人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

「千の顔を持つ男」ロン・チェイニー(1883-1930)主演作『天罰』The People (Goldwyn Pictures'20)

 (『天罰(The Penalty)』'20の1シーンより)
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 ロン・チェイニー(Lon Chaney, 1883-1930)は『ノートルダムの傴僂男』'23、『オペラの怪人』'25(邦題『オペラ座の怪人』はリメイク作品以降のタイトル)の2作だけでも映画史に残る俳優ですが、映画がサウンド・トーキー化した直後に早逝(享年49歳)した、生粋のサイレント映画俳優と言うべき映画人でした。息子のロン・チェイニー・ジュニア(1906-1973)も映画のトーキー化後にデビューし、小柄だった父とは違う巨体を生かしてユニヴァーサルの怪奇映画のスターになり、'40年代に狼男、ミイラ男、フランケンシュタインの怪物、ドラキュラの4大モンスターをすべて演じ、戦後は性格俳優として『真昼の決闘』などにも出演しましたが、普通ロン・チェイニーと言うとサイレント時代の大俳優である父チェイニーを指し、息子の方はジュニアをつけて呼ばれます。さて、移民1世の両親がともに聾唖者だったためパントマイムを身につけて育ったというチェイニーは、舞台俳優デビューは22歳の'02年という遅い出発でしたが、'12年にパラマウント社の前身フェイマス=ラスキー・コーポレーションで映画俳優デビューし、D・W・グリフィス(1875-1948)と並んでアメリカ映画の父とも言える早逝の映画監督=プロデューサー、西部劇を得意としたトーマス・H・インス(1880-1924)の短編に多く出演した後、'18年には特異な性格俳優としての座を固めてフリーとなり同年だけでも長編9作に出演。日本公開された中でも最古のチェイニー出演作でインス製作、アメリカ映画初の西部劇スターの座をハリー・ケリー(シニア、1878-1947)と分けあうウィリアム・S・ハート(1864-1946)主演の『リッドル・ゴウン』'18の撮影を見学した夭逝の鬼才監督、ジョージ・ローン・タッカー(1872-1921)がチェイニーに注目し、意欲作『ミラクルマン』The Miracle Man (Famous Players-Lasky'19.Aug.29)の主演に抜擢し、同作は制作費12万ドルに対して興行収入300万ドルの年間No.1の大ヒット作になり、タッカー最大のヒット作かつチェイニーの大ブレイク作となりました。『ミラクルマン』はアメリカ本国でも日本でもグリフィスをしのぐ映画的革新性を謳われましたが、同作が日本公開中の'21年6月のタッカーは急逝し、『ミラクルマン』の後1作を残して早逝してしまったため忘れられるのも早く、また映画のトーキー化以後に次々とサイレント時代の映画の大半は再上映の需要なしと放置され、廃棄、紛失、焼失(サイレント時代の映画フィルムは常温ですら可燃性の高い、自然発火すら珍しくない材質でした)してしまったことから『ミラクルマン』は'30年代に作られたサイレント映画名場面集のオムニバス映画に抜粋された2分半程度の断片(https://youtu.be/Z_Mk4pjydBk)しか残っておらず、同作の散佚はアメリカ映画史最大の損失の一つとされています。タッカーの作品自体が長編12作のうち移民の人身売買組織を描いた長編第1作の『暗黒街の大掃蕩(Traffic in Souls)』'13('94年Kino InternationalよりVHS復刻、2008年Flicker AlleyよりDVD復刻)しかフィルムが現存しておらず、タッカーはアメリカ映画創生期の幻の巨匠としてもっともミステリアスな映画監督とされています。ロン・チェイニーにしても'12年のデビュー短編から'17年の短編最終作まで84本('12年と'17年は1本きりで、'13年~'16年にに82本)、'14年の初長編から'30年の遺作まで長編83編と、判明しているだけでも167本の映画に出演したうち100本以上が失われているとされ、長編83作のうち36作は散佚し、残る47作も不完全版や短縮版を含み(全編現存は約30作)、現存する最古のチェイニー出演作の西部劇「By the Sun's Rays」'14(監=チャールズ・ギブリン、主演=マードック・マッカーリー、Universal Pictures'14.Jul.22, 11min : https://youtu.be/RcOHfzVXlRQ)ほか数編を除いて短編のほとんども、現在では散佚作品になっています。アメリカ映画協会の調査では現在では全世界で製作されたサイレント時代の映画の75%以上が散佚しているといいますから、長編主演作約80作のうち全編が現存する約30作(海外盤DVD化済み)に今でも熱烈なファンがついているチェイニーは、チャップリン、ロイド、キートンらの喜劇以外を除いたアメリカのサイレント劇映画では今なおもっとも人気の高い俳優なのです。
 一般的には『ノートルダム~』『オペラ~』の2作が代表作とされ、またこの2作もチェイニーの本領を発揮した名作ですが、悪役俳優からキャリアを始めたチェイニーは、さまざまな社会的弱者を演じることを生涯のテーマにしていた異色の俳優でした。それは当時のアメリカではネガティヴに見られた被差別下の状況にある人々――先住民や少数民族移民、有色人種、身体障害者精神障害者、搾取された労働者、貧困や孤独を背景にした犯罪者ら、社会の暗部を担う役柄を演じることに表れたので、チェイニーの主演映画ではそうした社会の底辺で抑圧された主人公がしばしば残酷な境遇に反抗して反社会的な行動を重ね、無惨な破滅を迎えます。しかしストーリーの上では映画は市民的常識力に従って主人公を敗北させても、真の観客への訴えは無情な偏見にさらされた主人公と、自由と公正さを希求する必死の闘争なので、チェイニーの演じる主人公は常に自己の規律に厳しく、自己犠牲的ですらあるアンチ・ヒーローであり、映画の体裁とその真意がまったく反対でもあるのが勧善懲悪の体裁を強いられたサイレント時代の映画の限界でもあり、逆にテーマをそのまま表現できない桎梏が映画のニュアンスを複雑な味わいのものにしています。作家レイ・ブラッドベリは「チェイニーは人々の心を見抜き、精神そのものを演じることができる俳優だった。チェイニーの映画は報われない愛への怖れの歴史であり、それが決定的になればチェイニーの映画は世界を変えるかもしれなかった」と激賞しています。決して「ホラー映画の元祖」で済まされるものではなく、かつ映画俳優が精神そのものであり得たサイレント映画時代の最大の俳優の一人、ロン・チェイニーの存在は知られるよりもずっと大きく、重要なのではないかと思われるのです。サイレント時代の長編劇映画の確立は1913年(大正2年)、サイレント映画が現在のようなサウンド映画に取って代われれるのはチェイニー歿年の前年1929年(昭和4年)からですが、今回ご紹介する『天罰』'20は長編劇映画がすでに100年前にどれほどの高い技巧と表現力、映像美、歪んだ社会構造への洞察、人間性の真実の追求、テーマの深みに達していたかを伝えてくれる驚くべき作品で、しかもヨーロッパ映画のような芸術的指向ではなく通俗猟奇犯罪娯楽映画であることがかえって芸術的高さを際立たせている衝撃的傑作です。

『天罰』The Penalty (監=ウォーレス・ワースリー、Goldwyn Pictures'20.Aug.)*93min(Original length, 90min), B&W (Tinted), Silent; 日本劇場公開(年月日不明) : https://youtu.be/gpxShtnDdAM
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[ 解説 ](キネマ旬報近着外国映画紹介より) ガヴァナー・モリス氏原作の小説を脚色したもので、性格俳優の名手ロン・チャニー氏が主役ブリザードに扮して得意の腕を振っている。米誌は筋としてはこの映画を格別褒めておらぬが、技術的方面及びチャニー氏の演技を激賞している。チャニー氏の外にケネス・ハーラン氏、クレア・アダムス嬢等が出演している。
[ あらすじ ] 小児の時に受けた手術によって、ブリザード(ロン・チャニー)は両足を失っていた。彼の望みは彼を不具にした医者(チャールズ・クラリー)に復讐することと、サンフランシスコ暗黒界の大頭目となること、他人の両足を切って自分の足の切り口につなぐこと、この3つであった。いかにして彼がこれを企み、これに失敗するかが劇の骨子である。

 1920年になると前年8月公開の『ミラクルマン』での大ブレイクを受けて、下積み時代の長かったチェイニーもいよいよ本格的な主演作品が作られるようになります。この年の出演作は6作ですが、特に強烈な作品としてチェイニーのキャリアでも重要視されているのがこの年4作目の、トッド・ブラウニングに次いでチェイニー主演作を多く手がけたウォーレス・ワースリー(1878-1944)監督による本作で、『The Penalty』を『天罰』と訳した大正時代の日本の映画会社のセンスもすごいですが、映画の内容はもっとすごい。映画はまずプロローグで「交通事故の犠牲者」と、ベッドに横たえられた少年と二人の医師がいる病室が映されます。若い医師は両脚の切断を主張し、年長の医師は誤診の可能性を指摘しますが、若い医師に押し切られてしまいます。少年の両親が到着し、息子は助かるのか医師に問い、若い医師は任せてくださいと請け負って、医師たちの話を聞いていた少年は必死で抗議するも両脚の切断手術は施術されてしまいます。「27年後、アメリカ有数の大都会サンフランシスコ」といきなり時代は飛び、大衆食堂でテーブルに突っ伏して眠りこんだ男の財布をすり盗ろうとした女が、ヤクザのフリスコ・ピート(ジェームズ・メイソン)に捕まって連れて行かれそうになり、店を出たところで揉めてフリスコ・ピートは女を殺し、階段から投げ落とし往来は騒然となります。ピートが路地裏に逃げると小路から両脚が膝までしかない、松葉杖をついた男、ブリザード(ロン・チェイニー)が手引きしてピートは小路奥のアジトに隠れます。追ってきた警官がチェイニーに逃げてきた男はいなかったか尋ねますがチェイニーはとぼけてみせ、警官は異形のチェイニーに怯んで追究はせずに去っていきます。チェイニーはオフィスに戻り、隠し窓から様子見をした後で隠し扉から地下の女工ばかりの帽子工場を視察し、不機嫌に女工たちの作業をにらんで不出来な帽子を作っていた女工の髪をつかんで激しく叱責し、逃げたければ逃げてもいいぞ、ただし逃げれば殺すがな、とフリスコ・ピートが女を殺してきたことを知らせます。チェイニーはまた別の隠し部屋に入るとそこはピアノが置かれた音楽室で、脚がないチェイニーはペダル係の女にピアノのフットペダルを押させて演奏しますが女のミスに怒り、役立たずのペダル係は殺すぞ、と脅します。警察は相次ぐ犯罪事件の黒幕がチェイニーではないかと女性捜査官のローズ(エセル・グレイ・テリー)を潜入捜査に送りこみます。一方、チェイニーは、出世して財をなしサンフランシスコ医師会の重職になった、27年前にチェイニーの両脚を医療過誤で切断したフェリス医師(チャールズ・クラリー)の館の門番をスパイにしています。フェリス医師は後継者として若い医師アレン(ケネス・ハーラン)を娘のバーバラ(クレア・アダムズ)と婚約させていますが、バーバラは彫刻家志望で縁談に消極的です。バーバラが彫刻のモデルの新聞広告を出しているとスパイから知ったチェイニーは、バーバラにサタンの胸像のモデルにしないかと売りこみます。チェイニーの帽子工場の女工になった潜入捜査官のローズは新顔なのでチェイニーのピアノのペダル係を兼務するようになりますが、サンフランシスコの暗黒街を支配し、両脚を奪った医師に復讐するつもりの自分がペダル係の助けを借りないではピアノも弾けないのか、と泣き崩れる姿にショックを受け、献身的にチェイニーのピアノのペダル係を勤めるようになります。チェイニーは定期的にバーバラのモデルになり、父にも婚約者にも彫刻を子供の遊び扱いされていたバーバラは、真剣にバーバラのモデルを勤めるチェイニーを信頼するようになります。ローズは帽子工場の天窓から通信文を警察の連絡員に投げ渡しますが、警察の連絡員はチェイニーの手下につかまってローズの身元は露見してしまいます。チェイニーはバーバラを籠絡しようと愛を訴えますがバーバラを抱擁しようとして台座から転落してしまい、バーバラがひるむのを見て作戦を変え、自分の惨めさを嘆いて同情を買います。帰宅したチェイニーはローズの身元を手下から知らされ、最高のペダル係だったよ、とほくそ笑むチェイニーにローズは忠誠を誓い、チェイニーへの愛を明かしますが、チェイニーは同情はいらない、ペダル係だけでいい!と激怒します。チェイニーはついにフェリス医師が在宅する日にモデルを勤めに行き、フェリス医師は蒼ざめてもう来ないでくれと嘆願しますが、それはお嬢さん次第でしょうとせせら笑います。チェイニーはローズに青年医師アレンとフェリス医師にバーバラの身元は預かった、と偽の誘拐電話をかけさせ、バーバラの身の安全を守りたいならアレン医師の両脚を切断して自分に接合手術せよ、と両医師に迫ります。バーバラが警官隊とともに駆けつけると、手術は済んだ、とフェリス医師がアレン医師ともども出てきます。フェリス医師はチェイニーの脳を切開してロボトミー手術を行ったので、今やチェイニーはローズにつき添われて自分の罪を懺悔しています。一方犯罪組織には震撼が走り、チェイニーを殺すか自分たちが殺られるかだ、とかつての手下たちが話し合います。チェイニーはローズと結婚し、術後の見舞いと祝いを兼ねてフェリス医師が訪ねて帰っていきます。晴ればれした表情でローズの助けでピアノを弾くチェイニーは、窓からフリスコ・ピートに狙撃されます。ローズの腕の中でチェイニーは、これが天罰さ、と息を引き取ります。そしてフェリス医師邸のアトリエで、バーバラがアレン医師とうなだれたサタンの胸像を見ながら、「これだけが彼の残していってくれたものだわ」とバーバラ。エンドマーク代わりにゴールドウィン映画社の咆哮するライオンのTMタイトルで、映画は終わります。
 チェイニーの身体障害者役は『ミラクルマン』を踏襲したものになるそうですが、両脚切断まで極端ではありませんでした。この役は膝を限界まで折って革の脚絆で包んで演じられたそうですが、全体重を両脇の松葉杖で支える苦労ともどもあまりに苦痛なため数分以上続けて演技はできなかったそうです。本作の原作は大衆雑誌連載の犯罪スリラーらしいので、突っ込みだらけの点(暗黒街のボスに成り上がった手段や組織の実態が謎とか、警察が無能すぎとか、仇敵に強制した手術を手下に見張らせなかったのかとか)やあんまりな結末(ロボトミー手術!)も原作通りなのでしょう。しかし本作はチェイニー演じる主人公ブリザードの復讐心と邪悪さの中に秘められた悲しみを思いきり扇情的かつ暴露的でショッキングに描くことが意図なので尋常な基準でのリアリティなど問題ではなく、このあんまりな結末さえ医師を信用して裏切られた皮肉とも取れます。しかも、かつて医療過誤で両脚切断したばかりか、本人の同意など当然なしにロボトミー手術で無害化してしまうというこのフェリス医師こそ本当の悪役なのは確かなので、このあまりにむごい残酷譚は一応首尾一貫しているとも言えるのです。チェイニーの演技も映画界入りして8年、37歳にしてつかんだ主演の座で入魂の演技です。サイレント時代の男性俳優は身体能力でこなすタイプの俳優に人気が集まりましたが、喜劇映画はまだしもこうした陰鬱な娯楽映画で、チェイニーのような芸風をこなせる人材はチェイニーしかいなかったので、本作もチェイニーの出演を前提にしなければ成り立たなかった映画です。サイレント時代の映画に限らず映画が実際のテーマと見かけが異なるのはよくあることで、せっかくだからネタバレしますが前年の助演作『勝利』は原作では悪党(チェイニーはその一味)同士の仲間割れの流れ弾に当たってヒロインは死に、主人公は手遅れになって初めてヒロインへの愛に気づくも絶望して家に放火して後追い自殺し、悪党のうち2人は殺し合って死に、生き残った1人も事故死して全員死んだ後で主人公の友人ダヴィッドソン船長が到着し、真相を知ります。映画では悪党の1人が裏切って仲間を殺して自分も死に、残る1人の悪党は主人公と戦って死に、ヒロインへの愛に目覚めた主人公とヒロインは結ばれて終わります。『勝利』の場合は明らかにストーリーだけを借りてまったく逆のものにしてしまったのですが、『天罰』の場合チェイニーはロボトミー手術という暴力的手段で思考改造されてしまうまでは一貫していて、ローズが探っていたチェイニーの陰謀は1,000人のメキシコ人移民(全員ソンブレロをかぶっています)を雇ってサンフランシスコ中で同時多発武装テロを起こし、秩序を壊滅させてチェイニーの暗黒組織が恐怖支配でサンフランシスコを乗っ取る、という計画でした(チェイニーの語りにカットバックしてテロの様子が映像で流れるので、一瞬テロ決行の場面に時間が飛んだのかと錯覚します)。帽子工場はその資金作りも兼ねているのと、女性嫌悪症のチェイニーのサディズムの満足の両方のためですが、膝までしか両脚がない体で蜘蛛のように移動するチェイニーの、人目にさらされるだけで嫌悪を催される姿を見ていると世界に対する憎悪がそのくらい荒唐無稽であってもおかしくはあるまい、と思えてきます。ワースリーはのちのチェイニー映画の傑作『ハートの一』『ノートルダムの傴僂男』の監督でもありますが、15世紀のフランスを舞台にした文芸歴史映画でもある同作と、現代サンフランシスコのやくざな港町バーバリー・コーストが舞台の本作では生々しさが違います。チェイニーの特異な俳優としての座は前年の『ミラクルマン』に続き、'20年の『宝島』(4月公開)と本作『天罰』の2作で決定的になったそうですが、トゥーヌール監督の『宝島』ではチェイニーは主演俳優ではなく、また同作は現在散佚作品になっています。映画として出来が良いのもありますが『ノートルダムの傴僂男』と『オペラの怪人』はフランスものという点でチェイニーの生々しい憎悪、毒気、痛々しさ、おぞましさ、まがまがしさが適度にファンタジー的なオブラートに包まれているので、万人とまではいかずともわかりやすい怪奇映画らしさが誰にでも楽しめる面があり、チェイニー版に続いてはチャールズ・ロートン版『せむし男』、クロード・レインズ版『オペラ座』といった具合にリメイクを許す内容でもある。しかし『天罰』のリメイクなどパロディでもなければ想像もつきませんし、題材からも無理ならば歴史的作品ではありながら日本版DVDの発売すらはばかられるでしょう。イギリスの映画雑誌エンパイヤ・マガジンが2009年に選んだ「知られざるギャング映画の名作20選」では本作は第17位に選ばれており、また『ノートルダムの傴僂男』『オペラの怪人』以前のチェイニー主演作では本作はもっとも成功した作品とされ、チェイニーのベストの1作の内に上げる評者も多いそうです。それはもちろん、ロボトミー手術という暴力的手段による解決の不条理さも含めたものに違いありません。このイロニーもチェイニーが演じた本作のキャラクター、ブリザードが被害者に始まり被害者に終わる因果に結びついており、『天罰』とはそうした人生の皮肉と悲劇性を表すタイトルだからこそ笑えないブラック・ユーモアになっているのです。いみじくもブラッドベリの鋭い指摘のように「愛されないのではないかという恐怖の映画」「報われない愛への怖れの映画」、前年の重要な助演作品『仮面の人』や『勝利』とは違う、苛烈さにおいてサイレント時代のアメリカ映画ではエリッヒ・フォン・シュトロハイム(1885-1957)にしか並ぶものがない正真正銘のロン・チェイニー映画(のちの名作『影に怯へて』'22、『殴られる彼奴』'24、『黒い鳥』'26、『嘲笑』'27、『道化師よ笑へ』'28など)は、『ミラクルマン』が残っていない現在、本作から始まると言って良いかもしれません。