人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年7月14日~16日/バスター・キートン(1895-1966)の長編喜劇(6)

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 今回からのキートンは前回同様のMGM映画社移籍後のキートンが監督権を与えられずMGMの製作体制の中で作られたもので、今回の『キートンのエキストラ』がキートンの初サウンド・トーキー作品になります。一般にキートンサイレント映画時代の喜劇俳優とされるのは後世ほとんどトーキー以降の主演作品が顧みられないからで、サイレント時代にスター俳優だった俳優の大半が映画のトーキー化によって声の悪さ、台詞まわしの拙さによって凋落したという誤解も手伝ってキートンも同様の原因で人気を失ったとされることが多々あります。実際はサイレント時代の俳優の大多数はトーキー以降にも現役俳優として映画界にとどまりましたし、それはサイレント時代の俳優も舞台で鍛えたキャリアを経て映画俳優になっていたので、芸人一家に生まれ育ち4歳から舞台に立っていたキートンもトーキー出演自体には問題がありませんでした。キートンの場合問題だったのは専任監督・脚本家を立てたMGMの映画製作がキートン自身が監督・脚本を兼任していたバスター・キートン・プロダクション時代の映画製作よりも面白い映画を生み出せなかったことに尽きます。キートンはもともとチャップリンやロイドのような100万ドル級の収益を上げる特大級のスターではありませんでしたが、チャップリンやロイドに次ぐ存在と見なされるだけの人気と個性的な才能は認められていたのです。MGMの製作体制はキートンの良さを生かせず、キートン作品としてはおろかトーキー喜劇映画としても平凡または陳腐な作品を連発するにとどまり、しかも1年2作ペースとあってはあっという間に飽きられることになり、ロイドが2年に1作、チャップリンが3~4年に1作で毎回よく練った企画でトーキー時代に耐え得る才能を証明してみせたのに対し、キートンはMGMでは消耗品のように使い捨てられた観が強いのです。キートンはトーキー時代に長編映画の監督には二度と復帰できなかったのですが、サイレント時代にあってもキートンの映画はキートン自身の監督・脚本作品による方が良く、トーキー作品の失敗はキートン自身よりもMGMの製作体制の失敗によるものと思われるのです。全然見所がないかと言われると期待しなければトーキー初期の喜劇映画として普通に楽しめる出来でもあり、初期トーキーの映画の水準がどういうものかわかるという歴史的な意義もありますが、これらはキートンのサイレント時代の作品をひと通り観て残照でいいから未見のキートンの映画を観たい、というような時に手を伸ばすような作品群とも言えるでしょう。ロイドのトーキー以後の作品もなかなか健闘しているのですが、本当にトーキー以後にも傑作を作り続けたのは『街の灯』'31(サウンド版)、『モダン・タイムス』'36、『独裁者』'40、『殺人狂時代』'47、『ライムライト』'52、『ニューヨークの王様』'57と5年に1作ペースで第一線の映画作家であり続けたチャップリンが唯一になってしまうので、三大喜劇王と言ってもひとしなみには語れないのがトーキー以後にははっきり差がついたとも言えます。特にキートンはトーキー初期だけに大手MGMでキャリアを消耗したので、まだ試行錯誤期のサウンド・トーキー撮影の不利も手伝って1作ごとに入念な製作体制を敷いたロイドのようにはキートンの個性と才能が生かされた作品には恵まれませんでした。これもキートンの不器用さと世渡りの上での不運を感じさせるのです。

●7月14日(土)
キートンのエキストラ』Free and Easy (監督エドワード・セジウィック、MGM'30)*93min, B/W; 本国公開1930年3月22日; https://youtu.be/rsXQDaxyn5k (extract)

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○あらすじ(DVDジャケット解説より) ブランケット夫人は娘エルヴィラが町内の美人投票で一位となったのをいいことに彼女を映画スターに仕立てようとマネージャーのエルマー(キートン)を連れてハリウッドに乗りこむことになった。エルマーの不注意で、彼らはハリウッドの二枚目俳優として人気のラリーの座席に座ってしまう。エルヴィラの美しさに心を奪われたラリーは彼女を援助することを約束するのだが……。 キートン初のトーキー作品。ボ―ドヴィル期に鍛えた見事なダンスを披露!

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 MGMの吠えるライオンのTMタイトルの次に「Buster Keaton/in/Free and Easy/Anita Page/Robert Montgomery/Buster Keaton Production」の1枚タイトル。映画はカンザスのゴーファー市の駅でミス・ゴーファーに選ばれたヒロインのエルヴァイラ(アニタ・ペイジ)が母親ブランケット夫人(トリキシー・フリガンダ)とともにハリウッドに赴く盛大な見送りの光景から始まります。市長からエルヴァイラへのはなむけの言葉があり、続いてマネージャーのエルマー(キートン)のあいさつになりますがぼそぼそとしかしゃべれません。客室に入り出発したエルヴァイラ母娘はすぐにこの客室は自分が借りたというスター俳優のラリー・ミッチェル(ロバート・モンゴメリー)と言い合いにあい、切符を持ったマネージャーのキートンが別の車両で移ってこられないため駅員に一旦次の駅で下ろされてしまい、ようやくキートンが母娘を見つけて慌てて乗りこむがやはり切符がない、しかもそこでオチもその後の経緯もなく場面はハリウッド到着後に切り替わってしまいます。映画人のレセプション会場で別人と取り違えられたキートンが困惑して名刺を司会者(ウィリアム・コリア)に見せエルヴァイラ母娘を自分が別人という証人と呼びかけたのでブランケット夫人は恥をかかされたとキートンをなじります。翌日、ラリーからフレッド・ニブロ監督作品の撮影に招かれていたエルヴァイラ母娘(ここで母娘が見学する映画のミュージカル・レヴュー・シーンが1シーンまるごと入ります)を追ってキートンは撮影所に入ろうとしますが警備員に断られ、エキストラの到着と大道具搬入に乗じて撮影所に入り込みます。キートンは警備員に見つかり撮影現場に紛れこみ、岩窟の崩落シーンの撮影の爆破スイッチのペダルに足をかけて爆発させてしまったり、密通メロドラマで夫が妻の愛人を疑いピストルを取り出すと舞台袖から出てきてしまったり、ようやくエルヴァイラの見学しているフレッド・ニブロ監督の映画撮影が兵士のダンス場面だったので紛れ込んで踊ってシーンをまるまる駄目にしてしまったりしますが、エルヴァイラをかばうラリーのとりなしでエルヴァイラのスクリーン・テストの相手役をすることになります。キートンは監督ニブロに何度も台詞・演技指導されますが何度やってもキートンは理解できず、仕舞いには足に絡んだ引き綱で照明を倒してしまい追い出されます。仕事がまだ取れない、とエルヴァイラに詫びるキートンにラリーが通りかかり、自分の名前を出せば仕事があるさと言われたキートンは週給30ドルで夜勤のタクシー運転手に雇われてしまいます。「エルマー最初のハリウッド・パーティーの夜」パーティーが終わりエルヴァイラを連れたラリーがキートンのタクシーに乗り込み、ラリーの自宅まで送ります。ラリーはエルヴァイラを口説いてキスしますが、エルヴァイラが母が結婚を許してくれるかしらと口にすると冗談だろ、と慌て、混乱してエルヴァイラが泣き出した所にブランケット夫人を連れたキートンが到着します。キートンはラリーにおどりかかりラリーはキートンをのしますが、ブランケット夫人が酒瓶の一撃をラリーの頭にくらわせエルヴァイラを連れていきます。キートンとラリーは最初エルヴァイラをめぐって口論しますが直に郷里が同じとわかって意気投合し、キートンはラリーのとりなしで改めてオーディションの相手役用俳優に使ってもらうことになり、男を振り回して「顔も見たくないわ、二度と!」と足蹴にする、という役の女優のオーディション相手を勤めて散々振り回されて足蹴にされます。一方エルヴァイラを訪ねたラリーはブランケット夫人に「顔も見たくないわ、二度と!」と罵倒され、それを聞いたニブロ監督は今聞こえた声の女だ、連れてこい!とブランケット夫人を呼んで来させ、ブランケット夫人はオーディションに合格します。ラリーはエルヴァイラに許しを乞いますがエルヴァイラは許しません。オーディションに合格したブランケット夫人ともどもキートンは道化師の王様役になり、ミュージカル寸劇から互いに衣装をむしり取りあう喧嘩になりギャグ寸劇になっていく、というコミック・ミュージカル・レヴュー・シーンの撮影場面がまるごと演じられます。キートンは見学に来ていて、すっかり女優になる自信も意欲も失っているエルヴァイラに演技を賞賛され、キートンは君に恋しているけれど断られるのが怖くてプロポーズできない俳優がいるから撮影後に思い切って話しかけるといい、と慰めます。次にキートン演じる道化の王様は砂漠の娘(『キートンの結婚狂』のドロシー・セバスチャン)と砂漠の部族の娘たちを従えたコミック・ミュージカル・レヴュー、次いでブランケット夫人の女王到着から始まり女王とキートンが天井吊りのプロペラ機で旅立つまでのシーンと、2シークエンスがまるまる描かれ、一方撮影待機中にエルヴァイラと再会したラリーは「エルマーから聞いたわ」「許してくれるかい?」と和解して抱擁とキスを交わします。出番を終えたキートンは「エルヴァイラと結婚するんだ」「あなたのおかげよ」というラリーとエルヴァイラに愕然とし、撮影の出番が来てラリーが去るとエルヴァイラは「おめでとうも言ってくれないの?」とキートンにキスしてラリーの撮影に見入り、ダンスが決まって見栄を切るラリーと見学席で撮影を見つめるエルヴァイラが微笑みあうのを道化のメイクアップのままキートンが黙って見つめ、伏せ目になった表情で、エンドマーク。
 本作は前年のMGMの最大ヒット作でアカデミー賞作品賞を受賞した『ブロードウェイ・メロディー』'29主演女優のアニタ・ペイジ(1910-2008)を主演女優に起用し、50万ドルの大製作費をかけた作品ですが純益では1万ドルの利益にとどまったといいますから、推定興行収入90万ドル強程度にはなったと思われます。『ブロードウェイ・メロディー』は37万9,000ドルの製作費で440万ドルの興行収入を上げた作品でした。本作の90万ドルはキートン作品としては過去最大の興行収入ですが、1本の映画に40万ドル近い宣伝費をかけてヒットさせる、映画本体以上にプロモートに入念で、しかも大製作費をかけた本作の場合は90万ドル強の興行収入でも赤字を免れる程度で純益1万ドルにとどまったのは興行的には失敗で(日本語版ウィキペディアに本作が「興行的には大成功を収めた」とあるのは誤り)、次作『キートンの決死隊』からMGMはキートン作品に27万ドル台の予算枠を敷くことになります。『ブロードウェイ・メロディー』はノー・スター映画ながら大量にダンサーを投入した音楽映画でサウンド技術だけでもトーキーの場合はサイレント映画より倍近い製作費がかかり、またサウンド・トーキー映画の音声ダビング技術が確立するのは'32年~'33年ですから(個別の例ではロイドが'29年9月公開の初トーキー作品『危険大歓迎』ですでに自作ではダビング技術を採り入れており、チャップリンサウンド版作品『街の灯』'31も音声ダビング技術によるものですから、ダビング技術自体は可能だったのですが、音声をダビングするという発想自体の定着に時間がかかったのです)、台詞が演技撮影と同時録音なのはもとより、歌唱シーンやミュージカル・シーン、ダンス・シーンのみならず、演技の背後に音楽が流れるのですらスタジオ内で生のオーケストラやバンドが光学録音式フィルムに同時録音していたのです。また映画がサウンド・トーキー化した結果、多くの映画は一種の沈黙恐怖症に陥りました。さらに西部劇などの遠景を多用するロケ撮影主体の作品はサイレント時代ならば音楽伴奏つきで上映されたのに、トーキー作品では台詞もなければ音楽もない場面が続く、という羽目になりました。これらは'32年~'33年にようやく不自然ではなく台詞や音楽をオーヴァーダビングする手法が浸透するまでサウンド・トーキー映画の足枷になっていたので、例えばキートンのトーキー長編は本作から'32年の『キートンの決闘狂』までフランス語版、スペイン語版が作られていますが音声のみのダビング差し換えではなくフランス語、スペイン語の台詞でまったく同じ映画を英語版以外に2ヴァージョン撮影する、というやり方です。俳優の台詞は舞台袖で別の俳優が台本を見ながら演技に合わせて吹き込むやり方で、外国語版はまた特別としてもこうした音声・音楽と撮影の同時収録の制限があったので、トーキー初期の映画はサイレント時代の円熟した作品の水準よりも一気に固定カメラによる間延びした映像、音楽伴奏によるサイレント映像よりももっと悪いムラのある音声・音楽という悪条件からやり直さなければならなかったのです。『ブロードウェイ・メロディー』'29は現在観るに耐えませんが翌年のアカデミー賞作品賞受賞作『西部戦線異常なし』'30はまだしもサウンド・トーキー作品として進展があり、またルビッチの『ラブ・パレード』'29やスタンバーグの'30年の2作『嘆きの天使』『モロッコ』はいかに時代の水準を抜いてダビング技術完成後のトーキー作品と言っても通る完成度をいち早く達成していたかがわかります。前2作『キートンのカメラマン』『結婚狂』ではキートンにアドリブ的な部分演出を任せていた監督のエドワード・セジウィックも、サウンド収録の制約上脚本から起こしたセットと演出、カメラを現場で変更しようもない撮影ではキートンにアドリブを任せる余地はなく、また映画自体もアニタ・ペイジとロバート・モンゴメリー(1904-1981、のち『湖中の女』'47、『桃色の馬に乗れ』'47を監督)のラブ・ロマンスにピエロの哀愁を漂わせるキートン、と喜劇映画なんだかバックステージものの人情ロマンスなんだか焦点の定まらないものになっています。フレッド・ニブロが実名で映画監督役でなかなかの役者ぶりを見せる場面などニブロ映画のファンには面白いのですが、楽屋落ち的楽しみで映画自体の面白さとは別です。前作に続き役名がエルマーのキートンはMGMでもサイレント2作『カメラマン』『結婚狂』ではキートン本来のキャラクター、逆境をあくまで生真面目に乗り切ろうとするキートンでしたが、本作では間抜けで頭が鈍いという戯画化された面が一気に強まってきました。それが次作『キートンの決死隊』以降はますます強まり、今日キートンのトーキー主演作品の評価が芳しくない理由にもなっているのです。

●7月15日(日)
キートンの決死隊』Doughboys (監督エドワード・セジウィック、MGM'30)*80min, B/W; 本国公開1930年8月30日 : https://youtu.be/MhlwbWtAvmQ (extract)

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○あらすじ(DVDジャケット解説より) 裕福な男エルマー(キートン)は百貨店に勤めているメリーという美しい娘に恋し、彼女を口説いていたが、いつも拒まれていた。その頃、アメリカはヨーロッパ戦争に参加。街頭では美しい娘達が義勇兵募集の声を上げていて、エルマーのお抱え運転手は兵士として軍隊に入隊してしまう。運転手を探すためエルマーは失業救済所へ訪れるが、いつの間にか入隊申込書にサインをし、彼は遂に軍服を着せられ入隊させられてしまうのだった……。あの名曲「雨に唄えば」をヒットさせたクリフ・エドワーズ共演作!キートンとの掛け合いは絶品!

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 MGMの吠えるライオンのTMタイトルの次に「Buster Keaton/in/Doughboys/Cliff Edwards/Buster Keaton Production」の1枚タイトル。映画は第1次世界大戦の出兵を見送る駅の風景からタキシードにシルクハットのキートンがヒロインのメリー(サリー・アイラース)に「つきまとわないで!」と肘鉄を食らわされている所から始まります。キートンは運転手が出兵するのを見送りに来ていたので、帰りはどうしようと近くの男に訊くと職安で探したらどうだと言われて職安に入って行きますが、入隊申込み窓口に並んでしまい事態を理解しないうちに新入隊者の中に押し込まれて新兵訓練所に運ばれてしまいます。キートンウクレレを持って入隊したネスコベック(クリフ・エドワーズ)ともども周囲から浮いて目立つ存在になり、また婦人部隊に志願して入隊していたメリーと再会して見直されますがキートンは入隊したつもりはまったくなく、何かの間違いだと思っています。新兵たちは鬼軍曹のブロフィ(エド・ブロフィ)に猛訓練を受けますが、ブロフィ軍曹もメリーに言い寄っていて、夜にメリーの宿舎を訪ねようとしてキートンと軍曹は鉢合わせしてしまいます。競ってメリーの宿舎に入ろうとしてキートンは軍曹に外に蹴り飛ばされますが、メリーは軍曹を今度来たら上官に報告すると追い出し、軍曹は腹いせにキートンを追いかけます。キートンエドワーズに通りすがりのメリーの姿を教えられますが、キートンは女はこりごりだと嘆きます。キートンの部隊はフランスへ出征し、ぬかるみで泥だらけになるだけのギャグが延々続き、キートンはメリーが軍曹と出来ているとまだ思っていて怒っていましたが、番兵の任で巡回中にメリーから軍曹の件は誤解と知らされて喜びウクレレを弾いて浮かれて寝ていた仲間に窓から追い出され、迷って若い娘のいる農家に入り込んでしまいます。キートンは懲戒されている所をメリーに見られてしまい面目を失います。何とか誤解を解いて和解したいというキートンエドワーズに、今夜の慰問劇の会で女装してメリーに近づくアイディアを授かり、エドワーズに女装支度をしてもらいます。そこで寸劇とダンスが長々続き、結局女装は何の意味もなくキートンが男性ダンサーにふりまわされている最中に兵舎は敵襲を受けますが、前線に出ようとするキートンはメリーとばったり会うもののやはりつれなくされてしまいます。先陣を切って敵陣に向かう任についたキートンは防毒マスクをつけ、匍匐前進で近づくも一周回って味方に捕まってしまいます。翌朝、敵陣に真っ先に入っていったキートンは手榴弾を投げ捨て味方の塹壕に放り込んでしまいますが、ドイツ軍の小隊にはキートンの家の元の使用人だった料理番のグスタフ(アーノルド・コルフ)がおり、小隊と友好関係を結んだキートンは食糧不足のアメリカ小隊のために食糧を分けてもらって戻り、その時包んだ紙が敵陣の戦略地図だったため軍功で一時前線からの休暇を与えられて兵舎に戻るとメリーの訪問を受けて誤解を詫びられます。そこに再び爆撃を受けたり屋根をぶち抜いてきた不発弾から逃げ出したりしてさ迷った二人はいつの間にかドイツ兵に囲まれキートンは銃剣を構えますが、グスタフが「休戦協定が成立しました」握手するキートンとグスタフ。「スタイヴサント社」のプレートが映り、ビジネススーツ姿のキートンがやはりビジネススーツ姿のエドワーズとともに世界初の純金ウクレレの完成を祝します。扉を開けて入ってくるドレス姿のメリーとしぶしぶ入ってくるブロフィ軍曹。そこにビルの外のドリル工事が映ってドリルの爆音に全員床に伏し、ちょうどメリーを抱きとめようとした勢いで突っ伏してブロフィ軍曹の上に倒れたキートン、「最後まで馬鹿にするつもりか!」とブロフィ軍曹が怒鳴って、エンドマーク。
 50万ドルの製作費をかけて興行収入90万7000ドル、純益では1万ドルの利益にとどまったという前作『キートンのエキストラ』に較べると、本作は27万6,000ドルの製作費で作られ、興行収入81万4000ドル、14万1,000ドルの純益をあげたことから、次作以降もキートンの作品は本作の製作規模を標準として作られることになりました。また本作は他の主要キャストに出番を奪われていた『エキストラ』よりはキートンが主演らしい映画になっていますが、不要なほどにウクレレ歌手のクリフ・エドワーズをフィーチャーした映画でもあって、MGMはグレタ・ガルボのようなシリアスな悲劇ヒロインのメロドラマでもない限りは、歌と踊りの少なくともどちらか(クリフ・エドワーズは隙さえあればウクレレを弾いて歌い、踊りの場合は当然音楽がつきますし、本作の場合は慰問劇の会で歌と踊りが延々続きます)があれば観客は喜ぶと考えていた節があって、本作も当時はバスター・キートン・プロダクション時代のサイレント長編の最大ヒット作すらしのぐヒット作になっていたのですからその点ではMGMの方針は間違いではなかったでしょう。しかしロイドのトーキー第1作『危険大歓迎』'29はオーヴァーダビングに経費がかかり98万ドル弱の製作費を費やしましたが興行収入300万ドルの特大ヒットとなり、トーキー第2作『足が第一』'30、第3作『ロイドの活動狂』'32とも製作費65万ドル、総興行収入は未発表ですが140万ドル以上の純益を上げており、ロイドの諸作は歌も踊りもない、自然にサイレント時代の作風をトーキー作品に発展させた(音を上手く使ったギャグや暗示、省略法が採り入れられた)ものでした。タイトル・クレジットに「バスター・キートン・プロダクション」とは入りながらも作品製作には何の権限もなくなっていたキートンとしては、転ぶとか滑るとかずぶ濡れになる、泥まみれになるといった次元で喜劇役者たらんと精一杯体を張っているのが痛々しくなります。本作はキートン初の第1次世界大戦ものですが、これもサウンド・トーキー映画になって世界スペクタクルとしてにわかにこの時期に流行ったものとはいえ、サイレント時代のチャップリンの傑作中編「担え銃」'18がある一方ロイドは戦争映画は作らず、キートンの戦争映画というと南北戦争もので蒸気機関車を描くのが狙いだった『大列車追跡』'27ですから、結局本作でもキートンらしい良さは生かされておらず、本作では実業家一家のお坊ちゃんエルマーが間違いで入隊してしまう喜劇映画で、MGMの考案した「間抜けで頭の鈍い」エルマー、というキャラクターをまたしてもキートンが演じさせられているだけで、キートン自身が生み出したキャラクターではないからわざわざ苦労して愚鈍なキャラクターを演じているキートンが見ていてつらい。ラスト・シーンのくだらなさ、つまらなさ(世界初の純金ウクレレ、「最後まで馬鹿にするつもりか!」)などかつてのキートンの名作の数々の品格を思うと、もう客層自体がMGMでは従来のキートン映画のファン層よりもぐっと低俗化した映画観客層に方針を定めたとしか思えません。MGM時代にキートンアルコール依存症は進む一方だったのが現在では知られていますが、一応ヒットはするがすぐにつまらない映画だったという評判しか残らなくなるような作品の連発が「キートンはトーキー作品では生彩を欠いていた、台詞回しが下手だった」という後年の定評になってしまったので、実際はそれ以前に映画自体がキートンの良さを生かせない、駄目な企画の作品ばかりの、キートンがどもってしゃべる台詞ばかりの安易で安っぽいキャラクター設定だったことに原因があります。それに甘んじていたキートンを責めるというのならまた別の話です。しかし、しゃべらないことがギャグであるようなキートンエド・ブロフィ、クリフ・エドワーズら共演コメディアンの台詞の山に埋もれているような作品でキートンに何ができたでしょうか。

●7月16日(月)
キートンの恋愛指南番』Parlor, Bedroom and Bath (監督エドワード・セジウィック、MGM'31)*73min, B/W; 本国公開1931年2月28日; https://youtu.be/lD8GrRhzrWY

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○あらすじ(DVDジャケット解説より) キートンに女難の相!?ブロードウェイコメディーを映画化した一作!ジェフリー・ヘイウッド(レジナルド・デニー)はヴァージニア(サリー・アイラース)と結婚したいと望んでいるが、思ったようにことが進まない。 ヴァージニアは母の遺言により彼女の姉アンジェリカが結婚しない限り、彼女も結婚ができないのだ。プレイボーイ好みのアンジェリカ(ドロシー・クリスティー)も男をえり好んでばっかりで、なかなか素直に結婚をしそうにない。ある日、ジェフリーは街で電柱広告屋のレジー(キートン)を車ではねてしまう。娘達の家へかつぎ込んだ時、ジェフリーはやり手の女性記者ポリー(シャーロット・グリーンウッド)の協力でレジーをプレイボーイに仕立てることにして、アンジェリカにけしかけるのだった。さらに夫と喧嘩して腹いせにキートンとデートに出かけた人妻ニタ(ジョーン・ピアース)が巻きこまれて、果たして恋のさやあては……?

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 1920年の同名原題メトロ映画のリメイク、そちらはエドワード・ディオン監督、ルース・ストーンハウス、ユージン・パレット主演で、もともと1917年のヒット舞台劇を映画化したもの。ルース・ストーンハウス主演のメトロ(メトロ=ゴールドウィン、メトロ=ゴールドウィン=メイヤー=MGMの前身)作品は大正時代に数本日本公開もされているようですが本作の'20年版は日本未公開、現在ではフィルム散佚作品になっています。他ならないキートン主演の初長編映画『馬鹿息子』'20がやはり'13年のヒット舞台劇を映画化したメトロ作品でしたから、一周回ってまた同じような企画の作品がキートン主演作として作られることになったので、これまでこの感想文は1度ざっと観直して楽しみ、メモを採りながらまた観る、というやり方で書いてきましたが、本作については1度観直したらとてもメモ採りのためにまた観る気になれませんでした。本作はいわゆるベッドルーム・コメディと呼ばれるような誤解と嫉妬と浮気をめぐる艶笑コメディの作りで、舞台劇原作をかなりそのまま生かした室内劇的な作りです。舞台は町の社交場になっているホテルとアンジェリカとヴァージニアのアーヴィング姉妹の家の2か所、ファースト・シーンはホテルのプールでヴァージニア(前作『キートンの決死隊』のヒロインを演じたサリー・アイラース)と恋人のジェフリー青年(レジナルド・デニー)が、結婚したいがアーヴィング姉妹の母の遺言で姉が結婚しないと妹の結婚が許されない、いつになったら姉のアンジェリカ(ドロシー・クリスティー)は結婚する気になるのだろう、「嫉妬させてくれるくらいのプレイボーイじゃなきゃ嫌だそうよ」と二人がプールの向こう側にいるアンジェリカを見ると、またボーイフレンドを振ったところです。ジェフリーは姉妹を車で家に送りますが、家から車を出す時に、電柱の広告貼り屋で家の庭先の電柱から姉妹の美しさに見とれてボーッと道に出てきたキートンを跳ねてしまいます。ジェフリーは慌ててキートンを姉妹の家で寝かせて医者を呼び、脳震盪で済んだキートンはほどなく意識を戻しますが、アンジェリカの美貌に見とれてボーッとしていたというキートンと話している最中にジェフリーは、キートンがアンジェリカを射止めたいなら、アンジェリカ好みの名うてのプレイボーイで、よその社交界からモテすぎて逃げてきた男、ということにする計画を納得させ、高級ホテル住まいにさせます。もちろんキートンは奥手で子供の頃に幼なじみの女の子とキスしそうになった程度の経験しかありません。見舞いに来るアーヴィング姉妹ともとても名うてのプレイボーイには見えない挙動で、ジェフリーに計画を聞いていたヴァージニアはキートンに無理矢理キスくらいしてみせなさいよ、とけしかけて自分が練習相手になると迫りますが、キートンは物おじしてできません。偶然その場を見てしまったアンジェリカは何がプレイボーイよ、偽者!と怒ってキートンを追い出します。見かねたジェフリーは友人のやり手の女性記者ポリー(シャーロット・グリーンウッド)にキートンにつきまとう愛人を演じてもらい、現場にアンジェリカを踏みこませる手段を算段します。一方ホテルには、キートンの幼なじみで夫がまた出張に出るというので怒って家を出てきた人妻ニタ(ジョーン・ピアース)がいましたが、キートンは突然の豪雨の中、偽の愛人役の女性との待ち合わせ場所に着くと偶然ずぶ濡れのニタがいて、ニタは再会を喜ぶごく普通のあいさつ文句を交わしますがそれがちょうど相手の確認と同じ台詞だったので君が相手だったのか、と自分の部屋に招きます。ニタが衣類をクリーニングに出してバスルームにいる間にポリーがやってきて、キートンはにっちもさっちも行かずニタをバスルームに隠したままポリーに手取り足取りプレイボーイの振る舞いを伝授されますが、さらにニタを追った夫まで押し入ってきます。……と、キートンの部屋でドタバタがくり広げられた挙げ句、最後に飛び込んできたアンジェリカが状況からキートンを名うてのプレイボーイと信じこんで「ダーリン!」とキートンに抱きつき、キートンが目を白黒させて、映画はエンドマークが出ます。
 本作は'17年のクリスマス・イヴから上演されてクリスマス・シーズンごとに再演され232公演の記録を作り、'30年になってもまだ再演されていたブロードウェイのヒット劇を、主演女優シャーロット・グリーンウッド(1890-1977)の出演料込みで6,000ドルで映画化権を取得して2度目の映画化になったそうですが、ホテルマン役でクリフ・エドワーズ、探偵役でエド・ブロフィと前作にも出ていた2人の他に実質的に主演男性俳優のレジナルド・デニーもコメディアンですし、とにかくキートン以外の俳優の台詞の山の中でキートンのすることと言えば本作でも走り回ったり転んだりと、もう本作の時点ではキートンが偉大な映画作家かつ喜劇俳優だったのを誰も覚えていなかったのか、キートン主演作品という扱いで邦題も『キートンの恋愛指南番』(実際は「恋愛指南番」をキートンにするのはシャーロット・グリーンウッドですが)でなければ本作は誰が特別な主役というのではなく、レジナルド・デニー演じるジェフリーとシャーロット・グリーンウッド演じるポリーが仕掛けた恋愛劇の取り違えのどたばた喜劇で、別にキートンが出演しなくてもいいような映画で、舞台劇原作だから別の役名ですがMGM作品のエルマー役のキャラクターだから本作のキートンの役もいっそエルマーにした方がまだすっきりするくらいです。もうMGMとしてはキートンのキャラクターは「エルマー」で、エルマー的なキャラクターが出せる企画ならキートンに持って来いだというのがルーティンになっていたとしか思えず、そんなエルマー役を演じるキートンの周りにばか騒ぎをする人物を配置すれば映画になる、と実に安直に考えていたとすれば本作はテレビがなかった時代のコメディ系のバラエティー番組みたいな作りで、MGM移籍後でも『キートンのカメラマン』『キートンの結婚狂』がまだしも佳作だったのはエドワード・セジウィック監督の演出ではなくセジウィックキートンを立てたからこそだったので、トーキーになってそうもいかなくなると何の創造性もない作品ばかりになってしまったのが、セジウィックキートンはウマのあう仲だったというだけによけいキートンも逆らわなかったのでしょう。また逆らったところで、かつてキートン・プロダクション時代でも戯曲原作の『セブン・チャンス』や『ラスト・ラウンド』をキートン映画らしく戯曲を改変したようには脚本権すら与えられていず、またトーキーの撮影システムでは演出のアドリブ的な提案も実現不可能とあっては手も足も出ないようなものです。名義上キートンがプロデューサー扱いになっていますが作品の損益だけ引き受ける保証人扱いだけでプロデュース権もなく、プロデューサー判断で監督や脚本に口出しすることもできない。『大列車追跡』や『蒸気船』で大赤字をだしたらから製作プロダクションとしてはキートン・プロダクションは立ちゆかなくなってしまいMGMの専属俳優になりはしたが出演作品の企画はおろか出演作品の選択権すら失い、トーキーになっては主演作品と言えるのかすら微妙な企画になってきた。本作は舞台劇時代のスクリューボール・コメディと言えるような作品を映画としては消化不良気味に、いかにも舞台劇の映画化然とした室内劇として展開したもので、室内劇を室内劇のまま映画化するのに問題があるのではなく場面場面がぶつ切れで何の緩急もついていなければサスペンスはおろか笑いすら生じないのですが、キートンが出ている場面であればと思ってもキートンがレジナルド・デニーやシャーロット・グリーンウッド、幼なじみの人妻役のジョーン・ピアースに振り回される場面ばかりでけたたましくせわしないことおびただしいのです。こんな作品でもキートンのサイレント作品をしばらく観ず、あまり観ないトーキー作品のキートンでも観ようかなとたまに取り出して観ると案外楽しく観られるのですが、今回みたいにサイレント時代から順を追って立て続けに観るのが良くなかったとしか言いようがありません。