人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジ・エレクトリック・プルーンズ The Electric Prunes - 今夜は眠れない The Electric Prunes (Reprise, 1967)

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ジ・エレクトリック・プルーンズ The Electric Prunes - 今夜は眠れない The Electric Prunes (Reprise, 1967) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PL814DDE29393BCFA8
Released by Reprise Records R6248(Mono), RS6248(Stereo), April 1967 / Billboard#113
Produced by Dave Hassinger
(Side A)
A1. I Had Too Much To Dream (Last Night) (Annette Tucker, Nancie Mantz) - 2:55 *US#11, UK#49
A2. Bangles (J. Walsh) - 2:57
A3. Onie (Tucker, Mantz) - 2:43
A4. Are You Lovin' Me More (But Enjoying It Less) (Tucker, Mantz) - 2:21
A5. Train For Tomorrow (Spagnola, Williams, Tulin, Ritter, Lowe) - 3:00
A6. Sold For The Highest Bidder (Tucker, Mantz) - 2:16
(Side B)
B1. Get Me To The World On Time (Jones, Mantz) - 2:30 *US#27
B2. About A Quarter To Nine (Dublin, Warren) - 2:07
B3. The King Is In The Counting House (Tucker, Mantz) - 2:00
B4. Luvin' (Tulin, Lowe) - 2:03
B5. Try Me On For Size (Tucker, Jones) - 2:19
B6. Tunerville Trolley (Tucker, Mantz) - 2:34
[ The Electric Prunes ]
James Lowe - lead vocals (expect A3, A4), autoharp, rhythm guitar, tambourine
Ken Williams - lead guitar
James "Weasel" Spagnola - rhythm guitar, backing and lead (A3, A4) vocals
Mark Tulin - bass guitar, piano, organ
Preston Ritter - drums, percussion

 デビュー・ヒット曲「I Had Too Much To Dream (Last Night)」の邦題「今夜は眠れない」をそのままアルバム・タイトルにした本作はロサンゼルスで1965年に結成されたエレクトリック・プリューンズ(日本盤表記はプルーンズ)のアルバムではありますが、同時にプロデューサーのデイヴ(デイヴィッド)・ハッシンジャー(1927-2007)のアルバムでもあります。ハッシンジャーの1960年代後半の英米ロックへの貢献はきわめて大きく、それは65年~66年のローリング・ストーンズの実質的音楽プロデューサーだったことから起こりました。ハッシンジャーは1964年にロサンゼルスのRCAスタジオのレコーディング・エンジニアに就任し、テレビの音楽番組「T.A.M.I.ショー」の音楽監督やチップマンクス(リスのアニメーション・キャラクター)のアルバム『The Chipmunks Sing the Beatles Hits』のエンジニアを勤めていましたが、おそらくRCAサム・クック作品で注目され、1965年1月にRCAスタジオで行われたシングル「The Last Time/Play With Fire」セッションで初めてストーンズサウンド・エンジニアリングを手がけました。
 ストーンズの場合プロデューサーはマネジメント社長のアンドリュー・オールダム名義でしたが、60年代にはプロデューサーとは映画プロデューサー同様制作指揮を指して呼ばれ、今日音楽プロデューサーとされる役割はエンジニアが勤めていたのです(日本ではディレクターが音楽プロデューサーの役割でした)。このストーンズのNo.1シングルA/B面の暗く内向的・攻撃的なサウンドは高い作曲力とアレンジ力で模倣を許さないビートルズサウンドよりも同時代のバンドに影響を与えました。次にハッシンジャーが手がけたストーンズのシングルこそが5月録音の決定的な「Satisfaction」でした。9月には「Get Off My Cloud/As Tears Goes By」が録音され、12月からはシングル「19th Nervous Breakdown」、アルバム『Aftermath』1966.4に収録されるセッションで「Mother's Little Helper」や当時ロック最長の11分45秒のオリジナル・ブルース・ジャム曲「Goin' Home」が行われ、「Goin' Home」はラヴ(「Revelation」、直接『Aftermath』セッションを見学)やザ・シーズ(「Up In Her Room」)、ドアーズ(「The End」)やグレイトフル・デッド(「Dark Star」)などの大曲指向に影響を与えました。1966年3月には『Aftermath』セッションの掉尾を飾る「Lady Jane」「Paint It, Black」が録音されます。次のストーンズのセッションは1966年9月でシングル「Ruby Tuesday」「Let Spend The Night Together」やアルバム『Between The Buttons』1967.1に収められる曲が録音されますが、ストーンズはハッシンジャーのサウンド作りはすでに学び尽くしており、次作のセッションからはロンドン録音に戻っています。

(Original Reprise "The Electric Prunes" LP Liner Cover)

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 ストーンズの「The Last Time」「Play With Fire」や「Satisfaction」「Paint It, Black」、「Lady Jane」の実質的音楽プロデューサーを地元ロサンゼルス/サンフランシスコのバンドが放っておくわけはありません。主に1966年~1968年にかけてハッシンジャーをサウンド・エンジニアに迎えてアルバム制作をしたバンド/アーティストにはザ・シーズ、ジェファーソン・エアプレイン、ママス・アンド・パパス、グレイトフル・デッドエルヴィス・プレスリー(RCAのアーティストです)、フランク・シナトラ(!)、モンキーズ、ラヴ、70年代に入るとクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、ジャクソン5、シールズ・アンド・クロフツ、ザ・ブラックバーズ、ザ・ドアーズがあります。ハッシンジャーは音楽プロデューサーとしてのサウンド・エンジニアでしたが、同時代のアメリカでは純粋に制作指揮プロデューサーとしてのプロデューサーだったトム・ウィルソンとは対照的ながら影の立役者として双璧をなす存在といえるでしょう。ビートルズのプロデューサーとしてのステイタスで語られるジョージ・マーティンにもその功績は劣らないのです。ただしハッシンジャーはRCAスタジオの社員エンジニアだったのでプロデューサーとしてクレジットされるわけにはいかない事情がありました。ハッシンジャーがプロデューサーとしてクレジットされたアルバムはエレクトリック・プリューンズの『The Electric Prunes』1967、『Underground』1967、『Mass in F Minor』1968『Release of an Oath』1968、『Just Good Old Rock and Roll』1969とグレイトフル・デッドの『The Grateful Dead』1967、『Anthem of the Sun』1968しかありません。これはプリューンズとデッドがフランク・シナトラリプリーズ・レーベルがデビューさせたバンドだったからで、特にプリューンズはハッシンジャーのプロデュースを前提にデビューしたバンドでした。ハッシンジャーが全曲を手がけたストーンズのアルバム『Aftermath』のアメリカ版を狙ったデビュー・アルバムなのはアルバム・ジャケットからも明らかです。

(Original Reprise "The Electric Prunes" LP Side One Label)

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 プリューンズのデビュー・シングルのA1「今夜は眠れない」は「Satisfaction」のファズ・ギターが「Paint It, Black」風フレーズを奏でるナンバーです。プリューンズはもともと作曲力もあり結束力も固い硬派の学生バンドでした。しかしリプリーズは彼らをヒット・バンドに仕立てるために外部ライター(主にAnnette TuckerとNancie Mantz共作。Annetteは女性名ですがNancieは男女両用なので性別不明です)の書き下ろし曲を演奏させます。日本のGSと同じような裏事情があったわけで、アルバムの出来は良くてもバンドは不満をつのらせていました。第2作『Underground』はデビュー作以上にRawな(荒々しい)パワーに満ちた名盤になりましたが期待以上のヒット作にはならず、サード・アルバム『Mass in F Minor』では遂にプリューンズのバンド名商標権を持つプロデューサー&マネジメントのハッシンジャーのプロデュース留任だけで別のメンバーがプリューンズの名義を引き継ぎ(旧プリューンズはヴォーカルとコーラスだけ参加)、本来のプリューンズのサイケデリック・ガレージ・パンク的サウンドから一転してプリューンズよりヒットしていたヴァニラ・ファッジ風のアート・ロック化してしまいます。オリジナル・プリューンズは硬派で結束力が固かったゆえにきっぱりとリプリーズ/ハッシンジャーとは見切りをつけてしまいました。前記の通りプリューンズはさらに2枚のアルバムをリリースしますが、実態はスタジオ・ミュージシャンや他のバンドによるハッシンジャーのプロデュース作で、バンドとして実体のあったのはオリジナル・メンバーによるデビュー・アルバムとセカンド・アルバム『Underground』だけなのです。1986年にイギリスで発売されたアナログ時代のベスト盤『Long Day's Flight』もファーストとセカンドだけから選んだアルバムで、1997年にバンド自身がリリースした発掘ライヴ『Stockholm '67』、2000年にやはりバンド自身が真のプリューンズ2作から選んだ『Lost Dreams』とともにバンド名商標権を取り戻したオリジナル・プリューンズは復活しました。2011年にベースのマーク・チューリンが亡くなりましたが、以後もスタジオ盤は『Artifact』2001、『California』2004、『Feedback』2006、『WaS』2014、ライヴ盤は『Return to Stockholm Live at Debaser 2004』2012、プリューンズの前身バンド時代の音源『The Sanctions / Jim and the Lords - Then Came the Electric Prunes』2000、DVD『Rewired』2002など、むしろ21世紀に入ってからの活動の方が活発なほどで、2014年には初来日もしています。ですがプリューンズといえばいつまでも「今夜は眠れない」が代表曲なわけで、ハッシンジャーのサウンドがプリューンズのイメージです。プロデューサーとバンドの関係について考えさせられる問題ですが、もうそれも50年も前のヒット曲なのです。

(過去記事より加筆修正再掲載)