人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年11月22日~24日/サイレント時代のドイツ映画(8)

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 ここまでで24本の'26年公開までのドイツ圏映画を観てきたことになり、『プラーグの大学生』'13で始めたリストもリメイク版『プラーグの大学生』'26にいたります。ドイツ圏映画界は第1次世界大戦のため本格的な国際化は戦後のワイマール時代('19年~ナチス政権成立前の'33年まで)に立ち遅れるのですが、'13年~'19年は映画最先進国アメリカを含めて西欧諸国も長編劇映画の技法確立に向けての試行錯誤時代だったので、本格的な映画輸出へのタイミングにはドイツ圏映画はかろうじて間に合ったと言えます。フランス映画やイタリア映画、北欧映画は自国ローカルのヒット作と国際的ヒット作をともに放っていましたが、ドイツ圏の映画は大戦中自国の観客向けの映画しか作れなかった上、フランスやイタリアのように撮影に向いた日照の海洋国ではなかったので、セット撮影を重視して近代演劇運動を切り札に使っていた北欧映画の方向性に学んでいました。北欧映画がリアリズム表現とともに宗教的倫理感に基づく神秘性をテーマにしていたのに対して、ドイツ映画の地方性はリアリズム表現では土着的で派手さに欠けるという自覚があり、またドイツのロマン主義やメルヒェンからの神秘主義や幻想性、怪奇生活は反リアリズム的でもあったので、表現主義を映画に応用するのはドイツ映画ではたいへん応用の利く、重宝な発明になりました。輸出商品としての市場はヨーロッパ映画では映画先進国フランスやイタリアがリードしていましたが、もっぱら地の利を生かした史劇映画や活劇映画の大作、国際的名声を誇る舞台俳優主演作が主だったところに、ドイツ映画はセット規模は小さく、ロケーション撮影は乏しく、国内実績は十分ながらまだ国際的認知の小さいキャストで映画のアイディアに奇想を凝らすことで競争力を育て、またスタジオ技術・設備の発展に力を注いでフランスやイギリスの映画人を招聘して国際合作映画を作る(ヒッチコックの最初の2作『快楽の園』'25、『山鷲』'27はドイツ企画・撮影で主演にハリウッド女優を招いた英独仏合作映画です)、という具合に独自の競合力でフランス映画やイタリア映画を抜く国際性を獲得しました。'20年代後半にはドイツ映画がほぼアメリカ映画と並ぶ位置にいたのはラングの『ニーベルンゲン』、ムルナウの『最後の人』、パプストの『喜びなき街』、デュポンの『ヴァリエテ』などの国際的ヒット作が示す通りですが、ルビッチやパウル・レニを始めとして有力な監督・スタッフ・キャストが次々とハリウッドに引き抜かれるようになったのもこの時期です。またドイツ映画の国際化は一面手法の洗練がハリウッド映画に接近した結果とも見られるので、これはハリウッド映画・ドイツ映画に限らず映画技法の国際的スタンダードが確立しつつあったとも言えて、その点でもドイツ映画は表現主義時代から急激に脱却を迫られたと思われ、映画の流行サイクルの早さは今日との比ではなかった事情がうかがえます。今回の3作に加え残り6作で'20年代後半のドイツ映画を追うのは端折りすぎなのですが、取り上げられなかった作品の分も感想文でご想像いただければと思います。

●11月22日(木)
『ヴァリエテ 曲芸団』Variete' (監=E・A・デュポン、UFA'25.11.16)*112min, B/W, Silent; 日本公開昭和2年(1927年)5月20日(115分版)キネマ旬報ベストテン外国映画2位 : https://youtu.be/O9EQQF0LIJA

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 映画は「囚人番号28番を呼べ」と刑務所長に後ろ姿の囚人28号が呼ばれる場面から始まります。刑務所長の卓上の調査票、「恩赦の申告期限までに調書を作成せよ」。お前は収監以来10年間供述拒否しているというではないか、いい加減に何らかの供述をせよ、とうながす刑務所長に、「それはベルリンでのことでした……」と主人公が語り出すのが冒頭なのですが、ズーカー=ラスキ(つまりパラマウント)プレゼンツとタイトルに出る本作のアメリカ公開版の短縮再編集英語ヴァージョンをマスターにした現行日本版ソフトの57分版はオリジナル本国公開版の112分からも、なぜか本国版より少し長い版(数カットか字幕タイトルの分でしょうが)が回ってきたらしい日本初公開時の112分版からもおよそ半分の長さにされたヴァージョンで、レストア輸入ソフトではオリジナルに戻されていますが日本版ソフトは逆にアメリカ公開版の短縮版しか出ていない状態です。パプストの『喜びなき街』'25もオリジナル本国版の半分以下の長さのMGM再編集版アメリカ公開ヴァージョンがアメリカではヒットしましたが、本作もアメリカ公開版のヒットによってその後アメリカ公開版の短縮版の方がスタンダードになっていた時期が長く、サイレント時代の古典のオリジナル復原レストアが本格化したのはようやく21世紀でDVDソフト市場に需要が見こめるようになってからですから(ヴィデオテープ、レーザーディスクはソフトが高価につきすぎました)、パブリック・ドメイン作品の商品化にはまだレストア以前の版をマスターにして済ませるVHSテープ、LD時代の旧弊な慣習が残っています。カール・Th・ドライヤーやフリッツ・ラングら別格扱いの監督の作品にはレストア版の日本発売がされていますが、高価な価格設定の上に追加プレスされず中古盤価格が高騰し、一般的にはサイレント作品の数々を良質なレストア版(またはストレートな現存プリント起こし版)で観るには輸入ソフトに頼るしかないのが現状です。『喜びなき街』の場合は二人のヒロインの話が平行プロットでさらに社会劇的側面があるのをグレタ・ガルボ主演のプロットに絞った結果の半分以下の短縮版でしたが、『ヴァリエテ 曲芸団』の短縮版は、以下に日本初公開当時のキネマ旬報近着外国映画紹介の通りのあらすじから言えば、主人公の元サーカス団長(エミール・ヤニングス)と駆け落ちした若い愛人ベルタ・マリー(リア・デ・プティ)の空中ブランコ乗り芸人コンビがベルリンのサーカスで職に就いたところから始まります。つまりサーカス団長のヤニングスがコンビを組んでいた古女房からサーカスに拾われた孤児の娘が成長するにつけ心を奪われ、自分のサーカス団と女房を捨てて愛人の娘と駆け落ちしてくるまでに当たる映画前半1時間がごっそり削られて、映画後半の曲芸師アルチネッリとの三角関係の痴情悲劇メロドラマだけを採った短縮版になっており、『喜びなき街』もそうですが『ヴァリエテ』も短縮版はそれなりに過不足ないまとまりの良い出来になっているのが短縮版の流通して淘汰されなかったゆえんでもあり、監督E・A・デュポン(1891-1955)は'18年に監督デビューしたヴェテランですが、本国最大かつ唯一のヒット作になったのが第23作目の本作で、本作の実績からハリウッドに招かれて撮った『我が命君に捧げん』'27がヒットせず1作きりでイギリスに渡り、ハリウッドの中国系女優アンナ・メイ・ウォンを主演に撮った『ピカデリィ』'29がイギリス映画史上の名作視されていますが、ヴェテランで逝去前年まで54作を残した多作家なのに成功作は国際的にも『ヴァリエテ』だけ(とせいぜいイギリスのみで『ピカデリィ』)、それも流通過程で半分程度の短縮版の方が多く出回っている、不遇なのか幸運だったのかよくわからない監督です。本作がキネマ旬報外国映画ベストテン2位に輝いた年の1位は『第七天国』'27で、田中純一郎氏の『日本映画発達史』によると昭和2年日本公開の外国映画は『第七天国』『ヴァリエテ』が人気を二分したそうですからこの1作だけは間違いなく映画史に残り、またヨーエ・マイやリヒャルト・オズヴァルトらドイツ映画第1世代の監督に続くルビッチ(1892年生まれ)やラング(1890年生まれ)と同世代のワイマール時代ドイツ映画の代表的監督なのですが、映画進出が遅かった演劇畑出身のパプスト(1885年生まれ、'23年監督デビュー)よりも映画監督としての感覚は古く、ルビッチやラングほどの自己革新力は持たなかった監督と見られます。しかしデュポン作品全54作を観る機会でもあれば嫌でもないので、『ヴァリエテ』を観ると『最後の人』や『喜びなき街』、アメリカ映画ですがスウェーデンのシェストレム監督作『殴られる彼奴』'24の影響が早くも反映しているのがわかる。そういう素早い器用さと朴訥な感覚の折衷が良い具合に相乗効果をもたらしたのが本作であることがわかります。これも初公開時のキネマ旬報近着外国映画紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ] 嘗て「ホワイト・チャペル」「アルゴール」を監督したE・A・デュポン氏の出世作で、氏自らフェリックス・ホレンデル氏作の小説を骨子として執筆したもの。主役は「最後の人」「パッション(1919)」「ファラオの恋」等出演のエミール・ヤニングス氏で「マルヴァ」「サタンの嘆き」等出演のリア・デ・プッティ嬢、「ありし日のナポレオン」出演のウォーウィック・ウォード氏及び「最後の人」出演のマリー・デルシャフト嬢が共演している。無声。
[ あらすじ ] かつては空中で離れ業を演じた一廉の曲芸師の団長(エミール・ヤニングス)は、女房(マリー・デルシャフト)が肥って体重が無闇に重くなって空中曲芸ができなくなったので、ハンブルグで船乗り相手のちっぽけな見世物小屋をやっていた。ある日、一人の水夫が可愛らしい娘を連れて来て、母親に死なれて身よりのない娘だというので団長はその娘を引取って世話してやることになった。娘はベルタ・マリー(リア・デ・プッティ)と呼ばれ非常に美しかった。団長の小屋で彼女が踊ることになると多勢の船乗り達は先を争って舞台の前に集まった。空中曲芸で昔鳴らした団長は機会さえあれば今一度お客達に手に汗を握らせて見たいと空想しているところだったので、艶麗なベルタ・マリーの肢体は団長の野心を少なからず刺激した。それのみならず世帯染みた女房に比べると眼も醒める許りの水々しいベルタ・マリーの若さと美しさとは男としての団長の欲情を波立たせずには置かなかった。かくて遂に団長は女房を置去りにしてベルタ・マリーと駈落ちした。ベルリンに来た二人はウィンター・ガルテンで空中曲芸師のアルチネーリ(ウォーウィック・ウォード)と一緒に働くことになった。その内に年も若く男振りも良いアルチネーリとベルタ・マリーとが恋を語るようになった。中年にして恋の奴となった団長は激しい嫉妬の炎に胸を焼き、アルチネーリに果し合を迫り恨みの刃を若者の胸に刺し貫いた。そして団長は潔く自白した。裁判の結果彼は無期徒刑に処せられた。
 ――本作を全長版で観るならアメリカのKino社の「Kino Lober」シリーズやCriterion社の「Criterion Collection」、Image社やFlicker Alley社と並ぶ古典映画復刻レーベル、イギリスのEureka!社の「Masters of Cinema」のDVD/Blu-ray2コンボ版のレストア修復版が画質、彩色、音楽とも最良のパッケージですが、アメリカ公開の再編集短縮パラマウント配給版をマスターにした日本盤(IVC社)は57分、映画冒頭の供述場面からいきなりオリジナル版では映画後半の主人公と若い愛人の駆け落ち後の蜜月時代から始まる版ながら、淀川長治氏晩年に撮られた3分間の解説口上だけでも併せて見ないではいられません。淀川氏は日本版ソフトが前半を切った短縮版であることを薄々臭わせた上で後半の見応えを的確に語っており、ヤニングスの野暮ったい親父くささ、容貌はごく平凡でぽっちゃりして洗練されていないが作為なしに現実的な女臭さを強烈に放つリア・デ・プッティの官能的魅力を指摘し、解説にもっと時間があれば本作製作前に見世物小屋の仕事をする機会があったというデュポンの見世物小屋の描き方、『最後の人』に続いてカール・フロイントが手がけた素晴らしい撮影も語ってくれたでしょう。ロン・チェイニー主演のサーカス物『殴られる彼奴』'24ではチェイニーはサーカスの道化師ですが『笑え、道化師よ笑え』'27ではロープ曲芸もする道化師になっていて、『ヴァリエテ』のサーカスの描き方に大ヒット作『殴られる彼奴』の影響は当然あるでしょうが、『笑え、道化師よ笑え』には『ヴァリエテ』からの逆影響があります。もちろんチャップリンの『サーカス』'27という金字塔もありますが、見世物小屋と情痴ドラマという組み合わせで後世まで広い影響力を持った範例になったのも本作の功績で、'35年にも本作は独仏合作でトーキー・リメイクされています。ヒロインはアナベラ、殺される色男曲芸師役はジャン・ギャバン(ドイツ語版は別の俳優)で、ギャバンは同年デュヴィヴィエの『白き処女地』『ゴルゴダの丘』に続く出演で、リメイク版『ヴァリエテ』で共演した事から次作はアナベラ主演作『地の果てを行く』になり、ようやくギャバンの名前がクレジットのトップになる『我等の仲間』'36に続きます。話が逸れましたが淀川氏の指摘通り本作は所帯じみた泥臭さに人間味とエロティシズムがあり、それを鮮やかなカメラワークでとらえていて、見事な構図、無駄なく鋭いカット割り、手持ちカメラによるショットなど主に室内劇映画としてドイツ映画が磨いてきた手法が実験性よりも腰の据わったリアリズム映画に結実しています。全長版と観較べると中年男もサーカス団長が糟糠の妻を捨てて若い愛人と駆け落ちするまでの前半1時間があるのとないのではリアリズムの深度にやや違いがあり、全長版の自然主義と後半だけの三角関係に絞った愛欲悲劇では主人公の運命の変転にも見方が変わってくる部分があります。ドイツ本国で大ヒットし日本でもキネマ旬報第2位になったのは全長版、即座にデュポン、ヤニングス(第1回アカデミー賞主演男優賞を受賞しますが、英語は堪能でなかったので映画のトーキー化とともに帰国します)とリア・デ・プッティをハリウッドに招いたほどアメリカで大ヒットしたのが57分版、という区別で、本作については両ヴァージョンがともに独自の存在価値があるでしょう。ヤニングスが血に染まった手を洗面台で洗い流すショットなど、本作はのちのフィルム・ノワール作品まで深く浸透したイメージが頻出する重要な作品でもあるのです。

●11月23日(金)
『心の不思議』Geheimnisse einer Seele (監=G・W・パプスト、UFA'26.3.24)*97min, B/W, Silent; 日本公開昭和3年(1928年)4月5日(95分版) : https://youtu.be/aYoXy3bYD1k

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 これはヒッチコックの『白い恐怖』'45のまるっきり元祖的作品ではありませんか。『白い恐怖』は今年初めに観直したばかりなので記憶に新しく、トリュフォーは『映画術』の注釈で『白い恐怖』は同じセルズニック製作のイギリス映画でシドニー・ボックス監督作『第七のヴェール』'44影響下の作品と見ていますが、昔何となくドイツ表現主義映画として観ていた『心の不思議』は合理的な精神分析学的ニューロティック・サスペンス映画の開祖でしょう。頽廃都市リアリズム映画『喜びなき街』'25の監督だけあってパプストは主人公の悪夢や幻覚・妄想描写や、主人公の主観によって異様な構図の映像が頻出する場面には表現主義的手法を使っていますが、それらはすべて合理的な精神分析学的解決がつくことになっており、本作は明快に現実的解釈に帰着する喩法の映画になっています。具体的には隣家で起きた強盗殺人にショックを受けた化学者の男(ヴェルナー・クラウス)が内心で抱いていた妻(ルート・ワイヤー)との間に子供ができない落胆、妻と幼なじみの海外赴任中の従兄弟(ジャック・トレヴァー)の帰国に妻と従兄弟には不貞があるのではないかという疑惑、メイド(レナーテ・ブラウゼヴッター)や研究助手(ヘルタ・フォン・ヴァルター)から笑い者になっているのではと女性全体への劣等感、そうした内面の苦しみから妻を発作的に刺殺してしまうのではないかという恐れが主人公の日常生活をどんどん病的にしていき、ついに剃刀はおろか食卓のナイフすらさわれないほどにノイローゼが進行した時に知遇を得た精神科医によって誘導質問による記憶や連想、夢や日常生活全般の心理分析を受け、前記のような識域下の不安や疑念、精神状態が判明して主人公は回復し、従兄弟への嫉妬は妄想なのを自覚し、エピローグでは赤ん坊に恵まれた主人公夫妻が描かれます。'20年代ですからまだ電気ショック療法や脳生理学による薬物治療法はなく、環境隔離(サナトリウム)治療や認知療法(精神分析療法)が限界だった時代です。'10年代~'30年代にサナトリウム療法や認知療法は専門医が少なく富裕層やその子息・子弟しか受診できる経済力はなく、そうした富裕層は社会的地位も学歴も高いのでサナトリウム療法・認知療法にもある程度有効性はありました。当時の症例には同性愛や近親相姦が多いなど閉鎖的な富裕層特有の偏差があり今日必ずしも一般的ではありませんし、認知療法の効果は患者本人が理解すれば完治するほど安易でも絶大でもありません。「深層心理を描いた映画」に良い映画などなく、深層心理などというものについて言うなら映画の登場人物は自身の心理に無自覚なほど観客の内面に踏みこんでくるので、後世のベルイマンフェリーニに露骨な失敗作が多いのは登場人物自身が自己分析的なせいで映画自体の喚起力がかえって弱くなってしまっているからであり、一見ベルイマンフェリーニに似てアントニオーニが際立っていたのは登場人物の無軌道な言動についても分析性が皆無だったからです。本作を公開時のキネマ旬報近着外国映画紹介では「学術的興味と探偵趣味とを盛った」としていますが、精神分析学は当時の学術的新思潮だったのでこの評価基準は妥当でしょう。引用しておきます。
[ 解説 ] ドイツ精神病学の泰斗フロイト博士の学説を骨子としてコリン・ロス氏とハンス・ノイマン氏が書卸した物語によって「嘆きの巷」と同じくG・W・パブスト氏が監督した学術的興味と探偵趣味とを盛った映画である。主役は「カリガリ博士」「タルチュフ」等出演のヴェルナー・クラウス氏が演じ、「戦く影」「真夏の夜の夢(1925)」出演のルート・ワイヤー嬢を始め、イルカ・グリュニング嬢、パウエル・パウロウ氏が助演している。無声。
[ あらすじ ] 健全な頭脳を持ち平和な家庭の主人公であった中年の化学者(ヴェルナー・クラウス)は、ある夜隣家に起った殺人事件が動機となって、次第に精神上に恐るべき変化を起し始めた。彼は美しい自分の妻(ルート・ワイヤー)に疑いを持ち出し、奇怪なる脅迫観念に襲われ、遂には、その苦痛に堪うる能はずして、我と我が生命を断とうとまでも決心するに至った。この時依頼をうけて、この化学者を診察した医師(パウエル・パウロウ)は、その病症を精神上の疾患と診断し、フロイト博士の有名な「心理解剖」の理論に従って研究をすすめた。その結果患者の心の中に巣食う潜在意識や、その他病源と見るべきもろもろの不可思議な観念の姿が剔出され、分析され、整理されて、化学者の病気は忽ち快復した。
 ――筋立てはそんなもので、見所はだんだん昂揚していく主人公のノイローゼ状態を追う詳細な描写、主人公の状態では本当に妻と従兄弟に不貞があり(マゾヒズム的な夢のシーンが日本公開ではカットされたそうです)、メイドや研究助手に冷笑されている妄想が現実感を持って伝わってくるところで、地中から塔が生えて主人公が塔外壁の螺旋階段を登る、すると三つの鐘が鳴りながら揺れていて主人公を冷笑するメイド、妻、研究助手の生首に見えてくる、という悪夢が2度くり返されます。従兄弟は貿易商なのですが従兄弟から贈られてきた異郷のトーテム像が主人公の意識を強迫する。従兄弟と妻がジャングルの中の川をカヌーで去っていき、妻は従兄弟に赤ん坊の人形を渡す。こういったことも妻が帰国した従兄弟と自分たちが子供だった頃の記念写真(少女時代の妻が赤ん坊の人形を抱いており、ふと従兄弟に人形を渡した時に嫉妬を覚えたのが現実に子供に恵まれない現在に拡大投影された)という具合に伏線を張った上で主人公の心理分析ですべて解明される段取りになっています。クラウスと妻、従兄弟が同年配に見えないのが少し無理ですが、そこは映画ですから突っこまないことにします。ヒッチコックの『白い恐怖』も精神分析による解明で完全に辻褄が合った上に主人公の精神的危機が解決するのか、とはなはだ疑問でしたが、『白い恐怖』や本作の場合はキネマ旬報の解釈通り「学術的興味と探偵趣味とを盛った」合理性で良しとすべきで、トリュフォーは『白い恐怖』をヒッチコック御大に「何度観ても話がよくわからない」「好きになれない」「グレゴリー・ペックが良くない」とこぼし、「あれでも苦心して撮ったんだよ」と御大も苦労話で弁解しているくらいですが、『心の不思議』はそういう点では『白い恐怖』より良く出来ていて、主人公は『白い恐怖』のように他人の陰謀に利用されているのでもなければ、隣家の強盗殺人から始まりこそしますが精神的危機に陥った主人公が破滅する前に救済される話ですから余分な要素もありません。ヒッチコックは悪乗りしてヒロインのイングリッド・バーグマンの心理描写にも「精神分析学的喩法」を使って(ペックとの初めてのキスに、バーグマンの脳裏に次々と奥の間へとドアが開いていく光景がよぎる。トリュフォーはこれを絶賛しています)おり、『白い恐怖』はそれ自体は面白い映画ですし影響力も強い作品になりましたが、あまり良い作例とは言えないでしょう。パプスト作品を当時新進監督でドイツの撮影所で映画を撮っていたヒッチコックが観ていないとは思えず、技法以外には自作と共通点のないムルナウの『最後の人』を影響された映画に上げるヒッチコックがあえて『心の不思議』を上げない気持もわかりますが、パプストが面白いのは一旦『喜びなき街』ほどのリアリズム映画を作っているのに、表現主義的手法を使いながら全部現実に回収してしまう本作の趣向を思いついたことです。本作を嫉妬による悪夢と幻覚から錯乱の挙げ句自滅する夫の話にすればそのまま表現主義映画になってしまうので(アメリカのKino社では本作を表現主義映画のシリーズでレストア復刻しています)、本作の結末は取って付けたようなホームドラマ的ハッピーエンドなのも皮肉な小粋さがあり、小品の観はありますがやはり感覚と腕前には異彩を放つ才気が感じられます。ヒッチコック同様、パプストだって精神分析学がこんなに調子の良いものだとは全然思っていないでしょう。迫力は『白い恐怖』の方が上ですが、辻褄合わせの巧みさとエンターテインメントとしての消化、先駆性では『心の不思議』の方が勝るのではないでしょうか。

●11月24日(土)
『プラーグの大学生』Der Student von Prague (監=ヘンリック・ガレーン、Sokol-Film'26.10.25)*91min, B/W, Silent; 日本公開昭和3年(1928年)1月(116分版) : https://www.youtube.com/playlist?list=PL9CD1086D64EC5843

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 本作の時代設定は1826年、これは'13年のパウル・ウェゲナー監督・主演版『プラーグの大学生』に合わせたというよりこのリメイク版からちょうど100年前としたのでしょう。主演のコンラート・ファイトはウェゲナーのマックス・ラインハルト門下生の後輩に当たり、監督のヘンリック・ガレーンはウェゲナー主演・監督の『巨人ゴーレム』'15/'20でウェゲナーと共同脚本を勤めており、『吸血鬼ノスフェラトゥ』'22、『裏町の怪老窟』'24の脚本家を経て監督になった人です。『プラーグの大学生』はさらにシカゴ出身の異色監督で表現主義無字幕映画の傑作『戦(おのの)く影』'23を代表作とするアルトゥール・ロビソン(1883-1935)の遺作として'35年のトーキー版がありますが、歴史的価値では'13年版、作品としてはヘンリック・ガレーン監督でコンラート・ファイトが主演、ファイトの影(鏡像)を買う金貸しスピルネルリ役にヴェルナー・クラウスと『カリガリ博士』'20の悪役コンビが再共演したこの'26年版がサイレント技法の円熟期の名作と名高く、ロビソン版を未見で言う(ましてや『戦(おのの)く影』の監督の遺作)のも何ですが、やはり『プラーグの大学生』はサイレント種だしな、と思えます。一応時代劇ですがやはり時代劇の『ノートルダムのせむし男』や『オペラ座の怪人』のようなトーキー・リメイクにするにはスペクタクル性が乏しい。チャールズ・ロートンのせむし男やクロード・レインズの怪人も本家ロン・チェイニーには及ばずともなかなかだったので、その点も大学生役が無理があった舞台名優ヴェゲナーよりも万年青年的なファイトの方が役柄は合っていて、スピルネルリ役がクラウスなのはもちろんはまり役です。出来れば'19年か'20年のより若々しいファイトならもっと良かったと思いますが、まだオリジナルから早すぎたのでしょうか。時代設定が100年前の1826年なのは封切り決定時の完成字幕で間に合いますから企画・製作~完成から公開まで遅延期間があった可能性も映画にはありますし、本作の場合も実際の企画・製作~完成がいつ頃か情報がありませんが、俳優の知名度からすれば(ファイト、クラウス以外もロングランヒットしていた舞台版で知名なキャストになるそうです)当時の通常のドイツ映画のように製作決定は遅くても1年前~半年前、封切り月の2か月前に2~3か月の製作期間で完成だったでしょう。つまり'26年初頭~春に企画段階で製作中止になったなら着手されなかったはずなので、ドイツ映画の古典として浸透している『プラーグの大学生』のリメイクとしても1926年らしいアップ・トゥ・デイトした内容にしようという配慮は十分払われていると考えられます。'13年版は多重露出のトリック撮影による一人二役やジャンプカットの多用で神出鬼没な主人公の影(鏡像)の「分身」を表現していましたが、本作が『カリガリ博士』がヒットした'20年2月~'24年内までの企画・製作だったら表現主義映画の手法を採っていた可能性は非常に大きかった、しかし'24年末の『最後の人』公開で表現主義映画はピリオドを打たれたと言えるので、表現主義的手法は『喜びなき街』'25や『ヴァリエテ』'25のように『最後の人』を濾過した部分的技法に留まるようになりました。ヴェルナー・クラウスとコンラート・ファイトはドイツ表現主義映画の看板俳優というべきスター俳優でしたが、同時にポスト表現主義を担う実力派俳優でもあったので、物語は長編映画らしい人物配置により周到になっていますが、時代劇である本作ではロマン派の時代の中期に当たる1820年代中葉の時代色以外は誇張をなるべく抑えた、演出と映画全体は'13年版よりもある意味地味で渋い線を狙った作品に仕上がっています。なお本作のキネマ旬報近着外国映画紹介で「蝋人形の箱」と作品名が書かれているのは『裏町の怪老窟』'24のことで、同作は大正14年('25年)9月日本公開なのに統一していないのは当時の紹介の落度ですが、映画界の代謝速度は速いので改元を挟んだ3年前の公開映画などすぐに出てこなかったのかもしれません。『タルテュッフ』'26などは昭和2年11月公開ですがここでは『タルチュフ』になっています。また主人公の貧乏大学生はプラーグの街1のフェンシングの達人なのですが、あらすじで「剣道」としているのはレスラーを「相撲取り」と訳すようなものではないか。本作の場合決闘相手を殺傷しているのでこれを「剣道」では具合が悪いでしょう。引用しておきます。
[ 解説 ] かつてパウル・ウェゲナー氏とリダ・サルモノヴァとを主役として映画化せられた事のあるハンス・ハインツ・エーヴェルス氏が伝説に取材した物語を、「ユダヤの娘」の監督者として我国には知られているヘンリック・ガレーン氏が脚色監督して再び映画化したるもの。主役のプラーグの大学生には「カリガリ博士」「蝋人形の箱」等出演のコンラート・ファイト氏が扮し、それを助けて「ナポレオン」出演のアグネス・エステルハツィ嬢、「オセロ(1922)」「タルチュフ」出演のヴェルナー・クラウス氏、「ダントン」「オセロ(1922)」出演のフェルディナンド・フォン・アルテン氏、それに新顔のエリッツア・ラ・ポルタ嬢等が出演している。(無声)
[ あらすじ ] プラーグの大学生バルドゥイン(コンラート・ファイト)は同大学第一の剣道の達人であったが、貧困は常に彼を苦しめていた。そして彼は花売娘リデュシュカ(エリッツア・ラ・ポルタ)に慕われてはいたが彼はそれを顧みようともしなかった。ある日怪しげな金貸スカピネルリ(ヴェルナー・クラウス)が現れて彼を誘った。そして金を貸そうと申し出た。その一方スカピネルリは妖術を使って伯爵令嬢マルギット(アグネス・エステルハツィ)が兎猟の一行をバルドゥインの近くへとおびき寄せ、マルギットと彼とを行きあわせた。会った二人は互いに恋を感じた。令嬢と近附きになる為にバルドゥインは益々金の必要に迫られた。それにつけこんでスカピネルリは、彼に数万の金を与え、その代憤として鏡に映る彼の影を奪い去った。それ以来バルドゥインには影が失われた。しかし令嬢マルギットとの恋は益々芽生えて、彼は幸福に身をひたす事が出来た。しかもその幸福は長くは続かなかった。彼から去った影は忽ち現れて彼を脅かした。のみならず影はマルギットの許婚(フェルディナンド・フォン・アルテン)と彼の代わりに決闘してそれを殺した。人々はそれをバルドゥインの所為と思った。が、バルドゥインは人々に己の無罪を云い解く術がなかった。もしそれを云い解こうとすれば、彼は己が悪魔に影を売った事を人々に告白しなければならなかった。そして人々は次第に彼から離れ、彼を罵る様になった。バルドゥインは斯くして絶望と破滅にその身を惰した。影はいよいよ彼の行く手の至る所に現れて彼を呪った。死物狂になったバルドゥインは遂に最後の力をふり絞って己の影を狙撃した。そして影は再びバルドゥインの許に帰って来た。が、その時はバルドゥインの死ぬ時であった。バルドゥインの影に向かって発った弾は自らの胸元を貫いた弾であった。そして彼は再び立帰って来た己の影に最後の笑を漏らして息をひきとったのであった。
 ――'13年版では主人公が倒れて死んだ後に「ファウスト」で言えばメフィストフェレス的人物のスカピネルリが契約書を破りに来て終わりますが、このリメイクではヴェルナー・クラウスが出てくるかなと思うとスカピネルリの再登場で締めくくる下げはありません。表現主義映画としてリメイクされた『プラーグの大学生』もあっても良かったと思いますが、表現主義とはシュルレアリスムサイケデリック文化みたいなものでもあったので、ロマン主義自然主義リアリズム、象徴主義ほど広範な応用範囲や根源的な発想ではなかったとも言え、早い話意匠性の高さが表現主義の基準であってロマン派的表現主義(『死滅の谷』『戦く影』など)もあれば自然主義表現主義(『朝から夜中まで』『蠱惑の街』など)もあり、象徴主義表現主義(『除夜の悲劇』『裏町の怪老窟』など)もあった、と言えます。『プラーグの大学生』の題材は'13年版映画のために演劇畑出身の作家ハンス・H・エーヴェルス(1878-1943)が書き下ろした小説で(脚色は監督・主演のヴェゲナーと共同)、ゲーテ(1749-1832)の『ファウスト』(第1部1808年、第2部1831年)の原典でもあるファウスト伝承とE・A・ポー(1809-1849)の短編「ウィリアム・ウィルソン」1839を下敷きにしたものです。しかし老人が人生をやり直す取引を悪魔と結ぶファウスト伝承と較べると裕福な貴族令嬢の心を射止めるために影(鏡像)を売って金を得る貧乏平民大学生の話、というのはいかにもスケールが小さく、どのくらいの現金かわかりませんが階級格差だけでも交際の望みはまず皆無なので、影くらいなら大過もなかろうと売ってしまう気楽さも迂闊ですが影が分身化して勝手に振る舞い始める、という方に奇想の重点はかかっています。そこが多重人格の自分の分身に翻弄された挙げ句刺殺してしまう「ウィリアム・ウィルソン」から敷き写した部分で、全体的にはファウスト伝承より「ウィリアム・ウィルソン」の翻案と言えるものになっていますが、『プラーグの大学生』がサイレント時代までの題材だろうというのは、『狂へる悪魔』'20を始めとしてその後も何度も再映画化されるスティーヴンソン(1850-1894)の『ジキル博士とハイド氏』1886のような多重人格テーマの方が超自然的要素が少なく怪奇性も効果的なので、多重人格テーマのヴァリエーションは数々作りやすく、変身人間ものはほとんどそうですから、『プラーグの大学生』のような設定は古びてしまったとも言えます。コンラート・ファイトの一人二役は鋭い眼光や表情などさすがですが、一人の人物の中に潜む矛盾した性格の苦悩の表現なら同時代のロン・チェイニー映画の方が映画表現としてもリアリティも圧倒的に軍配が上がる、と言わざるを得ません。善悪両極の追求においてこの原作設定には限界があり、チェイニー映画のように報われない愛の苦悩にも届いていない。ファイト、クラウスほどの名優、ガレーンほどの映画人による脚本・監督が表現主義以降の堅実な映画作りに成功しても、ドイツ映画にまだ余分だったのが空想的な怪奇性だったように思えてきますし、そうした意味では本作は時期的にもぎりぎり間にあったリメイクだったとも思えます。