし、父が入ってきたらすぐわかるようにピーナッツの殻を床に撒いて外出の隙をうかがい、服を着込んだまま寝たふりをしますが入ってきた父に着衣をバレてしまいます。キートンは父からキングの娘との交際はまかりならんと叱られ、一方キングも娘キティを蒸気船ビルの息子との交際はいかんと外出させません。キートンは父が部屋を出てからまた服を着こみ船から板を渡して桟橋に渡ろうとして川に落ちてしまい、翌朝父にボストン帰りの切符を渡されてしまいます。キートンの父は自分の船に「安全性確認まで営業停止」の貼り紙を見つけ、キングが圧力をかけたと気づいてオフィスに殴りこみに行き留置場に入れられます。キートンはボストン帰りを止めパンを持って父に差し入れの面会に行き、父はパンも息子もいらんとむくれますが、キートンが保安官の目を盗んで父にパンの中に仕込んだスパナやペンチら脱獄用具を見せて父の態度は一変し、ようやくパンを受け渡そうとするとパンの中から工具が転がり落ちます。保安官はキートンも留置場に入れようとしますが、父が保安官をのしちまえ、とあおり、このチビがと保安官が笑うのを父が右フックが凄いんだと言い、ほおとあざ笑う保安官の虚を突いて腹にパンチを入れてキートンは父を留置場から出しますが、自分は閉めた留置場の扉に服が引っかかって逃げられなくなり、駆けつけてきた保安官助手たちにのされて市民病院行き担架に乗せられ、キートンの父は物影から悔しがります。そこにサイクロンが町を襲い、町の建物や街路樹を全て吹き飛ばしてしまいます。キートンは病院前に並べられたベッドごと吹き飛ばされて目が覚め、風に転がる家と並んで転がったり、崩れた倉庫の木箱に降りそそがれたり、三階建ての家が倒れてきますがちょうど窓の位置に立っていて助かったり、コウモリ傘ごと引っ張られ空を舞ったり、木に登るとその木の根っこが抜けて木ごと暴風に吹き飛ばされて川まで飛んで落ちるなど散々にサイクロンに翻弄されます。キートンは洪水で屋根に上がったまま家ごと洪水に流されていたキティを見つけて救い出し、老朽蒸気船で大洪水から町の人々を救う大活躍をし、蒸気船から結んだロープで家ごと沈んで溺れかけていた父を救い出して父と和解し、嵐であえなく沈没した最新大型船から溺れかけていたキングを助け出して、キートンの父とキング社長と和解します。船の甲板でキティがキスをしようとキートンの肩に手を回すと突然、キートンは浮き輪を持って川の中に飛び込みます。キング社長やキートンの父が何事かと甲板から川面をのぞきこむと、結婚のための牧師を連れてキートンが船に向かって泳いで来る姿で、エンドマーク。
 本作はキートン長編最低の36万ドル弱の興行収入に終わり、当初30万ドルの予算で始まり映画界の不況から20万ドルに予算を縮小されるも完成時には製作費は『大列車追跡』に次ぐ40万ドル強を越えていたので、宣伝・配給費を含めると25万ドル以上の損益をユナイテッド・アーティスツバスター・キートン・プロダクション、ジョセフ・M・スケンク、キートンに与えました。スケンクは'27年秋には完成していた本作の公開を半年以上遅らせて公開し、本作の致命的大失敗からキートンに『ラスト・ラウンド』までのキートン・プロダクション作品の配給元だったMGM社の専属俳優契約を結ばせてバスター・キートン・プロダクションを解散してキートンのマネジメントから手を引き、ユナイテッド・アーティスツのプロデューサー業に専念して映画1作品につき予算は15万ドルまで、という方針でユナイテッド・アーティスツ社の経営を立て直しますが、要するにキートンに見切りをつけてMGMに売り払ったので、本作の公開を延期させている内からバスター・キートン・プロダクションの解散とキートンのマネジメントからの撤退を画策していたと思われます。『カレッジ・ライフ』同様本作でもキートンは原作・脚本・監督を勤めていたのにスタッフの名義にさせられるという屈辱を味わいましたが、これもキートンの名義を出さないというプロデューサーのスケンクの方針で、実際にMGMとの専属俳優契約はあくまで喜劇俳優としてのキートンの契約であり、MGM移籍以降キートンは企画・監督・脚本のいずれの権利も与えられずあくまでMGM社内の企画と専属監督・専任脚本家による映画に主演俳優として出演するだけになります。バスター・キートン・プロダクションの短編「キートンのマイホーム」'20で24歳で監督デビューしたキートンは32歳の監督作の本作で映画監督としての道を断たれたので、その意味では本作は映画監督キートンの早すぎる遺作長編でもあり、以降は俳優専業として映画人としてのキャリアを先細らせていくことになります。キートンはサイレント時代のアメリカ映画の大監督と言える存在だったのが今日では認められていますが、やはり大監督兼大俳優だったエーリッヒ・フォン・シュトロハイムのようにサイレント時代に監督キャリアを断たれ、余生は俳優としてのみの仕事にしか恵まれなかったということになります。ビリー・ワイルダーが『サンセット大通り』'50でサイレント時代の終焉とともに忘れられた映画人としてシュトロハイムキートンを出演させたのは偶然ではないのですが、『サンセット大通り』にも誇張と歪曲があるのは注意すべきでしょう。それでも再評価以来キートンの長編作品中でも最高傑作のひとつと人気・評価ともに高く、歴史的意義が付加価値になっている『大列車追跡』よりも高く評価するサイレント喜劇長編の傑作中の傑作である本作が、製作費すらも下回ってしまう壊滅的な興業的失敗作だったとは歴史とは無情なもので、プロデューサーのスケンクの作為的な操作でプロモーション段階から手抜きをされたとしても25万ドル以上の損失とは『カレッジ・ライフ』の42万ドルという程度の低迷では済まなかったのですから、そもそも『カレッジ・ライフ』の興業収入が42万ドルだったのに『蒸気船』に40万ドル以上の製作費がかかってしまった時点で異常事態ですが、30万ドルの予算から始めて目標を20万ドルに引き下げたにもかかわらず結果的に40万ドル以上、というあたりでキートンがいかにスケンクの歯止めのかからない映画監督だったか、本作が製作中に膨れ上がって乗り乗りで作ってしまったかがうかがえます。キートンの父親役のアーネスト・トレンスはジェームズ・クルーズの大ヒット西部開拓史映画『幌馬車』'23の主要キャストを勤めた一流俳優で、キング父娘を演じるトム・マクガイア、マリオン・バイロンも人物描写が疎略なキートン作品にあっては十分性格描写がなされており、本作の完成は'27年秋ですがサイレント映画が本当に高い水準に達したことが実感できる、ドラマ性とギャグのバランスの取れた作品になっているのもキートンの映画監督としての絶頂を『大列車追跡』とともに感じさせる作品です。短編の継ぎ接ぎめいたところも本作ではなく、キートン父子、ヒロイン父娘の関係も上手く描かれているのでドラマ構成やストーリーの焦点もはっきりしており、歴史超大作『大列車追跡』よりドラマの味わいが細やかで、恋愛ロマンス要素もキートン作品ではもっとも良くこなれた作品です。趣向は『荒武者キートン』に近いのですが監督長編第2作の同作ではまだまだキートンの演出は大づかみで荒っぽく、『荒武者キートン』の良さはその荒っぽさにもありますが、本作のように各段に手腕が洗練されたのも長編10作目の達成を感じさせます。本作が大予算の作品に膨れ上がったのは後半1/3を占めるサイクロンに襲われた町のパニック演出のせいですが、どういう扇風機で風を吹かせたのか、グリフィスの『恐怖の一夜』(One Exciting Night) '22の後半1/3が大嵐の中の大アクションで小屋や大木まで吹き飛び家が旋回するほどのサイクロンが描かれていましたが、他に指摘している評者が見当たらず、またグリフィスには散佚作品で日本公開題名が『竜巻』(That Royle Girl) '25というのもあるので気になりますが、少なくとも作品への直接の影響からキートンがグリフィス作品を見逃しているはずがないので本作のサイクロンは『恐怖の一夜』からの感化はあると思われます。家の壁が倒れてくるが窓の位置に立っていたので助かる、というギャグはロスコー・アーバックルの助演時代の短編「舞台裏」'19、キートン・プロ第1短編「マイホーム」'20からの再使用ですが、再評価以降本作を傑作として認めさせてきたさまざまな見所が、おそらく公開当時には『大列車追跡』同様かそれ以上に、当時の観客や批評家には'20年代初頭の、もう古くさいセンスのギャグや趣向としか見られなかったのではないか、それゆえの興業的失敗だったのではないかと思えるだけに、時代の嗜好を読むに敏で自作の指向と一致させるのが巧みだったチャップリンやロイドに較べて、キートンの不器用さと不運を思わずにはいられません。