人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

エリック・ドルフィー Eric Dolphy - ミセス・パーカー・オブ・K.C. Mrs. Parker of K.C. (New Jazz, 1962)

エリック・ドルフィー Eric Dolphy - ミセス・パーカー・オブ・K.C. Mrs. Parker of K.C. (Bird's Mother) (Jaki Byard) (New Jazz, 1962) : https://youtu.be/MUDxI8k54VQ - 8:03

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Recorded at The Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 21, 1960
Released by New Jazz / Prestige Records as the album "Far Cry", NJ 8270, 1962
[ Personnel ]
Eric Dolphy - bass clarinet, Booker Little - trumpet, Jaki Byard - piano, Ron Carter - bass, Roy Haynes - drums

 アルバム『ファー・クライ』'62の冒頭のこの曲は参加メンバーのピアニスト、ジャッキー・バイヤードが本作のために書きおろしたオリジナル・ブルースですが、ある程度ジャズになじんだリスナーかプレイヤーでないと一聴してブルース・フォームの曲とわからないような曲でもあります。ロサンゼルス出身のマルチ・リード(アルトサックス、バスクラリネット、フルート)奏者エリック・ドルフィー(1928-1964)は下積み時代が長かった人で、盟友オーネット・コールマン(1930-2015)のニューヨーク進出の成功を受けて前年末ようやくニューヨークに出てきて先輩のバンドリーダー、チャールズ・ミンガス(1922-1979)のバンド・メンバーを勤めながらプレスティッジ・レコーズ(ニュー・ジャズ・レーベル)とソロ契約してドルフィー自身がリーダーの初アルバム『アウトワード・バウンド』'60(録音'60年4月)を録音し、ミンガスのバンドと平行してプレスティッジからの友人のジャズマンのアルバムに参加しながら第2作『アウト・ゼア』'61(録音'60年8月)を録音しました。さらに'10月にはミンガスの大傑作アルバム『チャールズ・ミンガス・プレゼンツ・チャールズ・ミンガス』'60を経て'60年だけでも録音参加アルバムは24作におよび、12月20日にはジョン・ルイスの『ジャズ・アブストラクション』'61、翌21日にはオーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』'61に参加し、ルイスとオーネットのアルバムは同じレーベルのアトランティックのニューヨークのスタジオで録音されて共通メンバーも複数いますから深夜をはさんだ連続セッションだったようですが、21日にさらにニュージャージーのスタジオに出向いて録音されたのがドルフィー自身のアルバムの第3作『ファー・クライ』'62です。ドルフィーのプレスティッジ・レコーズとの契約は翌'61年には満了しますが'61年からはジョン・コルトレーンのバンドもかけ持ちしており、また生前に発表されたドルフィー自身のアルバムはプレスティッジ/ニュー・ジャズからのライヴ盤『エリック・ドルフィー・アット・ファイヴ・スポットVol.1』'61(録音'61年7月)、『アット・ファイヴ・スポットVol.2』'63、デンマークのレーベルから発売された現地ジャズマンとのライヴ盤『エリック・ドルフィー・イン・ヨーロッパ』'62、自主レーベルから発売された『カンヴァセーション』'63きりで、生涯120作あまりのアルバムに参加し、うちドルフィー自身が生前に録音・完成していたアルバムの大半はドルフィー没後の発表になりました。

 このアルバム『ファー・クライ』も翌'61年7月レギュラー・バンドを組むことになるトランペット奏者ブッカー・リトル(1938-1961)の急逝('61年10月)以後の発表になり、ドルフィーはリトルがメンバーだったジャズ・ドラムスの大御所マックス・ローチのアルバムにも参加していましたので、その縁でリトルと組むことになったのですが、ドルフィーが参加したリトル自身のアルバム『アウト・フロント』'61(録音'61年3月)がリトル急逝の2週間後の発売になったのを含めてドルフィーとリトルの共演アルバムはマックス・ローチのアルバム以外はすべてリトルの没後発表になっています。この曲は作者のバイヤードのピアノ、ロン・カーターのベース、ロイ・ヘインズのドラムスも見事な演奏で、アルバム全編に渡って完成度の高い名盤なのですが、この曲について言えばリトルの抜けの良いトランペットと、ジャズで初めてバスクラリネットをソロ楽器に導入したドルフィーバスクラリネットの絡みがテーマ吹奏からソロのバトンまで音色、アドリブ・フレーズとも軽やかな対比を見せており、ドルフィーは"バード"ことチャーリー・パーカー(アルトサックス)をもっとも崇拝したジャズマンですが、ドルフィーのプレスティッジでのスタジオ・アルバム3作すべてに参加したドラムスのロイ・ヘインズマックス・ローチの後任でチャーリー・パーカーのバンドのレギュラー・ドラマーだった人でした。タイトルの「K.C.」はパーカーの郷里カンサス・シティーであり、これは当時まだ存命だったチャーリー・パーカーの母君に捧げた曲ですが、このとぼけたような陽気な風情はパーカーをジャズの殉教者と偶像視する大仰な態度とはまったく違ったものです。