人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年12月19日~21日/初期短編(ミューチュアル社)時代のチャップリン(7)

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 ミューチュアル社第1・2作「チャップリンの替玉」「チャップリンの消防夫」をあえてデビュー年'14年に所属したキーストン社(マック・セネット)の集団ドタバタ劇の手法を新味のある趣向で作り直した作風(古い酒を新しい器に注ぐ、の趣きです)で始めたチャップリンは、その2作の大ヒットはさも当然という風にメロドラマを骨格にしたコメディの画期的な短編「チャップリンの放浪者」でのちの絶頂・円熟期の中編・長編時代の足がかりとなる作風の雛型に到達します。これは爆笑コメディをチャップリンに期待する観客への挑戦でもあれば主流ドラマの映画に互して高度に感動的な映画も作ってみせる、映画界全体へのチャップリンの自負の顕れでした。チャップリンはこの時のために放浪紳士チャーリーとヒロインのエドナ・パーヴィアンスのキャラクターを定着させてきたとすら言えて、それまでのチャップリン=パーヴィアンス作品の累積によって2巻ものの短編に長編の重量を与えることができたのです。チャップリンはほぼ2、3作単位で企画を立てて製作していた様子はエッサネイ社での諸作からも公開順に観直すと気づかされますが、「チャップリンの放浪者」に続く3作もまた大ヒット作となり初期短編時代のチャップリンを代表する名作・秀作揃いで、しかも「チャップリンの替え玉」「チャップリンの消防夫」のキーストン社風とは違う、時に実験的ですらあるチャップリンの独創的なセンスが発揮された、コメディに徹した短編が第7作「チャップリンの舞台裏」、第8作「チャップリンのスケート」(よりひねった形で第9作「チャップリンの勇敢」、第10作「チャップリンの霊泉」)まで続きます。チャップリンの作風がいよいよファースト・ナショナル社~ユナイテッド・アーティスツ社時代の本格的なドラマ構成に向かう勝負作がミューチュアル社の最後の2作、第11作「チャップリンの移民」、第12作「チャップリンの冒険」で、「チャップリンの放浪者」を継ぎさらなる飛躍を感じさせるもので、チャップリンの自己プロデュース力とそれを実現できた実力・人気はチャップリン以降のコメディアンでは優秀な専任チームによって大ヒット作の名作を連発したハロルド・ロイドしかおらず、しかも後輩ロイドが自己のキャラクターを確立したのは'18年後半でそれまではチャップリンの亜流の放浪紳士キャラクター「ロンサム・リューク」として年間40編~50編を濫作しており、気弱な眼鏡のシティ・ボーイのキャラクターに転じてようやくチャップリンの人気に準じるヒット・メーカーになったのです。今回ご紹介するミューチュアル社第4作~第6作のチャップリン短編は視覚的ギャグに満ちた名編揃いなので、配役と設定、簡単な展開を書いてしまえばそれ以上説明しようがない面が強く、いずれもチャップリン短編の代表作ですから余分な解説不要でもあるでしょう。これらミューチュアル社での短編は今や神話的古典ですらある作品群です。

●12月19日(水)
「午前一時(大酔)」One A.M. (Mutual, '16.Aug.7)*38min, B/W, Silent : https://youtu.be/kfpU0KKFF7E

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 冒頭で泥酔したチャップリンアルバート・オースティンの運転手のタクシーに運ばれて自宅に着きます。本作のチャップリンは独身者か妻子に逃げられたかのようでそれなりの邸宅に一人暮らしをしており(使用人もいません)、冒頭のタクシー場面以降は鍵をなくしたチャップリンが何とか家に入り、とんちんかんな一人芝居で値支度をしようとして滑る絨毯、回る丸テーブル、階段、時計、小物、やたらとスプリングが効いた壁収納式ベッドと格闘し、壊れてしまったベッドをあきらめて浴槽で眠るまでを独り言の台詞字幕は少し入りますが、完全にチャップリンのパントマイムの独り芸だけで2巻の短編を成立させてしまってしかも抜群におかしく面白い、という実験性とエンタテインメントの奇跡的な両立をやってのけた傑作です。エッサネイ社第2作「アルコール夜通し転宅」でも泥酔紳士の奇行を演じていたチャップリンですが、あれはブド・ジャミソンとエドナ・パーヴィアンスの夫婦の部屋と真向かいの自分の部屋を間違えて騒ぎを起こすホテル内のコメディで、他の役者とのかけあいというドラマ構成がありました。本作はやはりエッサネイ社作品「チャップリンの寄席見物」の貴賓客の紳士ペスト氏のキャラクターがそのまま泥酔して帰宅した話、として観ることもでき、そう指摘したのは世界初のチャップリン論を刊行('20年)したのはフランスの映画監督ルイ・デリュック(1890-1924)で、まだ映画監督デビュー前年の批評家・脚本家時代ですが、デリュックは「チャップリンの寄席見物」と「午前一時」を画期的な作品として重視し、特に「午前一時」については作品個別の批評としては最長のページを割いているそうです。デリュックは当然「午前一時」を文学的脚本、演劇的演技、絵画彫刻的美術に依らない純粋映画の見事な成果として観たからこそ激賞しているので、デリュックの先駆的で正統的な映画観、それを反映したデリュック作品の先駆性に目が開く指摘です(デリュックは「チャップリンの消防夫」も集団パントマイム劇としての側面で高く評価しているので、チャップリン作品を自分の映画的理想に近づけて観すぎているきらいはありますが)。本作を子供の頃にテレビで観て以来、ホーム・ヴィデオ普及前に筆者はよくチャップリンの初期短編上映会に足を運びましたが、1時間半~2時間の間に4~6編のチャップリン短編を組み合わせた上映会だとキーストン社作品のうちの1、2編や「チャップリンの拳闘」や「チャップリンのお仕事」「チャップリンの掃除番」、「チャップリンの伯爵」「チャップリンの番頭」「チャップリンのスケート」などと並ぶかそれ以上に「午前一時」の上映頻度が非常に高く、「チャップリンの寄席見物」も上映されますがあれはわざとごたごたした作りなので純粋な独り芝居の「午前一時」の印象は非常に強いものでした。特殊な作品なので「チャップリンの寄席見物」同様これを代表作と言うにはためらわれますが、文句なしに初期短編時代のチャップリンのハイライトと言える傑作です。

●12月20日(木)
チャップリンの伯爵」The Count (Mutual, '16.Sep.4)*21min, B/W, Silent : https://youtu.be/io7M0ZP0fkY

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 本作からは共同撮影のW・C・フォスターが抜けてエッサネイ社以来のローランド・H・トサローの単独撮影作になります。グリフィス作品のビリー・ビッツァー、エイゼンシュテイン作品のエドァルド・ティッセと並んでトサローはチャップリンの目そのものであり、キャリアのほぼ全貌を専属カメラマンで通して監督とカメラマンが一体化した例にはこの3組が真っ先に浮かんできます。本作の変装した偽物がバレるプロットはキーストン社第17作「チャップリンの追いはぎ(総理大臣)」'14の焼き直しですが、ギャグの密度、展開のスムーズさや風刺の鋭さに格段の向上があり、ここまで別物となるとてんやわんやのぶち壊しで終わる結末以外はキーストン社風のムードはまったく感じさせない完成度に仕上がっています。作品は仕立て屋のチャップリン若い女性客(レオタ・ブリアン)に必要以上に触りまくってとんちんかんな採寸をしている場面から始まり、親方(エリック・キャンベル)が怒った女性客に謝りに飛んできますが、親方はそのせいで置いてきたアイロンを焦がしてしまいます。親方は怒ってチャップリンをクビにしますが、焦がした服のポケットからブローコ爆笑への女相続人(エドナ・パーヴィアンス)からの誕生日パーティーへの招待状と不出席を詫びる書状を見つけて伯爵に変装して出席する支度を始めます。一方チャップリンはパーヴィアンス邸のメイド(メイ・ホワイト、「チャップリンの寄席見物」で蛇使い女やダンサーの芸人役で、レオ・ホワイトとの姻戚関係は不詳)を訪ねていちゃついていますが、このメイドはやたら愛人が多い女で他の男が次々に現れてチャップリンとの逢い引きを中断させます。仕立て屋の親方がトップハットにタキシードで伯爵になりすまして来訪、メイドの手伝いでパーティー支度をしていたチャップリンは親方におどされ、伯爵の秘書ということにされてしまいます。あとは気取った上陸階級の誕生日パーティーの晩餐会をぎこちなくテーブルマナーをこなそうとする偽伯爵の親方、テーブルマナーも何もわきまえないチャップリンがぶち壊しにする視覚的ギャグの連続で、ついに本物の伯爵(レオ・ホワイト)が間に合いましたかと登場し、正体がバレた親方と片棒担ぎのチャップリンは大慌て、親方はヤケクソでピストルをぶっ放し警官到着、手当たり次第に物を投げつけていたチャップリンの投げたパイが伯爵の顔にべっとりついて、邸宅の外の街路をにげていくチャップリンの姿でエンドマークです。スケールの点で小品の観のある短編ですが、これも間然とするところがない佳作で、非常に好調なチャップリンの初期スラップスティック短編の代表作と言える作品です。

●12月21日(金)
チャップリンの番頭(質屋)」The Pawnshop (Mutual, '16.Oct.2)*25min, B/W, Silent : https://youtu.be/XvXs66qowJ8

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 客のアルバート・オースティンの質入れにしにきた懐中時計を値踏みするチャップリンが点検どころか入念に組み立て不可能なくらい分解してしまうシークエンスで有名な本作は小技の効いたギャグの積み重ねでも完成度が高く、冒頭パンをこねる質屋の娘(エドナ・パーヴィアンス)から遅刻を店主(ヘンリー・バーグマン)から怒られている質屋店員のチャップリンが描かれ、チャップリンは店員仲間のジョン・ランドとはケンカ仲間といった間柄です。まず朝の掃除で質屋の看板の三つに玉飾りに梯子をかけて磨きますが、梯子はチャップリンが掃除中にも右へ左へと傾き、チャップリンはその都度バランスをとって何とか磨きおえると、もういいやとばかりに梯子から落下してランドを下敷きにします。ランドと揉めている最中にパーヴィアンスが通りかかるとチャップリンはわざと床にのびてパーヴィアンスに介抱されてもらう。これが何回もランドと揉めるたびくり返されます。質屋の客は何も持たずに金を貸してくれという浮浪者(ジェイムズ・ケリー)や、金魚入りの金魚鉢を持ってくる老婦人(シャーロッテ・ミノウ)らで、浮浪者を追い返し金魚鉢には金メッキ検査薬を注いで浮かんでくる金魚に質草にはならないと返し、次の客(ウェズリー・ラッグルス)は結婚指輪を質入れしたいと涙ながらに悲惨な境遇を話すので10ドル渡しますが、ラッグルスはケロリとして5ドルの釣りを返します。客足が途絶えた間にチェロを水洗いして店主にクビを言い渡されたチャップリンは子供を養わなければならないんだと足元から膝、腰、胸、首、目の高さ、さらに頭よりも高く子供たちの身長を示し、うんざりした店主は今回ばかりは許してやる、と奥に戻ります。またまたランドとケンカして店の外で乱闘した二人は警官(フランク・コールマン)に見とがめられて店の中に戻り、パーヴィアンスが通りかかるとチャップリンは床にのびて、という調子。そして懐中時計を質入れに来たアルバート・オースティンが質入れどころか懐中時計を使い物にならなくされて追い返されるシークエンスがあり、チャップリンはまたランドとケンカしてトランクの中に隠れます。紳士風のエリック・キャンベルが宝石を買いたいと来店し、親方が応対しますがキャンベルは宝石ケースを手にとるとやおらピストルを取り出し強盗に豹変して親方をホールドアップさせますが、トランクに隠れていたチャップリンがキャンベルを棍棒で殴り倒し、パーヴィアンスに抱擁されてエンドマーク。これも大ギャグ小ギャグのヴァリエーションと緩急が絶妙で、頭脳的ギャグの視覚化もまんべんなく、店頭と店内の室内劇なのに新人物の出入りで進んでいくので室内劇的な狭苦しさもなく、くり返しのギャグも効いていてしかもサゲの伏線にまでなってる。大らかだったキーストン社時代(それは社主のマック・セネットの楽天性に負うものでしたが)に較べてエッサネイ社時代以降、チャップリンは上流階級、富裕層、権力者を攻撃する時に憎悪が露わになる場合がたびたびありましたが、本作のような登場人物誰もが卑小な庶民だとそうした過剰さもありません。この辺のチャップリン短編は実に安定した出来で、エッサネイ社時代の平均値を確実に更新するものです。