人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アシュ・ラ・テンペル Ash Ra Tempel - ファースト Ash Ra Tempel (Ohr, 1971)

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アシュ・ラ・テンペル Ash Ra Tempel - ファースト Ash Ra Tempel (Ohr, 1971) Full Album : https://youtu.be/ZxUycrXb6eQ
Recorded at the Star Musikproduktion studio, Hamburg, March 1971
Released by Metronome Records GmbH, Ohr OMM 56.013, 1971
All Composed and Performed by Ash Ra Tempel
(Seite 1)
A1. Amboss (Ash Ra Tempel) - 19:40
(Seite 2)
B1. Traummaschine (Ash Ra Tempel) - 25:24
[ Personnel ]
Manuel Gottsching - guitar, vocals, electronics
Hartmut Enke - bass
Klaus Schulze - drums, percussion, electronics

(Original Ohr "Ash Ra Tempel" LP Liner Cover & Seite1/2 Label)

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 自分より5歳年長のメンバー2人と組んだタンジェリン・ドリームのファースト・アルバムから1作きりで脱退したクラウス・シュルツェ(1947-)が次に組んだのが、5歳年少のマニュエル・ゲッチング(ギター、1952-)、ハルトムート・エンケ(ベース、1952-2005)とのトリオ、アシュ・ラ・テンペルでした。このバンドの命名はディープなヒッピーだったエンケによるもので、灰(Ash)、太陽神(Ra)、神殿(Tempel)というコテコテのネーミングです。ゲッチングとエンケのこのバンドは'73年まで5作のアルバムをリリースしましたが、シュルツェの参加はこのデビュー作と第4作『Join Inn』'73の2作で、他の3作にはシュルツェは不参加ですし『Join Inn』は本作のリメイクというべき再会セッションの性格があり、AB面各1曲の構成も同じならA面はギター・トリオのパワー・セッション、B面はメディテーショナルなエレクトロニック・ミュージックで、楽曲としても同一です。もっともアシュ・ラ・テンペルは第1作~第4作までB面は全部同じというすごい実験派ロックなので、ゲッチングとエンケはこの間19歳~21歳ですが、若さと勢いに任せたアルバム制作でもあります。また'72年~'73年にかけてゲッチングとエンケ、シュルツェはOhrのサブ・レーベル、PilzとKosmische所属の男性フォーク・デュオのヴィットゥーザー&ヴェストルップ、ヘヴィ・プログレッシヴ・ロックのバンド、ヴァレンシュタインのメンバーとともに7作におよぶ「The Cosmic Jokers」セッションのアルバム('72年~'74年リリース)に参加していますので、この時期シュルツェとゲッチング、エンケはファミリーのようなものだったと見なせます。同じOhrのアーティストでもタンジェリン・ドリームのメンバーはコズミック・セッションには参加しておらず、これも年齢差による感覚の違いからタンジェリンのメンバーは加わらなかったと思えるので、シュルツェの身軽さが豊かな経験になったのがわかります。
 同じジミ・ヘンドリックス系ギター・サイケと言ってもタンジェリンのファーストとアシュ・ラ・テンペルのファーストでは大きな違いがあって、やはり'70年にデビュー作『UFO』を発表していたトリオ編成のグル・グルもいかれたジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのような音楽性でしたが、タンジェリンやグル・グルは'69年デビューのカン同様に30代のメンバーが始めたバンドで、ロックを始める前に現代音楽やジャズ界で活動してきたキャリアがあり、音楽的素養が豊富な分、音楽を突き放して構築する作業がカンやタンジェリン、グル・グルのロックを脱ロック的実験派ロックにしていました。それに対してゲッチングやエンケ、特にエンケはぶっ飛んだヒッピー気質で、この2人はアシュ・ラ・テンペルのファーストではまだ19歳だったこともあり、A面ではギター/ベース/ドラムスの即興ヘヴィ・ロックをとことんやる(1曲20分もやる)、B面ではピンク・フロイドの「A Soucerful of Secrets」のようなメディテーション・サイケをとことんやる(1曲26分もやる)、という具合で音楽的素養というのがロックしかない(しかも極端に浅くて、ジミ・ヘンドリックスピンク・フロイドくらいしか知らない)、そういう産物がエンケ在籍時のアシュ・ラ・テンペルでした。日本盤初発売がCD時代の'92年とずっと見送られていたのもこうしたアルバム内容のためです。エンケは'73年を最後にバンドを脱退し、その後ゲッチングのソロ録音を経て「Ash Ra」名義で再スタートしたゲッチングは、シュルツェに学んだ音楽性からミュージシャンシップの高いバンドを再編成しますが、エンケ在籍時のアシュ・ラ・テンペルの乗りははまると病みつきになるもので、知的に実験的ロックだったタンジェリンのデビュー作にも、野蛮の極みみたいな実験派ロックのアシュ・ラ・テンペルのデビュー作にもどちらもつきあえたところに、一見頑固なイメージのシュルツェの意外な柔軟性がうかがえます。

(Original Ohr "Ash Ra Tempel" LP Inner Gatefold Triptych Cover)

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