人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年7月12日・13日/バスター・キートン(1895-1966)の長編喜劇(5)

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 前作『キートンの蒸気船』を最後に'20年以来短編19作、長編10作をキートン自身の監督・脚本・主演で送り出してきたバスター・キートン・プロダクションは社長でプロデューサーのジョセフ・M・スケンクによって解散(正確には映画製作休止、キートンの個人財務管理事務所としてのみ存続)が決定され、キートンは大会社MGM映画社の専属俳優契約を結ぶことになりました。ただし契約はあくまで俳優としてのもので、キートンはMGMのプロデューサー、アーヴィング・サルバーグの下、プロデュース部の企画を専任監督・専任脚本家の下で主演俳優としてのみ起用されていくことになります。これまで映画監督・脚本家として自作を製作してきたキートンの手腕はMGMのトーキー作品では求められず、わずかに即興的なギャグのシーンでのみキートンのアイディアが採用されるに止まるようになりました。MGMでのキートンはサイレントで2作、サウンド・トーキーに移行して7作が'28年~'33年に製作・公開されることになりますが、移籍してしばらくはバスター・キートン・プロダクション作品で下降していた人気が嘘のように人気を盛り返したものの間もなく先細りになる一方になり、最後には一方的な馘首に近い年度半ばの契約破棄によってキートンはMGMの専属から解雇されてしまいます。監督は1作を除きキートンとは旧知だったヴェテラン監督、エドワード・セジウィック(1889-1953)で、芸人一家育ちで俳優出身のセジウィックはやはり芸人一家育ちだったキートンとは早くから親好があり、サイレント作品2作ではセジウィック名義ながらキートンの監督キャリアに敬意を表してか、サイレントという製作環境からまだ可能だったということか、部分的に共同監督と言えるほどキートンの意向を取り入れた痕跡が認められます。バスター・キートン・プロダクション作品とMGM作品では間を空けて観ていると大きな断絶が感じられるのですが、今回連続して観てサイレント2作はそれなりにキートンらしさを感じられる出来で、少なくとも舞台劇の映画化に主演しただけの最初の長編出演作『馬鹿息子』'20が好演ながらキートンでなくても務まる内容だったのに較べればキートン映画らしい作品になっています。トーキー以後のキートン作品の評判は徹底的に悪く、かえって言われるほど悪くないじゃないか(ただしジミー・デュランテとW主演を組まされた作品ではデュランテが邪魔)と思い、またサイレント時代のキートン・プロの傑作の数々を念頭に置いて観るとMGMのサイレント作品は確かに分が悪いのですが、脚本から撮影スケジュールが立てられスケジュールに沿って撮影ノルマを果たして行くというMGMの徹底した製作の合理化の制約の中で作られたと思えば、サイレント2作はまだしもセジウィックキートンのアイディアを取り入れ、キートンも部分的にせよ自分自身で監督をする機会が持てたのがかろうじてキートン全盛期の残照を感じさせる作品になっており、MGMの宣伝力によって『キートンのカメラマン』はバスター・キートン・プロダクション作品最大のヒット作だった『キートンのラスト・ラウンド』の興行収入75万ドルをしのぐ興行収入79万7,000ドル、『キートンの結婚狂』はキートン・プロ第2位のヒット作『海底王キートン』の興行収入68万406ドルをしのぐ興行収入70万1,000ドルを上げています。『キートンのカメラマン』は高い世評(公開時の大ヒット、また現在アメリカ国立フィルム登録簿に選出されているキートン作品6作の一つ)はそれほどかなと疑問があり、キートンの長編では『馬鹿息子』『恋愛三代記』と並ぶ最下位か、その2作よりは1、2の美点で少しましな程度(しかし『馬鹿息子』『恋愛三代記』にも同様な美点があるので結局は同点最下位)かと思いますが、キートンの最後のサイレント長編(サウンド版も作られたものの、製作自体はサイレント)でキートンのサイレント長編中もっとも知名度が低く、サイレント末期でトーキーへの橋渡しになった凡作視されている『キートンの結婚狂』は案外キートンのサイレント長編中でも見所の多い、なかなかの作品なのではないかと思えてきました。ともあれ、今回のエドワード・セジウィック監督名義の2作でキートン主演のサイレント長編はお終いで、次回からのサウンド・トーキー作品ではサウンド収録の製作システム上、脚本から起こされたスケジュールが厳守される結果、セジウィックの監督としての裁量権限すら制限され、キートンのアイディアと部分的な監督が許容されることもなくなってしまうのです。

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●7月12日(木)
キートンのカメラマン』The Cameraman (監督エドワード・セジウィック、MGM'28)*70min, B/W, Sillent; 本国公開1928年9月22日; https://youtu.be/set8aZUDvIs

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○あらすじ(DVDジャケット解説より) 街頭でポートレートのカメラマンをしていたルーク(キートン)は、サリー(マーセリン・デイ)という女性に一目惚れした。 彼女はMGMのニュース映画部門の秘書だった。ニュース映画のカメラマンに転職したルークは、 彼女の配慮で千歳一遇のスキャンダルを撮影する。しかし、入れたはずのフィルムが何故か入っていない。 失敗続きのルークだったが……。

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 冒頭に「命知らずのカメラマンたちは英雄的存在である」と戦場・探検カメラマンのニュース映像が流れ、「しかし違うタイプのカメラマンもいた」と「銅板写真10セント」の看板の横に立った街頭写真屋キートンが映ります。女性客が来てキートンは写真を撮った後意気投合して話に花を咲かせ、翌日MGMニュース社を訪ね、昨日の女性客であるその受付嬢サリー(マーセリン・デイ)に仕事の後でまた写真を撮らせてくださいと願います。キートンはサリーの仕事が終わるのを受付で待ちますが、出入りしているカメラマンのスタッグ(ハロルド・グッドウィン)からそんなおんぼろカメラでカメラマンのつもりかと嘲笑されます。キートンはサリーから良い写真を撮れればあなただってニュース・カメラマンになれるわと勧められます。キートンは奮発して高級カメラを買いますが、気を変えて映画カメラに買い換えます。翌朝キートンはMGMニュース社を訪ねてから張り切ってニュース映像を撮りに街に出て警官(ハリー・グッドウィン)に火災現場はないか尋ねて会話が噛み合わず、路面電車に飛び乗って野球場(ヤンキー・スタジアム)まで行きますが野球は休みで、カメラを三脚に据えたキートンは一人で野球を演じ、それからひと通り撮ってきた街の情景の試写をニュース社の上司たちに観てもらいますが部分逆回転や二重写り、露出や撮影速度の失敗フィルムばかりで使い物になりません。キートンはサリーに努力次第よと励まされ、キートンはサリーを次の日曜にデートに誘いますが先約があってまだわからない、空いたら電話するわと返答されます。日曜、キートンが壁に釘を打ち壁に大穴を空けてしまい四苦八苦していると階下に電話があり、5階から1階まで駆け下りた(手前の壁のないアパートのセットでの1ショット)キートンは自分の用ではなかったので駆け上がり屋上まで出てしまい転倒しますが(これも1階から屋上まで1ショット)、今度は女大家からキートンへの電話だと呼ばれて再び1階の電話まで駆け下ります(これまた1ショット)。サリーとデートすることができたキートン路面電車に乗り、サリーは車内に乗れますがキートンは屋根席しか乗れず屋根から無理矢理サリーの隣に移ります。つい先日に火災現場を尋ねられた警官がキートンを見かけて仰天します。プールへ行った二人は更衣室に分かれ、キートンは大男と狭い個室で押し合いへしあい着替えますが、ほどなくサリーは知り合いの男性に誘われてプールから上がってしまいます。キートンはサリーをエスコートするそぶりで男をプールに落として外に出ますが呼び止めたタクシーは走り去ってしまい、そこに例のニュース社のカメラマン、スタッグがサリーに家まで送ろうか、と車で通りかかります。カメラマンはキートンに手伝わせてオープンカーの幌を組み立ててサリーを助手席に乗せ、キートンには後ろの荷物席を開けます。車は走り出し、女性だけでシェアハウスしているサリーの家に着く頃は大雨でキートンはずぶ濡れになり、例の警官に不審尋問を受けて健康・正気を疑われてしまいます。翌日月曜、キートンはニュース社を訪ねてスタッグに「お前は用なしだよ」と言われますが、記者からチャイナタウンで出入りがあるらしい、と電話を受けたサリーはキートンにチャイナタウンのお祭りに行ったら、と勧めます。キートンがチャイナタウンに着くとさっそくもめ事に巻き込まれ警官に捕まりそうになりますがいつの間にかカメラの三脚で倒していて、放し飼いになっていたポケットモンキーが拍手してキートンになついて飛び乗ってきます。キートンがチャイナタウン中央に着いて撮影にとりかかるやキートンの気づかないうちに四方八方から中国マフィアの激しい銃撃戦が始まります。ようやく銃撃戦に気づいたキートンは小猿を連れてあちこち逃げ回りながら撮影を続けるもアジトの奥の一室に追い詰められ、危機一髪という時に警官隊が到着します。キートンはまた例の警官につまみ出されそうになりますが交わして勇んでニュース社に戻りますが、カメラにフィルムが入っていなかったのがわかります。キートンにチャイナタウンの抗争を教えたのがサリーとわかってサリーが叱責されてしまい、キートンは面目を潰して引き上げます。モーターボート・レースの日にレース会場で撮影していたキートンは、恋敵のスタッグとサリーが乗ったボートからサリーが振り落とされるのを目撃し、キートンはボートで助けに向かいますが舵を失ったモーターボートがキートンのボートに衝突し転覆させ、キートンはサリーを助けて岸に運び薬局に向かいますが、その隙にサリーを抱き起こしたスタッグにサリーは「あなたが助けてくれたの?」と勘違いし、スタッグも調子を合わせて、キートンが戻るとサリーはスタッグに連れて行かれた後で、キートンはがっくり岸辺に膝を落とします。手前では小猿がずっとカメラのハンドルを回しています。翌日キートンは現れず、ニュース社に「最後にこれをお送りします」とフィルム・リールが届きます。サリーと上司たちが試写をすると、チャイナタウンの抗争映像が映ってキートンがリール交換まではちゃんと撮っていたのがわかります。そのままフィルムは舵を失って旋回するモーターボート、投げ出されるサリーと助けに向かうキートンキートンの小舟に衝突して投げ出されるキートンキートンがサリーを救って岸に上げ、後から来たスタッグがサリーを連れて行き、戻ってきたキートンが膝を落とす一部始終が小猿がカメラのハンドルを回していたので撮されています。ニュース社の上司は感嘆し、サリーは会社の前で立ちつくしていたキートンに感謝と、会社でキートンを優遇して迎えると決まったことを伝えて、リンドバーグの大西洋横断飛行殊勲賞を祝う紙吹雪が舞う賑やかなニューヨークの街の風景の中の二人の姿で、エンドマーク。
 キートンの長編の前半5作の脚本家かつ『大列車追跡』でキートンと共同脚本・共同監督を勤めたクライド・ブルックマン(ブルックマンは『ロイドの人気者』'25以来はロイドのブレインも勤めてきました)が原案を提供してMGMの専任脚本家がシナリオに当たり、キートン旧知のヴェテラン監督だったエドワード・セジウィックが監督を勤めた本作は撮影期間2か月弱(8週間)、製作費36万2,565ドルに対して'28年度のMGM作品でも最大ヒット作の一つとなる79万7,000ドルの大ヒットを記録し、現在ではアメリカ国立フィルム登録簿に、『キートンの大列車追跡』(1989年度)、『キートンの探偵学入門』(1991年度)、「キートンの警官騒動」(1997年度)、に次いで2005年度に登録されました(以後「キートンのマイホーム」が2008年度、『キートンの蒸気船』が2016年度に登録)。「マイホーム」'20、「警官騒動」'22はキートン短編の大傑作で文句はありませんが、長編がこれまで4作というと『大列車追跡』'27はキートン一世一代の力作歴史超大作でもあり落とせないだろうなとは思いますし、『探偵学入門』のメタ映画的趣向、『蒸気船』の集大成的内容など文句はないのですが、『荒武者キートン』や『海底王キートン』、『セブン・チャンス』や『ゴー・ウェスト!』あたりは『カメラマン』より上でしょうし『ラスト・ラウンド』や『カレッジ・ライフ』だってある、それに『恋愛三代記』だってと結局サイレント時代のキートン作品は全部良いと収拾がつかなくなります。『カメラマン』でキートン・プロダクション時代のキートン自身の監督作なら絶対やらないと思うようなつまらない場面はハリー・グッドウィン演じる警官とのかけあいで、そういう場面ではキートンの奇行に頭をかかえる警官からの視点に演出が切り替わってしまっている。単に無駄なばかりか視点の不統一と焦点の拡散まで招いてしまっており、こんな不要な描写を入れるのは映画をドラマらしいドラマにしようとする配慮からですが、こんなところにも本作がキートンの監督作ではない弊害が出ています。またキートンのアドリブが許されたという数少ない場面は無人のヤンキー・スタジアムで一人で野球をやるマイムのギャグ、プールの更衣室のギャグですが、どちらもキートン自身が演出も手がけた本作の白眉とされるシーンとされる場面ながら面白くも何ともないのはあってもなくてもどうでもいいような、前後とつながりもなければ映画全体の中で生きてくるようなシーンでもなく、思いつきで挿入したのがかえって映画の流れを損ねているからです。観直してみると本作はMGM移籍後でもまだサイレント作品ならではの自由度があっただけに、監督セジウィックキートンの乗り気なところはキートンのアイディアを生かしてキートンの部分的な監督を採り入れた作品なのも伝わってくるのですが、そうした製作体制でキートンが窮屈そうに主演をこなしていて、僅かにキートンらしい芸を見せようとしても映画全体からは浮き上がってしまう、そういう観ていて苦しい場面が目立ちます。ヤンキー・スタジアムのシーンは本作の半年前('28年4月7日)に公開された、ロイドの最後のサイレント長編でロイドが野球狂のタクシー運転手を演じる『ロイドのスピーディー』同様、当時の野球ブームが反映しているらしく、ロイド作品への追従ではないにせよここでもロイドに遅れを取っているとすれば情けない感じがします。『スピーディー』がサイレント時代の掉尾を飾るロイドの会心作だったようには本作『キートンのカメラマン』が充実した成功作とは思えず、本作のヒットにしても興行収入150万~250万ドル級のスターだったロイドに多少近づいただけとも言えるのです。MGMの宣伝力が本作をキートン主演作でも最高の興行収入をあげるヒット作に押し上げたとしても作品の内容の向上によるものではなく、バスター・キートン・プロダクション時代の長編10作からは質の低下は歴然としていて、小猿の人真似(キートンがカメラのハンドルを回す真似)がキートンを助ける筋立ても喜劇映画らしく楽しいというよりあまりに観客の趣味を子供っぽい次元に見立てたもので、喜劇映画だから幼稚で馬鹿らしくてもいいというものではないでしょう。喜劇だから一貫性などなくていいという安易さはヒロインの性格にもあり、キートンに好意的かと思えばキートンとプールで泳いでいる最中他の知りあいの男にプールサイドから誘われればキートンを置いてプールから上がりその男に着いていってしまいますし、キートンがそいつをプールに突き飛ばし一緒に帰ろうとしてニュース社の恋敵スタッグ(『キートンの大学生』でも恋敵役だったハロルド・グッドウィン)に車で送ろうかと誘われるとキートンが荷物席でずぶ濡れになっても他人事の様子で、ドラマの道具でしかなく一貫した性格というものがないのです。もちろん一見幼児的で寓話的なアイディアと無性格な人物、という抽象的な設定で成功する映画もあり、サイレント時代のように現実の再現性とはリアリティの基準が違う性質の映画が上手くいった時代もありましたしキートン作品の成功作もそうでしたが、本作では設定や舞台の中途半端な現実性とスラップスティック喜劇ならではの夢物語性が上手く溶けあっていない。それはやはり作風確立以来、ついにキートン自身の監督作品ではなくなってしまったことに由来するように思えます。

●7月13日(金)
キートンの結婚狂』Spite Marriage (監督エドワード・セジウィック、MGM'29)*75min, B/W, Sillent; 本国公開1929年4月6日; https://youtu.be/ydRQN_qE6fs (extract)

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○あらすじ(allcinema.comより) 女優トリルビー(ドロシー・セバスチャン)の熱心なファン、エルマー(キートン)はクリーニング店の店主だったが、客のタキシードを着込んでは彼女の公演に日参していた。が、トリルビーは全く彼に興味がなく、共演の役者(エドワード・アール)にお熱。しかし、その役者が贔屓の有閑令嬢(リーラ・ハイアムス)と婚約してしまったので、彼女は当てつけにエルマーとの結婚に走った。そして、役者夫婦とホテルのレストランでばったり遭遇。シャンパンのやけ飲みとなって、エルマーは部屋に担ぎ込むが、介抱でくたくたに。フラリと外の空気を吸いに行くと、例の役者が声をかけてきて思わずガツン。それを警官に見とがめられ、逃げ込んだタクシーにギャングの先客がいて、追われて埠頭へ。ギャングは目撃者の彼をそのまま逃亡用の船に乗せた。やがて、哨戒艇の出現にパニックになったギャングたちは、彼を殺そうとし、海に飛び込んだエルマーは小型客船に拾われ、そこの船員となるが、乗客の中に、役者と一緒のトリルビーを見つけた。だが、ボイラー火事で乗務員も客もみなボートで脱出。役者も気絶したトリルビーを置いて逃げ、ただ独り消火に努めていたエルマーと彼女二人きりの航海となるが、やがて、ギャングの船に出くわして……。

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 レセプション会場、乗馬場、美術館と女優トリルビー(ドロシー・セバスチャン)はどこでもキートンに顔を合わせるので不審がっています。紳士のなりをしたキートンは実はクリーニング店の店主ですが、トリルビーの前に姿を現す時はいつもタキシードなのです。劇場ではトリルビーの舞台が上演中で、スタッフがキートンを見て「4週間毎日来てるよ」と噂をしています。キートンは舞台鑑賞に身が入りすぎて奇矯な大声を上げる始末です。芝居後、共演者のライオネルが金髪美人のデートに出かけて不機嫌なトリルビーにキートンはあてつけに愛想よくされ、翌日キートンは舞台前に花束を持って会いに行き、芝居途中でトリルビーにキスをする軍人役の俳優を買収して代役させてくれと頼み、ちょうど借金取りに押しかけられていた軍人役俳優はキートンに衣装を渡して逃げて行きます。キートンは軍人役を勤めて舞台に出ますが、劇団の方は軍人役俳優の失踪を知って正式に軍人役の代役を立てていたため舞台は混乱し、キートンは衣装が絡まって脱げる、大道具小道具をひっくり返すで舞台を滅茶苦茶にしてしまいます。舞台が跳ねて袋叩きになる寸前にキートンは逃げ出してタキシード姿に戻ります。一方、ライオネルが今夜婚約発表をすると知って激怒したトリルビーはキートンを見つけ、私を好きで結婚したいなら今夜結婚しなさい!と無理矢理結婚を承諾させます。キートンは早速トリルビーの楽屋で外出支度をしますが、トリルビーは不機嫌で当たり散らすかふさぎ込む一方です。高級レストラン、運悪くライオネルとその婚約者も同じレストランで食事中で、シャンパンをがぶ飲みしたトリルビーはライオネルたちに絡みに押しかけて騒ぎになり、退出しようと抱き抱えたキートンを突っ張ったりぐにゃぐにゃになったりしてさんざん手こずらせ、ホテルの部屋に着く頃には立てなくなっているトリルビーを運び上げてベッドに寝かせるのにひと苦労し、翌朝素面に戻ったトリルビーはマネージャーと劇団支配人に説得されキートンを置いて出ていき、キートンは劇団支配人からトリルビーからの離婚の要望を伝えられます。ホテルから出たキートンはライオネルに「あなたの奥さんは私に恋していて腹いせ結婚したんです」と言われ、即座にライオネルを殴り倒します。ライオネルが通りかかった警官にキートンを指差し、キートンは警官に追われて通りすがりのタクシーに飛び乗りますがギャングと乗り合わせてしまい、そのまま密輸船に連れて行かれ消されそうになる寸前に脱出、航行中の大型豪華ヨットに拾われ船員になりますが、ヨットはボイラー室からの失火で全員ヨットから脱出します。キートンは火災を鎮火させますが、乗り合わせたトリルビーだけが乗客から取り残されてしまいます。一夜明けて目覚めたトリルビーはなぜたった一人の船員がキートンかくってかかりますが、一人で大型ヨットを操らなければならないキートンはそれどころではなく操舵にてんてこまいで、帆ごと海上まで吹き飛ばされたり、トリルビーごと帆に巻き込まれておおわらわです。ようやく帆を畳んだところでちょうど対向船が見えたので救助に合図すると、キートンが殺されそうになったギャングの密輸船で、キートンはトリルビーに説明する間もなく慌てて離れようとしますが、密輸船のギャングたちはヨットを乗っ取ってしまいます。トリルビーはギャングの一人に襲われそうになっているところをキートンに救われ、事態を理解したトリルビーはキートンと二人三脚でギャングを倒していき、キートンもギャングの一人がボイラーの修理を済ませるのを待って次々とギャングを倒し、残ったボスをデッキから転落させられそうになったり、へさきに追い詰められた挙げ句海に落ちてしまいますが流されながらヨットが引いていたボートにつかまって再び船にあがり、甲板で対決して倒します。ひどいけが、とキートンを抱きよせるトリルビーにキートンは南部の男にはかすり傷さ、と芝居の台詞を言って気を失います。新聞記事「行方不明の女優トリルビーさん救出される」の見出しとともに港で観衆に迎えられるトリルビー。ホテルの前で「もう一度だけでも会えて嬉しかった」というキートンの腕を取って「これからはずっと会っていられるわ」とトリルビーがキートンをホテルに招き入れ、すれ違ったライオネルに二人は会釈して、エンドマーク。
 前作『カメラマン』の撮影期間8週間・製作費36万2,565ドルに較べてさらに撮影期間4週間・製作費28万2,215ドルと切り詰められた本作は、興行収入も『カメラマン』の79万7,000ドルには及びませんでしたが70万1,000ドルのヒット作で、バスター・キートン・プロダクション時代の最大ヒット作『キートンのラスト・ラウンド』(興行収入75万ドル)に次ぎキートン・プロの第2位のヒット作『海底王キートン』(68万406ドル)をしのぐヒットになりました。『海底王キートン』が38万ドルの製作費をかけた作品だったのを思えば『カメラマン』『結婚狂』とももっと純益の高い、興行的成功作になったと言えます。しかし作品内容からすると『カメラマン』はおそらくMGMの宣伝力でこれまでキートン作品を知らなかった層にまで宣伝が行き渡ったことで成功した作品のように思われ、従来のキートン・プロダクション時代からキートン作品を追ってきたファンにはキートンもそろそろ駄目か、と感じさせるような作品だったのではないかと思われます。本作で興行収入が低下したのも前作を観た観客のうち本作も観に映画館に足を運んだ数が9割に満たなかったということで、それには本作が時期的には映画のトーキー化が進んでおり、サウンド版(音楽、効果音、台詞多少)とサイレント版の両方が作られて映画館の設備によって配給がまちまちだったこともあり、この'29年はアメリカの映画館のトーキー上映設備が急速に進み、翌'30年からメジャー映画社の映画は完全にトーキー化します。本作はサウンド版も存在するとは言え基本的にはサイレント映画として作られたので現在では本作がキートンの最後のサイレント時代の長編主演映画とされています。『カメラマン』で監督権が取り上げられて行き詰まってしまったようなキートンに次作はもうほとんど期待の余地はないだろうな、と思って本作を観ると、しがないクリーニング屋稼業ながらドロシー・セバスチャン(1903-1957)演じる女優トリルビーの大ファンのキートン(本作の役名エルマーは、以降のMGM作品のキートンのほぼ定番の役名になります)がヒロインの行く先々いつもタキシード姿でつきまとい、ついに舞台でヒロインに無理矢理キスする将校役になりすまして大失敗する、という前半1/3は同じ舞台が2度くり返される形(1度目は客席からキートンが36回目に観て、2度目は翌日の舞台にキートンが仮装出演して滅茶苦茶にして)が短編ではできない長編ならではの構成ではあるもののどうせ舞台を無茶苦茶にして大失敗するんだろう、と予想した通りに進むだけで面白くなく、いよいよ期待は持てなくなります。しかしヒロインがキートンと「腹いせ結婚」してからは本作は俄然面白くなり、やけ酒を飲んで泥酔したぐにゃぐにゃのヒロインをキートンが何とか寝かしつけるまでが単純な体技のギャグですが馬鹿馬鹿しくも現実感と遊離しておらず、ヒロインが泥酔していく過程も見栄と本音とやけくその加減がちゃんと伝わってくる説得力があり、キートンの映画でこんな現実的な存在感のあるヒロインは初めてです。それがいろいろ都合の良い偶然で『海底王キートン』を思わせるたった二人だけの漂流と、ヨットの帆にくるまってたがいちがいに海に落ちそうになる悪夢感たっぷりの体を張ったアクションのギャグをヒロインともどもこなし、結末近くでは『ラスト・ラウンド』を思わせるギャングのボスとの1対1の対決をヨット全体を使ってたっぷり見せるなど、後味の良い自然なハッピーエンドの結末まで中盤~後半の2/3はキートン・プロダクション時代の作品と見劣りしないばかりか、先行作と類似のシチュエーションを扱いながらヒロインもキートンと同等以上に体を張った活躍とアクションがあり、もっと全盛期の作品でキートン作品に出演していたら良かったのにとも惜しまれるような良い女優ですがMGM作品だからこそ共演の機会も生まれたのですし、キートン・プロダクション時代のキートンはもっと突拍子もない作風だったので早く目をつけても本作ほどドロシー・セバスチャンを生かせたかはわかりません。先に指摘したように本作の成功はキートン・プロダクション時代の成功作『海底王』と『ラスト・ラウンド』の換骨奪胎を生き生きとしたヒロインの投入で二番煎じを感じさせず上手く使ったところにあるので、キートン以外の主要人物、つまりロマンス・コメディ作品であるからにはヒロインを面白くて積極性があり、性格と行動に説得力がある、という具合に当たり前のことをちゃんとやったことで自然にギャグもアクションも豊富なら前半1/3はちょっとくどい導入部として大目に見るか、と寛大になれるほど首尾一貫した作品になったので、キートン自身の原作・脚本でなくても元ネタ自体がキートンの旧作から採っていますし、それをヒロインとの絶妙なかけあいによって見せることでほとんどキートン自身の監督作と言ってもいいような、主演コンビの力が演出を呼び覚ましたような作りになっています。本作の前後に、最初の結婚生活に失敗して別居、事実上離婚していたキートンはドロシー・セバスチャンと愛人関係にあって、セバスチャンとの関係はキートンの初婚が上手く行っていたよりも長く充実した恋愛関係だったそうで、本作のキートンとセバスチャンの息の合った演技も実生活での円満な関係の反映だったとも言われます。確かにこれまでのキートンは成功した作品でもヒロインに見せ場など与えないところがあり、本作のようにキートンとヒロインの二人で見せ場を作る、というのは本当に少なかったので、本作はキートンがヒロインの存在でもっとも良い部分を再び生かせた作品であり、おそらく現在ではキートンのサイレント長編中最下位の知名度と評価しか受けていないサイレント最終作ながらもっと評価されていい佳作です。かなりの人がそうした世評と製作時期、前半1/3の弛みから本作を凡作という先入観で投げ出してしまっているだけなのではないでしょうか。