人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

集成版『荒野のチャーリー・ブラウン』第二章

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 第二章。
 スヌーピーが引き取られてからブラウン理髪店の庭の居心地の良い小屋に落ち着くまでには、二か月以上の内装工事がかかりました。その間チャーリーはどれだけパインクレストじゅうを買い物してまわらなくてはならなかったでしょう。スヌーピーもまた、早くもこの町で親友になったウッドストックを通じて小鳥の室内装飾職人探しにふけり(小鳥は器用なのです)、取りとめのない思案に暮れていたのでした。
 ずっと前から、彼は色彩の現す真実と嘘を知り抜いていました。ガールハントにうつつを抜かして片っ端から連れ込んでいた頃ですら、外国産の彫刻つきの、珍しい蒼白の木製家具を並べて、ばら色のビロードをテントのように広げ、布ごしの艶めかしい光りに女の子たちの毛並みがしっくりと溶け込むように工夫していたほどでした。
 この部屋はさらに、四方の壁に合わせ鏡が取りつけてあり、薄荷のお香を焚いた空気は彼女たちにまるでばら色の湯浴みをしているような陶酔を与えました。
 ですが、度を超したトリートメントや怠惰な生活から荒み弛んだ彼女たちの毛並みを少しは補えるこの甘い空気を恩恵としても、スヌーピーには彼だけがこの部屋で味わう特別で陰気な悦びがありました。それはいわば禍々しい過去や、失った倦怠の思い出を活気づけ、快楽に高めるための儀式でした。
 子犬時代への憎悪と侮蔑から、彼はこの部屋の天井に、コオロギを一匹入れた小さな針金のかごを吊していました。コオロギはケンタッキーの月の下でもあるかのように、ここでもよく歌いました。子犬の頃から親しいその虫の鳴き声をまた耳にすると、スヌーピーの目の前には母犬といっしょだった小屋の夕方の狭く重苦しい風景が現れ、あまりにも短かった子犬時代と突然の孤独が再び彼の体を引き裂くようでした。それは犬ならば逃れられない宿命でしたが……。
 そして彼の感傷は、もの思いにふけりながら半ば機械的に愛撫している相手がふと身を反らしたり、声を上げたり、笑ったりすればたちまち彼を現実に連れ戻し、彼を混乱に、それから現実への一種の復讐の感情に駆り立てるものでした。
 そんなのはもううんざりでした。新しい生活がスヌーピーを待っているはずでした。彼は現実にはもう十分に傷ついてきた、大人の犬だったのです。


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 そうした風変わりな趣味で他人を驚かせていたのも、すでに消え去った昔の夢でした。今のスヌーピーにとっては、過去の自分の行状さえも軽蔑の的であり、それはライラに手離されて再び子犬園に運命を託されていた数日間の深い絶望をくぐってきたからかもしれません。そこは偶然の手によって救い出されない限りは、ガス室送りの順番待ちの待機室であり、強制収容所同様に希望のない無情な拘置所でした。
 スヌーピーには危機的状況を経験した者によくあるややナルシシスティックな自意識、あの時自分は落命したので今は死後の世界にいるのかもしれないというような呑気さは持ち合わせていませんでした。なにしろ子犬園は保護頭数が定員をオーヴァーすれば手頃な犬種を残して月並みな雑種から始末しますし、犬のような高貴な種は本来性的にはストイックですから出生時期や乳離れも世代ごとに一斉に繰り返されます。スヌーピーはライラという少女に飼われ、彼女の転居の都合で子犬園に託されたので、ちょうど年に二回巡ってくる大虐殺の合間に、すっぽりはまり込んだ格好になったのでした。
 人間でいえば彼は半端に留年、または飛び級したようなものでした。たかだかそれだけの偶然が僥倖となり、スヌーピーは過酷な生存競争から生き延びたのです。チャーリーが友達を作るのには内気だとブラウン夫妻が考えた時、またチャーリーが当時数少なかった友達のライナスに飼い犬の相談をした時、誰もが思い浮かべたのが活発な猟犬種ながら小柄で愛玩種足りうるビーグル犬の子犬であり、それこそがチャーリーに欠けているものを埋め合わせてくれるはずでした。そして子犬園にはその時、スヌーピー以外のビーグル犬はいなかったのです。
 スヌーピーを得てチャーリーの生活はみるみるうちに活発で楽しいものになり、友達も自然に彼の周りに集まってきました。ですがそれはチャーリーが快活で愛嬌ある少年に成長したというよりも、不器用なチャーリーがマイペースなビーグル犬に振り回されている様子を面白がってパインクレスト小学校の名物生徒になってしまっただけで、チャーリー本人は公園の砂場で知らない子供に砂をかけられて泣いていた頃のチャーリーから大差はなかったのです。小学生たちにも、それに気づかない者はいませんでした。ましてやチャーリー本人もはや。


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 スヌーピーの主張する通り、たとえルーシーがパインクレスト小学校の秩序を滅茶苦茶にしてきたからと言って、それがすなわちスヌーピーの危機にもつながるとは飛躍した見解でもありました。確かに彼はチャーリーの犬(端的に言えば)であり、ライナスの友人でもありますが、それをもってルーシーの怨恨の対象になるならばブラウン理髪店だって十分に危険です。
 ですがチャーリーの言うルーシーの凶行がそのように常軌を逸した、狂暴なものならば、本当にブラウン理髪店まで襲撃されかねないし、スヌーピーの身にも危険がおよぶ可能性は十分ある。彼はルーシーと関わることはあまり直接にはありませんでしたが、マーシーやペパーミント・パティに対してと同様に気落ちしている少女に慰めのキスをするたしなみがあり、マーシーやパティには気持が通じましたがルーシーの場合は間接であってもキスしようものなら「黴菌もらった!消毒して!赤チン持って来て!」と騒ぐのです。
また、チャーリーの草野球チームでスヌーピーは鉄壁の守備を誇る不動のショート、対するにルーシーは凡フライすら捕れないライトでした。こうして上げていけば、スヌーピーの英雄的活躍の陰にルーシーの道化的失敗談がついてまわらない方が少なく、犬にも劣る屈辱を味わわされたのは男の子たちも変わりありませんが、少年たちの場合は犬になら負けても仕方がないやとかえって切り替えは早いのです。ですが、ルーシーはとことん根に持つタイプでした。
 それを言うならスヌーピーは、ビーグル犬であるという特権によってパインクレストのお犬様的存在であり、超法規的な行動が公然と認められていたのです。当然納税だってしてはおらず(検疫は受けていましたが……これだけはチャーリーには荷が重いと、お父さんが連れて行っていました)、スヌーピーをやっかみ、逆恨みしようと思えばルーシーならずとも、誰でもそのきっかけはあったのです。
 チャーリーが以前から漠然と恐れていたのもそこでした。パインクレストの人々はスヌーピーのことなら大目に見てくれ、楽しんでくれさえしている。だが現状こそが異常なのであり、ある日ふとスヌーピーに対する認識が反転しやしまいか。突然スヌーピーを見る目が嫌悪と憎悪に変化しはしないか、と。また、その時チャーリー本人はどうなってしまうのか、とも。


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 スヌーピーチャーリー・ブラウンの世話焼きを日ごろ干渉過剰に感じていました。飼い犬が手を噛むというのを実際にやってみたらどうなるんだろうな。酷たらしい殺人現場、むくろとなって横たわるチャーリー・ブラウン。その頃サングラスで顔を隠した一匹の犬がソフト帽を深くかぶり、トレンチ・コートの襟を立てて国境を越えようとする。二足歩行をマスターしてから、スヌーピーは自分から明かさない限りは、その場限りでは人間で通るのです。国境は東西に長く長く延び、西には太陽が暮れて東には太陽がのぼるところでした。
 国境警備員はスヌーピーの偽造パスポートをスキャナーで確認し、指紋と声紋を照合しました。指紋は偽装用手袋で、声紋はジューズ・ハープでこなすのがスヌーピーの手口で、偽造指紋という19世紀からあるトリックが未だに通用するのは呆れるばかりですが、あまりに原始的で古典的な手口のためかえって最新の検査法では網にかからないのかもしれません。
 ジューズ・ハープの方は、もし彼がプロの演奏家の道を選べば世界的なトップ・プレイヤーと目され、世界中の作曲家が彼のためにジューズ・ハープのための協奏曲を書き、あらゆるオーケストラから競演の声がかかり、映画音楽に採用されれば大ヒットして商店街の有線放送でも流れ(もっとも彼はディズニー映画だけはお断りでしたが)、甲子園ではブラバン応援曲にアレンジされて盛り上がり、紅白歌合戦にもゲストで呼ばれるので無理難題を出演条件にしたりして、それもけっこう楽しい生き方だったかもしれません……パインクレストのアイドル犬に甘んじるよりは。
 ですが今スヌーピー中南米への遁走の途上にありました。ブラジルかアルゼンチンか。彼は旧友の故ザル・ヤノフスキーを思い出しました。ザルは好人物で才気溢れる男でしたが、密売品を購入したために逮捕され、密売人の連絡先を自白させられたので仲間から密告者の汚名を着せられて爪弾きになり、しばらく消息を絶った後に届いた絵葉書が「アルゼンチンで元気です」というものでした。
 それもいいが、とスヌーピーは思いました。おれが去ったパインクレストはもうおれのいたパインクレストではないだろう。ならばパインクレストを去ったおれは、パインクレストにいた時の力を徐々に失っていくに違いない。そして一介の、ただの野良犬になっていくのだ。

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 かつてスヌーピーが望んだのは、ランプの人工的な光に照らされることでよりいっそう映えるような色彩でした。昼間の光には味気なく見えても構いません。彼が小屋にこもりきりになるのは夜でしたから……誰もが自分だけの部屋で孤独にいる時こそ快適であり、精神は夜の闇に包まれている時こそ真に活性化する、というのがスヌーピーの持論でした。パインクレストの町が夜の闇に寝静まる時、ひとり小屋の地下室でランプの下に起きているのはスヌーピーだけの悦楽でした。この悦楽は職人が他人を締め出して念入りな仕事にこもるような、一種の虚栄心にも通じるものでした。
 スヌーピーは入念に、あらゆる色を検分しました。青はロウソクの光で見ると不自然な緑色にくすみます。空色や藍色のような青ではほとんど黒くなり、明るい青でもロウソクの光では灰色に変わります。トルマリンのように暖かく柔らかでも艶を失い、冷たい色になるのです。ですから、補助色のように配合して用いる以外にシアン系の色彩は部屋の基本色には不向きなのは明らかでした。
 一方、茶色はランプの光で見ると、濁って鈍く見えました。真珠色は透明な青味が失せて、汚いだけの白になります。灰色は眠たげで冷たくなり、深緑はといえば濃紺と同様に黒の中に沈んでしまいます。
 そうして青は駄目、緑は濃いほど駄目となると、青味を極力含まない緑、つまり淡い黄緑や浅黄色に行きつくしかありませんが、それらもランプの光の下では不自然な色調になり、やはりどんより濁ってしまうのでした。
 サーモン・ピンクもコーン・イエローも、昔ながらの薔薇色もさらに問題外でした。薔薇色は女性的で、孤独の思想には矛盾しています。とはいえ紫色は寒々しく、これも駄目。赤色だけが夕方の光の中でぐっと映えてくるのですが、ひと口に赤と言ってもその種類たるや!べたべたした赤や、赤ワインの搾りかすのような赤ではどうしようもありません。こうした色は安定感がなく、たとえば彼は気管支炎の鎮静用シロップを服用していますがふとした光の加減で嫌な紫色に見える時がある。そんなふうに部屋の内装がちょっとした加減で変色して見えるのではたまりません。
 そうして除外していくと、三つの色だけが残りました。それが赤と、オレンジと、黄色でした。


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 要するにルーシーはさ、とスヌーピーは言いました。コブシで語り合いたかったんじゃないのぅ?-というのがこの賢者の犬の見解でした。文法的に限定すると賢者の犬の「の」は所有格ではなく形容副詞の「の」です。前者の用法なら賢者はチャーリーということになり、これは彼にはいささか荷が重いでしょう。では後者、賢者たるスヌーピーの場合この極端に怠惰かあそんでばかりいるかの犬のどの辺が賢者かを説得力ある説明するには難しいことですが、人間に較べればゴキブリ一匹さえも合理的ならざる活動はしません。スヌーピーの場合は限りなく人間に近づいた犬ですがそれでも犬は犬なので、単に犬であるということだけでも人間との比較において十分に賢者と呼べるのでした。Q.E.D?
 だからさ、きみの言うとおりルーシーが、パインクレスト小学校に登校してくるやいなやライナスの毛布を引きちぎったかと思うとピッグペンから埃をはたき落とし、高潔なフランクリンにこの黒人野郎と暴言を吐きながらペパーミント・パティとマーシーを追い詰めて眼鏡を奪うとグシャッと踏み割り、シュローダーのトイピアノを叩き壊して走り出して行ったのは、要するにルーシーなりのコミュニケーションなのさ。
 それじゃライナスがリランのオーバーオールを被せられ、指をしゃぶろうとすると指がなかったのはどうなるんだい?それもコミュニケーションかい?
 姉と弟の間柄なら他人よりもいくらかは過剰になるものさ。
 でもね、それでも、まだ済んでないのは、とチャーリーは息せききって、言葉を継ぎました。次にルーシーが標的に選ぶとしたらここなんだ。もちろんぼくのグローブもまっ先にこれさ、と彼はまだボロボロの残骸を未練惜しげにぶら下げていました。
 それはもう聞いた、とスヌーピーは冷淡に、場合によってはルーシーはみんなの気持を代弁しているということにもなるだろうね。
 ひどいよスヌーピー!ぼくの場合はいいザマだって言うのかい!?
 まあ熱くなることはないさ、と賢者の犬。誰にもルーシーの本意はわからない。突然イカレちゃったようにも見えるし前からイカレていたとも言える。
 そんな、とチャーリー・ブラウン。ならぼくたちは、どっちみち諦めなきゃならないっていうのかい?


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 わぁ驚いた、と偽ムーミンはわざとらしいほど全身を震わせてテレビに見入りました。偽ムーミンは偽者ですから時には本物のムーミン以上にムーミンらしくしていなくてはならなかったからです。本物のムーミンはその頃13号埋め立て地の月からいちばん近い倉庫の中で凍り詰めになっていました。倉庫自体が冷凍庫になっている倉庫です。尋常な恒温動物なら生きられはしませんし、ムーミントロールですから変温動物ですらありませんが、凍るからには何かしら物質的存在といえる実質がなければいけません。何もなければ凍ることもないからです。
 やれやれ今年は喪中ハガキが多かった、とムーミンパパが首をコキン、と鳴らしました。ムーミン族には骨格などありませんが、書き物や読み物でくたびれた時にそうするのはムーミン族にとってもボディ・ランゲージなのです。
 喪中の人にはクリスマス・カードで代用しておくべきだろうな。どう思うムーミンママ?
 クリミア戦争のことですか、それとも鳥インフルエンザのことですか?とムーミンママが床にモップをかけながら言いました。ムーミンママはきれい好きですから、このモップは買ってから一度も洗ったことがないのです。
 いや、そのどちらでもない!とムーミンパパははぐらかされた思いでしたが、言われてみればこれほど喪中ハガキが大量に来た年も珍しく、狭いながらも世界のすべてであるムーミン谷でこれだけの喪中があろうものならもっとやっかいな事態になっていてもいいはずです。
 おいムーミン、とムーミンパパは息子を呼びました。偽ムーミンは腹ばいになってポテトチップスをつまみながらテレビに見入っています。偽ムーミンが聞こえないふりをしているのは、テレビに夢中、またはポテトチップスに夢中だと何も耳に入らないほうがムーミンらしいからです。おいこのボンクラ、とムーミンパパ。ン、と偽ムーミン
 なぁにパパ、と偽ムーミンはまるで興味ない様子で向き直りました。いやアレだ、とムーミンパパは決まり悪げに訊きました。お前の観ているテレビか何かで、今年何かぶっそうなことはないかね?
 それなら今ちょうどテレビでやっているよ、と偽ムーミンアメリカ人少女ルーシー・ダットンがビーグル犬とその飼い主を追って、毎日町一つを殺戮しながら北米大陸を徘徊中、だって。


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 普通これはないんじゃないかなぁ、とチャーリー・ブラウンはボヤきました。どこがやねん?とジェスチャーするスヌーピー(このビーグル犬は筆談はできますが、さすがに人語は発音できないのでミミックで会話するのです……たいがいの人には人間を馬鹿にした犬のような仕草に見えますが)。これだよ。
 手錠だよ!とついに温厚、というよりはお人好し、というよりはうすのろのチャーリーですら我慢がならずに叫びました。そういう時チャーリー・ブラウンは類型的なアメリカ人少年のボディ・ランゲージとして顔は天を仰ぎ、両腕は翼のようにお手上げするのですが、いかんせんチャーリーの右手首はスヌーピーの前肢とつながれていたので右手からはビーグル犬をぶら下げたどこかの抜け作のように見えました。
 彼らの会話を追って記述するより要点をまとめると、つまり彼らは無銭飲食で捕まって押送中に逃げてきたのです。無銭飲食などはアメリカ市民なら当然の権利とまでは言わずとも人生で一度や二度は通る道、今さらながら失敗が悔やまれるのは安易に手錠のままで脱走してきてしまったことでした。せめて手錠が外されるまで待つべきだったのです。
 それにしてもさ、とチャーリー、たとえキミが二足歩行の犬だとしても、普通は人と犬を手錠でつなぐって法はないんじゃないかい!ああそうだよ、共犯だからっていうのが司法の言い分だろうね。だけど未決犯にもちゃんと人権てものがあるのがこの国のはずなんだ!
 うなずくビーグル犬。いや、スヌーピー、勘違いしてもらっちゃ困るけど、人権があるのはぼくで、キミにはない。キミはぼくの私有財産でしかないんだよ。だから?とスヌーピー。だからさ、キミはぼくの私有財産だから……。空いている方の手で握手を求めるスヌーピー
 愕然として現状に直面するチャーリー。余裕の姿勢で忠誠のポーズすらキメるスヌーピー。ああ、そういうことになるのか!要するにぼくは私有財産につながれているだけで、不当な懲罰であることを嘆くこともできないのか。そしてかえって有利な力関係になってしまったこの小型ビーグル犬の呑気きわまる態度!
 二足歩行といっても身長差は歴然としているので、手首を袖口で隠せば彼らは普通よりちょっとおかしい犬の散歩に見えたでしょう。しかしそれはチャーリーには拭いきれない屈辱感を味わわされることでした。チャーリーはぼんくらですが、標準価格米だってお米には違いないように自由に権利を主張できる一人の少年です。
少年法の定める範囲内なら。


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 ……ですが当然スヌーピーとその飼い主の身長差は歴然としているので、手首の手錠を袖口で隠せば彼らは普通よりちょっとおかしい犬の散歩に見えたでしょう。しかしそれはチャーリーには拭いきれない屈辱感を味わわされることでした。チャーリーはぼんくらですが、標準価格米だってお米には違いないように自由に権利を主張できる一人の少年です。
少年法の定める範囲内なら
 ねえパパ、少年法ってどんなものなの?と偽ムーミンが握り寿司の練習をしながら訊きました。お前学校の予習はいいがテレビのながら見しながらではいけないではないか、とムーミンパパは注意して、少年法?そりゃ大人にならんとお○○こしてはいかんということさ、と説明して高笑いしました。ムーミンパパは気の利いたことを言ったと悦に入ると哄笑するのです。ただし気の利いたことを言う権利はムーミン谷ではただ一人、自分しかいない、という点でムーミンパパはスノークやヘムル署長、ヘムレンさんやジャコウネズミ博士と明らかに対立関係にありました。
 もっとも彼らも同盟関係では常に腹に一物持つものがあり、誰がいつどのように誰かの寝首を掻いても当然のような不穏さで彼らムーミン谷の知識人層は結びついていました。ある朝ジャコウネズミ博士が起きるとヘムル署長に寝首を掻かれており、それはヘムレンさんの教唆によるものだと思い当たったスノークムーミンパパに相談に行くとそれは罠で結局血祭りに上がったのはスナフキンだった、というたぐいの悪夢に全員が夜な夜なうなされている町、それがムーミン谷というおとぎの世界でした。
 お○○こ?と偽ムーミンはいちご摘みから帰ってきたムーミンママの気配を察知しながら訊きかえしました。なあにそれパパ、まだぼく学校で習ってないよ。
 ムーミンパパは夕食の支度にお新香を切るママの包丁の刃音を聞きながら、ママ今夜のお新香は何かね?ん、大根?そういうことだ。お前は今までおしんこが大根だということも知らんで食べていたのかねムーミン?さすがの偽ムーミンもこのはぐらかしには大人は汚いと思いましたが、ムーミン谷では設定年齢と実年齢は必ずしも一致しないのです。
 その頃チャーリーとスヌーピーは再び危機に陥っていました。手錠でつながれ、食い逃げから砂漠で一昼夜、彼らは再び餓えに襲われていたのです。


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 昔広島県の人から聞いた話だけどさ、とチャーリー・ブラウンは言いました。敗戦後は食糧難の時代がずっと続いて、毎日沖へ出てはタコばかり食べてしのいでいる人もいたんだって。タコだよタコ、とチャーリーはフーッとため息をつきました。毎日毎日タコ。信じられる?
 スヌーピー阿波踊りのポーズをしました。チャーリーのMPを下げようとしたのではなく(そんなものはもともとありません)それが彼らの会話方法なのです。いや、売ってお金にすればいいってもんじゃないんだよ。キミはエントロピーの法則というのを知ってるかい?食事に十分なお金を得るだけのタコを採る労力は売り上げに釣り合わないんだ。漁業全体のエネルギーは目減りしていく一方なんだよ。ああ!
 パパもフレデリクソンさんやスニフのお父さんたちと航海に出ていたことがあるんだよね、と偽ムーミンは振りました。冒険家時代の話にくいつくか機嫌をそこねるかでムーミンパパのだいたいの調子はわかるのです。その辺が安定していないあたりがムーミンパパのメンタルの弱さですが、若い頃のムーミンパパ(当時ムーミン)をよく知るフィリフヨンカさんやヘムル署長は「明るいわんぱくな子だったよねえ」と一瞬笑顔になり、慌てて神妙な表情に戻るのがたびたびでした。
 タコの話はよそう、だいたいぼくが広島県の人から話なんか聞く機会があるものかい。これはムーミン谷について書いた本で読んだんだ……というか、ペパーミント・パティがそう言ってた。スヌーピーはほう、という表情をしました。
 鳥ではカラス以外はだいたい食える、カラスは臭くて食えない。猫はまずいが犬はだいたい食える、特に赤犬が美味いそうだ。赤犬というのは、国によって黄色とかオレンジとか呼び方は違うけど、要するに赤茶けた毛並みなんだろう。
 かんかん照りの砂漠の陽差しと吹きつける風で砂塵を含んで、今やスヌーピーは申し分なく生まれつきの赤犬のような見かけになっていました。
 これまでキミはぼくの親友ということになっていたけど、手錠でつながれてはっきりわかった。キミはぼくの私有物、エントロピーの法則に従うならば、たとえ売っても餓えをしのぐに足りない程度なんだよな。どちらかが犠牲になるしかないなら、おたがい一方が人間、一方が犬に生まれたのを恨もうじゃないか。
 第二章完。


(五部作『偽ムーミン谷のレストラン』第二部・初出2014~15年、原題『ピーナッツ畑でつかまえて』全八章・80回完結)
(お借りした画像は本文と全然関係ありません)